第四十一章 32

 デビルの背後から、鎧の騎士が急襲する。


 誓も同時に動く。二体ずつしか動かせない人形とぬいぐるみを順番に動かしていき、デビルを至近距離から攻撃できるように、取り囲んである。そして前と横にいた人形を、デビルに飛来させる。


 デビルは跳躍し、また天井にへばりついたかと思うと、天井に溶けこむように消失した。

 デビルは自分の体を平面化することができる。平面化し、影の中に潜むことができる。


「消えた? 逃げた?」

 護が周囲を見回す。


「ここで逃げるはずがないっ、油断しないでっ」


 誓が鋭い声を発し、人形のうちの一体を護の側へと移動させる。いざという時、護を護れるように。


「あいつは絶対ここで決着をつける気よっ。私達を皆殺しにしてねっ」


 部屋を見渡し、誓は確信を込めて言い切る。優、武蔵、凡太郎の亡骸を見て、自分達ももうすぐあの仲間入りかと意識すると、恐怖に足が震える。


(冴子さんと駒虫が生きているかわからないけど、すでに戦闘不能だし、私達二人で何とかするしかない……)


 周囲を必死で見回し、デビルの襲撃を待ち構える誓であったが、一向にデビルが出てくる気配は無い。


 しかし、異変は唐突に訪れた。


「え?」


 騎士の鎧が突然内部から弾け飛び、甲冑が部屋中のあちこちにばらばらに飛び散り、転がったのを見て、護は呆然とする。

 次の瞬間、護は何が起こったのかを理解した。転がった甲冑の手甲の中から、黒いコールタールのようなものがあふれ出して膨らんだのだ。そしてそれは瞬時に人型になる。


(いつの間にか鎧の中に移動していたなんて。全然気付かなかった……)


 すぐ目の前に現れたデビルを見て、護は固まっていた。

 内部から衝撃波を食らった鎧は、どこもかしこも歪み、あちこち破損していた。これでは瞬時に自分に転移して身にまとうという、護の切り札を実行するのも不可能だ。修復には時間を要するし、体力も消費する。すでに一度修復は行っているため、護はかなり体力が低下している。


 デビルが護に致命の一撃を与えんとした時、護の足元からハシビロコウの人形が飛び出し、嘴でデビルの手を突き刺す。


(喉を狙ったのに、手で防がれた……)


 歯噛みする誓。ハシビロコウの人形はデビルに握りつぶされ、消滅する。


 最早、護とデビルの間を遮る者はなく、護の命は風前の灯と思われたが――


「ヤンバルスクリュー!」


 意識を取り戻した元太が、かけ声と共に全身を回転して飛来し、デビルに襲いかかった。

 デビルはこの奇襲を受けてしまい、黒い血を撒き散らして、大きくのけぞって倒れる。


「くそ……浅いか……」


 荒い息をつきながら、元太が護の前で膝をつく。爆発のダメージはヤンバルスーツである程度防げたが、それでも深刻なダメージを負っている。今の攻撃も、かなり無理して放ったものだ。


「助かったよ……駒虫」

「赤口……そういや俺だけ忘れてた。まだ言ってなかった……」


 礼を述べる護の方に振り返り、元太は床にへたりこんで、荒い息をつきながら苦しげな面持ちで、無理して笑う。


「今までお前にひどいことして……ごめん」


 今はそれどころじゃないだろうと思いつつも、護は胸がじんわりと暖かくなるような感触を覚えて、自然と口元が綻んでいた。


 そんなやりとりなど全く見ていなかった誓が、倒れたデビルめがけて次々と人形を飛ばしていく。

 悪趣味なデザインの人形やぬいぐるみ達が、手にした得物を、体に備えた爪を、牙を、嘴を、デビルの身に突き立てんとする。


 デビルは立ち上がると、高速で腕を払い、人形を迎撃していくが、全方向から続け様に襲ってくる人形全てを防ぐのは無理があったようで、人形の攻撃を度々食らい、黒い血をさらに撒き散らしていく。


「死ねえっ!」


 誓が吠える。最早戦えるのは自分だけだ。この攻撃が途切れれば――デビルの周囲に展開した人形達を全て費やしても押し切れなかったら、それでもうおしまいだと意識する。

 気合いを入れて高速で両手を動かす誓。その誓の手の動きに合わせて、人形やぬいぐるみ達が二体ずつデビルに向かっていく。


 平面化して逃げたとしても、今度は床を片っ端から人形で攻撃しようと、誓は考えていた。平面化してからの移動速度はわからないが、デビルが素手で人形を迎撃し続けているのを見た限り、平面化の逃亡は万能な防御というわけでもなく、リスクかコストも伴うものであると、誓は見なす。


(いけるか?)


 護が拳に力を入れる。デビルの動きが目に見えて鈍くなっていき、人形とぬいぐるみの攻撃を体に受ける頻度が上がっている。黒い血が飛び散り、カーペットを点々と黒く染めていく。

 誓のラッシュは、唐突に途切れた。まだ人形とぬいぐるみがかなりの数、残っていたにも関わらず、途切れた。


「誓……」


 護が誓を見て声を震わせる。手足も震えている。あってはならない光景がそこにはあった。


 狂気の面となった九郎が、背後から誓の背にナイフを刺していた。

 腹の中から大量の血が食道を逆流し、喉を通って口の中まで出てくるという体験を、誓は妙にスローに味わっていた。


(内臓までやられてるってこと……? これって……私、もうおしまい? 死ぬ?)


 誓には何が起こったのか、わからなかった。どんな攻撃を受けたかもわからなかった。

 九郎がいつの間にか復活し、デビルに加勢するかの如く自分を刺してきたと知ったのは、倒れた後だった。


 デビルは九郎を蹴り飛ばす直前、九郎の頭に触れていた。その時、デビルは九郎を洗脳していたのである。


「うわあああぁあっぁ!」


 護が絶叫し、変形もしくは破損したままの状態の甲冑を、しっちゃかめっちゃかに飛ばして、九郎とデビルを攻撃する。


 九郎の頭に甲冑の一つが直撃した。九郎はそれで再び失神して倒れる。しかしデビルはかわすか、振り払って身を守りぬいている。


『私が大人になって、家族を持って……親の立場になったら、あんな風にだけは絶対にならない』


 仰向けに倒れた誓は、ふと、デート前の夜の誓いを思い出す。


(誓いは果たせないみたいね。だって……大人になる前に死んじゃうんだから……)


 天井を見上げ、とめどなく血を吐き出しながら、誓は涙する。背中からもどんどん血が流れ出していき、もう自分は助からないと実感する。


『この幸せな時間を護りたい。俺が護る』


 護はふと、デートの日の決意を思い出す。


(護ることはできなかった……。でも……俺もすぐ誓の後を追うよ)


 誓の周囲のカーベットが、誓の体から流れる大量の血で赤く染まっているのを見て、護は絶望していた。


***


 優は側に誰かいるのを感じていた。


(優姉……聞こえる? いや、聞こえてるよね)


 闇の底に落ちて、消えたと思われた意識が、聞き覚えのある声によって引き戻される。蘇らされる。

 痛みはない。しかし感覚も無い。死の絶大な苦痛を和らげるため、相当量の脳内麻薬が分泌されているためだ。まだ死んではいなかったが、自分はもう助からないと優は認識する。


(へーい、それを認めちゃ駄目だぜィ。まだ優姉は死んでいない。死を認めるな。命にすがりついて必死に生きろ。どんなに消えかけても、そのまま堪えて、みどりと純姉が辿りつくまで待ってて。純姉がきっと何とかしてくれるからっ)


 みどりの力強い鼓舞に、優は小さく微笑む。しかし灯った意識の火は、あまりにも頼りなく、今も急速に薄れかけている。


 優の視界が突然開けた。目を切り裂かれたはずなのに、見えている。

 霊魂の九割近くが体外に出て、冥界に向かおうとしている寸前だった。霊体の目から、物質界を覗いている。


 デビルが立っている。頭を潰された凡太郎と、胴体を真っ二つにされた武蔵の無惨な死体が転がっている。元太は膝をついて動けない状態だ。冴子も倒れたまま動かない。誓も倒れて、口から大量に血を吐いて死にかけている。どう見ても絶体絶命の状況だ。


 優の体は動かない。動かせない。まだ生きているのが奇跡だ。すでにもう夥しい量の血が、体の外に流れでたはずだ。


(真君に言われてましたねえ……。死の覚悟なんて必要無い。生きようと必死に足掻く気持ちだけが大事だって。でも……こうなってみると、日頃から死の覚悟を決めていた方が、楽だったかもですう。覚悟があれば、怖さも薄まったかも……)


 死そのものに引きずり込まれていくような感触に、底無しの恐怖を覚えつつ、そんなことを考える。


(生きたい……。思い残すこともいっぱいありますし……。神様……都合のいい時だけお祈りしてごめんなさあい……。それでも神様……気まぐれでもいいから……助け……て……奇跡を……)


 この世から消えていく感覚を味わいつつ、優が神頼みを行ったその時であった。


「悪魔様にお・ね・が・い」


 聞き覚えのある声がしたかと思うと、優の意識が一気に覚醒した。

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