第七章 海の那由多

中編

1. 神の定義と帝《おう》の条件

 “神”とは一体何ものなのか。


 そのことをここで今論じるべきなのか――その真実とは別に、熊野も伊勢も厳然として、そこにあった。神とは人が崇拝するもの。手厚く崇め奉り、それによって己自身の生と己が生きるこの世界の平安を祈る。そう、人という崇め奉る者がいなければ、神がある必要はない。それは、何もこの日本だけではない。最高神である一神そして多神教の有無を問わず、世界は多種多様な神々で満ちている。人がこの世に生きている限り、神は存在し、それに伴う信仰や宗教が数多に存在する。


『なんて愚かなんだろうね……』

 草薙那由人、と呼ばれた男は自嘲するかのように笑った。


 神とは何だ。しかし、その問いはどこからともなく湧き出る泉のように、人々の胸で涸れることを知らない。我々人間が存在することとは別に、神という存在が、確かにここに……どこかにあることを証明できるのか。は、人間……そう、今はそうだったな。改めて己自身の身の置き所を思いやる。


 あの時、彼は言った。ヴァルゴ、いや今は竜崎悟朗と名乗っている。


 この世界は一体誰のものなのか……そうだね、少なくとも人間たちのものじゃないことだけは確かだ。その彼の問いに躊躇うことなく答えてやった。それはあまりに切実な設問といかけ。その疑問を自らの疑問として発するには、僕たちはあまりに長く生き過ぎた。かといって自分たちを神のように神聖化することなど、できはしないけれどね。


 ……ルミナス、もし彼が本当に神なのだとしたら、僕たちは彼に何を望もうとしているのだろう。もう何もかも、すべてが遅すぎるかもしれないのに。


        *


 伊勢神宮内宮。正式には、皇大神宮という。外宮である豊受大神宮とともに、天皇家の皇祖神であり日本人の総氏神である、天照大神を祀る数々の末社、摂社など別宮一二五社の総称であり集合体である。伊勢市内、神路山と島路山の山懐に抱かれ、その頂きから流れ来る五十鈴川の清流を受け、その神域の杜には確かに聖なる何かの存在が密かに感じられる。鬱蒼とした森が導く、その凛と澄み切った早朝の空気に、ひっそりと呼吸する自然の息吹。ああ、なんだかとっても安心する。初めて来た場所なのに、全然初めてじゃないような……。


 五十鈴川にかかる宇治橋を渡る前に、その袂にある参宮案内所と衛士見張所に寄って、その端にあるコインロッカーに荷物を預ける。あまり数は多くないがGWとはいえ、この時間なら十分利用できた。


 長さ百メートル以上ある総檜造りの宇治橋は、その両側に立つ鳥居ともあいまって朝陽の中、その背後の緑と共に、どこか荘厳な、不思議な印象を残して佇んでいた。まさに結界、あちら側とこちら側の境界のようだ。


 瑞々しい川のせせらぎを耳にしながら、あたしたちはその神域に足を踏み入れる。篠崎さんは、しっかり水澤さんの手を引いていた。もし手を離したら、このままこのひっそりと静まり返った神様の聖域の中に吸い込まれていきそうだから、まるでそんなことを言いたげに、篠崎さんは神妙な顔つきで彼女をそっと守っているかのようだった。


 勿論、水澤さんは黙ったままだ。それでも時折、何かに引かれるように眸をあげて遠くを見つめる。新緑の緑に覆われた山々は、穏やかな面持ちで清らかな空気をあたしたち三人に届けてくれた。


「……この宇治橋はね、二〇年に一度架け替えられるんだ。式年遷宮――勿論神殿も、同じように二〇年に一度建て替えられるんだけどね」


 それは聖地として世界的に見ても、あまり例のない珍しい行事だった。神様の社も、そしてそれに繋がる宇治橋も、その度に新しく作り替えられる。その時解体された内宮外宮の御正殿の棟持柱むなもちばしらは、この宇治橋の両側に立つ、それぞれの鳥居に姿を変える。さらに二〇年後には、その二つの鳥居は別の社の鳥居となる。


 完全なるその循環は、まるで自然そのものの大いなる循環サイクルを見るようだ。

「……すごい、つまりリサイクルってことですよね?」


 篠崎さんの説明を受け、あたしは感心したように改めて前方の大きな鳥居を見上げる。それはこの五十鈴川の水の流れにも当然例えられた。山や森など大地に降る雨が、そのまま土に蓄えられ、滝や小さな小川になって、この川面に注ぐ。それが伊勢湾の海に注がれ、いずれ太陽に温められて蒸発した水は再び大地に降り注がれる。


「そうだね、廻り廻って、すべてが巡る――それって確かにすごいことだよね」

 篠崎さんの言葉が、朝もやに煙る川面にキラキラと反射するように響いた。


 アマテラス。それはルミナスの母であり故郷。なのに太陽神である彼女は、どうして――。


        *


 すべての行いが罪なのだ。だが、それを知ってどうするというのか。


 デュナン・リトラスは再び自問した。夢の終わり――確かに自分はそれを望んでいたはずだった。だがしかし、こうして日が昇り朝が来て自分は出逢った。夢にまで見た己自身の半身である、かの人の映し身……そして、この世界に降臨したのだ。今では、その依人である巫女をこの身に取り込んで……、そうだ、お前を。私は金城瑠美那を。かつての愛する者をこの手にし、そしてこの地上に顕現できる新たなる身体を手に入れた。それが今の俺自身だ。おそらく瑠美那は恨んでいることだろう。この悪逆非道の日ノ神を。いずれ、この地を焼き尽くし焦土と化そうとしている、この命に従うことを。そうだろう、瑠美那……。


「アグニの仲間たち……まずは彼らと合流するのが得策だろう」


 海賊パルジャミヤ、か。クロエの提案は確かに的を得ていた。差し当たって我々が必要とするのは最低限の戦力と、それを実行できる人員に他ならない。クロエの目的がその海賊の首領アグニを救出することにあるなら、彼らは当然力を貸すだろう。それに一応は顔見知りでもあるしな。ふ、と笑って女剣士はデュナンに振り返った。


「とりあえず、そいつらが今どこにいるのか。それを探ることが最優先事項というわけか」

「策は既に練ってある。私の感応機能を使って、ある程度は場所を絞り込める、その先は――、」


 しかし少年に姿を変えた日神は、躊躇うことなくその言葉尻を取って彼女の思惑を遮った。

「そんな悠長なことはしていられないな。簡単なことさ、俺自身がやつらをおびき寄せればよいだけのこと……!」


 太陽神、いや太陽の皇子として――。

 ……何考えてるの、ルミナス!?


 その思考をいち早く感じ取ったあたしは、彼がいきなり危険な賭けに出ようとしていることに気付いた。それはパルジャミヤである彼らに知らせるばかりでなく、イザナギ全土、いやガイアを含む世界全体にその存在を大々的に知らしめることに他ならないのだということに。……太陽の皇子みこ。そうルミナスとしてではなく、あたし金城瑠美那と融合したデュナン・リトラスとして。確かにあの学園にいたデュナンは既にもうどこにもいない。だからもう一度生まれ変われるとでもいうのか。


『それが最良の策なのだ、瑠美那――これは“ヤツら”への宣戦布告でもある』


 ――確かに日本、いにしへのイザナギには天皇スメラミコトが存在した。だがかつての日本で表面上、形骸化していった事実がそうであったようにイザナギとなった今では、まるでアグニの祖国インディアナのヴァシュラート王朝の如く、その存在は混乱の内に闇に葬られてしまった。だが、その生き残りが仮にもし生きていたとしたら?


「そんなことが簡単にできると思うのか――っ!?」

「出来る出来ないの結論を出す前に、やってみるまでのことさ」


 驚くクロエの反論さえ意に介さないかのようにデュナンは不適に笑った。そうだ、いずれ“ヤツ”に、ガイアの連中どもに誰がこのイザナギの皇帝おうであるのかを教えてやらねば。そのために、この身体が真の意味で必要となる時がやってきたのだ。奇しくも現イザナギの首相である御統要一は王道復古、とまでは行かぬが、かつての古の神への信仰を殊更に推し進めていると聞く。その波を一気に押し広げるには確固たる指導者が必要だろう……いや、それはまさに力を持つ者の神権そのものだ。


『まさか――このイザナギのおうになるつもりなの?』

 ……今はまだ無理かもしれぬ、が。太陽の皇子は海賊パルジャミヤと共に暗躍し、いずれは……。日神の胸の内に閃いた大いなる企みは、その神威、神の力を思うまま発揮できる礎、それを獲得することから始まるのだった。


        *


「確かに、ものすごいタブーだったかもしれないわね」

 南紀白浜空港に降り立ち、待ち構えていたタクシーに乗り込むと、後部座席に座って涼しげな表情で潮風を受けている円城寺が徐に口を開いた。


 それだけに各メディアには多大な気を遣った。それだけじゃない。制作そのものが危ぶまれるかもしれない、その一つの賭け。何しろ菊の御紋の問題は、それを口にするのも憚られる。深夜帯とはいえTV電波に乗ることすら危うかった。そう架空の近未来世界、単なるファンタジーとはいえ。イザナギもアマテラスも、事実この国の国生みの神であり神話なのだ。


「だが、その問題を避けては真実は語れない」

 竜崎は運転手の助手席で、それを受けて呟く。とりあえず予約してあるホテルに向かうのもいいが、まずは下見くらいはしておきたい。


 真実……、そうね、でも。


「ま、イルカのショーやパンダに会ってくるのも一興かもしれないがね?」

 途端に調子を崩して、しれっとした表情で笑うその男の表情には、先ほどの真剣さは微塵も感じられなかった。


 白浜の物言わぬ美しい海は、そこが南紀のリゾート地であると共に、黒潮の暖流が流れ込む、まさに海と山に挟まれたこの世の楽園であることを伝えていた。そしてそれは南海の楽園であり、同時に死者の魂が行き着く黄泉の国であるのかもしれなかった。


        *


 日本列島が四季に恵まれたのは、中緯度の大陸東端に位置し、かつ風上に海があるため、海洋上の高気圧などによる夏の季節風によって海洋性気団の暖かく湿った空気が入りやすい環境にある、乾燥とは無縁の地域に属しているからである。


 海からの風は湿潤な気候をもたらし、さらに海流・黒潮の暖流によって供給される、たくさんの水蒸気が国土の大半を占める緑、森林を育む。さらには、その山塊に抱かれた森林から海岸へ流れ込む河川からは、多量に含まれるミネラルが海へと注ぎ込まれる。そのため河口付近の海では、その栄養豊富な海水を養分としてプランクトンや海藻が育ち、多様な種の魚類が生息する。同じ世界遺産に登録されている、ブナなどの原生林に恵まれた東北の白神山地などは、その落葉樹による豊かな生態系によって形作られているのだ。


 この紀伊半島の熊野の杜は、かつては照葉樹林の生い茂る、暗く湿った閉ざされた森だった。特に熊野本宮大社のある本宮町の南に位置し、本宮町と古座川町にまたがる熊野最高峰の大塔山には、その貴重な照葉樹林が数多く残されており、温暖多雨な気候で複雑な地形を持つ自然条件下により、極めて多種多様な動植物が生息していた。


 が、西日本の全域を覆っていた照葉樹の杜は、屋久島や沖縄そして九州の一部、そして本州では只一箇所、この熊野の本宮町を残すのみであったのだが、今では、そのほとんどが杉や檜の人工林に植え替えられてしまった。それはすなわち、この国に住む者たちが自分たちの住みやすいように、国土を開発してきた結果……。


 白浜海岸に降り立った円城寺を残すと、そのまま陸路を沿岸沿いに向かう。国道42号線。周参見すさみ町の道の駅から始まるシーサイドドライブインより、夫婦波や潮岬、海金剛、橋杭岩などの絶景が続く海岸道路から、串本、太地、紀伊勝浦までは絶好の観光名所であるが、それまでは特に注目されていない、同じ熊野古道でも殺風景な大辺路が続くばかりである。


 熊野古道といえば、熊野本宮大社へ至る京都、大阪など関西方面からのメインルートである中辺路なかへちが主なルートであるが、その他にも東からの伊勢路、高野山からの小辺路こへち、そして最も険しい山岳地帯を縫う大峯奥駈道おおみねおくがけみち、さらに伊勢路とは反対側の比較的、緩やかなこの大辺路おおへちがある。まさに網の目のように張り巡らされた熊野街道。


 白浜町からレンタカーを利用し、竜崎は一人無言で、まさに海と山に挟まれた陸路を東に進んでいた。大辺路は、今では国道と鉄道に吸収され、ほとんど見る影もなくなってしまった。しかし白浜町から周参見町にかけて、富田坂、仏坂、長井坂など険しい道が続く。だが山岳地帯を行く中辺路や同じ沿岸路でも伊勢路ほどではない。本来の熊野観光であれば、中辺路の出発地点、滝尻への路線バスが出ている紀伊田辺へと逆方向へ向かうのであるが、生憎そういう目的で来ているわけではなかった。


 日置川を渡り、周参見へと至る。枯木灘、とはよく言ったものだ。平野部のない絶海の辺境。まさに今、自分は熊野、海と山とが直接面した錯綜する紀の国の光と影の境界線を走っているのだと錯覚した。


 ルミナス・コードの世界では、既にその森と山を抱いた日本列島――イザナギの大地の大半は地殻変動によって失われてしまった。しかし、人々が都市を形成したドームとは別に、そのミニプラントとでも言うべき生態系の姿は小規模だけ残された島嶼にも存在していた。それが富士の樹海や桜島などの火山帯である。むしろその富士火山帯である、伊豆大島、三宅島などは少しだけ隆起した。アマテラスは現在の東京より少し北側に位置している。それに併設されるスサノオ、ツクヨミドームは、それぞれその北と南に、都市機能の三角地帯を形成する。それも人々の生活水準のための万全の体勢を整えているに過ぎない。それは仮初かりそめの大地。本来の自然――それがもたらす恵みは、かつての列島の非ではない。やはり海と山……大地は、二つで一つなのだ。


「あんがい、それを探す旅になったりな……」


 ふと、車から降りて周囲を見渡すと、生暖かい潮風に混じり“こえ”が、聞こえる気がする。それはまるで既に失われてしまったものが、僅かにすすり泣くよすがであるかのようだった。


        *


 宇治橋を渡り、参道の両側に広がる松が茂る神苑を行くと、しばらくして火除ひよけ橋が見えてくる。そして渡りきってすぐに聳える一の鳥居。まずはその手前の手水舎で水を柄杓から掬って左手に取り、口と手を漱ぐ。でも、そのあとすぐに右手に広がる五十鈴川の清流に面した御手洗場みたらしが迫っているので、同じことのような気がする。


 ここに至るまで、ずっとその五十鈴川のせせらぎの水音が耳元を洗っていた。やっぱり外宮と同様に、ここ皇大神宮の神様も、カップルが参拝することをよく思ってないんだろうか。だからずっと、さっきからあたしたちは、この川のせせらぎに耳を傾けていた。それだけじゃない、この場所がもたらす森の緑、その空気の清浄さが何より後ろめたい心をずっとなだめてくれていた。心なしか、水澤さんの表情も和らいでいる気がする。ただ冷たく、心をなくした人形のようだった、その能面のような無表情に不思議に宿る、そこはかとない優しさ。


「そもそも、この内宮の御神体は、この五十鈴川の向こう岸に祀られていたらしいよ」


 思い出したように呟く篠崎さん。それは水神、天から山頂に下り、さらに山から川の流れに潜り、そこで禊する巫女に拠り付いた龍神……。だから天照大神は、元々はその日ノ神、自然神を祀る日巫女が成り代わったものだという説がある。だから太陽神なのに女神様なんだ。古来、代々の天皇家の斎王いつきのみやは、そういった処女が選出され、都からここ伊勢へと派遣された。その御手洗場のすぐ脇に設えられた、四方を注連縄で囲った祓所はらえどがある。この祓所がその名残りなのだそうだ。


 水面みなもに映る杜の緑が朝陽にキラキラと輝いている。ただ澄み切ったマイナスイオンの空気が、何もかもを浄化してくれるような気がする。それなのに。やはり昨夜の篠崎さんとのことが胸から消えない。すぐそばに、その篠崎さんと、そしてその恋人である水澤さんがいるっていうのに。水際の石畳にしゃがみ込み、手のひらに清流を掬う。その冷たさが、夢から醒めたかのような、今この瞬間を今さらのように思い出させる。


 どうして……今あたしはここにいるんだろう。伊勢崎ナミ。そうあたしは、ただの普通の女の子、だよ。でも、傍らの水澤さんに常に目を配りながら、それでも篠崎さんは、同時にあたしのことをずっと見つめていた。忘れない、なんだかそう言われているようで、不意にその瞳から視線を逸らす。


「……っ、あたし、おかしいですよね。こんなところまで、篠崎さんたちに付いてきてしまうなんて、」

 そう笑って、ふと自分を誤魔化す。でも……。


「――君は、いや僕たちは、きっとここに呼ばれて来たのかもしれないよ」


 その言葉に再び振り返る。篠崎さんは、まるで捕らえられた小動物が観念した時の静けさを纏ったかのような穏やかな眼差しを向けて、そっと置くように真剣に呟いた。もう、僕たちは……。


 でも、その消え入りそうな言葉の先は、清流の水音に飲み込まれてしまった。かつて日の神を祀った日の巫女が、その身を龍神に捧げて自らが天照となったように。奇しくもルミナス・コードのヒロイン瑠美那も。


 清らかであるはずなのに、どこか怖ろしい。神とは一体、どのような存在なんだろう。


        *


 御手洗場をあとにし、二の鳥居をくぐる。澄み切った大気に包まれた身体は確かに安らいでいるのに、次第にどこか胸苦しくなっていくような気がする。なんだか自分の心も身体も、この空気に染まって透明になってしまうみたい。自分自身がなくなるって、こういう感覚なの? 心なしか、そんなあたし自身の気持ちを読み取ってくれたのか、傍らの篠崎さんが、そっと左手を伸ばした。あたしの手を取った、その手のひらの温かさに何となく安心する。


 確かにこの内宮は、外宮よりも一回り大きいような気がする。そのせいか、神苑に足を踏み込んでから、随分と時が経っているような気がした。まるで一滴の水滴が、ささやかな小川となり、山を流れ谷を下って大海となるように。でも、今はその逆だ。どんどん自分自身が凝縮され、何も纏わない芯だけの裸にされていくような。でもそれは、原石であった頃の昔に人を遡らせていくような感覚だった。


 人の世はこんなに豊かになったのに……でも実際は、どんどん削り取られていく。本当に大切なものが何なのか分からなくなるくらい。まるで永遠さえも一瞬に閉じ込められるかのような静寂の中、ただあたしは前だけを向いていた。心は過去に、生まれる以前に限りなく引き込まれていくような。それでいて、どこかその先にまだ見ぬ未来が開けているような――。


 少しだけ、怖い気がする。本当は聖地とは、こんな風に自分自身をなくすために存在してるんじゃないだろうか。制限なく肥大した、余計なものばかりを背負い込んだ荒んだ気持ちも現実も、すべてを一度リセットするために。でも、あたし自身はリセットするどころか、だんだん違う何かに自分が近づいていくような気さえする。それがルミナス――神様の御神託だっていうの?


 現に瑠美那を演じていた水澤さんは、この通り心をなくしてしまった。篠崎さんも、ルミナスを演じる度に、自分が向かっているマイクと画面の向こうに拡がる何ものかに、次第に魂を吸い取られていってるんじゃないだろうか。あの時、アフレコ現場で目にした彼の姿は、まるでルミナスそのものだった。心なしか、あたしの手を握る篠崎さんの指先の力が強くなる。つられて、あたし自身も、震える指先に力を込める。


 離さないでいて……お願い。互いが溶け合うような、その感覚は、どちらにせよ二人を強く結びつけるのに他ならないと知っていて。


        *


 内宮にも外宮にも、その御正宮の社の床下の中央には、大地に突き刺さるかのように突き立てられた、心御柱しんのみはしらというものが存在する。社全体を支えているのでもなく、空宙に浮いたその柱は、ただその大事な骨組の芯であるかのように、伊勢神宮そのものを支える。二〇年に一度の式年遷宮の際、大木ほどもあるその巨大な柱は、秘密裏に神苑から切り出され、夜のうちに神域に運び込まれるという。神宮関係者以外、誰も見ることの許されぬ、まさに御神体。その存在は、まさしく口にするのも憚られるほど。


「神様って、本来そういうものなのかもしれないね」


 だから、こうして聖域に足を踏み入れるのにも、様々な手順が存在する。参道の中央は正中と言って神様の通り道だから、必ず右端か左端を歩く。鳥居をくぐる前に手水舎で手と口を漱いで、まず身を清める。特に神宮の場合、その参拝方法は、二拝二拍手一拝。正面からは畏れ多いので、脇からそっと参拝する。


 あたしたちは、実はとんでもない神様に御参りしようとしているのかもしれない。失礼な話だが、若干そんな気も否めない。とにかく心を無にして、最大限の感謝の念をもってして御参りするしかないようである。まるで天皇そのものや、いやそれ以上の言葉では言い表せられないほど、ものすごく畏れ多い人に面会するみたいだ。既に外宮を参拝してきた後だというのに、思わず身体が震える。なぜかこの内宮、皇大神宮は、そのスケールがまるで違うという気がする。それもそのはず、祀られているのは天照大神。日本人の総氏神様である。アマテラス……そうルミナス・コード本編では、ルミナスのお母様。


 考えてみれば――、


 一瞬にして体から血の気が引く。思えば、なんていう話なんだろう。ここ伊勢神宮に来て、神様の御住まいに足を踏み入れて、そのことがものすごく畏れ多いことであると実感する。……怖ろしい。文字通り神様のお住まいの眼前、ここへ来てその事実に愕然とする。本当は、なんて怖ろしい話なんじゃないだろうか? 何の抵抗もなくオタクとして一ファンとして単純に受け入れてきた、そのストーリー。


 それが一気に神の怒りを買う冒涜そのものの行為であるかのような気がしてくる。そんな、馬鹿な、こと……。もしかして、あたしはその愚かなファン代表として、ここへ呼ばれたとか。それでルミナス役の篠崎さんと太陽神の巫女である瑠美那役の水澤さんと一緒に、直接神様の逆鱗を受ける。


 ウソ――。


 そんな冗談みたいな真実めいた真相を想像して、神様殺しが、いかに罪深いか思い知る。たとえそれがただのフィクションであろうとなかろうと。


 風日祈宮かざひのみのみやへと至る風日祈宮橋を右手に見送り、左手の神楽殿や五丈殿を過ぎ。その五丈殿の角と忌火屋殿の間の道を左へ折れる。数々の杉や檜その他の樹々の梢から差す緑色の日の光は、確かにものすごく柔らかく美しいのに。


 天照大神の荒魂あらみたまを祀る荒祭宮へ至る石畳の階段が見えてくる。その向かい、三〇段ほどの石段を昇ると、もう御正宮は目と鼻の先である。


 美しい杉木立の間に、整然と並べられた石段。何も間違いのない、その正しさに自然と襟元を正したくなる。思わずあたしたちは、強く握っていた手を離した。やっぱり神様が怒っている気がする。きっとそんなことないよって、篠崎さんは言ってくれる気がするけど。でも、やっぱり。


「……っ、」

 すると、いきなり傍らの水澤さんが、苦しそうに胸をかき抱いてその場にしゃがみ込んでしまったので、あたしは唐突に面食らった。

「み、水澤さん!」


 神様の御前なのに、思わず叫んでしまう。ひとみ、大丈夫、大丈夫だよ……篠崎さんは、必死にそう彼女をなだめた。どうして、こんな……こんな、ことに。改めて彼女自身が陥っている状況の尋常のなさに気付く。それはまるで天と地そのものがひっくり返ってしまったような重大さ。その果てしない重さ。どこか遠くに感じていた。そう、今まで。なのにここへ来て、初めて解った。


 胸が、痛い……。

「篠崎さん、あたし――、」


 縋るような涙目で篠崎さんを見上げる。消えてしまいたい、このまま。自分自身さえ失うほどの、その“力”の強さを感じていながら、あたしはそう強く願った――だけど。


「行こう……」


 篠崎さんは、水澤さんをその場に残し、再びあたしの手を取って石段を昇り始める。覚悟を決めた、その横顔はそう語っていた。君は選ばれたんだろ、神様に。そう言われている気もした。どうして神宮は二〇年に一度、建て替えられるんだろう。それは常に新しい新鮮な空気をこの神域に呼び込むためだ。かつて瑠美那役だった水澤さんは、言ってみれば古くなった社。だから新しい社に、その住まいを住み替える。


 それが、この清浄な神域を永劫に永らえる唯一の方法。だから古来、何代にも亘ってその巫女であった斎宮は何人もの皇女たちが務めた。彼女たちは第一に清純であることが、選ばれるその条件であった。


 確かにあたしは、ずっと一人ぼっちだった。友達も少ないし、そして恋人も、そんな経験全然ない。ただ、見えないものに心奪われて、それですべてを満たしていた。それだけでよかった。外の世界はすべて自分を傷つけるから……いつでも、あたしは。


 “ならば、お行きなさい――。” え?


 「その声」が、また胸の奥底から響いた。希望も絶望も、すべてがこの石段の向こう側にある。総ての選択は、このあたし自身の手に。待っている、夢にまで見た、誰かが。


 緑に苔生した茅葺屋根に載せられた十本の鰹木かつおぎ唯一神明造ゆいいつしんめいづくりの、物言わぬその神殿が、鳥居の向こう、ひっそりと佇んでいた。


 お行きなさい。“信じる”という、その心だけを胸に抱いて。


 ……………

 ……………………

 ………………………………


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