第四十一章 33

 優の腹に開いた穴は、痕を残さず綺麗に塞がっていた。目も元通りだ。

 優だけではない。誓、護、冴子、元太の傷が一瞬にして治っていた。すでに死亡している武蔵と凡太郎は死体のままだ。


 死者を蘇らせることはできない。しかし例え心肺停止していても、さらには脳死に至っていても、霊が冥界に行く事無く、肉体に留まって死を認識していない限り、それは死ではない。優と誓は致命傷を負っていたが、そういう意味ではまだ死んではいなかった。


(みどりちゃん……)


 すぐ側にみどりの精神分裂体がいるのを意識しつつ、優が立ち上がる。


(ずっと私が死なないよう、私の霊魂を留めていてくれたんですねえ)


 そうでなければ、自分が生きていることに説明がつかない。医学的には、肉体はとっくに死んでいた。そして心臓と脳の働きも停止していた。


(ふえぇぇ~……容易じゃなかったし、優姉一人が精一杯だったし。でも竜二郎兄が間に合ってよかったよォ~……。それに優姉も、本当頑張って踏ん張ったし、もうほとんど奇跡レベルだよォ……って、もうもたないわ)


 疲れきった声で言った後、みどりの精神分裂体が消えた。


「ふう……間一髪でしたねー。優さんが死んでるかと思ってびっくりしましたが……」


 悪魔様におねがいで、負傷者全員を一斉に治すという荒業が出来たことに、竜二郎自身も驚いていたし、肝を冷やしていた。みどりは竜二郎にも呼びかけ、視聴覚室に行くよう誘導していたのだ。


「正に魂が飛びかけていて、丁度神様にお願いしていた所でしたよう。助けてくれたのは悪魔様でしたかあ。私達が戦っていたのも悪魔ですけど」


 言いつつ優は、デビルに視線を向ける。傷は治ったが、体の外に流れた血液は戻っていないので、ふらふらしている。出血が致死量を超えていたら、助かってはいなかったであろう。


 優の能力が何であるか、デビルは知っている。凡太郎が、優が教師の死体を消す場面を目撃し、その能力の内容を喋っていたのも聞いていた。そしてデビルは凡太郎の口から、優の情報を聞いていたのである。

 この位置からでは優まで遠い。視線の直撃を食らわないように逃げ回るにも、限界がある。デビルはこれ以上この場に留まれないと、己の敗北を認め、逃走することにした。


(逃がしません)


 自分に背を向けるデビルに、優は視線による消滅の力を発動させる。


 デビルは背を向けた瞬間、腹部から小さな黒い球体を窓の外に向かって、高速で撃ち出していた。もちろん優には見えないように、角度に気をつけて放った。囮を作る際に用いる、自身を増殖分裂させる能力だ。そして小さい球体の方へと己の霊魂を宿す。

 分身の精製は、元々デビルと相性の悪い能力であるうえに、この使い方は極めて大きな負担となる。小さい球体から元の体に戻すには、かなりの時間を要するだろうと見る。最悪、失敗して元に戻らず、そのまま衰弱して死ぬこともありうる。


 この少女とは二度と事を構えないようにしようと、デビルは心に決める。見た相手を消す能力など、あまりにも強すぎる。不意打ちでもしないと勝てないであろうし、今回は不意打ちで一度殺したと思いきや、それでもなお復活してきた。これ以上手を出すのはリスクが高い。


 優の視線によって、デビルの体が消えた。それがデビル本体ではなく身替りであると、優は気付いていなかった。


「終わった……?」


 誓が呟く。何で自分が助かったのか、死傷者と思われた者達が蘇ったのか、その理由は全くわからなかった。


「黒幕さん……いえ、首謀者さんで生き残っているのは、この人だけですかねえ」


 優が九郎を見る。デビルの洗脳は解けている。


「殺せよ……。もう俺達の楽園は終わりだ」


 投げやりに吐き捨てる九郎。その視線の先には、真っ二つにされて、苦悶と怨恨に満ちた歪んだ死に顔を晒す、武蔵の屍があった。


「優……よかったあ……助かったのね」

 意識を取り戻した冴子が涙ぐみ、優に抱きつく。


「僕が助けたんですよー」


 アピールする竜二郎に目もくれず、冴子は優をぎゅうぎゅう抱き絞め続ける。明らかに絞めているし、優としては苦しかったが、今は抵抗する力も無い。


「誓……」

 護が涙ぐみながら誓に近づく。


「助かったけど、ちょっとダルいかな……」


 立ち上がってふらふらとよろける誓。血を失った分と、傷の強制的な治療に体力を消耗したせいで、誓のコンディションはよくない。


「あっちを見習ってもいいのよ。こういう時だし」


 誓が冴子と優を一瞥し、照れくさそうに笑って言うと、護は感極まって誓を抱きしめた。

 生きていることの悦びと安堵。人目も憚らず護と抱きあう至福の感触。ケリをつけた達成感。多くの感覚が誓の中で満ち溢れ、これ以上無いというくらいの絶頂を味わう。


「今の黒い子――デビルがいなければ、もう学校を狂わすことはできませんよねえ?」


 優が冴子に抱かれたまま、九郎に確認する。


「武蔵も御覧の有様だしね。武蔵だけの力では、学校に張られた暗示結界を維持できなかったし、あれだけの力を発揮するのも無理だった。教師の直接洗脳もね、デビルの力添えがあったからこそだ」


 気の抜けた顔で答える九郎。


「あんたの役割は?」

 冴子が問う。


「いじめっ子といじめられっ子を見抜く能力。いじめっ子をかばった者もわかる。俺がABCの生徒を選別していた。運命操作術で、転校生を次々と呼んでいたのも俺だよ」


 正直に話しながら九郎は、悪役が真相をペラペラと喋りたくなる心理を理解できた。溜め込んでいたものを全てぶちまけたいという気持ちであれば、誰かに知ってほしいという気持ちでもある。そして相棒である武蔵を失って孤独になった今、余計にその気持ちは強くなる。


「学校が元に戻るのなら、もう放置しておいてよさそうね」

 と、冴子。


「確かに罪と罰の問題は私達の知る所じゃないけど、護君と駒虫的にはどうなのよ?」


 誓が問うと、護が誓から離れ、真顔で九郎を睨む。


「俺は許したくない」

「俺は許せない」


 護と元太がそれぞれ言う。


「町子先生はとてもいい先生でした。死んでほしくはない人でした。ましてや個人の都合で殺されるなんて、あってはならないことでした」


 優がいつもの間延びした喋り方でもないことに、本気で怒っていると冴子は感じる。


「だからさ、さっさと殺せばいいじゃないか……。それで気が済むんだろ? 俺だって……親友をたった今目の前で失ったし、もう何も思い残すことなんかない」


 虚無的な面持ちで九郎は言った。


「でも俺は人殺しになりたくない。もう抵抗する気を失くしてるのに、どうこうするのは抵抗ある」


 護が言うと、九郎は嘲笑を浮かべる。


「とーちゃくーって、もう終わってたのかー。残念」

「へーい、皆お疲れさままま~」

「俺は暴れていた連中を取り押さえていただけで、他に大した仕事が無かったぞ」


 純子とみどりとオンドレイが現れる。


「僕はヒーラーとして一回全体回復しただけでしたー」

 竜二郎が肩をすくめる。


「おかげで助かりましたし、勝つ事もできましたよ」

 優が竜二郎の方を向いて微笑む。


「生徒達皆の前で、真相を喋ってもらおうよ。加えて、どうしてこんなことしたのかも、全部話してもらおう。やらないってんなら、死なないように拷問し続ける」


 九郎を見て、誓が言った。


「その程度でいいのか?」

 九郎がせせら笑う。


「その程度? 君はまだわかっていないようね。自分達がどれだけのことをしたか。どれだけの多くの生徒を苦しめ、悲しい想いをさせたか」


 誓の声が、冷ややかな怒りの響きを帯びる。


「俺が何より許せないのは、君等だって辛い目を見たのに、今度は自分がやる側になって、大勢の人間を苦しめたことだよ」


 護も九郎を非難する。


「自分をいじめたいじめっ子にのみ復讐するだけなら、別に構わないけど、その後君達のしたことは、復讐ですらない。力に酔いしれて、ずっと悪逆非道な行為を続けた。俺には理解できないけど、君等はそれが楽しかったんだろう? でも皆は辛かった。Aでさえ辛いと感じる人間はいっぱいいた。君等は、いじめられていた側がいじめる側に回っただけだよ」


 護の指摘を、九郎はうなだれたまま黙って聞いていた。


 九郎も武蔵も、実の所理解していた。目を背け、楽園の支配者気分に酔う方に夢中になっていただけだ。いじめっ子達を逆にいじめて、その報復のカタルシスに酔っていただけだ。わかっているし、認めているからこそ、反論する気も起きない。

 それに反発する者がAの中にいることもわかっていたが、一生懸命目を背けていた。Aの自殺者が出た時は、目を背けることも出来なかったが、本当は二人して罪悪感に苛まれていた。


「わかったよ……。俺達は敗北者だ。最後のけじめはつける」


 観念した様子で、九郎は静かに宣言した。


***


 いじめ文化祭は中止され、教師と生徒と用務員達は全員体育館へと集められた。

 生徒達は整列することもなく、適当な場所に仲のいい者同士で固まっている。


 洗脳の解けた教師達は蒼白な顔になっていた。彼等は自分達が今までやってきたことを覚えている。罪悪感に耐えられず、職員室で自殺した女教師もいた。


 やがて壇上に一人の生徒がマイクを持って上がった。先負九郎だ。


『ヴァン学園をABCのランク付けにして、転校生を呼び続け、学校から逃げられない暗示をかけ、教師達を操っていたのは俺です。俺が黒幕です』


 九郎の告白に、体育館内がどよめく。


『本当です。校長も私も、洗脳されていた際、彼から指示を受けていました』


 壇の下で教頭がマイクで証明する。


『今日をもって、ヴァン学園の階級制度は終了です。正義の味方気取りの奴等が現れたせいです。さっきそいつらにボコられてしまい、俺達は学校を支配する力を失いました。Aの生徒の皆さん、ごめんなさい』


 そう言って九郎は深々と頭を下げる。生徒達はどよめいたままだ。


『BとCの生徒達には悪いことをしたとは、少しも思っていません。殺した生徒、不遇にした生徒、トラウマを植えつけてやった生徒、皆、心の底からざまーみろと思っています』


 涼やかな笑みを浮かべて告げた九郎の言葉に、BとCの生徒達が険悪な面持ちになる。


『学校に押しかけてきたCの親を吊るして殺してやった時も、心底胸がスッとしていました。人をいじめるようなクズを作るクズ親を殺した所で、良心は全く痛みませんでした。これまたざまーみろです』


 親を殺された生徒の何人かが怒りの形相になって、壇上の九郎を睨みつける。逆に目をそらし、うつむいて泣き出す生徒もいた。


『正義の味方さん達は卑怯なことに、俺達から力を奪っておいて、自分の手を汚したくないとまで言ってきました。俺達がやったと正直に言えとか、こんなことをした理由を皆の前で説明しろとか、そんな世迷言をぬかしてきたので、今こうして話しています。あ、理由なんて言う必要ないですよね? 社会のゴミ掃除をしただけです。正義の味方さん達は、ゴミ掃除するのが気に入らなかったようです』


 憎まれ口を叩き続ける九郎であったが、その九郎を止めた者達は誰一人として、九郎の台詞に腹を立てなかった。

 誓も、護も、優も、冴子も、元太でさえも、わかっていた。九郎は最後まで自分の正義を貫くつもりでいるし、悪を貫くつもりでもいる。正義と悪を同時に行い続けた者として、ブレることがない。

 それは自分達のしてきた事を否定したくはないという気持ちもあり、死んだ武蔵への意識もあるのだろう。彼と戦って勝利した立場からすれば、例え生徒達をさらに傷つける事になっても、それくらいは言わせてやってもいいという気持ちになっている。


『一方で、俺達が想定していなかった悲劇も幾つか、ありました。それに関しては心を痛めていますし、申し訳なかったと思っています』


 九郎はこの謝罪をする際に、確かに護に視線を向けていた。護の胸が疼く。許せないという気持ちは未だあるが、彼が本気で謝っていると感じ、許したいという気持ちも沸いてきてしまった。


『最期に言います。俺達は自分のしたことに後悔はしていない。俺達は最高に楽しかった。俺達が作ったものは最高だった』


 そう言って九郎は笑顔のまま銃を抜く。武蔵が持っていた銃だ。


 九郎にとっての理想の楽園ユートピアが潰え、ただ一人心を開ける親友が死んだ今、生への執着も喪失していた。それどころか、生きていることそのものが煩わしく、忌々しかった。


 銃をこめかみに突きつけて目を閉じると、微笑みをたたえたまま、九郎は躊躇うことなく引き金を引いた。

 糸の切れた操り人形のように倒れる――そんな表現がぴったりだと、九郎が倒れる様を見て、誓を思う。


「これで本当によかったのかな……」

 冴子が呟く。


「いいことなんてない。でも、これでようやく皆解放された。心に傷は残したけどね」

 誓がニヒルな口調で言った。


(嘘だけどね……。私はいいことあった。護君との思い出作れて……不謹慎だけど、正直凄く楽しかった)


 表面上はニヒルであったが、心の中ではにやけつつ、誓は護の手をそっと取る。すると護が力強く握り返してきたので、誓はもうそれだけで至福の想いだった。


「何か……今やっと終わったと実感しましたあ。あれ……? 気が抜けたら……」


 ぽろぽろと涙をこぼす優。ほんわかしているようで、聡明かつ気丈で牽引力もある彼女が突然泣き出した事に、誓と護は少し驚いた。


「気が抜けたら、一気に悲しい気持ちがぶわーって噴き出しました……。町子先生に戻ってきてほしいです……。町子先生が死ぬなんて……あんまりです。町子先生は死んではいけない人だったんです。生徒想いで……凄く優しくて……生き返って欲しいです。時間を戻して助けに行きたいです……」


 冴子に抱きつき、泣きじゃくりながら、優は今の偽らざる気持ちを口にする。


「俺も……盛高のことをずっと思っていたよ。丸米もだ。誰も彼も皆、死ぬことなんてなかったのに……」


 誓の手を強く握り締め、護は震えていた。


 優と護の言葉を聞いて、誓はいい気になっていた自分を恥じる。誓も護も、優と同じ気持ちになり、町子を含め、多くの死者達を悼んだ。


 体育館を見渡すと、優と同じく、すすり泣いている者達が多くいた。学校を支配していた悪夢の終わりを実感して、思い思いの感傷に浸っている様を見ることで、誓は改めて、終わったのだと実感できた。

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