第四十二章 10

 遥善が三つ目のミッションを説明しだす。


「三つ目のミッションは……あんたの小説にもあった、毒ガスシャワーそのままだ。これでわかるだろ。部屋は201号室から204号室の四つ。それぞれの部屋にあるヒントを解いて、正解の部屋のシャワーの蛇口をヒネれば、次のミッションが判明する」

「失敗すれば、浴室に閉じ込められ、シャワーから毒ガスが噴霧な」


 登場人物が毒ガスを浴びて、苦悶に満ちた死に方を描写したことを思い出しながら、犬飼は言った。現実は自分の描写とどう差異があるのかなど、どうしても考えてしまう。


「何だ、デスゲームで対決形式かと思ったら、犬飼が一方的にやらされるだけかよ」

「生き残ってたら、後で俺も戦うよ」


 バイパーの突っ込みに、遥善は真顔のまま告げる。


「ここのヒント内容は俺が作った。理不尽なものじゃなくて、ちゃんと突破できるようになっている。あんたの記憶力が定かならな。正直、こんな最初の段階では死んでほしくないし」

「そりゃお気遣いどーも。御期待通り、せいぜい苦しみもがきながら終盤まで生き残ってやるよ」


 皮肉る犬飼だったが、遥善は表情を変える事無く、その場を立ち去った。


「あれは恨み骨髄というより、迷っている感あるな」


 遥善がいなくなってから、バイパーが言った。もちろん遥善を指している。


「おお、バイパーも気付いたか。褒めてやろう」

「これでもお前より年上だしな。人を見る目くらいはあるつもりでいるぞ」

「もう三十越えればそういうの関係なくならね? 個人の人格とのーみそ次第でしょ」

「お前よりは脳みそも人格も、まともなつもりでいるぞ」


 軽口をたたきあいながら、二階を移動する二人。


 まず201号室に入ると、テーブルの上の目立つ場所にメモが置いてあった。


「うわぁ……こりゃあ……」

 メモに書かれた内容を見て、犬飼は顔をしかめる。


「どうした?」

「いや……いい。別の部屋も見よう」


 尋ねるバイパーに向かって小さくかぶりを振ると、犬飼はメモを手に取り、別の部屋へと向かう。


 202、203、204と同様にテーブルの上にメモが置いてある。そして書かれている内容は全て、肝杉柳膳による犬飼の小説の批判記事から引用した文章であった。


(趣味の悪さは親父譲りか? わざわざ人を不愉快にさせるために、御苦労なこって)


 親を殺されたのだからそれくらい嫌味でやってきても不思議ではないが、肝杉のこの適当な批評で多くの読者を不快にしたことを意識すると、犬飼もまた不快になる。


 四つのメモを見比べる。引用された文章を隅々まで読む。


(ヒントは間違い探しか……? 俺が書いた作品、よく読んでいないのが丸わかりな見当違いな批評があるな)


 メモのうちの二つは、露骨に見当違いな批評だった。


(平然と嘘をついて、それで金を取れる。しかも他人をダシにして。実に楽な商売だな。やっぱり殺して正解だった。ま、いくら殺しても、次から次に沸いてくるだろうけどよ。その国の治安や民度によって、悪人や屑はある程度の割合で発生するもんだ)


 メモのうち二つを丸めて握り潰す犬飼。


(間違いが二つ。正解か間違いかわからないのが二つ。つまり残ったどちらかが間違いで、ちゃんと俺の本を読んだと思われる批評が正解になるのかな?)


 201と204号室のメモを見比べながら、犬飼は考える。


(あいつは一体何を考えてこんなクイズにしたんだ? 何か意味があるのか? あるいはこんなクイズにしたことそのものが、あいつの迷いを映し出しているのか?)


 問題作成者である遥善のことを意識し、犬飼は思う。


「どうした? わからないのか?」

「ああ……」


 長考する犬飼に尋ねるバイパーと、素直に認める犬飼。


(覚えてねえな……これ。うーん……)


 自分の書いた作品だからといって、全ての作品を隅から隅まで記憶しているわけではない。むしろ忘れている方が多い。残った二枚の批評文は、どの本を指しているかぐらいはわかっても、その批評が読まずに適当に書かれたものかどうかわからない。


(賭けるか)


 犬飼は決意する。賭けといっても、闇雲な賭けではない。根拠のある賭けだ。


(この中で一番古い本の批評が正解か? 最初は一応じっくり読んだうえで批評し、その後は適当に読み流して叩くだけ、と。いかにもあの汚物がやりそうなこった)


 それから犬飼は四つの部屋の浴槽を全てチェックしてまわった。

 どの部屋にも浴室の入り口の天井に、シャッターが下りると思われる穴が見受けられる。犬飼の小説では、間違えた部屋のシャッターが下りて、出られなくなった状態で、毒ガスが噴射される仕組みだった。それを忠実に再現していると思われる。


「いちかばちかだなあ……」

 犬飼がぽつりと呟く。


「わざわざ命がけで付き合う必要があるのか?」


 命がけの賭けに挑もうとする犬飼に、今更ながら確認するバイパー。


「無いな。でもやめればゲームの進行がここで止まる」


 バイパーの方を向いて、犬飼は肩をすくめてみせる。


「それに何がふざけてるかって、これは俺が書いた本をそのまま実現している事だ。それを作者である俺にぶつけるとか、いやー、実に面白くて胸糞悪い。せっかく俺用に作ってくれたんだから、付き合ってやるさ」

「敵さんはお前のそういう性格も見抜いたうえで、絶対にどうしょうもない、袋小路な罠を仕掛けてるとは考えないのか?」

「仕掛けてくる可能性はあると思ってるよ? だがヴァンダムの性格を考えるに、もしそういうのを仕掛けるとしたら、最後だろうな」


 この犬飼の読みは、間違いであったと後で知る事になる。


 204号室に決めた犬飼が、浴室に入る。

 犬飼と一緒にバイパーも入ってくる。犬飼があんぐりと口を開ける。


「おいおい、野郎二人でシャワールームかよ。間違えて毒ガス出たら、巻き添え食うぞ?」

「その毒ガスが出た時のために来てやったんだろうが」

「そ、そうか……」


 バイパーが憮然とした顔で言い、犬飼は申し訳なさそうに視線を逸らし、蛇口に手を伸ばした。


「いくぞ」

 シャワーの蛇口をひねる。


 水は出ない。しゅーっと空気が漏れる奇妙な音がするだけだ。


「ヤバい……」


 引きつった笑みを浮かべ、青ざめる犬飼。すぐに口を手で塞ぐ。

 予想通り、浴室入り口がシャッターで閉ざされた。これであっさりゲームオーバーだ。


 絶望しかけた犬飼の体をバイパーが抱え上げ、シャッターめがけて突進すると、飛び蹴り一発で易々とシャッターを吹っ飛ばす。歪に折れ曲がったシャッターが、ノーバウンドで飛んで、派手な音を立てて壁に当たった。

 そのまま部屋を飛び出た所で、バイパーは犬飼を下ろした。


「な? 俺も入っててよかっただろ?」


 垂れてきた前髪一房を後ろに撫でつけ、バイパーが皮肉げに笑う。


「あ、ありがとさままままま……」


 バイパーの判断に感謝するよりも、その圧倒的パワーに気圧されている犬飼であった。


(バイパーがいなければ、俺は三番目のミッションで死んでたわけか……。何だかなあ……)


 自分の読みの甘さや考えの至らなさや運の無さに、しょげてしまう犬飼。


(いや、メッセージが伝わって、バイパーが気がついて来てくれた時点で、それだけで運はあるってことだけど)


 その後、もう一つの候補である201号室に入り、またシャワーの蛇口をひねると、蛇口の蓋が床に落ちて、蓋の裏にメモが貼り付けてあった。

 メモには次の行き先が書いてある。四つ目のミッションの場所は601号室だった。


***


 六階に向かって移動中、階段の近くで唐突にバイパーが足を止めた。


「どうした?」


 犬飼も足を止めて振り返ると、バイパーが珍しく青い顔をしている。


「何か……すげえ嫌な気配がするぞ。霊気の類だ、これは」


 バイパーが足を止めて、ぞっとしない面持ちで告げた。霊感は人より強い方だ。


「ひょっとしてバイパー、幽霊怖いの?」

「霊に対抗する手段なんて持ってないからな」


 からかう犬飼に、真面目に答えるバイパー。


「まあ……このホテル、出るっていう噂があるのは知ってたけどさ」


 犬飼がそういった直後、何かが弾けるような高い音が鳴り響いた。


「ラップ音か? おお……怖い怖い。つーか俺も何かぞくぞくしてきたぞ」


 総毛立っていることを意識する犬飼。


「とりあえずここは離れた方がいい。見えねーけど、後ろから確かに来てる」


 バイパーに促され、犬飼は先に早足に階段を目指す。バイパーも背後を気にしながら、犬飼の後を追う。

 二人が非常階段にさしかかった、その時であった。


「キーッ!」


 金切り声が非常階段に響いた。


(嘘だろ……この声は……)


 犬飼にとっては聞き覚えのある叫び声だった。もう二度と聞く事はないと信じていたが、今この状況で聞くことになるとは、予想だにしていなかった。


「おい、どうした?」


 バイパーが訝り、犬飼の顔を覗き込むと、完全に顔色を失っているのを見て、ますます訝る。犬飼がこんな顔を見せるのは珍しい。


「来たぞ」


 強烈な霊気が背後に迫るのを感じ、バイパーが鋭い声を発する。


 何も無かった空間に、それは実体化した。

 バッタかキリギリスを連想させる、やたら縦に長い顔、左右に離れすぎた目、ひん曲がった口と、極めて特徴的な容姿の中年女性。

 その女性を犬飼はよく知っていた。亡くなった姉の親友であり、かつて自分が創った偽りの市民団体の副代表であり、自分が殺した女でもある。


「キーコ……」


 その女の呼び名を口にした直後、女の霊が犬飼を睨み、甲高い声で叫んだ。


「キーッ!」

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