第四十章 20

 身長は2メートルを越し、体重は140キロを越える。肩幅も広く胸板も異常に厚く、下半身もがっちりとした、まさに巨漢。顔立ちは厳しい髭面の、スラブ系の白人。


 アメリカに行くと、このような屈強な強面は逆に危険に晒される事もある。容易に銃が手に入るため、肉体にコンプレックスを持つひねくれたチンピラは、逞しい男や強面を積極的に襲い、銃で撃つ傾向にある。

 実際、オンドレイが渡米した際は何度か襲われた。銃だけでなくナイフなども持ち出された。

 しかし素人の扱う銃など、彼にとっては幼児の持つ玩具の銃と大差無い。それどころか超常の力を有する者でさえ、ものともしない。いつしか超常殺しという呼び名がつき、どうやっても殺せない不死身の男として、世界中の裏社会でオンドレイ・マサリクの名が知れ渡っていた。


 そんな豪傑オンドレイと対峙し、これから戦おうとしているのが、身長150センチそこそこ、ゆるやかにウェーブを描いたロングヘアーにぱっちりお目目、ふわふわしている――という形容が相応しい、制服姿の十六歳の美少女という、冗談のような事実。

 しかしオンドレイは、このいかにも穏やかそうな可愛らしい女の子が、どれほど常軌を逸したおぞましくも恐ろしい力を有しているか、知っている。相手は殺人倶楽部最強の異能力者。片時も油断はできないし、見くびることも断じてない。


 優の消滅の視線とやらを抵抗レジストできるかどうか、試してみなければわからないが、失敗すればそれで消滅だ。これまでも抵抗レジストできなければ即死級の力を持つ者と何度も戦ってきたが、最初から相手の能力の正体を知っていたわけでもない。今回は予め敵の能力の正体を知っている分、防ぐ手立てもあるが、恐怖もある。オンドレイほどの者とて、恐怖は感じる。当たり前だ。


 優の視線がオンドレイの足元へと動く。

 それが何を意味するかわかっていたオンドレイは、大きく横に跳ぶ。


 予想通り、オンドレイがいた場所に大きな穴が開く。


(反応早いですねー)


 優はそれを見て、また同じことをしてもかわされると感じた。それなら銃撃戦と同じ感覚で、あることを試してみようと考える。


 再び優の視線がオンドレイの足元に向く。

 オンドレイは跳んでかわしたが、穴は開かない。


(む? やられたか)


 それが何を意味するか、アンドレイは即理解した。

 ジャンプの予測先に視線を向け、穴を掘る優。オンドレイは着地する地面を失い、穴の中へと飛び込んでしまう。


 すぐに這い出てくるオンドレイであったが、優はその這い出ている箇所にまた穴を開け、穴が拡張される。もちろんオンドレイは落ちる。


「道路をこんなに穴ぼこだらけにして、じーさんばーさんがうっかり落ちたらどうするんだ」

「確かに不味いですねえ。でもここは人通りも少ないですし、私にはこれくらいしか、上手な力の使い方が思いつかなくて」


 呆れ声でオンドレイに指摘され、優は申し訳無さそうに言う。

 以前、コンプレックスデビルのアニマルマスク達と戦った際は、あまり大きな穴を開けないよう気遣っていたが、今回はその気遣いもしていられそうにない。そんな余裕が無い相手だ。


(このまま這い上がっても、また落とされちまうだろうな。根競べで、どっちが諦めるかという勝ち負けになっちまう。あのお嬢ちゃんとて自分の能力がさほど消耗しないからこそ、こんな戦いの仕方をしていると見ていい。さて、どうしたものか……)


 延々と穴脱出と穴回避をやるつもりもないし、どうすれば勝てるか、オンドレイは頭を巡らす。


(水道管まで壊れてるな。全く迷惑な能力だ)


 地中の水道管の切断面から水が出ているのを見て、オンドレイは閃いた。


 やがてオンドレイは穴から這い上がっていく。ただし、穴を登りきる直前で止まる。こちらの姿が見えたら、また優は穴を広げると見なして。

 穴から身を乗り出す手前で、脚に力を溜める。体を丸め込む。


「ふんがーっ!」


 穴から一気に飛び出るアンドレイ。巨体が宙に舞う。


 優が着地点を狙って視線を落とすが、優の力は発動しなかった。突然視界が遮られた。

 オンドレイはジャンプした瞬間、水道管から漏れる水で作った泥玉を、優の顔めがけて投げつけたのである。


(穴を作るために視線を落とす。俺から視線を外す必要がある。その瞬間を狙えばいい。それがお嬢ちゃんの弱点よ)


 ほくそ笑みながら、ようやく地上への帰還を果たすオンドレイ。しかしタイミングはシビアであるし、そう容易くできる芸当ではない。


 目に泥が入っていながらも、優は痛みを堪えて強引に目を開く。するとオンドレイが目の間まで迫り、その太い腕を振るってきた。

 目から火花が散ったような感覚と共に、激しい痛みを覚え、視界が黒くなる。目を開いているにも関わらず何も見えない


 優に接近したオンドレイが、手刀を振るい、指の先をかすめるようにして、優の両目を薙いでいた。


「私……目、潰されました?」


 優はパニックを起こすような事はなかった。視線が武器であるということを悟られた時点で、目を狙われる事も警戒していたし、覚悟もしてあった。


(私、ここまでかな……。殺されるのかな?)


 恐怖が心を侵蝕してくる。しかし優は静かに闘志を滾らせて、どうにか恐怖を退ける。


 オンドレイが優の背後に回りこみ、優の片腕を取って後ろへと回しながら、その巨体を優の背に押し付け、優の体にのしかかるようにして前方へと押し倒した。


「お、重い……ですぅ」

「そりゃそうだ。140キロ以上あるしな」


 オンドレイは苦笑しながら起き上がり、優のもう片方の腕も取って背の方へと回し、ロープで両腕を縛り上げる。


「目は潰してない。難しかったが加減したぞ。ま、これで勝負有りだ」


 そう言ってオンドレイが、優の頭を軽くぽんと掌で叩いた。

 こうやって優の視線を同じ方向に向けて拘束している限り、視力が戻っても優にはどうにもできない。他の面々の決着がつくまで、オンドレイはこうしているつもりであった。


 優は胸が痛んだ。確かに目は潰れていない。泥と手刀のおかげでひどく痛いが、段々見えてきた。


「オンドレイさん……お気遣いしてくれたのに、ごめんなさあい」


 優はうつ伏せになって地面を見つめたまま、消滅視線を発動させた。


「おおっ!?」


 地面が消され、オンドレイと優の体が大きく沈む。ここで穴に落とされるとは思っていなかったので、優と一緒に穴へと落ちてしまった。

 穴の幅はかなり広めだ。そして優はさらに消滅の視線を地面に向けて放ち、さらに穴が深くなる。それを何度も繰り返す。


(もう視力が回復するとは、加減しすぎたか。そして迂闊だった。嬢ちゃんの顔を地面に向けたのは大失敗だ)


 オンドレイは再び優の目を叩こうとしたが、思い留まる。また目を打ったら、視神経をおかしくする可能性もある。優しすぎたらまたすぐに消滅視線を使われる。適度な加減は難しい。

 気絶させるために首筋を打つことも考えたが、それも思い留まり、オンドレイは大きく息を吐いた。


「こら、もうやめろ。わかった。負けでいい。これ以上掘られると、上がるのが面倒になるぞ」


 オンドレイが苦々しい口調で声をかけると、優は力を用いるのをやめた。


 優の束縛を解くオンドレイ。


「オンドレイさんが本気で私を殺そうとしていたら、私は負けていましたよう。あるいはもう一度目潰しするとか」


 泥まみれのきょとんとした顔で、優がオンドレイに声をかける。


「もう俺は殺し屋を辞めたからな。できるだけ殺さないようにすると決めた。あくまで、できるだけだがな。お前は俺を殺さずに穴に落として済まそうとしていたから、こっちも殺す気にはなれん。つまり言い訳無用でお前の勝ちだ」


 腕組みしてそっぽを向き、渋面で告げるオンドレイ。


「そう言われても、あんまり勝った気がしませんねえ。勝ちを譲られた感が凄いです」

「ふん。贅沢言うな。本気で殺しにかからなかったのはお互い様だし、互いにそのルール内で戦って、今の結果だろう」

「ありがとうございますう……。でもやっぱり……」

「お前、結構しつこい奴だな。いや、顔に見合わず頑固だな。つーか、さっさと目洗え」


 オンドレイが顎をしゃくって、穴の壁面の水道管の切断面から噴き出している水を示す。


「頑固はよく言われますねえ。自分でもそう思いまあす。そのおかげで損することも多いですけど、そういう性格ですから、仕方ないですよう」


 顔と目を洗い、優は言った。

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