第四十七章 1

 その日、雪岡研究所に変わった客が訪れた。

 セーラー服姿の凛々しい面立ちのその美少女は、名は羽賀堂久美という。若干十七歳で、享命会という名の新興宗教団体の教祖を務めている。

 しかし純子にとって重要なのは、久美がアルラウネのオリジナルの宿主であるという事だ。そして純子に会いに来るということは当然、アルラウネの宿主の方の用事であろう。


「息抜きに遊びに来ただけだよ」


 重要な話かと思いきや、アルラウネ久美は純子を前にして、微笑みながら言った。


「君とは同盟も結んでいるし、なるべく交友も深めておきたいしね。それに……最近ハードワークで参っている。宿主の久美はもちろんのこと、寄生している私にまでもその影響が出てしまっている」

「なるほどー。私はてっきり尊幻市の件かと思ったよー」

「尊幻市の件?」


 純子の言葉を訝りつつ、ティーカップを口にもっていく久美。


「私と関係する何かがあるのかい?」

「今、尊幻市で面白いことが起こっていてねー。バトルクリーチャーとは違う、未発見の生き物が暴れているらしいんだよー」


 純子がホログラフィー・ディスプレイを投影し、反転して久美に見せる。


 ディスプレイに映る画像には、弾痕やひび割れが目立つ壁の下に、見たこともない生き物が横たわっていた。

 長く伸びたその手足は、人もしくは猿のそれを想起させる。フォルムそのものは人型だ。しかし全身をターコイズブルーと銀色が入り混じった鎧のような外皮で覆われ、手には水かきが確認できる。目は顔に比して非常に小さく、つぶらであった。口を大きく開いて長い青い舌を出し、絶命している。


「体内からも表皮からも、海水が検出されているんだよねー。発見されたのは海から相当離れた山地の中だっていうのにさー。そして胃の中からは、もっと面白いものが出てきたよー」


 言いつつ純子が、別の画像を映し出す。


「魚か? 何の魚だかわからないし、何が面白いものかもわからないね」


 久美が言った。映し出されたのは消化されかけた魚の頭部だった。随分と変わった魚のようで、久美の知識ではわからない。頭は長いが先端は丸く、どことなく男性器を連想させる。口元は大きな切れ込みが走っており、鋭い牙が並んでいる。目は顔の前方部分に有り、凶暴そうな印象がありつつ、同時にユニークでもあった。


「これはダルマザメっていう、深海に生息する鮫なんだよ。夜になると浅い海に出てきて食事をするようだけどね。小さな魚も食べるけど、この魚の最も特徴的な習性は、鮫やマグロみたいな大きな魚や、イルカやクジラといった大型海棲哺乳類に食いついて、肉をえぐって食べることなんだ。ダルマザメ自体は30センチから50センチと小さいから、大型の魚やクジラの肉をえぐっても、それで相手を殺しちゃうってことはなさそうなんだけどねー。ただ、弱った鯨とかイルカは標的にされやすいみたいで、座礁した鯨に、何十ものダルマザメの噛み痕がついていたってケースもあるんだ」

「陸に上がった謎のヒューマノイドの腹から深海の魚――か。たまたまではないとすれば、つまりこれは、海底人の死体とでも言うのかな?」


 興味をそそられる久美。


「久美ちゃんは信じられる? 海底人の存在」

「いても不思議ではない。何しろ地球の面積の71%を占めているのが海だ。そのうえ深海等の海底の大半には、未だ人の手が及んでおらず、大量の未確認生物が存在しているだろう。シーサーペントやクラーケンが実在したとしても、さほど不思議ではあるまい。それに――」


 ここで言葉を切る久美。この先の考えを口にするかどうか迷い、言葉を選ぶ。


「この星に来たのが私だけとは思えないよ。他にも来ている可能性が高い。少なくともアルラウネの敵対種である『無宿』は、複数訪れた形跡が確認できている。アルラウネが海の生き物を宿主とした結果、進化を遂げて海底人になったという可能性も、無きにしも非ずだ」


 純子にも同様の考えがあるかもしれないとして、自分の考えを隠すこともないと久美は判断する。


「それだけではない。私の故郷の星だけではなく、他の知的生命体がいる惑星と繋がって、別の宇宙人が来ている可能性もある」

「んー……それは確率的には凄く低いと思うけどなあ。第一、アルラウネと無宿以外には、未だ確認されていないんだしさー」

「発見されていないイコール可能性の低さに繋げるのは、君らしくないよ。それに、地上で発見されていないとしても、先程の話に戻って、海の可能性が出てくるわけだ」

「なるほど……」


 頷く純子だが、久美の考えにはいささか懐疑的だった。他の惑星からやってきた生き物が、海中にいきなり放り出されて、果たして適応できるのかどうか。

 しかしそれを言ったら、そもそも地球と環境がまるで異なる星で生きている生き物が、アルラウネや無宿のように、即座に対応できるとも限らない。案外、地球外生命体の確認が無い理由は、その辺にあるかもしれないと、純子は思う。


「で、久美ちゃんもよく知るあの子から、こんなのが届いたんだ」


 純子がテーブルの上に封筒を差し出し、中から便箋を引っ張り出す。


 便箋には可愛らしい丸文字で文章が書かれている。文の下には、眼鏡をかけた白衣姿の少女が、純子と霧崎とミルクを包丁でめった刺しにして殺害しているというイラストが、幼稚園児テイストな画風で描かれていた。


『ちょーせんじょー。三狂とか呼ばれていい気になってる、うんこたわけ共、尊幻市で待つ。あたしの方が上だということを思い知らせてやるから、まとめてかかってきなさい。最狂マッドサイエンティスト様、音木史愉おとぎふみゆより。追伸、バーカ死ね糞カス』


「よりによって史愉か……」


 久美が思いっきり顔をしかめる。久美もその人物のことはよく知っていた。三十年前の日中アルラウネ合同研究の際にも、彼女はいた。


「教授とミルクはスルーするみたい。久美ちゃんは来る?」

「遠慮するよ。あれとはあまりいい思い出が無い」


 アルラウネ研究施設での嫌な思い出の数々を思い出し、久美はティーカップに口をつけた。


***


 月那美香はその人物と過去何度か会ったことがある。それどころかつい二ヶ月前、一緒にCMの収録も行って話題になった。

 その日も音楽番組の収録で、その人物と顔を合わせた。


 白髪をオールバックにした白人で、顔には深い皺が刻まれ、年齢は初老にさしかかっている。確か今年で五十四歳と聞いた。袖の無い黒チョッキから露になった上腕筋は、はちきれんばかりに太い。手も異様に大きくて拳が盛り上がっている。首も太く、胸板も厚く、相当に鍛えあげた肉体の持ち主だ。


 他のミュージシャン達は、その人物を怖がって誰も声をかけない。どういう人物かは皆知っている。美香も裏通りとの二束の草鞋を履いているが、その人物も似たようなものだ。堅気とは言えない。裏通りの住人――と呼ぶのは少し違う気もするが、明らかに関わってはいる。


「久しぶり! ハリーさん!」


 リハーサル前、美香は物怖じすることなく、笑顔でその男に声をかけた。


「おう、相変わらずうるせー奴だな」


 全く訛りを感じさせない流暢な日本語で、ハリーと呼ばれた男は美香に笑いかけ、美香に向かって握った拳を軽く出す。美香も笑顔で、己の拳をハリーの拳に当てる。


「音楽番組に登場するのも久しぶりなんじゃないか!?」

「ま、こんな身分だし、去年から数ヶ月ぶりかな。今年はまだ一回目だ」


 肩をすくめるハリー。


「美香の裏の方での活躍はいろいろと聞いているよ。反物質爆弾騒動の一件とかな。ホルマリン漬け大統領新生パーティーの見世物も見たぞ。ボコボコにやられていて、中々楽しかったぞ」

「お恥ずかしい! ハリーさんも裏の活動の方が忙しいのか!?」

「俺は裏通りともそこそこ馴染みがあるが、今はもう積極的には関ってはいない」

「そうか! その方がいい!」


 ハリーの言葉を聞き、美香はにやりと笑ってみせた。


『ねえねえ、ハリー。美香ちゃんのサイン欲しいってこの前も言ったよねー。今度こそ貰ってよー。あたしあての名前入りでー』


 ハリーの目の前に、ハリーだけに見える少女が現れ、お願いをする。ハリーは溜息をついて、ホログラフィー・ディスプレイを投影し、画像ソフトを起動させた。


「あのな……悪いんだが、俺の知り合いがお前さんのサインを欲しくてだな……」


 言いにくそうに美香に声をかけ、ディスプレイを美香に送る。


「紙もペンもねーし、これで頼むわ。これで納得させる」

「いいぞ! その人の名は!?」


 にやりと笑い、美香が問う。


「ケイシーだ。アルファベットでCaseyで頼む」


 ハリーの要望に従い、ディスプレイを指でなぞってサインを描く美香。


「ありがとうよ」


 照れくさそうに礼を述べ、ハリーは少女――自分だけに見える妹、ケイシーの方へとディスプレイを反転させた。

 ハリーのその動きを美香は見ていたので、一瞬訝ったが、スタジオ内にいる他の誰かに見せているのであろうと解釈した。その解釈は正解であったが、まさかハリーにだけ見える妹に対してとは、思いもしなかった。


(これでいいだろ)

『うんっ、ありがとー、ハリー、美香ちゃーん』


 嬉しそうに笑うケイシー。しかし礼の言葉は当然、ハリーの耳にしか届かない。


「あれがゴミ山の帝王、ハリー・ベンジャミンか。何か優しそうですね」


 スタジオ内にいた新米のADが、ハリーと美香がにこやかに会話を交わしていたのを見て、呟いた。


「月那美香以外には、あんな風に親しげに話しかける人はいないよ。近寄りがたい空気がいつもある。それにあの人の経歴を知れば、やっぱり怖い」


 別のADが苦笑いと共に言う。


 かつて、メギドボールという伝説のメタルバンドがいた。自殺ライブの後、数多くのファンの後追い自殺者や通り魔を生み出した逸話は特に有名だ。

 そのメギドボールの再来と騒がれたロックミュージシャンがいる。それがハリー・ベンジャミンである。

 彼の怨嗟に満ちた詞と曲には、こっそりとサブリミナル効果も仕込まれており、その結果、メギドボールに負けぬ勢いで、ハリーのファンが事件を起こすようになり、大きな社会問題となった。


 しかしハリーが起こした問題はそれだけではない。ハリーは音楽だけではなく、若い頃から数々の会社経営に携わっていが、表社会だけではなく、裏社会で数々のギャング組織の運営をも務め、テロ組織まで作っていた事が発覚し、おたずね者となって、二十数年前に日本へ来た次第である。

 ロックスターであり、ギャングスターでもあったハリーは、最早日本以外の土地を踏めない身となっている。ある事情によって、彼は日本では逮捕されることもなく、音楽活動も会社経営も行っていられる。ギャング等の運営からは距離を置いたらしいが、自分が創った組織には、口頭での指示を定期的に出しているらしい。


 こうして音楽番組に出るのも危うい綱渡りだ。日本国内では自由が利くとはいえ、各国から暗殺者が放たれている可能性がある。実際襲われた事もある。

 しかし普段のハリーは、ほぼ安全が保障されている。彼が根城にしている無法都市――尊幻市まで入ってくる暗殺者などいなかった。

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