第七章 慈愛(ジアイ)  3 優梨

 黒木は再び口を開いた。

「君のお母さんは、父親のいない瑛くんをいつも気の毒に申し訳なく思っていました。さらに蒸発した父親からは養育費ももらえず、貧乏で幼稚園にも行かせてあげられないことも。緑さんはご両親も亡くされ、兄弟もいなかったため、助けてもらえる人がいませんでした。本当に頼れる人がいなかったのです。精神的にも身体的にも経済的にも疲労が限界に来ていたと思います。そのなか、宮崎で私と出会った。彼女にとって大きな不安材料であった瑛くんの輸血問題を私が引き受けることによって解決したことは、彼女の心を大きく揺さぶるのには充分すぎる出来事だったのです。そして、彼女の母性愛に私自身の心も揺さぶられました。緑さんと瑛くんを助けなくてはならないと。当時私は二十歳の大学生でしたが、実は、大学を出たら君の父親になるくらいの覚悟は出来ていたつもりです。それくらいの心境の変化でした。そして彼女もきっとそう思っていたかもしれない。なぜなら、一ヶ月の滞在の後、一旦名古屋には戻るが、その後すぐに宮崎へ引っ越しの手配をすると言ったのです。しかも宮崎でアパートを探すことなくです。貧しいながらも私の安アパートで、三人で暮らすことを望んだのです。そして、一週間、いや数日で何とか宮崎に戻ってきます、と緑さんは言ったのです。あれは、その数日に起こった出来事でした……」

 見る見るうちに、黒木の表情が暗く沈んでいった。これから話す話の行く末が、どんなに悲しくて辛い末路であるかを暗示していた。

「緑さんが名古屋に帰り、無事に家に到着しました。そして、これからさっそく転居の手続きのため市役所に向かおうと、メールを私に送ってくれたのを最後に連絡が取れなくなりました。私は不審に思いました。何もなかったのなら不審がらなかったかもしれなかったのですが、その前に緑さんは一度拉致されている。それだけで私は居ても立ってもいられなくなり、翌日、すぐに飛行機で名古屋へと向かいました。そして、教えてもらっていた、緑さんの住所を探しました。緑さんの市営住宅に着いてチャイムを鳴らすと、瑛くんが出ました。瑛くんは少なくとも無事だと息をついたのですが、お母さんは一晩帰って来ていない、と教えてくれました。瑛くんのことをいちばんに考えているはずの緑さんが、四歳の息子を残して一晩も無断で家を空けるとは到底考えられない。すぐに事件に巻き込まれたということを確信しました」

 優梨は、瑛の母が、自分と似たような末路を辿たどっていることに驚いた。同じ組織に襲われて、一回は失敗に終わるも、執拗に二度目の襲撃にかかる。しかも、二人とも瑛にとって関わりの深い人間であることも。

 黒木は静かな口調で話を続けた。

「その家の中で、緑さんの手記を見つけました。その手記には、今までの悩み、苦労、そして私と出会えたことの喜びが綴られていました。宮崎で瑛くんと第二の人生を歩みだそうと思っていたようです。と、同時に最大の後悔が私を襲いました。なぜ、緑さんと瑛くんといっしょに名古屋に帰ってあげなかったのかと。なぜ、安全に引っ越しできるまで緑さんと瑛くんの近くで見守ってあげなかったのかと」

「……」

「そして、その手記には、一回目に拉致されたこともつづられていました。車で連れて行かれた先は金城埠頭というところだと記されていました。名古屋に生まれて初めて来て土地勘も何もなかった私が、他に思い当たる手がかりはありませんでした。とにかくレンタカーを手配して、金城埠頭というところまで行きました。しかし緑さんは見つけられなかった」

 黒木から明かされる十年以上前の真実を、室内の全員が傾聴している。黒木の声と心電図モニターの音しか聞こえなくなっていた。

「仕方なく、私はまた翌日仕切り直すことにしました。失礼とは思いながらも瑛くんの家にそうろうしました。瑛くんを夜間に一人にはしたくなかったですから。警察にも連絡しました。でも、この間に緑さんがどうなっているかを考えると、恐ろしくて、家でじっとしているわけにはいきませんでした。連日、金城埠頭にレンタカーで行って、緑さんの居場所を突き止めようとしました。しかし、分からなかった。そろそろ諦めて金城埠頭以外の可能性を考えようとした時、緑さんと思われる声と、男の怒声が聞こえて来たのです。何と、緑さんは組織からまた逃げ出して来たのです。極悪な計画を企てる組織から、死を覚悟しながら、命からがら脱出せんとしている緑さんと、追いかける男たちの姿を見ました」

 一人で語り続ける黒木に、瑛が急に口を挟んだ。

「極悪な計画? ちょっと待って頂きたいのですが、さっきは若い女性の血液を献血させるのが目的ってあなたはおっしゃいました。それがBombayボンベイ型である僕を絡めて、母や優梨さんが狙われる意図って何でしょうか? まさか、ただ単に優梨さんが若いから、当時の母が若かったから、って理由ではないですよね?」

「ええ、若いだけなら別にお母さんに限ったことではありませんから、それだけでは狙う理由にはなりません。組織は二度も狙っているのです。やはりここにはBombay型が絡んでいるのです」

「どのように絡んでいたのですか? 信者の中にBombay型の人がいたんですか?」

「いや、お母さんはBombay型のであって、Bombay型ではありません。少なくとも会員にBombay型の人がいるという情報は聞いたことがありませんし、仮にいたとしても、お母さんの血液は輸血できませんよ」

「そ、そうですね……」

「私は、実は独自で生命探求の会と愛血会が何を企んでいるのか、何で瑛くんのお母さんが狙われて来たのか、フリーライターをかたって、調査し続けてきました。もちろん、自分がBombay型であることは、間違っても口を滑らせないようにしながらです。得られた情報から組み立てた自分の憶測もありますのでしからず、ですが」

 黒木はそう一言断って、話を再開した。

「なぜBombay型が絡んでくるのか。生命探求の会と愛血会は、とある事情でBombay型の血液を求めていました」

「とある事情?」

「東南アジアの某国の権力者の子供が、何とBombay型なのだそうです。しかし、Bombay型は世界でも稀な血液型なので、何かあったときのために血液製剤のストックが欲しい。稀な血液型だとみんな考えることは一緒です。それを何と、日本の愛血会に要請をしてきたのです。血液製剤を持っていたら内々に売ってもらえないかと言って。日本は安全性の高い国ということで信頼されたのでしょう。かなり高額な値段で買ってくれると言ってきたのです」

「そういうことだったのですね……」

 なるほど、あのときヴァンパイアが言った『国境を越えた名士』とはこういうことだったのか、優梨はここにきてようやく合点がいった。

「では、Bombay型の人間をさらって、献血させることによって、巨万の富を得ようとしていた」

「そういうことです」

「ならば、Bombay型の人間が誘拐できていれば、母は解放されていた?」

「そう考えるかもしれませんが、実際はそうではありません。組織が、計画の一部を知ってしまった緑さんを解放しようとは思えない。とても恐ろしい話ですが、今回センター長のご息女も、そうだったかも知れない」

 黒木は優梨の方を見た。

「はい、構成員の話の内容から、私は解放されることはなさそうでした」

 優梨はカーミラと話した内容を思い出してそう答えた。

「そうですよね。ただし、緑さんは優梨さんとは違って、Bombay型の保因者です。それだけではなくいろいろな副目的がありました」

「そ、それは一体……」

「組織が、なぜ緑さんを狙ったのか。これはさっきも言ったBombay型のサンプルを集めて、異国の権力者に血液製剤を購入させることです。そのため息子さんである瑛くんの居場所を吐かせて瑛くんを拉致しようとしたのです。当時の緑さんと瑛くんは、巨大な迷路のような市営住宅の一室に住んでおり、それが幸いして組織は部屋番号までは突き止められなかったかもしれません。それかもしくは、赤十字センターで仕入れたと思われるBombay型の献血登録者情報を、聞き出そうとしていたのでしょう。しかし組織が緑さんを襲った理由は他にもありました。緑さんはBombay型の保因者であってBombay型ではありませんが、瑛くんが緑さんの生き写しであるくらい似ていることから類推されるように、本当にお綺麗な方でした。当時は若かったし、実際の見た目はそれにも増して若々しい方でしたから、アンチエイジング用の血液としても利用価値が高かったのです。つまり、生命探求の会の会員に売る価値があったと言うことです」

「えっと、若いだけでなくて、見た目が綺麗だとアンチエイジングの効果が出るんですか?」

「それは、単純に心理的な事情です。組織は若い血液を探していましたが、美を求める女性にとっては、血液がただ若いだけではなく、それが女性であり美人であればあるほど血液製剤に付加価値を伴います。要するに若くて美人の血液は高く売れるということです」

「そ、そんなこと……」

「だから、組織は緑さんを、喰い物にするだけして、見事Bombay型の人間を確保して、緑さんが年老いて用なしになったら、葬り去るつもりだった。とはいえ、Bombay型の保因者も珍しいですから、ある種の研究機関にはサンプルとして、そこそこの値で取引を行っていたという話ですが。そういう意味では利用されていたかもしれない。さらに、もう一つあります。これが最もまわしい……これは、言って良いのか悪いのか……本当に無茶苦茶な……」

 黒木は言い淀んだ。

「僕は良いです。話してください」瑛は毅然とした態度で言った。

「私は初めてそれを知った時は吐き気を催しました。思い出しただけで胸糞むなくそ悪いくらい。それでも良いですか」

「大丈夫です」

「他の皆さんもご覚悟を」

 見回したが、やはり誰も部屋を出たりはしなかった。

「わ、分かりました。覚悟してください。緑さんが、Bombay型の情報を提供しないと、同じくBombay型の保因者だということが判明している見知らぬ男に日々マスターベーションさせて搾取さくしゅした精子を、排卵日周辺で強制的に緑さんの膣内ちつないに注入し人工授精させ妊娠させる、もしくはその男から緑さんにレイプさせ膣内射精させることで子供を作らせることです」

 部屋の中は悲鳴にも似たどよめきとともに一瞬にして凍り付いた。黒木はいっせいに続けた。

「さらには、受精した場合でも、Bombay型の子供は、常染色体劣性遺伝形式なので理論上では四分の一の確率でしか生まれないわけです。運良く四分の一に当てはまった場合、産まれた子供は育てさせられるが、ゆくゆくはサンプル採取のためのモデル動物となります。一方、四分の三の確率で、組織の目的に合致しない子供が産まれた場合、産まれた新生児は……殺処分されます」

 優梨は何とか堪えたが、陽花は嘔吐えずいて倒れ込んでしまった。風岡がすかさず支えた。

 看護師までもが壁を向いてうなれていた。すぐにナースステーションから別の看護師を呼んで、空いていたベッドに陽花を横たわらせた。

「酷すぎる……なんて極悪非道な!」これは義郎の声だった。今まで傍聴人だった義郎も、憤りのあまり思わず声が出てしまったようだった。

「でも、Bombay型の保因者の男が都合良くいましたね」瑛が尋ねた。

「Bombay型は100万人に一人の常染色体劣性遺伝形式の血液型です。Bombay型の遺伝子をホモかヘテロで持っている人同士じゃないと生まれない。ヘテロ同士だとして計算上は100万分の1の平方根で1000人に一人。でも25パーセントの確率でしか生まれませんから、この少子化のご時世、実際には保因者はもっと多くて500〜1000人に一人じゃないかと私は思うんです。だから、決して多くはないが探し出せないほど少ないわけじゃない。愛血会で献血された血液を徹底的に遺伝子解析して判明したのかもしれません」

「なるほど」感心したように言ったのは義郎であった。

 黒木は当時の緑の心情を推し量りながら語った。

「緑さんはおそらくそれをどこかで分かって、瑛くんが誘拐されるくらいなら、他のBombay型の情報を流してその人が犠牲にくらいなら、あるいは自分が解放されることなく組織に縛られ続けてレイプされるくらいなら、死んでも良いから組織から逃げたほうがマシだと思ったかもしれません。開き直った緑さんはまた脱出を企てました。見事に男たちの隙をついて組織から逃げ出したのです。どういう手を使って逃げ出したか分かりませんが、追いかけて捕まえようとする男の腕を振り払って、フェンスを上ろうとしていました。ちょうどそのとき、私はレンタカーでまた金城埠頭に行き、緑さんの捜索を行っていました。緑さんの声を聞いた私はすぐに車を近付けて、緑さんを呼びました。その声に反応して、緑さんが男の手を振り払ったと同時に、勢い良くフェンスから飛び降りた時でした」

 優梨は思わず息を飲んだ。

「無情にも一台のトラックが目の前を通過し、緑さんをもう一度宙に舞い上げてしまったのです」

 話を聞いていた者みんな思わず顔に手をやった。しかし義郎は表情を変えなかった。

「私は突然の出来事に気が動転しましたが、追っ手の男たちにはとにかく捕まってはいけないと本能的にそう感じました。トラックの運転手をなかおどすように、負傷した緑さんを乗せ、急いで車を消防署へ走らせました。そして救急車に乗せ変えて、病院へと搬送されたのです。その搬送先は、他でもない、ここ大城医療総合センターでした。正確に言えば、当時は『大城病院』という名前でしたね」

 優梨は、つい数日前に自分の身に起きたような出来事を聞かされているような気分であった。そんな偶然があるのだろうかと思った。

 黒木が義郎を見た。

「あの時のことはよく憶えています。忘れられない出来事です。言い訳がましいが、そのときちょうど藤井緑さんと同じO型の血液製剤がじゅんたくでなかった。結果、彼女を救うことは出来なかった。そして、最期の最期、虫の息の彼女が私にこう言いました。『先生、アキラをどうか救ってください』と……その言葉をのこして、彼女は永い眠りにつきました。苦しいはずなのに最期は少しだけ晴れやかな表情でした。最初は意味が分からなかったが、あとで事情を知って、彼女を救えなかったことが悔しくて悲しくてなりませんでした。それを教訓にして、救命救急をより強化して、血液製剤の確保、赤十字センターとの連携を強固にしたのです」

 義郎は涙で目を潤ませていた。それだけ義郎にとって印象深い出来事だったのだろう。

「母さん……!」瑛は天国にいるはずの母に呼びかけた。顔は項垂れ、涙をシーツにこぼしていた。

「そのあと、影浦家に引き取られたのですか?」優梨が黒木に訊いた。

「ええ。そのあと私はすぐに瑛くんのもとに戻りました。最初は僕が瑛くんを引き取ろうか真剣に迷いました。しかし、緑さんは宮崎に来る前に、実はゆかりさんに、自分が危険な目に遭った時は瑛くんをよろしくお願いします、と言ったそうです」

「紫さんというのは?」

「緑さんのご友人で、影浦紫さんといいます。ご結婚されていたのですが、残念ながら子供に恵まれなかったそうです。不妊治療も受けていたようですが、それでも出来なかったようです。私はまだ大学生でした。私一人で男の子を一人養う経済的余裕はありませんでしたので、瑛くんを餓死させるわけにはいかないと思い、そのまま影浦夫妻に託すことにしました。紫さんに瑛くんがBombay型であることを伝えた上で、何かあったら私の血液製剤しか使えないことも伝えました。そしていつか組織の魔の手が瑛くんの身に及ぶかもしれないのを懸念して、『藤井』という苗字はやめて、養子に入れて新しい苗字に変更することを提案しました。そして、もし他の地域でも『影浦瑛』という名前であれば、どこでもBombay型の輸血が受けられるようにするとも言いました。これからは『影浦』姓でずっと生きていく方が良いのではないかということも提案しました」

 なるほど。瑛は銃で撃たれてかなり出血しているように思えたが、『影浦瑛』という名前だけで、Bombay型の血液がすぐに手配できたから、一命を取り留めることが出来たのだ。改めて優梨はそう思った。

「紫さんは、緑さんの死に非常に驚かれていました。それもそのはずです。まだ二十七歳でしたから。そして、紫さんは子供を切望していましたが不妊治療は非常に高額で続けられないと諦めかけていました。事情を話すと養子縁組を受け入れてくれました。それで、うまく行くはずと思っていた……」

「はず、と思っていた……とは?」瑛がまた尋ねた。

「紫さんのご主人の会社が倒産したのです。それは瑛くんが養子に入ってしばらくしてのことでした。そして紫さんとも音信不通になった。怪訝に思って影浦邸に行ってみると、もうもぬけの殻でした。家を手放してどこかに引っ越されたようです」

「……」

「それからは、私も瑛くんの居場所や安否が知れない状態でした。紫さんとはずっと連絡が取れない状態でしたから。でも私は緑さんの遺志を尊重して、赤十字センターに行って、瑛くんへの献血だけは続けました。と、同時に緑さんを襲った組織を突き止めようと、ひっそりと偽の取材をしたりしてきました。しかし瑛くんの安否や行方に関する情報は、話から推測する限り組織も掴めていない様子でした」

「一つ間違っていれば、僕はいつでも組織に捕まっていたかもしれないんですね」

「そうです。そしてちょうど今回、この事件が起きました。組織は狂喜乱舞したでしょうね。十年以上も探していた人物を見つけたのですから」

「そうだったのか……」

「私は、赤十字センターに、私の血液が影浦瑛くんに輸血されることがあれば、連絡を下さいと言っていました。もちろん、人が輸血を受ける機会なんてそうそうないのですが、緑さんの死後十二年たった今回私のもとに連絡が来たのです。私はすぐに名古屋に駆け付けました。すると搬送された病院は、奇しくも緑さんが息を引き取った病院でした。瑛くんが手術を終えて、意識を取り戻すまでの間、私は瑛くんのその後について聞きました。それは、緑さんが生き甲斐にして私に献血を託してくれた、同じBombay型の血液を持つ特別なレシピエントですから、気にならないわけがありません。しかしそこで聞いた情報は、衝撃の連続でした。想像を絶する程、辛い内容でした。養子として影浦家に入ったことは自分の誤りだったのではと自責の念にさいなまれました。足達先生から解離性同一性障害のことも聞きました。私は精神科の病気については素人で全然よく知らなかったのですが、『夕夜』くんという交代人格がいて、さらにはかけがえのない友達や恋人に今は恵まれていて、それなりに精神衛生的に現在は安定していると聞きました。私は、困難を乗り越えて立派に成長してくれたことに涙が出そうになりました。一方で、今回の事件に強いいきどおりを感じました。事件の概要が十二年前と酷似しており、間違いなく生命探求の会の仕業だと思いました。どうして十二年もの時を経て、いきなり瑛くんを探し出すことができたのかは分かりませんが……」

 その黒木の疑問に対して、優梨はすかさず答えた。

「実は、今回襲われる三日前にも、私と陽花が襲われたんです。ここ最近、若い女性が襲われて気絶させられる事件が相次いで起きていました。私はそれが献血のために、襲われていることと推測しました。そして自分が襲われたことで真実だと分かったのですが。その三日前に襲われたときは夕夜くんと風岡くんによって、難を逃れました。そのときどこかでフラッシュがたかれたんです。おそらくお母さんとそっくりの瑛くんを見て、ずっと行方を追っていた緑さんの息子だと確信したんでしょう。それで、瑛くんをおびすために私が再び組織に誘拐された」

「なるほど、そういうことだったのですね」黒木は納得の表情を見せた。


 少しの間をおいて、瑛が口を開いた。

「黒木さん、とても今更なんですが、母のお願いを受けてくださってありがとうございました。おかげさまで僕はこの通り助けてもらうことが出来ました。本当に本当に感謝してもしきれないほどです。でも、母さんにはまだありがとうとごめんなさいを言えていません。母さんのお墓参りに行くことはできますか?」

「お墓ではなく、納骨堂に緑さんの遺骨があります。私は年に一回、ここ名古屋に来てお参りをしています」

 黒木は緑を想うあまり納骨までしていたのだ。優梨は気持ちの大きさに驚愕した。

「ありがとうございます」瑛も驚いた表情だったが、まず頭を下げて礼を言った。

「とは言っても、まだその足では外に出るのは早いでしょう。ゆっくり養生してからで良いと思います。私は、一足先に行って、緑さんにそのように報告しておきます。納骨堂の場所を教えます。退院してからぜひお参りに行ってください」

「供養料とかは……」

「私が、一応払っております。でも気にしないでください」

「本当にすみません」

「とにかく、瑛くんが元気に生きていることが分かれば、緑さんもきっとじょうぶつできるでしょう。一度元気な姿を見せてあげれば、必ずお母さんも喜んでくれるはずです」

「分かりました。必ず行きます」瑛ははっきりした口調だった。

「せっかくICUから移ったばかりなのにせわしいけど、いち早くお母さんに報告できるようにリハビリをどんどんやってもらうからね」義郎は整形外科の医師ではないのに、瑛にそう言った。

「先生、分かりました。ビシバシやってください」瑛も乗り気のようだ。

「瑛くんから、そんな言葉が出て来るとは」優梨は笑った。

「もう、夕夜がいないからね。その分自分で積極的に物事を考えて前向きに生きていくしかないんだ」

「良かった。早く治そうね。そしてこれからもヨロシクね。恋人として」

「ちょ、ちょっと!? こんなご両親やみんなの前で!」瑛は赤面した。

「ふつつかな娘ですが、よろしくお願いします」

「私からもお願いします」義郎に続いて優梨の母、祥子まで頭を下げた。

「こんなところで、困ります!」

 先ほどの暗い雰囲気から一転して、温かさが戻って来たようだった。

「では、ここに納骨堂の場所を明記したメモ用紙を置いておきます。私はこれで失礼します。緑さんに、お母さんに、一足先に挨拶してきますからね」

「本当に、黒木さん! ありがとうございました!」

 瑛は、ベッドに座ったまま、深々と頭を下げた。

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