第四十六章 26

「せっかく研究素材を得られるよい所でしたのに、とんだ闖入者ですわね。おかげで少し興が冷めてしまいましたわ。罰が必要ですわね」


 百合のその台詞は嘘だ。彼女はデビルが現れるのを待っていた。百合の計画を実行するには、デビルが必要だ。


「今まで散々逃げ回っていたくせに、わざわざ殺されにきたのか?」


 輝明がデビルを挑発する。


「みくびらない方がよろしくてよ。この子の能力を考えれば、人の多いこの場所こそが……」

「うっきぃいぃぃいぃぃーっっっ!」


 百合が注意を促している最中、突然奇声があがった。村人の中からだ。


「お前! 何するんだ!」

「うっきゃあぁぁぁぁぁ!」

「また洗脳されたのか!?」


 村人の何名かが、憤怒の形相になって奇声をあげ、他の村人へと襲い掛かる。正気の村人達は、ある者は逃げ惑う者と必死に取り押さえる者に分れる。


「ケッ、無那引様復活に気を取られている間に、こっそりと仕掛けをしていたわけかよ。しかし誰も気配に気付かないとはな」


 デビルを見据え、輝明が愛嬌に満ちた不敵な笑みを浮かべるが、内心では腸が煮えくり返っている。まだ幼い女の子を戯れに殺すような行為を行ったあげく、狂った道化を演じるその外道っぷりに。


 そんな輝明の視線を受け止め、デビルはおかしそうに目を細める。


「こいつは俺にやらせてほしいねえ」


 睦月がデビルの前へと進み出る。こちらは最初から怒りの形相だ。


 余裕を吹かし、状況を楽しんでいたデビルであったが、睦月が自分に怒りを向けていることに狼狽した。そして、嘆いていた。

 シリアルキラーをヒーローに見立てていたデビルだが、今は睦月を神聖視すると同時に、自らの物であるという独占欲と支配欲も抱いている。崇拝する対象を人形として連れ回し、好き勝手にいじくりまわしていた数時間によって、そのような気持ちを強く抱かせてしまった。

 睦月が自分に怒りを向けていいわけがない。睦月が自分に攻撃していいわけがない。この現実は認めたくない。


「睦月、貴女の気持ちはわかりますが。今の状況で貴女のお願いを聞く余裕は無くてよ」


 百合が告げたが、睦月は構わずデビルに仕掛けた。


 雀が二匹放たれ、及び腰になっていたデビルは反応しきれず、これを両方食らう。一匹は腹に、もう一匹は胸に直撃する。

 前のめりに倒れたデビルは、倒れた格好のまま、後方へと滑るようにして動いていく。


「何、あの気持ち悪い動き……」

「足元の摩擦を消したようですわね。消した摩擦を利用しての移動でしょう」


 亜希子が顔をしかめ、百合が解説する。


 睦月がデビルの後を追う。


「睦月っ」


 睦月一人で戦わせるのは危険と感じ、亜希子も睦月の援護へと駆ける。実力的にはともかく、あのデビルはいろいろと罠を張り巡らせていると、亜希子は推測していた。そうでなければ、この場に単身で現れるはずもない。


 一方で村人達の多くがデビルの負の気を注入され、見境無く暴れている状況に、正気の村人に加え、輝明と修とアリスイとツツジが対処する。


「あんたはどうするんだ?」

 七久世が千石を見上げて問う。


「あのデビルというのに頼めば、望みをかなえてくれるかもだよ? あんたの迷いを消し飛ばしてくれる。村への愛情を断ち切り、憎しみだけに染めてくれるか。あるいはその逆か。でもね、できればあんたの意思で、因縁にケリをつけた方がいいと思うんだけどな」


 七久世の言葉を聞いた千石が、デビルに殺された娘の亡骸に視線を向ける。

 争いあう村人達にも視線を向ける。今の所、死んだのはデビルに殺された娘一人だが、放っておけばさらに犠牲者が増えるのは時間の問題だ。


(例え迷っていようと、二つの気持ちがあろうと、どちらかに決めねばならない。そして私の今の正直な気持ちは……もう決まっている!)


 千石が怒りを孕んだ視線をデビルにぶつけた。

 その視線を受け止め、デビルはほくそ笑む。計算通りに事が運んだ。

 計算外だったのは、睦月が真っ先に襲いかかってきたことだ。冷静に考えれば当然の成り行きだが、睦月への執着が強すぎて、デビルの思考を曇らせていた。


 余所見をしているデビルの側頭部に、睦月の蛭鞭が叩きつけられる。


 よろめいたデビルの懐に亜希子が飛び込み、小太刀が鳩尾深く突き入れられた。

 妖刀火衣が妖力をデビルの中へと流し込む。デビルは自分の体内に、よくない力が大量に流れてきたのを感じ取り、慌て気味に、至近距離から亜希子に衝撃波を浴びせて吹き飛ばす。


 吹き飛んで倒れる亜希子を尻目に、睦月がさらに蛭鞭を振るい、デビルの足を打ち据える。通常の鞭なら足を絡めとって転倒させるのがセオリーとも言えるが、睦月の蛭鞭は通常の鞭よりずっと太いうえに、瞬間的及び部分的な硬化も可能であるがため、打撃武器として用いる傾向の方が強くなる。


「たっぷりとお返ししてやるよ」


 横向きに倒れたデビルに、怒りに満ちた声で睦月が言い放つと、デビルの首を地面の中から現れた何かが貫き、さらには巻きついた。針金虫だ。

 デビルは体の中から力が吸われていく感覚を覚え、慌てて針金虫をちぎらんとしたが、ちぎることができない。そして針金虫に気をとられているうちに、睦月がさらに鞭を振り下ろし、背中をしたたかに打つ。


 完全に動きの止まったデビルに、刃蜘蛛が跳びかかったが、蜘蛛の脚の刃が振り下ろされる直前に、デビルは平面化して逃れた。そのまま影となって移動して逃げるかと思いきや、少し動いただけで、地面から現れて元の体へと戻る


 デビルはこの期に及んで逃げる気などない。力を得るためにここに来た。神様とのゲームに勝ち、欲するもの全てを手に入れるためにここに来たのだ。


 移動したデビルのすぐ真横に、千石がいた。


「お前だけは許さないっ」


 千石が叫び、デビルめがけて脚のような木の幹で蹴り飛ばそうとする。

 デビルは千石の攻撃を避けようとはしなかった。デビルはこの時を待っていた。


 巨人の蹴りを食らったような衝撃を受け、さらには根の部分が無数にデビルの体に突き刺さり、デビルは体中から黒い血を噴出した。口からも大量に、オイルのような黒い血を吐き出している。


 さらに千石は、団扇を扇ぎ、弾丸のような空気の塊を無数にデビルの体へと撃ち込んでいく。


 千石が怒りに任せて襲い掛かっているので、亜希子と睦月は距離を取って様子を見る。


「あらあら、デビルの奸計にまんまと乗せられてしまって。浅はかですこと」


 デビルに攻撃する千石を見て、百合がくすくすと笑う。


「どうやら最後まで、私の思惑通りの展開になりそうですわね。私が動かなくても、デビルがやってくれたおかげで、手間が省けましたわ」


 百合の計画としては、デビルを追い詰めて、千石から怨霊郡を奪って依代になるように仕向けるつもりであったが、デビルは追い詰められるまでもなく、元からそのようにするつもりだったようだ。

 千石がこうするようにデビルが誘導した事も、百合は見抜いていた。そしてこの後どうなるかも、大体予測済みだ。


 亜希子と睦月の攻撃の後に、千石の猛攻を受けて、ぼろぼろになって倒れているデビルが口を開けて笑った。黒の中で白い歯が煌き、真っ赤な舌が踊る。


 千石が自分へと近づくのをずっと待っていた。怨念を溜め込んだ怨念貯蔵庫のような今の千石は、デビルの性質から見れば、御馳走の山のようなものだ。

 デビルはずっと観察していたし、待っていた。努麗村に来た時から、この村が人の手によって、強い霊的磁場が形勢されていた土地である事もわかっていたし、強烈な呪いにかかっている事も見抜いていた。土地そのものが霊の怨嗟で満ちていた事も知っていた。


 村を蝕む怨念の吸収を試みたデビルであったが、上手くいかなかった。怨念は強力な術式によって制御されている。村中に置かれた人形は、怨霊を封じるだけではなく、大規模な呪術の術式による力の循環統制と、魔寄せによる霊的磁場の構成という効果を持ち、デビルの干渉を受け付けなかった。

 それは常に高速で流れている水流のようなものだった。怨念は力を伴い、村中を静かに、しかし速く流れている。水をすくうには流れが速すぎる。強引に干渉したならば、デビルの魂もその怨念の流れに巻き込まれて、流されてしまうという危惧があった。


 デビルは思案した。村の中に制御者がいるのではないか? あるいは監視者がいるのではないかと。それなら、努麗村の秩序を乱すことで、村を呪縛している黒幕を引きずり出せないかと試みた。イレギュラーは途中で何度も発生したが、結果的には目論見通りにいった。


 人形という形で村のあちこちに分散され、制御されていた怨念が、今はもう一つにまとめられている。呪術の効果は顕在だ。力の統制も成されている。しかし力の循環は失われている。流れるように村中を駆け巡っていた怨念は、その循環を失っている。

 今なら、デビルの手に届く。デビルは循環が止まるのを期待していただけで、それを一箇所に集めることまでは期待していなかったが、自分の代わりに、わざわざ千石や輝明や百合が、それを実行してくれた。手間が省けた。


「何だ?」


 千石が訝る。大量出血し、体中に傷を作り、骨も折れ、内臓も損傷した状態で、大の字で倒れたデビル。その体に、最早生気は感じられない。しかしデビルの気配は消えていない。


 誰も知らなかった。デビルには、自分の分身を精製する能力があることを。


 デビルは脱皮するかのように、倒れた体の中から小さな本体が平面化して抜け出し、撒き散らされた黒い血の中を通り、千石の体へと移動していた。

 デビルにとっては消耗の激しい、自分と相性のよくない能力であり、ここぞというときにしか用いないが、今がまさにその時だ。


「何だとっ!?」


 千石はすぐに異変に気がついた。木の表面についたデビルの黒い返り血から、自分の中にある怨念が、怨霊が、そして無那引様の力そのものが吸い取られている事に。

 防ぐことはできなかった。防ぎようが無い。力を吸われるごとにデビルの体の面積が増大していき、千石の体が黒い体液で包み込まれているかのようになっていた。そしてデビルの面積が増大するにつれ、吸収の速度も上がっていく。


 村を何百年にもわたって呪い続けていた怨念の力――無那引様の力の全て、デビルが取り込むのに、大して時間はかからなかった。

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