第四十一章 31

 デビルは学習していた。例え不意打ちをしようとしても、誰もが気を抜いているわけではなく、常に不意打ちを警戒している者もいると。自分を意識している者がいると。それはかつての戦いで、上美という少女によって教わったに等しい。

 デビルにとっても代償は有る。この囮分身は自分と相性の悪い能力なので、できれば使いたくなかった。体力がかなり低下する。


 冴子の一撃を回避しきれず、デビルはその蹴撃を右腕で受ける。

 右腕に受けた重みは、人の攻撃とは思えなかった。骨が激しく軋む。腕の骨にひびくらいは入ったかもしれない。


 デビルが拳を大振りに振るう。冴子は身を引いて避ける。

 デビルの膂力と速度も常人のそれを越えているが、冴子も明らかに人間のそれを上回っている。互いに攻撃が一発でも入れば、致命傷になりかねない。


 隙だらけのデビルの足に、冴子がローキックを見舞う。デビルはまたしても避けきれなかったが、今度の攻撃の入りは浅い。


 冴子は優をやられて頭に血が上っていたが、同時に冷静でもあった。深追いするようなこともせず、細かく攻めていく。


 突然、デビルが大きく跳躍する。

 冴子が見上げると、逆さまのデビルが天井を走って移動し、冴子の背後に回って飛び降りる。

 冴子はすぐに反応して振り返ったが、デビルは着地する前に衝撃波を下方に向けて放っていた。


 衝撃波の余波を浴びてひるむ冴子に、デビルが手を伸ばし、額にそっと触れる。

 洗脳してこちらの味方にして、同士討ちをさせようと試みたデビルであったが、上手くいかない。実は全員純子の所で、抵抗力を高める護符を貰って、所持していた。


 デビルが飛びのく。護が鎧の騎士を出し、剣で斬りかかったのだ。

 再び天井に逆さまに張り付くデビル。重力を逆転させたかのように、天井に膝をついてしゃがみ、様子を伺う。


「デビル、これは君の仕業なのか?」


 武蔵がディスプレイを指し、天井のデビルに声をかける。


「猿」


 突然発せられた、聞いたことのない声。しかし散々聞いたことのある、武蔵にとって忌まわしい単語を出され、武蔵の全身が硬直した。


「モンキー、チンパンジー、エテ公、秀吉、猿、猿、猿」


 それらの単語を口にしているのがデビルであると、視聴覚室内にいる者達が理解するのに、わずかであるが時間を要した。


「喋れたのか……」


 九郎が呻く。武蔵も九郎も凡太郎も、デビルが声を発しているのを初めて聞いた。


「やめろ……いや……お前か? お前が……俺がいじめられている光景を、ここの生徒達に夢の中で見せていたのか!?」


 武蔵が怒り狂い、懐から銃を取り出し、デビルに向かって撃った。


 デビルはよけたが、デビルの横には九郎が迫っていた。重力を操り、デビルと同様に逆さまになって、デビルに向けて膝蹴りを繰り出した。

 ただの蹴りではなく、重力コントロールによる加速が加わっている。デビルは両腕で膝蹴りを受けたものの、そのまま壁まで吹っ飛んで、今度は壁に着地する。


「猿。猿。猿。猿。猿。オ猿サン。アイアイ。ウッキー、ウッキー、ウッキー」


 デビルが何度も同じ言葉を連呼する。どことなくイントネーションが歪だ。


「ふざけやがって! 殺してやるうっ!」


 武蔵が怒鳴り、デビルに突っ込んでいく。九郎もナイフを抜いて、武蔵の後を追う。


 その武蔵と九郎の足元から、デビルが飛び出てきた。

 九郎の頭を手で掴むデビル。九郎の動きが止まる。


 直後、九郎の体がデビルに蹴り飛ばされ、視聴覚室の窓側の壁まで吹っ飛び、窓に背中から激突し、床に落ちて仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。


「なっ……!?」


 驚愕して、二人のデビルを見比べる武蔵。壁に張り付いていたデビルは、黒い塊となって崩れたかと思うと、一切の残りカスを残さず消失した。

 間近にいるデビルが、高速で腕を薙ぐ。

 体を硬質化して身を護ろうとする武蔵であったが、能力が発動しなかった。


(ど、どうしてだ!?)


 腹部を横に切り裂かれ、上半身と下半身に分かたれて血と臓腑を撒き散らしながら、武蔵は愕然とする。


 武蔵は自分と同質の能力を持ちながら、デビルが自分にずっと暗示をかけ続けていたことに、気付かなかった。

 その暗示とは、いざという時、武蔵や九郎のデビルへの攻撃が止まるうえに、デビルが彼等に致命傷を受ける攻撃をしようとしても、身を護れないという、極めて強力な催眠暗示。それを長い期間にわたって、デビルは武蔵と九郎の側にいながら、こっそりと二人に施していた。


 彼等はデビルにとっての玩具だ。自分と敵対することも最初から見越していたし、これも予定のうちであったため、あらゆる対処を行ってある。彼等の側にい続けたのは、彼等の監視と、長い期間をかけて強力な暗示をかけ続けるためだ。


「畜生……お前、お前は……一体何なんだよ……。僕に……こんな惨めな想いを……味あわせるために、今まで協力して……いたの……か?」


 血を吐きながら、掠れ声で問いかける武蔵に、デビルは無言で頷く。

 その際、デビルは口を開き、異様なまでに真っ赤な舌と、白い歯を見せて、確かに笑っていた。


 味方だと思い込んでいた者に、想像しうる最悪の形で裏切られた事に、怒り、悔しみ、嘆く様を見たかった。これはデビルの予定通りの結末だ。武蔵の死は、デビルの台本通りに行われた。


(俺は……こいつにいいように弄ばれていただけだったんだ。ユートピアの支配者になって、いい気になってたのも、全部こいつの筋書き……)


 今際の際で、武蔵もそれを理解していた。絶頂から奈落へと突き落とすため。デビルはただそれだけのことをしたいがために、今まで自分に協力していたのだと。


 デビルの予定通り、たっぷりと恥辱と屈辱を味わいつつ、武蔵は息を引き取った。


 武蔵が事切れたのを見て、デビルが振り返ると、冴子と元太と護の騎士が同時に迫っていた。

 直前まで引きつけた所で、衝撃波を放つデビル。至近距離からまともに衝撃波を食らって、鎧の騎士と冴子が吹き飛ぶ。


「ヤンバルスクリュー!」


 少し遅れて、冴子や騎士とは別の方角から接近した元太は、デビルの衝撃波を食らうことなく、回転しながらデビルに襲いかかる。


 デビルは大きく身をかがめてかわす。元太が回転しながら空中を通り過ぎていく。

 着地した元太が、再び攻撃しようとしたその時、元太の足元が爆発した。


 デビルが目を細める。この部屋で最後の戦いが行われると踏んで、いろいろと予め仕掛けを施していた。今日、武蔵と九郎が視聴覚室を居場所に選んだのも、デビルの催眠暗示による仕業だ。


 元太が白目を剥いて倒れる。爆弾の威力も範囲も大したものではなかったが、流石に直撃したらただではすまない。


 誓が人形を展開する。もう戦えるのは護と誓だけになってしまった。冴子も衝撃波を食らって失神している。

 デビルが誓と護の方に振り返ると、目の前に凡太郎がいた。


「俺のおかしくなった頭も……まともになった。お前が洗脳を解いたせいか? このタイミングで……」


 凡太郎がデビルを間近から見て、静かに問いかける。

 誓はその間に人形を動かし、デビルを包囲するように展開する。

 護も今がチャンスと見て、鎧の修復を行う。


「お前のせいだ。全部……俺があんな風におかしくなって町子先生を殺したのも。そのうえこいつらを裏切って、一体何を考えてるんだよ……。どうしてこんなことをするんだ?」


 凡太郎の問いかけに、デビルは攻撃でもって答えた。


 飛びかかってくるデビルに、凡太郎も拳を放つ。

 しかし凡太郎は、破壊力だけはあるが、それ以外はすっからかんである。戦闘訓練を受けたわけでもなく、敏捷性も無い。デビルの拳の一撃をかわすこともできなかったし、自分の拳がデビルに届くこともなかった。


 デビルの拳が凡太郎の腹部を貫く。腹に大穴を開けられ、凡太郎が口から大量の血を吐き出す。

 仰向けに倒れ、血を吐き続ける凡太郎。腹の穴からも凄い勢いで血が流れていくのを感じ取り、凡太郎は自分が間違いなく死ぬ事を悟っていた。


(これでいい……閻魔様、俺を地獄に落とす前に、一度だけでいいから、町子先生に会わせてほしいな。一言、謝りたい……)


 薄れゆく意識の中、そんなことを考えていると、凡太郎は驚愕に目を見開いた。


 凡太郎の目の前に、確かに彼女は存在していた。町子が凡太郎を見下ろして微笑んでいたのだ。

 それは今際の際の幻なのか、それとも町子の霊が迎えに来たのか、当人達以外にはわからない。


「ああ……町子先生……」


 慈愛に満ちた笑みを浮かべ、自分に向かって両手を広げている町子の姿が見え、凡太郎も泣きながら笑みをこぼす。


「俺が町子先生を殺したってのに……こんな俺を迎えに……。ごめんなさい……俺を許……」


 凡太郎の詫びの言葉は、途中で強制中断させられた。

 デビルが凡太郎の頭部を踏み砕いていた。頭蓋骨も脳も粉々に粉砕され、飛び出た目玉と割れた頭蓋骨と血と脳漿が、床にぶちまけられる。


「アア、町子先生。アア、町子先生。俺ガ町子先生ヲ殺シタッテノニ、アア、アア、アア、町子先生。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。コンナ俺ヲ迎エニ。俺ガ町子先生ヲ殺シタッテノニ、俺を許? 俺を許? 俺を許? アア、町子先生。アア、町子先生」


 オウム返しをしつこく繰り返しながら、デビルが残る二人――護と誓を見やる。


「楽しいのかよ? それ」


 冷めた眼差しでデビルを見据え、冷たい怒りを帯びた声を発する護。


(ああ……クールに怒り爆発な護も、何か凄く可愛い……)


 またもうっとりしながら、思いっきり場違いなことを思っている誓であった。


(って、優も殺されて、冴子さんもあの有様で、私達の命も危ないのに、何考えてるのよ……)


 場違いな自分に呆れと怒りを覚え、誓はデビルに集中する。


「お前みたいなひどい奴、今まで見たことないよ! お前が一番の悪だっ!」


 護の怒号を浴び、デビルは心地良さそうに目を細めていた。

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