幻影-まぼろし-のルミナス

みなもと瑠華@ミナモトルカ

プロローグ


ごめんね、未玲。あたし、ウソツキだね……。

でも、ほんとは腐とかオタクとか全然関係なくて、ただ好きなだけだったんだ。

だけど、もう。



瑠美那――ゆるして。

たすけて、ルミナス。



それとも、この声は、思いは、

もう誰にも届かないのかな。


…………



  *


「なんだかなあ……」

 涼宮ハルヒよろしく、やたらと意気込む未玲をよそに、その日あたしはとてつもない不安に支配されていた。


 あたし伊勢崎ナミは、正真正銘のアニオタである。

でも、今ではもう世間的には"いい歳"である三〇代一歩手前の二〇代後半。


 だから、その世間様に顔向けできないようなコトはすべきでないと、実は内心で思っている。それに、そんな一般人に当たり前に通用する知識や常識なども少なからずわきまえていると、自分自身でも思ってもいる。


 だけど、コイツはそうじゃない。

そう――まごうことなきオタク。いや、腐女子……。


 最近ようやく一般にも浸透し始めてきたその単語。

彼女らのある意味で禍々しい生態を表すのに、これほど見合う的確な言葉もない。なんだか貴腐葡萄でもあるまいし。でも貴腐葡萄なんて、そんなたいそうな表現が似合うほど、未玲は「できてない」。いいや、ある意味で彼女らは、既にできあがっているのかもしれない。そ……酔ってるんだ。まちがいなく。


 腐女子、上等か。

神代未玲は、それほどまでに腐っていた。


 そりゃ本当は自分だって他人のことをとやかく言う資格なんてない。

なぜかって、あたしだって立派な"オタ"だから。


 ただ一つ違う点といえば、あたしはそこまで"そっちの道"に腰までどっぷり浸かってるわけじゃない。せいぜい片足ぐらいかな? だけど未玲はそんなことまるでおかまいなしに、あたしをその腐の道に引っ張り込もうとする。何が「いいじゃん、どうせおんなじだし」だよ……。


 全然同じじゃないよ――だって、だって腐女子かのじょらが愛するのは。

あたしは違うよ、え。何が? 何がってその……。


 そう問われれば、途端に答えに詰まってしまう。なんでかな。

何が違うの? ナミは何が好きなの――?


 まただ。また、あの時の未玲の言葉が白々しく宙を舞う。

それは――それは……。


 どっちにしても、明日はコミフェ初日だ。

朝からやけに眩しい夏の日差しが、徹夜明けの目に痛い。


 それは過ぎ去りし高校時代、もう随分と遠い日のような気のする彼女との日々。


  *



 天地開闢てんちかいびゃく――!

『天地、開闢……!』


 アイツがパン!と大きな両手を打ち鳴らし、そう唱えたのを合図にすべてが逆行していくのをあたしは感じていた。これっていつかも?でもあの時はまだアイツはアイツでさえなく、あたしもまだずっとアイツから自由だった。でも、あの時が多分すべてのはじまり……。


「真吾ォォ……ッ!!」


 自分自身を切り裂くような自分のその叫び声に愕然とする。目の前で白銀のその機体は脆くも無残に砕け散った。え……えっ?え――――。


 ただ言葉もなく立ち尽くすだけのあたしの意識。でもそれとはお構いなしに、目前に立ちはだかる「敵」はアイツ以上に黒い意識を投げかけてくる。


 どうして、どう、して……。


 はらはらと際限なく両目から溢れ出て勝手に頬を濡らし伝い続ける涙の意味。様々なシーンが脳裏によみがえり殊更に胸を熱くしていく。真吾はあたしにとって。そう「人として」大切な人だった。その想いに言葉をかけるでもなく“ルミナス”は言った。


「いつかお前は気づくことになる。お前自身の『鏡』が割れるとき、真にお前はお前自身になるのだと」


 鏡……? 一体、何のこと?


 “その光”は鏡によって反射されたものだった。それは月の神そのものでもある。そうツクヨミ――。

 それは蛇のひとみ。そして太陽そのものの擬態。鏡こそは天照大神あまてらすおおみかみ御霊みたまが宿るその象徴。なぜ、ツクヨミが?様々に巻き戻されフラッシュバックする時間と映像きおくの数々。


「え、え、えっ?ちょ、ちょっと待って!」


 その時、“あたし”は突拍子もない声を上げた。勿論、“瑠美那”じゃない。

 

 これはただのアニメのお話。そう現実じゃない。でも現実ほど実を言えば真実味の薄い世界はないんじゃないだろうか。だから時々混乱するんだ。って頭おかしいのか、あたし。思えばいつからか瑠美那と心と体が入れ替わっていた。じゃあ本当のあたしはどこに行ったの?というか、ほんとのあたしって一体どこの誰?


 頭がクラクラするような文字通り現実味の薄い問答を繰り返しているうちに、何かが確かにおかしくなっていった。そしてそれをただ絶望的に実感しているだけの自分。だからアニメなんてとっくの昔に卒業すればよかったんだ。でもじゃあなぜ?ルミナス・コードはあたしの目の前に現れた。そう監督の竜崎悟朗と一緒に。


「ナミ君。おい、ナミ君」


 どこかしらばっくれたような、何事もないかのような低くくぐもったその声が聴こえる。そうか、ここはいつぞやのアフレコ現場。このあとあたしと篠崎さんは。それもどこかすべて仕組まれているコトのような気がしてどことなくぞっとするけど、それでもあたし自身に迷いは微塵もなかったんだ。


 ナミ君。またしても竜崎のその声があたしを呼び戻す。


「今日はご苦労さん。ってワケにはいかないか」


 どことなく含み笑いを伴ったその言葉に我に返る。何だかその声が島嶺叔父さんの声と被って“瑠美那あたし”は物凄く惨憺とした嫌な気分になる。息が苦しい。呼吸が乱れる。なんで叔父さんは父さんとそんなこと……。そう父さん。あたしの父・金城隆志はすべて知っていて、いつもあたしのすぐ傍にいた。あたしが苦しい時も悲しい時も嬉しい時も、いつ何どきだってあたしの傍にいてくれた。


 そう“ルミナス”は、いつだって――。


 そこまで思って“瑠美那あたし”は呆然とする。やっぱりあなたは。


「『ルミツク』がどうして作品の要だなんて言った?」その円城寺女史の囁く声がふと耳元でして、あたしは一人ギョッとする。


 でも、じゃなきゃルミナスがBLに特化してて数多の腐女子の人気をさらってる、その説明がつかない、よね? だから、もういいのよ。円城寺リーヤは確かにそう言った。“あなた”は、あなたの物語を生きなさい。“あたし自身”の、物語……?


 天地開闢てんちかいびゃく――!


 またしても、その台詞が高らかに虚空に響き渡る。ナミ、あんたはどこに行くの?美玲がふとそう言った気がした。


『天地、開闢……!』


 改めて叫んだその言葉の意味を文字通り身に沁みて知る。それは新しい世界。その扉を開く鍵。ごめん。篠崎さんが手を差し伸べてくれる。そう誰が何と言おうと、あたしは行くんだ。ギュッと握り締め引き寄せてくれるその力にすべてを託して。そして夢はただの夢じゃなくなっていく。ただアニメの世界に引きこもってた“あの頃”の自分とも違う。本当にこれはただの夢?いいえ、そうじゃない。もう一度、あなたが“あなた自身”になるための。


 そして瑠美那はいつしか瑠璃色の光に包まれ、硝子のように砕け散った真吾の魂を集めてそれを翼のように身に纏う。その腰に添えられるてのひら。まるでバレリーナの踊り《ダンス》のように、あたしはルミナスの大きな両手に支えられ。ああ。溢れる吐息。そう、この安心感。あなたは決して悪い神様なんかじゃない。でも、それは確かに一つの格闘だった。本当に相手を信じきっていなければ自分自身を託せない。少しでも自分の心に隙があれば、いつ相手を疑ってしまうかも分からない。


「そうか、そうだったんだ」


 あたしは心の底からそう思った。ルミナスを悪役にしたのは、あたし。あたしがすべてに絶望してしまったらきっとルミナスは。きっと真吾も分かってくれてたんだ。瑠美那、君が思うとおりにすればいいよ。きっと物語は悲しみでは終わらない。どんな絶望も苦しみもねがうことさえできれば、光を呼び戻せる。


 光、光、光……。


 そう思った瞬間、あたし自身を包んだ光芒が真っ白な視界に覆い尽くされ、意識が遠のく。


 次の瞬間、あたしはルミナスに抱きかかえられたまま、その光の巨神の白い機体の中にいた。いいえ。


 日の神に抱かれていたと思ったのもつかの間、我に返ると、その一人の黒髪の少年の姿で、あたしはあたし自身の未来を前に、そのコクピットの操縦桿を握っていた。嬉々としたその瞳に映る目の前の巨大な牛頭ごず神。


「さあ、行け!ティアマト!」

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