Section2-6 敵の目的と今後

「それは本当なの、秋幡紘也?」

 二十分後、秋幡家にて詳細を聞いた葛木香雅里は表情を険しくしてそう問い返した。彼女は戦闘後そのまま直行してくれたらしく、葛木家の戦闘着である黒装束はところどころ汚れてくたびれている。

「ああ、間違いない」

 香雅里の対面のソファーに腰掛けた紘也は短く肯定して頷いた。愛沙と山田を襲った三体のペリュトンは何者かの契約幻獣だった。それは今回の事件が人為的なものであることを裏づけるには決定的な証拠と言える。

「現状でペリュトンを操っていた者が最大三人いると判明しただけでも朗報ね。なにが目的で蒼谷市を襲ったのかは推察すらできないけれど、たぶん結果は失敗だったはず。仕掛けさせた手駒(ペリュトン)は全て滅したから。――二度目の可能性がある以上、警戒網を布くことはできるわ」

 香雅里は黒装束のポケットから携帯電話を取り出す。早速仕入れた情報を葛木家に報告するのだろう。

 だが紘也にはまだ話していないことがあった。

「その目的についてなんだが」

「見当がついてるの?」

 携帯のプッシュをやめて香雅里は紘也を見詰める。

「いや、はっきりはしてない。ただ、契約していたペリュトンが一箇所に集まって山田だけを狙っていた。無意味な偶然とは思えない」

 目的がなんであれ、完璧に制御・監視のできない野良ペリュトンだけで実行するのは不安定過ぎる。契約者の意を正確に汲んでいる者――この場合は契約しているペリュトン――が目的の中核に置かれていたはずだ。それがあの三体だとすれば、その行為には必ず意味がある。

 ならば野良ペリュトンの役割はなんだったのか?

 恐らく、陽動。

「これは俺の予想だが、敵の真意は山田――ヤマタノオロチにあって、邪魔になる葛木家を野良ペリュトンで撹乱したんじゃないか?」

「ありえない話じゃないわね。でも、その『敵』はヤマタノオロチでなにをするつもりなの? そもそもどうやってアレをヤマタノオロチだと判別したのよ?」

「その答えが今出ないことはあんたもわかってるだろ」

 それでも聞き返さないといけないくらい謎なのだ。紘也が逆の立場でもやはり疑問点は挙げていたことだろう。

「そうね、悪かったわ」

 香雅里は悔しげに唸って愛沙が淹れてくれたアイスティーを啜った。愛沙は巻き込まれただけだろうが、念のために紘也たちと共にしてもらっている。

「紘也くんもかがりんも、あーだこーだ問答ぶつけたって永遠に悩み続けるだけですよ。今決められることはたったの一つです」

 紘也の隣にふんぞり返ったウロが、床に敷いた布団で愛沙に看護されている山田を指差してくだらなそうに言う。

「山田に守る価値があるか、ないか」

《ふ。ふざけるな金髪! あるに決まっておろう! あと『山田』はやめれ!》

 寝たきりの山田が八重の声で反論した。ウロボロスのエリクサーのおかげで傷自体は完治した彼女だが、不自由なく動けるほど体力は回復していないらしい。

「……山田が死ねばマスターも死にます」

 ウロとは逆隣に座っているウェルシュが既に何度も確認している事実をあえて口にする。

「だから相手が山田を殺さないつもりだったら喜んで引き渡せばいいんです。まあ、相手の理由にもよりますけどね」

「軽率過ぎるわ、ウロボロス。もし『敵』がなんらかの方法でヤマタノオロチの魔力を回復させることができたらどうするつもり? 被害は小さくないわよ? 今度こそ関係ない人たちが大勢巻き込まれるかもしれない」

 香雅里の言い分はもっともだ。たとえ守る価値がなくても引き渡す価値はもっとない。

「そんときゃまたあたしが頭から喰らってゲホンゲホン! ぶっ飛ばしてやりますよ」

「お前、いい加減にその訂正やめないか?」

 もう誰も騙されないのに……いや、最初から誰も騙されてなどいないが。

《己ら。吾を目の前に言いたい放題だな》

「ヤマちゃんはそんなことしないよぅ。ね?」

《う。うむ……もちろんだ》

 山田はすっかり愛沙に懐いてしまっている。彼女たちが公園でどんな話をしたのかは紘也の知るところではないが、どうも複雑な気分だった。もちろんその感情は嫉妬なんかではない。あのヤマタノオロチが非力な一般人の言いなり――とまでは行かずとも、仔猫のような安心しきった笑顔を浮かべるほど骨抜きにされている。ヤマタノオロチの恐怖を知っていてそこに戸惑わない人間は愛沙くらいだ。きっと。

《わ。吾はもう人間に復讐するつもりなど欠片もない……はず》

「目が泳いでるぞ、山田」

《や。やかましいぞ人間の雄! 吾とて学習する。いつの世でもそのような暴挙に出ればどうなるかくらい承知しておるわ。それに何度も言うが。吾は人間が好きだ。雌に限るがな。滅多やたらに壊すことはせん》

 そろそろ『山田』と呼ばれることに慣れてきたみたいだ。しっかり反応してくれる。

 毒気を抜かれたのか、香雅里が苦笑気味に息をついた。

「秋幡紘也はともかく、鷺嶋さんもよく絡まれるわね」

「えへへ、そだね。でも、なんにも知らないまま過ぎ去っていくよりずっといいかな」

 柔らかく笑う愛沙は、心の底からそう思っているようだ。後日談を聞かされるだけの安全地帯より、危険を承知でも仲間と同じ場所に立っていたい。そうでなければ八櫛谷の時もついてきたりはしなかったはずだ。紘也も同じだから気持ちはよくわかる。

 香雅里も愛沙の想いを汲み取れたのか、ふふ、と優しい微笑みを浮かべた。

「それで、どうして鷺嶋さんはあの場所にいたのかしら?」

「えっと、お買い物の途中でヤマちゃんに会ったの。そのまま公園でお話してたらあの幻獣さんたちが襲ってきて」

「あなたも不幸な星の下に生まれちゃったわけね」

「なぜ俺を見る?」

 自分がやたら非日常に誘われるのは魔術師の血を引く者の宿命かもしれないと思っている紘也だが、不幸などとは考えたこともない。

 と、ウロが愛沙の荷物にようやく注目した。

「ところで愛沙ちゃん、けっこう大量に食材とか買い込んでますけど、パーティーかなにかするんですか?」

「愛沙様のお誕生日でしょうか?」

 アホ毛をクエスチョンマークに変形させたウェルシュが小首を傾げる。

「にゃんですと!? 水臭いじゃあないですか愛沙ちゃん! それならそうと言ってくれればこのウロボロスさんがこの世で一つしかない愛にも匹敵する壮絶なプレゼントを用意してあげるのに!」

《馬鹿を言え金髪! 愛沙に至高の贈物を渡すのは吾だ!》

「え、えっと、違うよ。わたしの誕生日は三月だから」

 お祝いモードで騒ぎ立てるウロたちだが、愛沙は胸の前で両手を振って否定した。愛沙の誕生日は確か三月十日のはずだ。無論、鷺嶋家は一度に大量の食材を買わないといけないほど大家族でもない。

 この時期ということは――紘也には一つだけ思い当たる節がある。

「じゃあ一体なんですか?」

「えっとね、明日からお祭りの準備が始まるのです。いっぱい人がお手伝いに来るから、そのおもてなしのための買い物だよぅ」

「お ま つ り で す と!?」

 キラーンとウロの両眼が怪しげに光った。嫌な予感が津波となって押し寄せてくるが、わざわざ刺激を与えてさらに暴走させる道理はない。スルーする。

「ああ、やっぱりか。もうそんな時期なんだな」

「鷺嶋霊祭のことね」

 香雅里も蒼谷市民なだけに知っているようだ。

 鷺嶋霊祭。七月の下旬、最終土曜日に開催される小さな夏祭りだ。と言ってもそこそこに露店も並ぶし、鷺嶋神社伝統の『巫女の舞』を見るために近隣の都市からも大勢の人が集まる。ちなみに愛沙はその巫女役の一人として十歳の頃から舞を習っていたりする。

「今年は手伝いに行かなくていいのか?」

 巫女が舞うための舞台造りには紘也たちも毎年参加していたが、今回はまだ声がかかっていない。

「うん、本当は昨日お願いしようかなって思ってたんだけど……ヒロくんたち、それどころじゃないかなって」

 昨日はヤマタノオロチが復活したりしていろいろバタついていた。言い出しにくかったのだろう。それに今もペリュトンの件で夏祭りどころじゃない。

 が、そういう事情には関係なく楽しいイベントを優先する奴がここにはいた。

「いやいやいや、問題なくお手伝いしますとも愛沙ちゃん! 今回の件もこれ以上あたしらが関わる必要なんてないんです。後はかがりんたちの仕事ですからね」

「私としてはあなたたちには大人しくしていてもらいたいのだけれど?」

「かぁーっ! わかってないですね、かがりん。お祭りなんですよ? フェスティバルなんですよ? マハラジャーンなんですよ!」

「なんでアラビア語なのよ」

「夏祭りイベントはフラグが満載なんですよ! これが大人しくしていられるかってんです!」

「ひゃっ!? よ、寄らないで暑苦しい! あとかがりん言うな!」

 血の涙を流す勢いで香雅里に詰め寄るウロ。余程夏祭りに参加したいらしい。ところでフラグってなんぞ?

 くいくい、と紘也の袖が控え目に引っ張られた。

「マスター、ウェルシュもお祭りに行ってみたいです」

「うん、まあ、そうだな。敵の目的が山田だとはまだ決まったわけじゃないし」

 子供のような上目遣いで頼まれると断れない紘也である。もっとも、それは比較的まともなウェルシュだからであって、ウロや山田が同じことをしても逆効果にしかならないが。

「あーもう、わかったわよ。今回も私が折れないと収まらないのでしょう?」

「オゥ! 理解が早くて助かります」

「その代わり、葛木家で監視させてもらうわ。いいわね」

 監視つきとなると少し窮屈に感じそうだが、安全面から言えば最低限の処置である。今回のように一般人に被害を出さないためには、葛木家には迅速に動いてもらわないといけない。

「オーケーオーケー。どうせだからかがりんも目いっぱい楽しみましょう!」

「わ、私は別に、いいわよ」

 ぷいっとそっぽを向いて残りのアイスティーを口に含む香雅里。気のせいか、若干頬が赤くなっていたように見えた。

「あ、そうだ。孝一に連絡しないと」

 なんやかんやあってすっかり安否の確認を忘れていた。鷺嶋霊祭の手伝いのことも教えておかないと後がうるさい。

 そういうわけで紘也はウロと香雅里がじゃれ合っている横で携帯を取り出し、アドレス帳から諫早孝一の番号を選択する。

 孝一はワンコールで出た。

『おっす、紘也。鷺嶋霊祭のことか?』

「ああ、それもだけど、無事みたいでよかったよ」

『? なんの話だ?』

 孝一は蒼谷市が幻獣に襲われていたこと自体知らない雰囲気だった。いや、知っていて葛木家に記憶操作されたのかもしれない。とにかく嘘をつく意味はないので、紘也は今日あったことを掻い摘んで説明した。

『……チクショー、オレだけ蚊帳の外かよ。隣町の後輩に借りてた漫画返しに行ってる場合じゃなかったぜ』

 どうやら蒼谷市にいなかったから難を逃れたらしい。

「なんで悔しがってんだよ。危険なことだったんだぞ」

『オレらはそんな浅い仲じゃないだろ。苦楽全部共にしたいんだよ。お前も、愛沙だってそうだろ?』

「……」

 否定できない。同じことを先程愛沙も口にしていたし、紘也も同感だったから。

『まあ、済んだもんは仕方ないか。せめて明日、詳しい話を聞かせてもらうぜ』

「そうだな。じゃあまた明日、鷺嶋神社で」

『おう』

 軽く挨拶を交わして通話を切る。

 本当にいい友人を持った。

 そう、心の内で二人に感謝する紘也だった。


        ∞


 ロンドン――世界魔術師連盟本部の幻獣用医療施設内。

『――報告はこんなところだ』

「なるほどねぇ。まあゲンちゃんとこなら事後処理も完璧だろうし、連盟からわざわざ応援を派遣する必要はないわな」

 施設内の携帯使用可能区域のソファーにだらしなく寝そべった大魔術師――秋幡辰久は欠伸を噛み殺しながら適当に答えた。

「んで、俺の息子は無事なんよ?」

『そこは一番心配するところじゃないだろう? 強力なドラゴン族の幻獣が二体いるんだぜ? ……いや、一応三体か』

 恐らく部下と思われる電話相手の男は、大魔術師に対してなんの畏れもなくタメ口を使っている。副官の女魔術師が知れば卒倒物だろうが、一度は部下全員にタメ口を許可した辰久である。この方が堅苦しくなくて気が楽なのだ。

『こりゃ、すっかりこっちはお役目御免だよな』

「おっと、その任務辞めたかったりするわけ?」

『まさか。他に居場所はないんだ。現状維持で頼むぜ』

「へいへい、りょーかいっと」

 これまた適当に相槌を打つ辰久だったが、次の瞬間には表情と口調に幾分か真剣さを滲ませた。

「真面目な話、蒼谷市をペリュトンに襲わせた連中には心当たりがある。あとで葛木家にも伝えるが、お前たちも知っておいてくれ」

『……』

 電話の相手は黙って続きを促す。

「『黎明の兆』っつう魔術的宗教結社だ。今俺らが追ってる。フランスのヴァンセンヌから消えたと思えば、そうか、日本に向かったわけね。どうやってんのか知らんけど、奴ら、広域探知にも捕まらねえのよ。ホントもう手を焼いててさ」

 電話相手は無言。興味がないのか、深刻に言葉を吟味しているのかは判然としない。

 上体を起こし、辰久は瞳にハンターのような鋭い光を宿す。

「でもまあ、ようやく、尻尾を掴めたわけだな」


 この時、秋幡辰久は一つのミスを犯していた。

 連盟の本部であるという気の緩みと、本人のいい加減さが原因だったのかもしれない。

 彼の様子を物陰から窺っていた人影に、最後まで気がつかなかったのだ。

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