第四十七章 ゴミ山の帝王と遊ぼう
第四十七章 三つのプロローグ
ハリーはふと思い出す。育ての親である祖父が自分に語っていたことを。
『生きている限り、全ての生き物は命を味わうことができる。苦痛も含めて、人生の醍醐味だ』
隣に座り、高々と積み上げられたゴミの合間から差し込む夕日を眺め、心地良さそうな笑みを広げて、祖父は言った。
その言葉は、その光景は、四十年以上経った今でも鮮明に覚えている。
祖父のその持論には、異を挟む者も多くいよう。それはわかっている。生まれてからずっと貧困に喘ぐ者や、生涯拘束されたままの者や、心を病んだ者といった、どうしょうもない不幸のドン底にいる者は、とても同意できないだろうと。歳を取ってからのハリーも、祖父の言葉を完全には受け入れられない。
祖父はさらに言葉を続けた。
『どんな境遇にいようと、人はその中でベストを尽くすものだしな。そして他人から恵まれていると思われる境遇にいたとしても、苦痛と欲求不満とストレスは必ず付きまとう。生じてしまう。しかしそれが健全なんだ。人生はストレスありき。人間には痛みも苦しみも不快も必要なんだ。思い通りにならないことが多い方が、人は幸せになれる。人間という生き物からストレスは切り離せない。逆に完全なるストレスフリーなんてものがあれば、その方が歪であり、不幸だぞ? 例えば最初から無敵モードで敵に負けることがなく、どんなアイテムも即座に手に入る、そんなゲームをして楽しいか? 現実の人生も同じだよ。ゲームは人生の縮図だしな』
何故祖父がそんな話をしだしたかと言えば、ハリーが、己の現在の境遇がド底辺であると、祖父の前で愚痴ったからだ。自分以外に幸せな人間はきっといっぱいいる。でも自分はずっと不幸だと。同じ世界にいながら、自分よりずっと想いをしている者達がいることが妬ましい、悔しい、恨めしい。だから何もかも壊してやりたいと。
ハリーは戦争難民だった。元々はアメリカ人であったが、父の仕事の都合で家族まとめて東欧の小国へと移り住んだ。父の仕事が何であったか、ハリーはもう覚えていない。
イタリア、ドイツ、イギリスとたらい回しにされ、最後に辿り着いたのはノルウェーであり、最底辺の環境を強いられた。その頃のノルウェーはすでに、難民への扱いが問題視されて、難民の80%が境遇を改善されていたが、ハリーと祖父と妹は運悪く、改善されない20%の中にいた。
『お前は自由であるはずだ。拘束されているわけでもない。楽しいことを作れるし、見つけられるし、見出せるはずだ。やりたいことができるはずだ。なりたい自分になれずとも、なりたい自分になろうと走ることくらいはできる。俺はそれを止めやしねえよ』
祖父はきっと自分の本質を見抜いていたのではないかと、ハリーは歳を取ってから思うようになった。
ハリーはふと思い出す。自分が祖父と妹と共に、ゴミ山の中をさすらっていた日々を。何より、妹のことを。
父も母も祖母も戦争で死んだ。難民となった三人が最後に行き着いたのは、延々と広がるゴミ捨て場だった。
ノルウェーやスウェーデンといった北欧諸国では、ゴミを輸入していた。何故そんなことをしているかと言えば、古くからこれらの国々は、ゴミの焼却を発電や暖房に利用しているからである。そのおかけでゴミのリサイクル率は95%以上という数値になっているが、このゴミのエネルギーリサイクルが上手くいきすぎた結果、発電をゴミに頼らざるをえず、ゴミが不足して、ゴミを輸入しなければならないという事態に陥り、ゴミ輸入国となったのである。
しかし二十一世紀半ばになってから、難民達の働き口を作るという名目で、ゴミを燃やす前に、エネルギー変換以外のリサイクルもこれまで以上に重視するようになった。そのリサイクルで得た賃金が、そのまま難民達の食い扶持として与えられる。
ハリー・ベンジャミンと、その祖父と妹は、他の難民達に混じって、このゴミ置き場を安住の地として与えられたのである。
広大な面積に、綺麗に並べられ積み上げられたゴミの山。その合間をくぐり、行き交う日々。崩されたゴミ山の中に入り、ナイフや注射器などに気をつけながら行う作業。
ハリーはいつも惨めな気分だった。祖父の言葉など、とても信じられなかった。戦争が始まる前には、裕福に暮らしをしていただけに、余計に惨めな気分を味わった。
「こんにちは、あたしケイシー。おじさん、どこから来たの?」
いつものように暗い気分でうつむいているハリーとは対照的に、金髪に三つ編みの少女がハリーと少し離れた所で、コートに身を包んだ禿頭に強面の大男に声をかけていた。
「あいつ……また……」
少女を見て、ハリーは舌打ちする。彼女は二つ年下の妹だ。
「ケイシー、何度も言ってるだろう。知らない人に馴れ馴れしく話しかけちゃダメだって」
妹のケイシーの手を取り、大男から引き離すように歩きながら、もう何十回目かわからない注意を口にする。
「危ない奴や悪い奴だっているかもしれないってのに……ったく……」
ケイシーは困った癖があった。誰であろうと物怖じせずに接し、初対面の人間相手でも躊躇うことなく声をかける。そして人を疑うということを全く知らない。知能が低いというわけではない。しかしその顔つきや目つきはどこかおかしく、常人とは異なる雰囲気があった。
ウィリアムズ症候群という病気をハリーが知り、ケイシーがそれにあてはまっていたとわかるのは、ずっと後になっての事だ。
『ケイシーはきっと天使の子なんだよ』
『いや、妖精だ。顔からして妖精のような感じだろ』
死んだ両親はケイシーを指してそんな風に語っていた。
「ハリー、早くお仕事しようよー。お仕事終わらせて早く遊びたーい」
天真爛漫を絵に描いたような笑顔で、ケイシーが声をかけてくる。妹いつも底抜けに明るい。その明るさは時として煩わしさを感じることもあったが、大抵の場合はハリーの心の支えになっていた。
ケイシーが側にいるだけで、ケイシーの耳に心地好い声を聞くだけで、ケイシーが無邪気に笑っているだけで、癒される。
『どんな環境で生きようと、楽しみはあるもんさ。あったかい何か。心を躍らせる何か。つまり光だ。人は皆、自分が見出した光にすがって生きているとも言える。それでいいんだ』
祖父の言葉を借りるのであれば、このふざけたドン底の境遇にありながらも、ケイシーこそが暖かい光と言えた。
それが四十年以上前の話。
***
悪夢にうなされ、ハリーは汗みどろになって目を覚ます。
天蓋つきの十人近く寝られそうな巨大ベッド。シャンデリアが吊るされ、彫刻や絵画が飾られた広く豪奢な部屋。しかし広い室内の床は、本、服、ゲーム機、健康用品、スナック袋などで散らかり放題で、せっかくの金のかかった部屋も悲惨な有様だ。
元々ゴミに囲まれて生活していたハリーからすると、清潔感に満ちた整然とした場所の方が落ち着かない。もっともあのゴミ捨て場も、ゴミはまとめられて整然と置かれていたのだが。
『ハリー、おはよー。どうしたのー? また悪い夢見たのー?』
ケイシーがいつもと変わらぬ無邪気な声をかけてくる。四十年以上前と変わらぬ姿で、屈託の無い笑みを広げて、ハリーを見上げている。
「ああ、悪い夢だ。何しろお前が死んだ時の夢だからな」
そう言ってハリーはケイシーの頭に手を伸ばし、頭を撫でる。
感触はある。四十数年、ハリーは何度も妹の頭を撫でてきた。これが幻とは到底思えない。しかし――
「入れ」
ノックの音がしたので、入室を許可する。
ハリーの前に現れたのは、左が黒一色で右が赤一色という仮面を被り、同様に左が黒で右が赤のマントを羽織った怪しげな男だった。
『あ、V5さん。おはよー』
ケイシーが片手をあげて笑顔で挨拶をする。しかしV5と呼ばれた男は反応しない。当たり前だ。ケイシーの姿は、ハリーにしか認識できない。
仮面とマントの怪しい男――V5は、全裸のハリーの前で恭しく片手をつき、胸に手を当てて頭を垂れる。
「マイマスター、問題が発生しました……」
そうだろうなと、ハリーは思う。何かあったからこそ、わざわざV5は自分の元へと訪れたのだ。
「
「あっそ」
V5の報告を聞いても、ハリーは何ら動揺することが無かった。予想していた展開というわけではないが、大して心が揺らされる事でもない。
「計画に支障は出さない……と思いますが、マイマスターの王国を傷つける事に……」
「そう、このゴミ溜めは俺の王国だ。創るも変えるも壊すも、俺の自由だ」
ハリーが立ち上がり、部屋の灯りをつけた。
V5はハリーの裸身を見て思わず息を飲む。年齢は五十半ばであるが、脂肪が見当たらないその筋骨隆々とした肉体は、とても初老の域にさしかかった男のものとは思えない。肌の張りにどうにか老いの兆しが見える程度だ。
「音木女史の処遇は如何に?」
「
「戦力の増強を計ります。裏通りから始末屋を数名雇います」
ハリーのアバウトな応対に、V5はいつも通り仮面の下で困惑しつつも、今できる最善の手を打つことにする。
「『ロスト・パラダイム』の兵士だけじゃあ足りないのか?」
「ロスト・パラダイムは今や敗残兵の寄せ集めで、風前の灯ですので……」
ハリーの問いに、V5は恭しく告げた。
「わかった。好きにしな」
言いつつハリーは浴室へと向かう。V5は退室する。
『どんな境遇にいようと、人はその境遇においてベストを尽くすことに変わりはない。その境遇で楽しみを見つけ、その境遇でストレスを受け続ける』
シャワーを浴びながら、脳裏に祖父の言葉が蘇る。ハリーは未だ覚えている。しかしその言葉を完全に受け入れたわけではない。いや、理屈ではわかっても、感情的には受け入れられない。
ゴミ捨て場での日々と、あってはならない喪失。それがハリーの心に黒い炎を宿した。
消えることのない黒い炎がずっとハリーの中で渦巻き続けている。故にハリーはこの歳になるまで、黒い炎を世に吐き出し続けてきた。
多くの人間は、黒い炎を胸の中や腹の中で燃え上がらせても、吐き出せずにいる。あるいは吐き出したとしても、火事を起こして捕まってそれでおしまいだ。しかしハリーは吐き続け、焼き続けることができた。
(お爺ちゃん。あの頃のお爺ちゃんの歳まで、あと七歳で追いつくぜ。なのに俺はお爺ちゃんみたいに大人になれずにいるよ)
シャワーを浴びながら、曇った鏡を手で拭き、肌が若干たるみ、皺が刻まれ始めた己の顔を見る。
鏡に映る顔が変化する。自分の顔ではなく、妹の顔になる。
『ハリー、いつまでシャワー浴びてるのー?』
ケイシーがくすくすと笑いながら声をかける。ハリーは微笑を浮かべ、鏡の中から出てきたケイシーの顔にごつごつした手を伸ばすと、その頬を優しく撫でた。
それが現在の話。
***
ハリーの部屋を出た後、V5は同じ建物の中にある一室を訪れた。
部屋に入ってV5と仮面越しにまず目があったのは、身長160センチも無い小男だ。しかしその眼光は鋭く、日焼けした顔は精悍だ。そしてその小さな体が非常に大きな存在感を常にまとっているよう、V5は感じている。
室内を見回すが、目当ての人物の姿は無い。
その部屋は
奥の方を見ると、生き物と思われる者が寝台に寝かされ、体を震わせている。それは人型をしていたが、明らかに人ではない。青と緑と銀が入り混じった、メタリックな皮膚を持っていた。
「クリシュナ、音木はどこだ?」
「トイレです」
V5の問いに、クリシュナと呼ばれた小男が答えた直後、背後から足音が聞こえた。
「ぐぴゅっ。V5ちゃん、何か用っスかー?」
あまりにもサイズのあっていないぶかぶかの白衣を身に纏い、これまた顔のサイズに合っていない大きな丸い眼鏡をかけた少女が、V5を見て声をかける。白衣の下はカーディガンにミニスカートという格好だ。腰まで伸ばしたロングヘアーは、外はねの癖毛が多い。
少女の名は
「計画を実行する手前まで来ているというのに、このような失態を犯しておきながら、危機感が無いな」
「ぐぴゅぴゅ。んなものあるわけねーぞ。バーカバーカ。いちいちうるせーんスよ」
咎めるV5に向かって、史愉はへらへらと笑いながら悪態をつく。
「あたしにとっても、こいつらは大事な研究材料なんスがー? 脱走させたのは、君達の警護が抜けていたからだぞー。しくじったのは君達だぞー。これ以上あたし様の足引っ張んなよ。いいな? で、何の用?」
横柄な口調で責任転嫁してくる史愉に、V5は仮面の下で深い溜息をつく。付き合いはそこそこに長いので、誰に対しても傲岸不遜なこの少女に対し、最早怒りすら覚えない。
「始末屋を雇うことにした。逃げた分の穴埋めだ。もしその中に改造希望の者がいたら、改造してやれ」
「へいへい、いればねー」
クリシュナを一瞥し、史愉はへらへら笑いながら頷いた。
それも現在の話。
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