次の角を曲がったら僕は君を好きになる

相川青

第一章 始まりはその角で

第1話 25歳の決意


   「そこ」に向かう電車の中から僕は緊張していた。



 戦場に向かう時はこんな心境だろうかと思いかけたが、兵士が知ったら持ってる銃の柄の部分で僕をなぶり殺そうと思うかもしれないくらい大げさな表現のような気がするので、やっぱりやめておく。


 先日、誕生日前に友達のタナカと飲んでいた時の会話が、意外と僕を追い詰めていたのかもしれない。


 いや、そう言うけれど、それはただのいつものたわいのない話で、

「僕たち彼女もできずにもう25かあ」とふとした時に言った僕の一言にタナカが反応して、

「彼女もできずに童貞のまま30になると、"やらみそ"って今は言うらしいね」と言ったそのやりとりだけの話なのだ。


 もちろんタナカもなんの悪気もないし、その日飲んでてその話題はそのやりとりだけだったし、その時僕は、

「そういう言葉ができてるってことは、僕たちみたいな生き方も市民権を得てきているんだね」と、貞淑な紳士のように、いや、貞淑は紳士に使う言葉じゃないか、ともかく紳士のように余裕を持って、笑い飛ばすことさえしていたのだ。


 確かその後タナカは、生き方っておおげさな、といったような反応をしていたような気もするけれど、細かいことはもう覚えていない。


 そう、いつもの飲み会の会話なんてしょせん、そんなものであって、全て暗記するようなものではないのだ。決して。


 だけど、その日の会話は違っていた。少なくとも僕にとっては違っていた。


 その日の深夜、僕は酔っ払いながら、家に帰って寝室で、何度も足をバタバタと上下にふりながら、彼女がほしい彼女がほしいとぶつぶつ、ぶつぶつ呟き続けていたのだ。


 どれくらいの時間そうしていたのかは考えないようにしているので、突っ込まないでほしい。突っ込まないでほしいが長時間だったとだけ言っておこう。


 それまで僕は25になることも、これまで彼女がいないこともそんなに気にしていないつもりだった。それどころか、「つもり」という言葉を外してしまってもいいくらい、自然に自然にごく自然に気にしていなかった。


 だけど、その日の酔った時の自分の行動があまりにみすぼらしくって、あまりにみじめすぎて、あまりに悲しすぎて、なんだ僕は本当はこんなに彼女が欲しかったんだって、気づいてしまった。


 25まで彼女がいなかったことがこんなにコンプレックスだったんだって、気づいてしまった。気にしてないのは本音じゃないって、気づいてしまったんだ。




 「そこ」に向かう電車から降りて、あらかじめ決めていていた駅で電車を降りた。いつも会社に行く途中では寄らない駅だ。


 でもこれまで何度も来たこともある大きな駅で、僕はもちろんその駅の出口が東西両方にある事も知っている。


 普通、気の利いた男なら駅周辺のおしゃれなカフェだの小粋なお店でも思い浮かべるんだろうけど、そこで思いつくのが「出口が両方」という無機質な情報であるあたりに僕の気質を感じとってほしい。


 いや、本当に何度も来ているのに、今、駅の説明でこれくらいしか思いつかないのは、深く考えると落ち込みそうなので、これくらいにしておく。


 日曜日の昼過ぎの普通電車だから、あまり混んでいないと思っていたのに、意外とホームは混んでいた。


 なんとなく、カップルが目につく気がするのは、僕がカップルに目がいっているからだろうと思う。多分。


 本当は女性に目がいっているのが正解なのかもしれないが、かわいくお化粧をしている瞳の光の先にはだいたい男がいるのだ。


 駅の改札を出てからアーケードのある大通りを西に歩いていった。いつもここは人通りが多い。この辺りで一番の繁華街だ。


 もう少し山手側はデートスポットが多い場所だけれど、そういえばあまりにも無縁なので、ここよりもそっちの山手側の方が人が多いかどうかを僕は知らない。


 異人館とかあるし、おしゃれっぽいのだけは知っている。でも山手側は比較するために思い浮かべただけで、本題とは関係ないので、これ以上は触れないでおく。


 僕はアーケードを抜けて、左に曲がり、百貨店が見える通りを南下した。




 思えば僕がこれまで一度も彼女ができなかったのは、一番はその環境にあると思う。その次はこの大人しい執着心の少ない性格のせいだろう。


 その次の理由はきっと容姿にあるんだと思うけど、どこにでもありそうなのび太君顏の僕の容姿だ。あまり細く描写しても面白くなさそうなので、ここでは多くを語らないでおく。

 

 ただ、

「お前って本当にのび太くん顏だなあ」と僕にいう友達には殆ど

「お前こそ、究極ののび太くん顏じゃないか」と僕が返すくらい、僕の周りにはのび太くん顏が溢れていた。


 僕は「そんな環境」にいた。

 だいたい今あなたが想像したイメージであっている環境だ。しかし、あなたがこういう環境にいたことがなければ、こういう環境がいかに過ごしやすいかは分からないだろう。


 本当にそれはこたつにみかんと猫が揃ってるように居心地がいいのだ。問題なのは女性がいないことだけなのだ。


 話が脱線したけど、ここでキッチリ戻しておこう。さっき僕が言っていた、「そんな環境」とは、思春期の多くを少し田舎の6年一貫教育の男子校で、続いて大学を理工学部なんてこれまた男子校のような環境で、そして社会人になってからもメーカーのシステム運用部門なんていう、これまた男子校で過ごしているようなという、僕の徹底的で圧倒的な男子校育ちの環境のことだ。


 ひとりっ子だったのも、いとこの血のつながった女性さえも歳が離れているのも、もしかしたらその環境と呼んでいるものに加えてもいいかもしれない。


 とにかく僕は彼女ができない環境のデパートと言ってもよいくらいだった。少なくとも、そういいわけをして納得してもらう材料には事欠かなかった。


 僕がそう言うと大抵の人は

「そっかあ。じゃあ仕方ないよね」なんて一旦聞き分けよく納得してから、

「でも最近の人はほんとにそういう意味でがつがつしてないよね」なんて言葉をさらっと言ったりする。


 本当はこの言葉、さらっとしてなくて、心の内側をざらっと軽く削り取るんだ。気づかないふりをしているけど、そうやってじわじわと僕は削り取られているんだ。




 百貨店が見える通りを南下した後、僕は事前に調べた「その」通りに行く前に、何度か行ったことのある中華街を通っていった。


 何故って、あまり馴染みのない場所に行く前に、少しだけでも安心したかったからかもしれない。


 その日もその中華街は観光客や地元の人で祭りのように賑わっていて、思わず僕も露店で肉まんや、北京ダックのクレープ包みを買い食いしたくなってきた。


 いや、だめだめ。そんなの決心が鈍るからと、僕は買い食いをおおいに我慢した。「おニイさんヨッテッテ」の声の横を素通りした。




 思えばもちろん中高生の時だって、大学生の時だって、同じ環境にいる友達の中にだって彼女がいる人はいた。よく聞かれるから先にこっちから言っておくけどそれは事実だ。


 でも彼らはいつだって、最初から彼女ができる環境があったり、ある時まで自分も気付いていなかったのに、ある時急に自分も彼女ができるような環境があるのだと、ばったり気付いて、あっさり彼女ができちゃったりするんだ。


 そして彼女ができるとすぐに、僕とは別世界の人になってどこか遠くに羽ばたいていった。


「俺彼女ができたんだ」と話してくれたから、素直に

「いいなあ。いつの間に」と言っている間は、まだへへへ、と照れているというのに、

「どうやってできたんだよ?」と聞く頃には、

「ごめん。今日は彼女と先約があるんだ」と言って、どこかへ消えていった。

少なくとも僕にはそう感じられた。


 だいたい小学校の頃から仲良くしていたとか、同じ塾に通っているとか、友達が紹介してくれるとか、楽しそうなサークルに入るとか、合コンに強引に誘ってくれる友達がいるとか、そんな環境があれば僕だってすぐに彼女ができたに違いない。そうに違いない。


 残念ながら、そういう環境は僕にはなかったし、大学のクラスや研究室にいる数少ない女の子に対して必死にアピールして自分を覚えてもらうという、健気で果敢な行動自体、どうしても僕には不可能だった。




 中華街を通り過ぎて少し南に歩いた。僕はそこが事前に調べていた通りだということを確認した。


 事前に調べていたその通りは、駅前の通りよりちょっと人通りが少なかった。


 でも、確かにそれまでの通りより若い女性の割合が高いと感じていた。

 自分が入ったことのない、おしゃれな雑貨屋が増えてきた。


 なんか、古い、昔からあるビルを改装して作るような、こういうのなんていうんだったっけ?リノベーションかコラボレーションとかいうような感じだ。

そう。


  確かにここが「そこ」だった。


 なんだかクリーム色と青色に、いいバランスで彩られたビルの1階にある、コンビニの横のベンチに座って、僕はそのビルの横を「その角」に決めた。


 少し小雨が降ってきたかもしれない。若干、嫌な感じがする。


 でも、「今日」って決めたからには、今日それをやらないと僕には二度とそんな勇気が出てこない気がした。普段から勇気が溢れてくるようなタイプでは決してない。


 「ほんとにやるのか」って、何度も自分に聞いたけど、何度も「やる」って自分から返ってくるところを見ると、やる気だけは十分あるらしい。



 僕がその角でその日すると決めたのは、



「その角を曲がってきた人に僕が恋をする」


                         という事だった。





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