第四十章 16
凜の言葉を聞いて、十夜と晃は驚きを禁じえなかった。
妊婦にキチンシンクは、世界最大の武器密造密売組織である。日本の裏通りではもちろんのこと、表通りにすら名の知れた有名な組織だ。本拠地は日本に置き、裏通りにも属する組織である。
「もしかしなくても、反物質爆弾を手に入れようとしているのって、妊婦にキチンシンク?」
「そうだろうけど……でも……」
晃が疑念を口にし、凜は別の疑問を抱く。反物質爆弾など欲して扱えるものとなると、国家クラスか、さもなければ妊婦にキチンシンクのような大組織くらいのものだろう。
しかし、同時に矛盾も生じる。妊婦にキチンシンクはそれでなくても世界一の武器密売組織であるというのに、このような大きな騒ぎを起こして、あらゆる機関や国を敵に回すような大きなリスクを背負ってまで、反物質爆弾の奪取など行うだろうか?
「久しぶりね、
凜が外人達の中心にいる、日本人の少年少女に声をかける。
「ああ、僕達のこと覚えていてくれましたか……」
眼鏡をかけた、十代半ばと思われる少し暗そうな少年が、ぼそりと呟く。凜とは視線を合わせようとしない。
「貴方達みたいにアクの強い子らを、忘れるわけないでしょ」
微苦笑を浮かべる凜。かつて同じ陣営で仕事をした際は、少女――たすきの方を気に入っていたし、よく会話もした。
「あの時は頼りになったわ。あれからもう二年も経つのよね。二人共大きくなっちゃってまあ」
敵対する立場ではあれど、凜の口調と表情は、二人に対して親しみに満ちている。
「へっ、嬉しいねえ。凜の姉御の御目にかかるなんてさァ。あたしゃ前ン時一緒に仕事した時、ちょっくら憧れてたんだぜィ」
少年とほぼ同じ背丈と年齢のおかっぱ頭の少女が、今やリアルでは死滅しかけている、江戸っ子丸出しのべらんめい口調で喋る。少年とは対照的に、明るい表情だ。少年の方は普通の服装だが、少女は迷彩服など着て、腰には小太刀程のサイズの剣を差している。
「今回は敵同士みたいだから恨みっこ無しね。あれからどれだけ強くなったか、見せてちょうだい」
「あたぼーよ」
凜に言われて、にんまりと笑う少女。
「
「じゃあ十夜が女の子の方を相手か」
少し早口めで解説する凜に、晃が十夜を見やる。
「たすきに凜さんを任すね……」
「合点承知の助」
しかし霜根兄妹の方は、別の形で割り振ってくる。
「敵に合わすわ。私がたすきを相手する」
凜がそう宣言し、呪文を唱えて黒鎌を呼び出す。
「何だい、ありゃあ。凜の姐さん、随分と粋なモン身につけてるじゃねーかい」
凜の黒鎌を見て目を輝かすたすき。
「こちとら、大きさじゃあかないませんがねえ。しみったれた得物でいけねぇや」
たすきがにやにや笑いながら、腰に差さしていた小剣を抜く。鍔は無く、刃の部分は透明でガラスのようになっている。
互いに未知の武器で相対する二人。先に仕掛けたのは凜の方だった。
「おおうっ!?」
凜がその場で鎌を振るったと思ったら、鎌の先が消える。そして消えた先が背後から現れて、鎌の刃先が肩越しに胸に刺さろうとしてきたので、たすきは仰天しながら、小剣の透明の刀身で、黒鎌の刃を受け止めた。
「大抵の敵はこれに意表を突かれて、それでおしまいなんだけどね。やるじゃない」
凜が称賛し、亜空間越しに鎌を引いていく。
湾曲した刃がじりじりと胸めがけて迫っていくのを見て、たすきは焦る事無く、剣の柄にあるスイッチを押す。
ガラスのような剣が青い光を放って輝き始め、ほころびレジスタンスの三名と、妊婦にキチンシンクの外人兵達を驚かせた。
一番驚いたのは凜であった。黒鎌の刃が弾け飛んで消されたからだ。
「へへっ、あの凜の姐御のおったまげてる所が見られるなんて、こいつぁ見物だ」
青い光の剣は、ライトセーバーのような発光をする――のではなく、剣から青い光が断続的に点滅し、光る度にレーザーのように青い光の筋が幾条も、不規則にあちこちに放たれている。光は相当に強いようで、昼間でもはっきりと肉眼に映る。
(超常の力が宿った神器か魔道具の類。あるいは科学的に加工して、力を宿したか……)
自分の魔術の黒鎌を消した時点で、凜はそう判断して見る。
「二年の間にあんたも新しい力を身につけたわけね」
凜が微笑みながら話しかけると、たすきは嬉しそうににやりと笑う。
「こいつぁ強いの強くないっての――ま、実際に体で味わっておくんなさいよ」
たすきが凜に向かって、正面から一気に駆けて詰め寄る。
「手を伸ばしても届かない、空に描いた絵。惑わすために? 欺くために? はたまた想い焦がれるために?」
たすきが目の前に迫るまでに、凜は呪文の詠唱を終わらせた。
「こいつぁ……」
たすきの脚が止まる。すぐ側まで迫ったかと思ったら、凜の姿がその場から綺麗さっぱり消失したのである。
(いや、気配は消えてねえ)
近くにまだいる事をたすきは見抜く。
凜は幻影の壁を作って、自分の姿をたすきのいる方向からは見えなくしただけだ。幻影の壁でたすきの足を止め、戸惑わせるためだけに、この術を用いた。時間を稼いで、準備を整えるために。
凜が腰に吊るしたみそを入れた陶磁器に、そっと手を触れる。縛られていた紐が自然に解かれて布の蓋が開き、中に詰まっていたみそが増殖して溢れて、あちこちに飛び出して地面に落ち、一部は球状になって宙に浮かぶ。もちろんこれらの光景も、たすきの目には映らない。
青い光の筋が幾条も煌き、幻影の壁を突き抜けてくる。
凜の居る場所近くの地面に、焼け焦げた切れ目が走る。切れ目は深くない。高出力のレーザービームほどの威力は無いように思えるが、食らいたいとは思わない。間違いなく怪我と火傷はするだろう。当たり所によっては死ぬくらいの威力はある。
警戒していたたすきだが、思い切って凜がそれまでいた場所に飛び込んできた。
(やっぱりまやかしかい。凜の姐さん、いつの間にこんな力を身につけたんだかって……)
凜の姿を見て、透明になったわけではなく、幻影の風景で身を隠したと理解したたすきが、凜以外の者もいた事も見て、目を丸くした。
「何でえっ、こいつぁ!? うんこかい!?」
四体のみそゴーレムを見て、たすきが叫ぶ。
「みそゴーレムよ……」
糞と思われてはたまらないので、ちゃんと訂正しておく凜。
「するってえと何かい? 凜姐さん、みそ妖術を身につけてたってぇのか?」
「知ってる人いたんだ……。結構マイナーなのに」
たすきが知っていたことに驚きつつ、凜は警戒する。みそ妖術の存在を知っているということは、どのような術を行使するかも知られている可能性もある。
「なァに、超常の力を持つ奴とやりあって、こっぴどく負けちまってね。悔しいからいろいろ調べまくったってわけ。だから対策もばっちりってもんよー」
得意気に笑い、たすきが青い光を断続的に放つ小剣を顔の前にかざす。
みそゴーレム四体がたすきに殺到する。
たすきが小剣を振るうと、小剣の動きに合わせて、刀身から青いレーザーが同時に何本も吐き出され、ゴーレムと地面を切断し、焼き焦がす。
原理は不明だが、レーザーのような光に焼かれたみそゴーレムは、力を失い、ただのみそとなって崩れ落ちてしまった。幻影の壁も黒鎌も解除した所を見る限り、超常の力そのものを退ける力が、あの青い光にはあるのではないかと、凜は見なす。
(でも……一見レーザーで遠距離攻撃できるように見えて、実はそうでもないみたいね。こうして接近してきたこともそうだけど、あのレーザーは距離が離れると、かなり威力が弱まるみたい)
幻影の壁を打ち破った際の地面の焦げ痕より、みそゴーレムを倒した際の地面の焦げ痕の方が大きく深い。それを見て凜はそう判断した。
「みそメテオ!」
宙に浮かんだみそ球が、凜の声に呼応して一斉に降り注ぐ。
「てやんでいっ!」
たすきが一喝し、ガラスの小剣を振り上げると、青いレーザーが空中めがけて幾重にも放たれ、みそ球を全て切断し、無力化する。
たすきが剣を振った直後を狙って、凜が銃を撃った。
「うぐっ……」
腹部を撃ちぬかれ、たすきが苦悶の表情で前のめりに崩れ落ちた。
「たすきっ!?」
晃と銃撃戦を繰り広げていた達忌が、その光景を見て叫ぶ。
その際に達忌が隙を晒したので、晃が達忌の銃を狙って撃つ。戦車の装甲すら貫くピースブレイカーから放たれた銃弾は、いとも容易く達忌の銃を破壊し、その先にあった達忌の二の腕までをも貫いた。
十夜は近接戦闘で、次々と外人兵達をノックアウトしている。
(接近戦が得手だからといって、十夜に担当させなくて良かったかも……)
息を吐き、凜は思う。十夜のスーツだろうと、このレーザーのような光はあっさりと切り裂きそうな気がした。
「さ、流石は凜の姐御だ……。凜姐さんに殺されるんなら、あたしも本望……」
死を実感し、恐怖に震えながらも、凜を見上げて無理して笑うたすき。
「殺さないで見逃してあげてもいいけど? 大人しく退くのなら」
凜が倒れたたすきの側によってうずくまり、顔を寄せて囁く。
「へっ、冗談じゃねえや。この霜根たすき、敵の情けを受けるくらいなッ……」
言葉途中に、凜がたすきの両頬を両手で思いっきり押さえる。
「命乞いして生きられるのなら、プライドなんて捨てて命乞いしなさい。死んだら何もならない。あんたの命はそんなに安いの?」
「ぶぶぶ……」
怖い眼差しで、冷たい声で問われ、変顔したたすきが唸る。
凜がたすきの腹部をめくり、銃創にみそを塗りたくる。
「あぎゃあぁぁあぁっ!」
さらに銃創の中に指をつっこんでみそを詰め込まれたので、たすきは身も世も無い悲鳴をあげた。
「みそ妖術は普通じゃ治せない怪我や病気も治しちまうって聞いちゃいるけど、この傷が……本当に治るのかねえ……」
「大丈夫。達忌の方も治してくるわ」
片手を上げて、十夜と晃に戦闘終了の合図を送る凜。
「おう、おめーら、こっちの負けだ。適当に逃げてくんな」
たすきも残った外人兵達に声をかける。しかし外人兵達は逃げようとはせず、倒れているたすきの元に駆け寄り、十夜に倒された者を介抱しにかかる。
達忌の腕にもみそを塗りたくり、一息ついた。
地面に仰向けに倒れたままのたすきを、達忌が側に寄って心配そうに見下ろす。
「たすきは大丈夫よ。それより……あんたら妊婦にキチンシンクが黒幕ってことでいいのよね?」
凜の確認に、たすきは口を閉ざしたが、達忌が無言で頷いた。
「ちょっ、兄貴、何答えてやがんでい」
「こっちの負けですし、命まで助けてもらったんですから。それに……答えなくても大体わかることですし、凜さんは確認しただけでしょう」
責めるたすきに、達忌は冷静に告げた。
「でもそれ以上のことは、聞かれても答えられません。僕達は踊る心臓の助っ人をしに来ただけですから」
「わかった。またやりあう可能性もあるけど、また上手く命だけは助けてやれる保障は無いからね」
「恨みっこ無しってさっきも言ったじゃねェか。そん時ゃあ、そん時の話よ」
凜が冷たい声で脅すが、たすきは屈託無く笑い、凜もつられて微笑む。
ほころびレジスタンスの三人がその場を立ち去る。
「凜さん、あの子のこと結構気に入ってるっぽい?」
「まあね。いろいろとね」
晃の問いに、凜は意味深に微笑んで答えた。
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