第四十二章 1

 犬飼一はその日、大日二夜だいにちふたよという名の薬仏市の市議から、薬仏市にある『マスラオホテル』という名のホテルにて、講演会をしてほしいと声をかけられた。大日市議は犬飼の熱心なファンで、以前から犬飼と幾度か交流があった人物だ。


 講演会には薬仏市民だけではなく、犬飼の読者達が何人も、わざわざ遠方から足を運んでくれた。


『学校でまともな性教育をずっと施されなかったのは何故か? それは猿から進化していない小さな脳みそをお持ちな、保護者様達のおかげです。この御方達が、すぐにピーピーとヒステリックな抗議をしくさってくれるおかげで、性教育自体が腫れ物扱いだったんですねー。しかし、その弊害はいろいろと出ています。金持ちの馬鹿親が我が子可愛さにお嬢様学校に娘をブチ込んだ結果、男に免疫が無くなってしまい、悪い男にひっかかってブチこまれまくって、気がつけばすっかりガバガバビッチの公衆便所の出来上がりなんて、前世紀から定番となっているパターン話ですよね?』


 淀みのない口調とよく通る声で喋る、適度にスラングと毒気に満ちた皮肉を交えた犬飼のスピーチは、集ったファンの笑いを度々誘った。


『おっと、俺が断筆した理由も喋ってくれと言われてますので……まず前置きになりますが……んー……』


 ここで犬飼は顔をしかめ、言いづらそうに声を詰まらせて唸る。


『人類の精神は、魔女狩りの時代からあまり成長していません。特に西欧はそうです。とにかく叩きたい対象を作りたがり、無理にでも叩く対象をあげつらい、よってたかって叩く。最近は人種や国籍を差別することができないから、動物を差別してみたり、特定の嗜好を差別することで発散したりしているのです。煙草とか昔ひどかったですね。人は差別をしたがる、差別が大好きな生き物です。それらは商売や政治にも利用されてしまいます。規制という名の差別と、規制という名のビジネスの完成です。表現規制は年月の経過と共に悪化しています。あれも駄目これも駄目と、どんどんうるさくなっていき、息苦しい世の中になっています』


 ふとここで犬飼は、自分の著書である『血恵の実』に書いたあとがきを思い出す。


『言葉は暴力にもなりますから、責任は持たないといけません。しかし表現の世界ではあえて、その暴力も空想の中で飼いならさないといけないのです。自己規制ではありません。自己判断と自己責任で、大人としての当たり前の裁量で、決定するのです。規制したがる人達は、この辺の分量が量れないどころか、思考停止して一方的に縛りたがるだけなので、我々表現者としては――』


 犬飼にとって、講演そのものは初めてというわけではないが、自分が筆を置いた理由を講演で語るのは、実はこれが初めてだ。


 筆を置いた理由は一つではない。規制はあくまで原因の一つでしかない。他にも、小説という表現技法の限界を見て、絶望してしまった事もあるが、それは語らないでおくことにした。

 執筆を辞めた理由を話すのは、正直犬飼は嫌だった。しかし自分の作品のファン達は、自分が筆を折ったことにがっかりしているだろうし、再開も望んでいるだろう。そう意識してしまうと、非常に申し訳ない気分になってくるし、せめてここは嫌がらずに、正直に述べようと決めた。


 スピーチを終えると、割れんばかりの拍手で締められたので、犬飼はほっとして壇上から降りる。


 今夜は自分を招いた大日二夜市議から、ホテルの最上階レストランでディナーを御馳走してもらう予定なので、ロビーで待機する。


「ああ、バーちゃん、オレだよオレ」


 バーチャフォンを取り、電話をかける犬飼。


『誰がバーちゃんだよ……』


 苦笑気味の声が、電話の向こうから聞こえる。


「今丁度薬仏に来てるんだけど、今夜飯でもどーよ? お偉いさんに奢ってもらう予定になってるから、一緒に奢ってもらおーぜ」

『何で薬仏に?』

「かくかくしかじかって理由」

『ファン集めて講演会開いてくれるとか、その市議さんは、お前に執筆再開促すための刺激を与えたいとか、そんな狙いもあるんじゃねーの?』

「そ、そうかもな……げふげふっ」


 思いっきり痛い所を突かれて、犬飼はわざとらしく咳き込んで誤魔化す。


「ちょっといいですか?」


 その後、バーチャフォンでネットを閲覧していた犬飼に、二十歳前後の若い女性が声をかけてくる。


(裏通りの気配……? いや、微妙に違う気もするが、いずれにしても戦闘訓練を積んでいる奴だな)


 その女性を見て、犬飼は一目で、彼女が堅気では無いことを感じていた。


「私、犬飼先生のファンの者です。先程の講演、興味深く拝聴させていただきました」

「ああ、そりゃどうも……」


 やや硬質な声で話しかけてくる自称ファンに、犬飼は気の無い返事を返した。


(ただのファンじゃないだろ。何か怪しいぞ、この女)


 不審がる一方で、その怪しさを完全に隠しきれていない所に、未熟さが垣間見えたので、逆に安心感を抱いてしまう犬飼である。本当に危険な輩なら、そうした気配も感じさせることなく、襲いかかってきそうなものだ。

 女性からは明らかに敵意に似た感情が感じられる。本当にファンかどうか疑わしい。


「先程の話でどうしても気にかかった部分がありましたところ、丁度犬飼先生がくつろいでいたので、お話がしたいなと思って、お声をかけさせていただきました」

「はあ……」


 丁寧な言葉遣いであるが、緊張と刺が同時に伝わってくる。犬飼は露骨にうるさそうな態度を取る。


「先生の話の影響を受けて犯罪に走ってしまった方がいたおかげで、先生は規制団体に叩かれる矢面に立ってしまいました。PTAの過激派や、そこから派生したといわれる火捨離威BBAは、特に犬飼先生を目の仇にしていました。先生は幾つかの作品の中で、そうした団体を悪役扱いして出して、それらを殺しまくっていましたが、まるであの小説が現実のものになったかのように、火捨離威BBAの会員が放火で焼死する事件が起こりました。この時、先生はどう感じました?」


 女性が硬質な声のまま、長広舌で質問をぶつけてくる。


(講演の後で論戦を吹っかけてくるアンチが現れるとか、随分な話だな……。マスゴミ関係っていう雰囲気でもない。つーか、それにしちゃ若すぎる。年齢的には学生っぽいし)


 ファンであろうはずがないことだけはわかった。そしてこんな失礼な質問をこの場でぶつけてくるということは、アンチ以外の何者でもないと受けとる。


「どう答えたら、そちらの理想の答えとなるのかなあ? 御冥福をお祈りしますなんて俺の口から出ても、信じられないんじゃないか? でも俺も日本人だし、死んだら仏様って気持ちかなあ。死体蹴りする気にはなれない」


 げんなりするものの、丁寧な物腰なので犬飼も付き合ってしまう。もしこれが、ヒステリックにキーキー喚いてきたのであれば、嫌味と皮肉をたっぷり浴びせて終わりだったが。


「私の理想の答えを聞きたいのではありませんけど」


 冷たく硬質な声を発する女性を見て、犬飼はにやりと笑う。


「無理して嫌な女キャラ作らなくていいぜ。どういう目論見があるのか知らんけど、バレバレだ。そういうキャラじゃないのに背伸びしているのを見るのは、可愛いけどね」

「むむっ……」


 犬飼の指摘に、その女性は唸って口ごもってしまう。


「犬飼先生の本音を聞きだすのが、私の役割です。誰からの――とは言えませんが」


 誤魔化しが通らない相手と見なして、女性は正直に告げた。


(ここでそうきたか。年齢のわりには、そこそこに機転が利くみたいだな。ある程度自分の立場もしくは目的を正直に口にした方が、相手の興味も得られるし、場合によっては信用もできる。それを弁えている)


 興味をそそるという点では、ここで諸刃とも思える言動を口にしたこの女性を、高評価してやりたい気分の犬飼であった。


「ま、最初のあの長ったらしいあの質問からして、怪しさぶんぷんだしな。疑われることなくそれとなく話を聞くなんて、できないだろうさ。で、今の答えで満足いったかな?」

「他にも質問がありますし、また不愉快なことを尋ねてしまうかもしれませんが、よろしいでしょうか?」

「いいよ。暇だし。それより立場は明かせなくても、偽名でもいいから名前だけでも教えてくれ。一応覚えておくから」


 神妙な態度で伺う女性に、犬飼は要求した。


銚子桃子ちょうしももこと言います。大場加田大学の学生です。本名です」


 名乗って一礼する桃子。


「この前の、ヴァンダム夫妻とマスコミ騒動の際、犬飼さんの作品を誹謗中傷していた、肝杉柳膳さんがお亡くなりになられましたが、その際も、ざまあみろという気分にはなられなかったと?」

「開き直った瞬間、随分とストレートになったじゃないか。それに対する答えは複雑だな。一言で済ますなら『ゴミが片付いてよかった』だよ。『ざまあ』とは、ちょっと違うな。あいつが生きていても、不快になる人間が増えるだけだし、世の中には、死んだ方がいい奴ってのは確実にいる。あいつもそうした一人だ。あ、このやりとりを録音して、ネットに上げる気なら、別にそれも構わないぞ」


 名も顔も明かしてきた相手なので、自分の答えを無断で公開するとは、犬飼も思っていない。何より同じように感じている人間は多いだろうし、この言動をあげられて炎上したところで、断筆中の犬飼が失うものなど何一つ無い。


「では最後にもう一つ――これまた故人の話になってしまいますが、ケイト・ヴァンダムさんと面識があったとお伺いしました。彼女とはどういう交流があったのでしょうか? また、彼女のことはどう思われますか? 犬飼さんの小説の価値観からすると、ケイトさんは忌まわしい偽善者になる気がするのですが」

「誰から聞いたのかな?」


 三つ目の質問で、犬飼は笑ってしまった。


(露骨だよな。ここまでくれば流石にわかる。この質問が何を意味するのか)


 質問にあがった者達全て、犬飼が屠った者達だ。間接的に死なせた者もいるが。


(この女の背後にいるのは、その真相を突き止めた者――そして俺を敵視する者か。そのうえ、俺がそれに気付くのもお構いなし。いや、わかるように言ってる。これで脅しをかけているつもりかねえ?)


 ケイト・ヴァンダムの名が時点で、そして先の肝杉柳膳の名と結びついて、誰が背後にいるのか、犬飼は何となく推測できた。


(コルネリス・ヴァンダムかな? ケイトが俺と義久と繋がっていたのをヴァンダムが知るのは容易だろうし、ケイトの腐った正体を明かしたのが、俺か義久のどちらではないかと疑うのも、さほど不思議でもない。ヴァンダムからすれば、あの義久を疑うよりかは、まずは俺の方を疑い、こうしてカマをかけにきていると見るのが自然か)


 もし自分がクロだという確証を得られたら、何をされるかわからない。いや、すでにもう危険な状態であるのかもしれない。


(ケイトはコルネリスに殺されたのではなく、自殺という可能性もあるな。だとすれば、あの情報をヴァンダム夫妻に送った者を恨み、探るという行動に及ぶことも、合点がいく。で、復讐ってわけか……)


 桃子が言葉に詰まって思案している間に、犬飼は高速で頭を巡らす。


「すみません。言えません。こちらは失礼な質問ばかりぶつけているのに、すみません」


 申し訳なさそうに頭を下げる桃子。


「そういう仕事なんだろう? 気を悪くはしてないさ」


 相手に誠実さが見えるので、犬飼は鷹揚に笑っていた。


「で、俺の答えだけど、ケイトさんは忌まわしい偽善者なんかじゃないぞ。立派な人だ。どうして交流があったかは教えられない」


 最後の質問に対し、犬飼は嘘をついた。


「以上で終わりです。いろいろと見抜かれたうえで、それでもあえて付き合っていただき、ありがとうございました。そして……すみませんでした」

「いいってことよ~」


 最後に深々とお辞儀をする桃子に、犬飼は笑顔で手をひらひらと振ってみせた。

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