初心者狩り-3

「こ、この血まみれの死体はなんですかぁ!?」


 水軌達の前に姿を現わすやいなや、ハルトという名の男はこの酷い惨状に悲鳴を上げた。

 まぁ、これからMMORPGライフを楽しもうと初めてのクエストに挑戦した矢先、こんな血塗れでグロテスクな屍を見たらこうもなるだろう。

 水軌の足元、強靭な脚を備えたバッタの様な青色の昆虫は、毒々しい色をした蝶々に飛んでかぶり付く。


「この血塗れの死体は俺達の友人で、さっきプレイヤーキラーに殺されたんだ」


 狼狽えているハルトに状況を説明する水軌。

 ハルトは意外と察しが良く、水軌の説明を聞いて我を取り戻した。

 どうやらプレイヤーキラーについて何か知っているらしく、ハルトは神妙な顔つきで顎に手を添えた。


「それはここを活動拠点にしている悪質ギルド、初心者狩りの仕業ですね...」


 ギルドというのは水軌達冒険者同士の集まりの事。

 RSOは1人でクエストをクリアするにはかなりの腕前が必要だ。それ故、冒険者同士で集まり協力してクエストをクリアするという運動が多く、それがギルドの原型となっている。

 勿論人手は多ければ多い程、他のプレイヤーと実力や戦力共に差がつくので、ギルドというシステムを利用して悪事を働く輩も多い。

 それがこの辺に巣食う悪質ギルド、初心者狩りの事だ。


「実は僕も初心者狩りの奴らにしてやられまして...。皆さんと同じく不意打ちで」


 ハルトはそう言って痛手を負った自分の装備を見せ示す。

 やはり水軌の予想通り、ハルトの惨めな格好の素因はプレイヤーキラー、つまり初心者狩りの仕業だ。


「気を取り直して探索を再開したら、辺りが赤色一色で、あまりにも突然の事で戸惑っちゃいました。すみません驚かしてしまって」


 過ちを詫びながら頭を下げるハルト。

 どうやら先程夢路がハルトに対して怒鳴った事を気にしているらしい。


「いやいや、文月を殺した初心者狩りだと勘違いしてしまったんだ。怒鳴ってごめん」


 水軌も頭をへこへこと下げる。

 なんとも言えない気まずい雰囲気に嫌気がさした水軌は、ある提案をハルトに持ち出した。


「ハルトも一緒にこの森を探索しないか? 道中初心者狩りに襲われても人手が多い方が何かと対処できると思うし」


 ゲームに詳しい文月が倒されて少し心細いという思いもあってのオファーだった。

 更に保護色によって守られているゴブリンを探すにも人が多い方が発見しやすい。

 ハルトは水軌の申し出を聞いて目を輝かせた。


「モチのロンです! 1人でこの森を探索するのはかなり心細かったんです、助かります!」


 ハルトは一見クールな美男子だが、実際は結構明るい性格の様だ。

 まぁ所詮はネット上の顔の為、本当の顔や性格は謎に包まれたままである。

 新しい仲間を迎え、少しだけ場が明るくなったが、一抹の不安が水軌にはあった。


「文月の死体、どうなるんだ? 友達としてこのまま晒す様な真似はしたくないんだけどな。仮にも女の子なんだし」


 そう、この見るに堪えない文月の亡骸の後処理に関しての事だ。

 仮にも女の子ってどういう事だよ! と水軌の脳内で文月の怒声が響く。


「あぁ、それなら心配ご無用です。死体は時が経つと土と化し周りと一体化するはず。ほら」


 ハルトの声に反応する様に文月の死体と血液は、土へとじわりじわり姿を変えていき、体の細胞一つ一つが湿り気のある土に侵略されている様にも見える。

 幼馴染の死体が土壌となって消えるというのは感慨深い体験だ。

 まるでこの場だけ、時間の速度が光の如く早く感じた。

 現実も他殺死体がこのように処理されていたら、何万人もの人間が行方不明になっていただろう。


「確かに、プレイヤーの死体がいつまでも残っていたらこの森は赤い絶望の淵になっちゃうな」


 苦笑する夢路。

 何がともあれ、このゲームのからくりによって原子の森は綺麗な自然の宝庫となっている。

 しかし裏を返せばこの自然の裏で大量の殺戮が行われているという事だ。

 勿論、現実でも虫や動物達が種の繁栄をかけて弱肉強食の世界が繰り広げている。

 だが、少なく共日本ではこの世界の様に刃傷沙汰にんじょうざたは起きない。起きてはいけない。

 ゲームと現実は違う。

 かと言って現実がゲーム、ゲームが現実になる未来もそう遠くはないのだ。

 その時水軌達人間は果たして、現実のモラルを忠実に守り暮らしていけるのだろうか?


 文月の死体は完全に土と化し、この電脳世界の一部となった。


「それにしても酷いですよね。薬草を探している無防備な所を不意に狙うなんて」


 ハルトはボソリと、呟いた。



 水軌達は約1時間もの間ゴブリンを探し求め、無我夢中でゴブリンを追っていた事もあり、マップを注視して現在地を確認する事を疎かにしていた。

 それゆえに、どうやら最初の最初、芽吹きの場に戻ってきてしまった。

 芽吹きの場は原子の森で唯一木が生えていない空間の為、サンサンと太陽の光が降り注いでいる。

 突如スポットライトを当てられたかの様に目を眇める水軌は、いつかこういった所に大の字で寝転がって日光浴をしたいなと淡い想いを頭に浮かべた。

 道中、水軌一行はゴブリンを6体見つけて、3人は2体ずつ分けてゴブリンを倒した。

 ゴブリンは意外と小さいが、手に大きい棍棒を武装しており筋肉もある。

 小さい体から異様な威圧感を放っていたのだがそれも初対面の時だけの代物。

 動きは遅く目も悪い様で、レベル1の水軌達でも簡単に倒す事が出来たのだ。

 芽吹きの場には相変わらず人が多く、何度も言ったが皆飾り気のない質素な装備だ。

 初心者狩り、というのだから大層な装備をしているのだろう。

 だがそれでは目立ってしまう。

 初心者しか挑戦しないであろうクエストに、豪華な装備を拵えたプレイヤーが乱入してきたら奇異の目で見られて警戒されるに違いない。

 文月が倒された時も、周りに何も気配は感じなかったし、手際も良く気付いた時には倒されていたという感覚だった。

 もうそれだけでかなりの手練れだと分かる。

 それにしても、ここまで人気があると寝転ぶ場所も確保出来なさそうだ。


 3人は再度原子の森の奥深くへと進む。

 皆ゴブリンを2体倒しており、クエストクリアにリーチをかけているのだ。

 ここで諦めるわけにもいかない。


「それにしてもここまでゴブリンの数が少ないとは思わなかったな...」


 水軌は思わず弱音を吐いてしまう。

 それもその筈、水軌は一時間弱マウスを握り、右手を酷使し続けている。

 それは夢路も同じだが、約2ヶ月殆ど手先や体を動かしていなかった水軌にとっては少し過酷な物だった。


「ゴブリンの数が枯渇する程このクエストを挑戦している人が多い。つまりこのゲームが大盛況しているという事です。良い事じゃないですか」


 抑揚の乏しい声でハルトが話す。

 声色から言ってハルトも疲労が溜まっているのか、それともただ退屈なだけか。


「にしても初心者狩りって何の目的で、初心者を狩っているんだろうなあ」


 3人の先陣を切って進む夢路。

 退屈そうにしている様子もなく、先程からせわしなく辺りに目を配っている。


「ただの自己満足ですよ。お前らとは違って俺達は強いんだぞ、と現実では満たされない自己顕示欲を満たそうとしているんです」


 初心者狩りに対し随分シビアな考えを持っているハルト。

 確かにハルトの持論は的を得ている。

 初心者を狩る事に目的なんて存在しない。

 会話にひと段落がつき、皆が黙々とゴブリンを探して数十秒後、夢路が声を上げる。


「居たぞ! 3体目のゴブリンだ!」


 頭上から高木が雨の様に葉を降らし、雪の様に降り積もる。

 その目先には確かにゴブリンの姿。

 夢路は木の剣を持ち直して、数メートル先に居るゴブリンに剣先を向け走る。


「じゃあお先にクエストをクリアするぜ!」


 まだゴブリンを倒していないのに、すっかりクエストをクリアした気になっている夢路。

 まぁ今までのゴブリンの戦闘力を知ればそれも仕方のない事かもしれない。

 が、1人前の冒険者は1体のゴブリンを倒す時でさえ油断はせず、全身全霊を持って一撃で仕留める。

 そう、冒険者にとって油断は御法度。

 相手がどれ程の技量かは実際に拳を交えてから初めて分かる物だ。


 ゴブリンは夢路の雑な太刀筋を見切って華麗にかわす。

 今まで相手にしてきたゴブリンとは全く違う機敏な動きに動転してしまう夢路。

 ゴブリンはその小さな隙を、刹那の中に存在する極小の穴を見逃さなかった。

 夢路の無防備にな腹に、自分の体ほどの棍棒を打ち付けて、豪快に薙ぎ払った。

 反動により勢いよく木の幹に激突した夢路は口から大量の血を吐いて、倒れる。

 紙吹雪の様に舞う落ち葉。

 夢路の頭の上にあるHPゲージは10分の1以下まで減少しており、たったの一撃で瀕死状態まで追い込まれる。

 夢路の職業はパラディンだ。

 仲間を守る職業だけあって防御力、HPが非常に高い。

 それでも一撃で瀕死に追い込むあのゴブリンの攻撃力。

 水軌の本能は、警戒警報を鳴らす。

 それはハルトも同じはずだが、果敢にゴブリンの方へ向かって行く。


「大丈夫ですか夢路さん! この薬草を飲み込んでください!」


 ハルトは血と朽ち葉まみれの夢路を優しく抱き上げて、薬草を渡す。


「ハルト危ない! お前もゴブリンの餌食になるぞ!」


 普通、目の前で態勢を整えようと動く敵を見逃すわけがない。

 水軌はゴブリンの挙動を案ずるが、何故かゴブリンは微動だにしなかった。

 何故だ?

 なぜ阻害しない? 遊んでいるつもりなのか?


「おお...サンキューな...」


 夢路はそう言って受け取った薬草を飲み込んだ。

 現実の夢路は怪我一つ負っていないが、ゲームではまるで手負いの人物が発する声の様な掠れた声に加工されている。

 だが今はこのゲームの細かい仕様に感心している暇はない。

 ゴブリンの機嫌が変わらない内に早く回復してくれ! そう水軌は祈った。

 ゴクン。

 とハルトの渡した薬草は夢路の食道を通る。

 これで回復したか...!?

 しかし夢路の頭の上のHPゲージを見ても回復する様子は一切ない。

 それどころか水軌が望んだ事態の正反対の局面が、目の前で展開された。

 夢路は更に口から血を吹いて、完全に意識を失う。

 いや、意識を失ったのではない。命を失ったのだ。

 なんとハルトの渡した薬草らしき草は、外見が似ていると先程話したばかりの毒薬草であった。

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