第四章 誓約

1. 神代美玲


「よぉ――同類」

 それはあまりにあっけない再会だった。


 ……予想に反して。言ってみれば、もっと劇的な再会ってやつを期待してたのだろうか。目の前の相手があんまり当たり前にしれっとした表情で手を挙げたものだから、何だか唐突に言葉に詰まってしまったのだ。はーやっぱりコイツは一筋縄じゃいかないわ。


 そんなことを同時に思いながら、そしてまずあたしは彼女の容貌の変化にも驚かされた。あんなに長かった髪をばっさりカットしてシャギーがかったショートカットにしている。わわ、綾波かよ。まあねぇ――だってあれから一体何年経ってると思ってるのさ。お互いもう結婚してても全然おかしくない二〇代後半だよ? それでも何だかやはり不可思議な懐かしさが漂う。やっぱり伊達に濃い高校生活三年間を二人して過ごしてなかったってことか。


 あたしは例によって謎の美女、円城寺冬華の口車に乗せられ、とうとうここまで来てしまった。都内某所の雑居ビル。そこは確かに、かの有名なアニメスタジオ・ネプチューンが在籍する場所だった。何だかそわそわと落ち着かない。ただでさえ対人恐怖症に毛のついた元精神疾患持ちだってのに。


 それはそうと、そもそもどうしてあたしは……先日このリーヤもとい円城寺女史の言っていた言葉の意味もロクに把握できないままに。それでもあたしは、やっぱり彼女に会いたかった。きっと会えるような気がした。たぶんどんなキケンな罠が待っていたとしても? ……わからない、でも。


 何かしら、とてつもなく嫌な予感というやつを胸に抱えながら、それでもあたしの足は躊躇しなかった、できなかった。まるで魔法にでもかかったみたいに。魔法? そうだ、魔法。第一業界内でも有名な知る人ぞ知るアニメ監督、あの竜崎悟朗作品である、この「ルミナス・コード」に、かつての友人の未玲が関わっていること自体、何かの魔法みたいだ。それはそうと彼女はともかく、何よりこのあたし自身ですよ。もうなんで? っていう感想しか湧いてこない。


 一生に一度人には奇蹟というやつが起こるとはよく言うけど。奇蹟、これって奇蹟なのかな。あんなに会いたかった未玲に逢えたのも。そして、このいわく付きのルミナス・コードに間接的にでも、あたし自身が関わることになることも……。


 でも、その時あたしはまだ知らなかった。そんな生半可な事態じゃないってことに。未玲もあたしも、なんて一筋縄じゃいかない、とんでもないことに巻き込まれてしまったんだろう。……まるで、奇しくも劇中のヒロイン瑠美那みたいに。


「み、未玲――さ、ん?」

「誰だよ、それ」


 恐る恐る声をかけてみたが、返ってきたどことなく不満そうな、ぶっきらぼうなその口調に冷や汗たらり。確かに早くも十年が経過しているとはいえ、あたしたちは決してそんな他人行儀な関係じゃなかった。それでも、そんな相手の反応に反面どこか安心している自分がいた。あは、ははは……思わず気まずそうな空気が流れ、自然と出てくる不自然な自分の笑い声にかえってあたしは膠着する。


「――コレ」


 かと思うと、未玲が唐突に差し出した一冊の漫画冊子に今度は目が点になる。いわゆる同人誌というやつである。それもそのはず、いやーお懐かしや。それはあたしと彼女が高校時代にコミフェに出品した、かのガイアギアスのヒスコハ本であった。まるで走馬灯のようにあの日の場面の一つ一つがよみがえる。


 でも未玲は言った。なんとそれは元々彼女自身が所持していたものではなく、かのアニメ脚本家であり、あたしたちを今回の件に巻き込んだ張本人、円城寺冬華が所蔵していたものだという。驚くのは、そればかりじゃなかった。リーヤもとい円城寺は、この一冊の同人誌を手掛かりにあたしたちを探し出したのだそうだ。


 まぁそう言われてみれば未玲はともかく、便乗してあたしもってことも解らないでもないけど、だけどあたしはこの誌面作りに関しても、たいして何もしてないんだよ? ほとんどが未玲の創作。あたしは単に彼女にアイデアを貸しただけ。いつだってあたしたちはそうだった。妄想の出所は確かにあたし自身だったかもしれないけど、実際の作業はほぼ未玲のみの作品である。だから解らないんだ。


「驚いてるのはこっちの方だって……ナミ、どうしてあんたが」

 さしもの未玲自身も合点がいかないようで、それでもあたしたちは、数奇な運命によって再び出会ったことに変わりなかった。


「でもよかった。まさか未玲にこんなとこで会えるなんて、ね」

「う、ん……でも、そう素直に喜んでいいんだか悪いんだか……」


 つまりあたしたちはハメられたのかもしれない。あの女、円城寺冬華に――その時未玲が飲み込んだ言葉に、いち早く気付けばよかったんだろうか。そう同類、つまりあたしたちはその意味でも確かに「同類」だった。


     *


 その日あたしが通された応接室で一時二人して話していると、しばらくして、あたしを連れてきた円城寺女史が再び部屋に現れた。

「待たせちゃってごめんなさい――ふふ、どう? 久々の感動の再会ってやつは」

「ええ、どうも」


 まったくどうもこうもないといった表情かおで未玲が答える。確かに曲がりなりにも本作品の脚本家とサブ脚本家、である。当たり前かもしれないが、実にビジネスライクに円城寺に対して未玲は振舞っているようだが、それでもどことなく心から本心を許していないといった感じだ。


「本当にどうしようかと思ったのよ。あなたがなかなか軸となるテーマを決めてくれないものだから……」

 ああ、そうか。ルミナスの話ね。やはり制作が若干遅れているっていう噂は本当だったのか。


「でもこれで準備万端整ったというわけね。神代さん、あなたが上げてくれた本稿と、そして――」

 唐突に視線を注がれ、あたしは思わず緊張する。

「ここにいる……伊勢崎ナミさん」


 何しろ今現在制作の真っ只中ですからね、その合間を縫って時間を取るのも難しいというのが実情だけど……。でも、必ず会ってくださるって言ってましたよ。その円城寺の話に未玲がふと目配せする。取りも直さず他でもない、その面会の相手というのは、本作監督の竜崎悟朗その人であった。


 未玲は言っていた、本当はあんたを巻き込むなんて本意じゃない。でも、相手も"プロ"だ。そうそう逃げられるもんじゃないっていうのが分かってるんなら。

「……あんたはあたしが守る」


 その言葉に何だかあたしはどきっとする。確かに未玲には責任があるっていうのは解る。どうやらあたし自身はスタッフクレジットにも載らないようであるし、それ自体がどことなく怪しい扱いのような気がしてならない。それに……。


 安心して――彼女のその言葉が何よりあたしは嬉しかった。この上なく。何よりたぶんしばらくの間は未玲に会える。ううん、きっと。あたしたちは再会すべくして再会したんだ。そんな気がしてならない。例え行く末にどんな嵐が待っていようとも。


 そう、どんな嵐が待っていようとも……。

 あ、れ。これってどこかで? え……もしかして、瑠美那とルミナス?


     *


 熊野奇魂命――クマヌクスヒノミコト、と読む。


 え、誰だって? そりゃ完全なる企業秘密ならぬ、制作極秘事項よ。でも本作「ルミナス・コード」における主軸の核ともいえる、大バレであることだけは確かだね。何しろ暗号、記号は元より様々な思惑が渦巻く本編ならでは、の……。


 神話では、クマヌクスヒは天照大神の五人の息子のうちの末子。アマテラスがイザナギノミコトの左目から生まれたように、クマヌクスヒはアマテラスとスサノオのうけひの儀式の際、スサノオが砕いて吹いたアマテラスの玉飾りから生まれた。アマテラス、スサノオ、ツクヨミがイザナギノミコトが生んだ三貴子なら、クマヌクスヒはアマテラスの玉飾りから生まれた五柱の神の一人ということになる。


 でも要するに一番影の薄い、記紀神話にも記述の全くといってない謎の末弟。その名に冠されたクマヌは勿論、熊野。イコール隠された場所、文字通り鬱蒼とした神の隠れる地、との意味がある。だからじゃないけど、瑠美那はその神隠しに遭っちゃったのかな。そうそう、あの月とも太陽ともつかない、おかしな男神に連れられて――さすがアマテラスとスサノオの息子……おっとっとと。


 え、あたし? あたしが誰かっていうのも、今度こそ企業秘密。っていうか国家機密、か。要するに「ルミナス」は面白いよー、っていうことを言いたかっただけ。何しろ森羅万象、この世の色んなエッセンスを練りに練って混ぜ込んであるからねぇ。最もそれも、たった一つのシンプルなことだけを言いたかっただけなんだけどね。


 そ……すべては究極の一に集約される。そしていつしか、すべては無に還る。ヴァルゴもリーヤも、その辺のところよく解ってるみたいだね。


 龍神のおわす国、日本。陰陽すべてを巻き込んで、それはいにしえの神話に還る。龍蛇ナーガが疎まれ忌み嫌われ、そしていつしか畏怖の念を持って崇拝の対象になったように。


 善は悪に取って代わり、そして悪は善に……。


 気をつけた方がいいよ。アンタも気付いたら悪に染まってるかもしれない。でも、ぶっちゃけどっちだっていいのか。だって双方とも、その両方のうちのどちらでもあるんだから――。


 さ。お喋りはこのくらいにして、そろそろあの二人に新たな刺客でも差し向けようかね。というか恋敵。まぁ、あの娘はルミナスにぞっこんだからねぇ。色んな意味で踏絵。


 ……………

 ………………………


 クスヒ様。どこにいらっしゃるのですか――。

 

 眼光の鋭い細面の少女が、一人眸ひとみを開いた。いや女剣士、といった方が相応しい、凛としたその容貌。腰には文字通り一握の剣を携えていた。

 そこにも深い闇夜とともに、ひっそりとした月の光が差し込んでいた。


     *


『聡介、聡介……起きてください……』

 その柔らかな声に呼ばれ、聡介は一時の眠りから目醒めた。


 気がつくと自分は広い大きな寝台に寝かされていた。ひんやりとした感触の、絹糸でできたような生地のベッドシーツが心地よい。どこからともなく聞こえてくる穏やかな水音。それが今までの快い夢見心地を誘っていたのかもしれない。


 そっと上体を起こしてみる。いたた、何だか頭が痛い。思わずこめかみに手を当てると、その同じ場所に再びひんやりとした感触が触れた。


「どこか痛みますか?」


 額に手を添えた先程と同じ優しげな声の主に、そっと声をかけられ、ふと見上げる。そして聡介は息を呑む。そこには驚くほど美しい人が腰かけていたからだ。女? 男? いや、そのどちらでもないような。美人、といえば、例の草薙先生もかなりの美人だったけど、でも何かが違う。


 その人はとにかくどこか人間離れしていた。蒼い水底を映したような髪の色。切れ長の涼しげな瞳。蒼白に近い色白の滑らかな素肌。その背はすっと伸び、足元まで長い髪の毛が渦を巻いている。そう、まるで月の光の妖精がそこに佇んでいるかのようだった。


 いや。というより、何だか怖いくらいの神々しさを纏ったその人は、さしずめまるで無慈悲な微笑を浮かべた月の神のよう。


「あの、あなたは一体……ここはどこですか?」

 一瞬言葉を失い我を忘れた後、聡介は思い出したようにかすれ声を発した。すると、その問いにすぐには答えず、その人は言った。

「あなたは何を見ていたのですか――」


 その瞬間、聡介はぞくっと身が竦むような寒気を感じて身体を引いて後ずさる。そして見てはいけない何かを見たような気がして、思わず震えながら、かぶりを振る。しかし、どこからやってくるのか解らぬ怯えに支配された目の前の少年を見て、月の神は元の優しい表情を取り戻した。


「何も心配は要りませんよ……あなたはただ悪い夢を見ていただけなのですから」

 そう言われて何があったのだろうかと、ふと記憶の糸を辿り思い返してみる。けれど、真白な聡介の頭の中の映像には何も映っていなかった。でも、ただ一つだけ。


「そうだ!瑠美那さんは……」

「瑠美那?」


 そこまで言いかけて、はっとする。何かの不思議な光が、あの時彼女の身体を包み込んで、それから……。でも、やはり何も思い出せない。そんな聡介の様子を見て一瞬、目の前に佇むその人の眸の奥が鋭く閃いたような気がした。


「――私の名はツクヨミ」

 突然、目の前の不思議な人が自ら名乗った。

「初めまして――今日からあなたの護り神になる、夜を統べる月の神です」

 その言葉に聡介は再び息を呑んだ。


     *


 “その小島”に龍神はいるという。

 勿論、この間沖縄に現れたいかずちの幻龍ではない。


 差し当たっての目的地、かつての本土の首都だったアマテラスドームにまでは、かなりの距離があった。だからあたしたちは、そこまで行って、とりあえず“乗り物”を調達しなければならない。


「カグツチ――」

 乗り物、なんて言い方したら、ルミナスに失礼かもしれない。カグツチつまりそれは火龍、彼が可愛がっていた、要するに“ペット”だからだ。


 ルミナスは少しずつ記憶を取り戻しつつあった。けれど、そうは言っても、すべてを完全に思い出したわけではない。あの瞬間よみがえった記憶のすべては、あの幻の闇龍を消し去るためのエネルギーに変換されてしまったからだ。


 何だかな……もしかしたら、思い出す傍から自分自身を保つためのエネルギーに消化してしまうのかな。ルミナスが言うには、彼の意識体に適合する、あたし自身の生体エネルギーがまだ完全ではないからだそうだが。だって、そりゃそうだよ。あたしは生まれてこの方、こんなことするの初めてなんだから。っていうか、そもそもすべてが特異すぎる。


「どうして、あたしなのよ……」


 思わず、ぼやくように呟く。もうとっくに受け入れたはずの、なのにまだ完全には納得できかねている。この太陽神、つまり光の守護神とあたしとのおかしな関係。そんなあたしを見て、ようやくその姿を保っているのかもしれないルミナスは大きく溜息を付いた。


「――やはり」

 それでも、どこか躊躇っているかのように、ヤツは言いかけた言葉を途中で切った。

「な、何?……なんなのよ、一体」


 まだ沖縄の地を完全には脱していない。そのことが瑠美那自身の決心を鈍らせているのか――それとも。午後の日差しが照りつける沖縄近海に浮かぶ小さな環礁で、いつしかあたしたちは言い合っていた。


「言いたい事があるんなら、はっきり言えばいいじゃない!」


 あれから、とうに二日が経過していた。けれど、一人ぼっちでこんなとこまで連れてこられて、既に丸二日何も食べていないあたしは、さすがにお腹が空いていた。何より空腹は苛立ちを助長させる。


「アンタはいいわよね、だってあたしの生命エネルギーで生きてるんでしょ?」

「そうだな――だが俺には生憎とお前の面倒を見る余裕がない」


 まーよくも抜け抜けと……何よ。その冷たい態度にさすがに腹が立ったあたしは、思わず怒鳴り散らしていた。

「やっぱり帰る!泳いでだって、あたし一人で絶対沖縄に戻ってやるんだから!」


 言っとくけど泳ぎは得意中の得意。陸上部所属の体育会系、金城瑠美那さんを舐めんなよぉ。しかし、ずかずかと怒り任せに地面を踏みしめて、背中を向け歩き出すも、相手は一向に呼び止める気配もない。なので、思わず盛大に叫んでやった。


「ほんとに帰るんだからぁ!」

「ああ、勝手にしろ――」


 はぁ? 背後から返って来た答えに怒り心頭である。もう、あったまに来た。ルミナスなんてたいそうな名前、付けてやるんじゃなかった。あんなやつルミナスどころか、役立たずのヘボナスだよ。


 役立たず……。

 だけど、その言葉に思わず不安げに振り返る。けれどルミナスの姿は、もうそこにはなかった。ただ潮風と戯れる鮮やかな緑の葉が、音もなく背後の森で揺れるだけだった。


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