第四十二章 3
それはまだ彼女が生前の話。
親友と一緒に、よく当たると評判の占い師を訪れた時、奇妙なことを告げられた。
「残した悔いを晴らすのは死後――か」
星炭玉夫という名のその占い師は、占い師として有名にも関わらず、自分の店を開くことはなく、街頭での占いにこだわっているという。
「キーッ! どういうことなんですかっ! それはっ!」
「例えば売れない作家や詩人が、死没後に作品を発掘されて大人気になるとか、そういうこともあるだろう? あれに近い事かもしれんな。運命は確かに存在する。
「キーッ! わけわからないわーっ! あたしは地頭が悪いんだから、もっとわかりやすいように説明してよーっ! キーッ!」
「ちょっとキーコちゃん、落ち着いて……」
「みっちゃんにはこの人の占いの意味、わかるっていうの!? キーッ!」
「んー……わかるけど、あまり嬉しくない占い結果じゃない? 思い残したことが死んだ後にかなってもねえ」
「かなうとすら言っとらんよ。かなうかもしれないだけだ。曖昧ですまんね。しかし……貴女にとっては非常に重要なことだよ」
玉夫は困ったような顔で言った。
「結局何もわからないじゃないっ。こんなんでよく商売していられるわねっ。キーコはこういう曖昧なのだいっきらーいっ! キーッ!」
キーコと名乗った、キリギリスを連想させる顔の女性は、ぷんぷん怒りながら去っていった。連れの美人は、玉夫に向かって申し訳なさそうに頭を下げて、料金を支払ってその後を追った。
「そして……二人共、長くは生きられないということは……言わぬが花よな」
客の後ろ姿を渋い顔を見送り、玉夫は虚しげに息を吐いた。
***
クラブ猫屋敷にて、バイパーは難しい顔になっていた。
「おかしいなあ……何かあったのかねえ」
先程犬飼から食事の誘いを貰ったバイパーであるが、その際にどこで食事をするかも、何時になるかも聞いていなかった。奢ってくれる市議から何時か聞いたら連絡するとだけ聞いたが、もう夕方になるというのに、一向に連絡が来ない。
バイパーの方から電話をかけてみたら、電波の届かない場所にいると出た。
「場所を聞いてないのにぅ?」
不審がるバイパーに、ナルが声をかける。
「ああ。薬仏にいるとしか聞いてなかったしな。また後で連絡するとも聞いていたから、こうして待っているんだが……」
『おい、ナル。出前で特上寿司頼め。もちろんバイパーの分は無しですよっと』
「この糞猫……」
意地悪い声で命ずるミルクに、バイパーは忌々しげに毒づいた。
***
犬飼一は二十二歳で結婚し、その翌年に妻を失った。
結婚する前から、彼女が難病に侵されていた事は知っていた。それも承知のうえで、高校時代からずっと付き合っていた。
『こんな私に何年もつき合わせちゃってごめん。私のせいで苦労いっぱいかけちゃって……。今度はもっと健康ないい人を見つけて、幸せになって……』
彼女のその言葉は、天邪鬼な犬飼には強烈な呪縛となった。
生涯、彼女以外の女とは付き合わないし、抱く事もしないと決め、今でもそれを貫いている。数年前まで結婚指輪もはめたままだったが、いちいち突っ込まれるのが面倒になって、外してしまった。しかしいつもサイフの中にお守り代わりに入れてある。
その結婚指輪をサイフの中から取り出し、薬指にはめる。犬飼の願掛けだった。重要な局面において、いつもこうしている。
「自分で書いた小説のデスゲームを、現実でやらされた作家なんて、ひょっとして人類史上初なんじゃないかねえ? だとしたら名誉だよ、名誉」
へらへらと笑いながら呟くと、最上階のレストランに階段を昇って向かう。
(ビルの中から脱出ゲームとは言っても、刺客が放たれているのなら、階段で待ち伏せされたらすぐ終わりなんだよな……。しかし仕掛ける方はそれなりに目論見があるはずだから、いきなり終わらすようなことはしないだろうよ。じわじわとプレッシャーをかけ、ストレスを募らせていたぶるつもりだ)
現実で物語の再現をするような大掛かりな真似をしておいて、すぐに終わらせるはずがない。つまり、敵もある程度加減をする可能性が高いと見なし、犬飼も敵のその手加減につけこんでみようという腹積もりだ。
(焦る必要は無い。相手はプレッシャーをかけ、ストレスを蓄積させてくる手を用いる。少なくとも俺が敵の立場ならそうする。本筋の部分は思い通りに踊ってやってもいいが、いろいろこっちでアレンジも加えさせてもらって、楽しませてもらうぜ)
これだけの舞台を用意して、自分を貶めようとしている者がいる。そう意識すると、どうしても嬉しくなってしまう犬飼である。
(ま、プレッシャーもストレスも、どんとこいって感じだけどなー)
犬飼はストレスをエネルギーの一つだと解釈している。ストレスを溜め込んでいると、精神にも肉体にも悪しき影響を及ぼすが、ただ放出するだけではなく、行動のための動力に還元する事も可能だ。少なくとも犬飼にとってストレスは、創作意欲の原動力となった。
(そもそも人間は、適度なストレスを欲しがる生き物だ。それはストレスの後のカタルシスのためでもある。完全ストレスフリーなゲームなんて面白くないだろーし)
あれこれ考えながら、九階建てのホテルの最上階まで階段で上っていく。
やがて最上階にたどり着いた犬飼であったが、レストランには向かわず、別の部屋へと向かった。
廊下を移動中、途中の部屋の扉を見て回る。
いずれも中に誰かがいる気配は感じない。扉を開けなくても、中に誰かいればわかる。しかし誰もいない部屋ばかりだ。
(地下の隠し部屋とか、そんなんだと厄介だな。まあ、少しずつ候補を絞っていこう)
犬飼の小説では、ゲームを仕掛けた者達も同じホテル内にいて、時折主人公達の前に堂々と姿を現し、デスゲームを挑んでくる展開だった。
現実的には、安全確保を考えれば、同じホテルの中にいるはずがない。手の届かない別の場所から高みの見物をしていそうなものだ。しかし犬飼は何となく、自分をハメた者達も、小説を模してか、あるいは別の事情で、同じ建物の中に潜んでいるのではないかと思っていた。
(とは言っても、簡単に見つかる場所に潜んでいるわけもないか)
そう思い、今度こそ目的地であるレストランに――は向かわず、別の場所へと足を運ぶ犬飼であった。
***
ヴァンダム、ケイト、肝杉遥善、靴法英道、大日二夜、桃子の六人は、マスラオホテル内の一室にて、空中に投影された幾つものディスプレイで、犬飼の動きを見守っていた。
ホテル内にはあちこちに監視カメラがとりつけられているが、ホテル内全てを監視できるわけではない。そこまで多くのカメラは準備出来なかった。
「今のは、我々を探していたようだな」
廊下を歩きながら、犬飼がこっそりと部屋の扉をチェックしていた事に、ヴァンダムは気がついていた。視線を向けなくても、扉の前で犬飼の歩調が変わっていた。
「いい勘をしているが、そう簡単に見つかるような場所にいるわけがないということは、頭が回らないのか?」
せせら笑うヴァンダムだが、口に出した言葉とは裏腹に、実に油断のならない男だという印象を受ける。
「今度はどこに行く気だ?」
部屋を全て調べたかと思ったら、レストランの入り口を前にして、素通りして廊下を歩いていく犬飼を見て、不審げな声をあげるヴンァダム。
「カメラの監視外に出てしまいましたね。流石にホテルの全ての廊下と部屋には、取り付けられなかったので……」
桃子が言った。ホテルをゲームの舞台にするための改造には、桃子とその部下である強化吸血鬼部隊の十一人が当たったが、手探りの中々辛い作業であり、期日までに完璧に仕上げたとは言いがたかった。
「素直にこちらの指示に従う気は無い――か。それにしても何か狙っているようだな。誰か最上階に向かわせろ。もちろんまだ殺しては駄目だ。どこに向かったか、何をしているかをこっそりとチェックさせるんだ」
「了解です」
ヴァンダムに命じられ、桃子が部下に連絡を取る。
「レストランにはあれがありますね。犬飼がどんな反応をするか楽しみです」
憎悪を募らせて靴法が言う。
「図太い神経の持ち主みたいだし、大した反応しないんじゃないか」
遥善が真顔で言った。靴法は一瞬眉間に皺を寄せたが、遥善の言うとおりである気もしていた。
「予定とは違いますが、顔を合わせてきます」
一方的に言うと、ヴァンダムの確認も取らずに部屋を出て行く靴法。
(随分と独りよがりな男だな……)
靴法のその行動を見て、ヴァンダムは思う。
一方、二夜は相変わらず暗い面持ちのままであり、ケイトはそんな二夜のことが気になって仕方が無く、しょっちゅう二夜に義眼を向けていた。
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