第三十九章 30

 社会を憎み、事件や犯罪に心を躍らせる少年であった。

 毎日ネットにかじりつき、世界中の犯罪記録を漁ることや、ニュースを見ることを楽しみにしていた。ニュースは人の不幸を楽しませる娯楽番組だ。今日はどんな事件が起こって、どれだけ人が死んで、どれだけ悲しみが巻き起こったか、それを期待しながらテレビをつけている。


 少年の中には特にヒーローと呼べる犯罪者達がいる。少年はそれらを尊敬し、崇拝さえてしている。三年間、少女ばかり狙ってバラバラに切断して殺し続けた、八つ裂き魔。テレビジャックによる殺人中継を実行した『薄幸のメガロドン』幹部の伴大吉。日本史上最悪の連続大量殺人犯、谷口陸。テロ組織『踊れバクテリア』。小学校立てこもり大量殺人事件を起こした墨田俊三。

 一線を踏み越えて、社会に抗った者達。己の身の破滅を省みずに、世界に刃を突きたてた者達は、どう考えても称賛して然るべきであると、少年は思う。


 悲劇的なニュースを楽しみ、シリアルキラーをヒーローに見立てる少年の根底には、人間そのものへの怒りと憎悪、何より社会に対する憤慨と破壊欲があった。


 その一方で、自分と同じような人間が多くいる事に、希望や安心感のような連帯意識を持つことが出来た。

 自分もその中に加わりたい。自分も同じようになりたいと、少年はずっと思っていた。しかし踏み切れない。踏み切るには、今持っている全てを捨てるほどの覚悟がいる。そして未来の大半を閉ざす覚悟もいる。明日死んでもいいと覚悟して、吹っ切らないといけない。

 踏み出す勇気は無かった。だからこそ余計に、踏み出した者達に憧れ、尊敬する。彼等は間違いなく英雄だ。この醜くくだらない世界に、赤く鮮やかな花火を打ち上げる勇者達だ。


 ある日少年は、自分も覚悟を決めて踏み切るに至るきっかけを得た。人外を宿した老婆に、自分の言うことを聞く代わりに、願いをかなえる人外を宿してやると言われて。


 老婆が自分の前で超常の力を披露してみたので、少年はこれに飛びついた。

 少年はまず、自分の心の力を物理的な力に変換できるようになることを望んだ。その力は得た。

 次にそれだけでは足りないとして、他者の負の念を奪うことも望んだ。これも得た。

 さらに他者に幻覚催眠をかける力も得た。これは自分が生き延びるのに必要な力であり、世界に悪意を振りまくにも役に立つ。


 十分な力を得た少年だが、ここである欲求が生ずる。憎悪に身を焦がす喜びを、世界を呪って生きることの素晴らしさを、他人にも味わってほしいと願った。そして自分の中に蓄積した負の念を他者に移す力を得た。


 さらに老婆は新たな力を幾つも自分にくれた。自分と同じように、進化を促す寄生植物を宿した者から、彼等が進化して得た能力を自分に転写したのである。


 少年はしばらくの間は老婆に従っている事にしたが、この時すでに、少年の中でプランが出来上がっていた。腐った社会に一撃を与える、輝かしい反撃者達と同じようになる。しかし尊敬するシリアルキラー達と同じように、ただ手当たり次第に人を殺していくのではない。少年には異なる目的があった。


 心の中で尊敬して崇拝する偉大な先人達に、少年はいつも熱心に語りかける。

 貴方達は道半ばで力尽きた。自分は貴方達の意志を継ぐ同胞である。貴方達よりもっと長生きして、貴方達よりもっともっとこの世界を壊して遊ぶ。悲劇を作り出して遊ぶ。社会の枠に収まって幸福そうにしている連中の魂を引き裂いて遊ぶ。それは自分の望みでもあるし、自分が貴方達へ――偉大なる英雄達に捧げる、唯一の餞でもある。


 さあ、遊びに行こう。人外には力を頂いた最低限の礼として、付き合ってやった。彼女のくだらない軛は断った。相方の犬は置いていくしかない。彼とは相容れない。

 自分は一人であっても孤独ではない。英雄たるシリアルキラー達の心を継いでいる。彼等の心と共に行こう。遊戯場はこの世の全て。遊び道具はこの世の全て。遊ぶ相手もこの世の全て。存分に遊ぼう。


***


 その少女は、その家の長女で高校二年であったが、妹である次女はまだ三歳になったばかりであり、母親のお腹の中には弟だか妹がいる。


「母さーん、父さんが深爪しちゃったから、ばんそーこーくれってー」

「えー? 自分で取りに来ればいいじゃない」

「母さんの運動になるから母さんを動かせとか言ってる。適度に運動させなくちゃ駄目だって」

「何馬鹿なこと言ってるのって伝えておきなさい」

「嫌だよー。伝えに行くの面倒臭い」


 リビングにいる母親とそんなやりとりをしてから、少女は三歳の妹と遊びだす。


「あんたはいつまでも遊んでないで、勉強しなさい。ちょっと目を離すとサボって」

「も~、勉強勉強うるさーい。私はせっかく顔も恵まれてるんだし、できる男の人と早々に結婚するから、勉強していい学校入る必要なんて無いのー」

「何言ってんだか、この子は……」


 母親が溜息を吐き、仕方なしに薬箱から絆創膏を取り出す。


 少年は己の体を平面化してマンションの壁に張り付き、窓の外から観察していた。

 この家には吸い取る負の念は存在しない。逆に温かい気で満ちている。幸福な家庭であることは間違いなかった。家具もいいものを扱っているし、リビングも相当広い。生活水準の良い家である事は間違いない

 何という罪深さだと、少年はほくそ笑む。幸福な家庭――それは無自覚の罪である。大罪である。世の中には不幸のドン底でのたうちまわっている人間もいるというのに、幸福な人生を歩むなど、不幸な人間へのあてつけそのもの。そもそも幸福とは、他人の不幸の上に築かれるものであるから、幸福な人生を送るというだけで、疑いようのない大罪だ。


 そして幸福なことは、不幸でもある。何故なら目の前にいる少女は、絶対に知らないからだ。奈落の底へと堕ち、上を見上げて光の世界を覗き、嫉み、恨み、怒りを募らせ、壊したいと呪う気持ちを知らないのだ。憎しみに魂を焦がす心地好さを知らないのだ。これは不幸だ。


 彼女を幸福にしてやろう。愛の手を差しのべてやろう。少年はそう思い、壁をすり抜けて部屋の中へ出る。

 このすり抜け能力も転写されたものであるが、元の能力者ほど優秀ではない、劣化コピーだ。無生物限定であるうえ、動いているものはすり抜けられない。


「だっ……ぶ!?」


 突然真っ黒な肌の裸の少年が室内に現れ、仰天して悲鳴をあげようとした少女であったが、少年はその口を押さえて黙らせたうえに、負の念をたっぷりと少女に注入した。

 見る見るうちに、少女の目つきが、そして顔つきが変わっていく。

 それを見て少年が笑ったが、その黒すぎるほど黒い顔は、口を開かねば笑ったかどうかも、傍目にはわからない。


「うっきいいぃいいぃぃぃぃぃいいぃっ!」


 少女は奇声をあげると、コードを引っこ抜いて電子レンジを両手で高々と持ち上げた。

 少女の力では、電子レンジを勢いよく頭上に持ち上げるなど、とてもできたものではない。しかし今の少女は、潜在能力の制御が外れ、力が漲っていた。


「おねーちゃん?」


 妹はぶるぶると震えて、電子レンジを掲げた姉を見上げ、声をかけた。豹変した姉に本能的に恐怖を抱いていたが、愛情も忘れていなかった。故に、声をかけてしまった。


「これでもくらえーっ!」


 悪鬼の形相で少女が叫ぶと、呆然として自分を見上げる三歳の妹の頭に、容赦なく電子レンジを振り下ろす。

 何故か可愛いはずの妹が、凄まじく煩わしくなり、強烈な殺意を抱かせる存在となったのだ。そして少女は己の心に正直に従った。


 何度も何度も妹の頭に電子レンジを打ちつける。痙攣し、床に血と脳漿を撒き散らし、割れた頭蓋骨から脳が飛び出している。


「きゃああああぁっ!」

 そこに母親がやってきて悲鳴をあげた。


「な……何してるの……」

「何ぃぃぃぃ~?」


 混乱して口走った母の台詞に、少女は頭が沸騰しかねないほど怒り狂った。


「今、何て言ったあああぁっ!? きゃあああ? な、何してるのぉ? だってえーっ!? 絶対に許さあああぁーん!」


 少女が有り得ない怪力を発揮し、母親めがけて電子レンジを投げつける。電子レンジは母親の顔面に直撃し、母親は倒れた。


 電子レンジを拾い上げて掲げ上げた少女は、身重の母の腹めがけてレンジを叩きつける。


「死刑! はいっ、死刑! し、け、い! ほれ、し、け、い! 死刑ッ!」


 電子レンジを振り下ろす度に、少女はノリノリで口ずさむ。

 やがて母も大量の血を口と股間から噴出し、痙攣しだした。


「ふふふ……はははは、あははは、今日私は学習した……電子レンジで人を死ぬまで殴ると、人は死ぬっ! 死ぬ! はっはっははははっ、だいはっけーんっ!」


 どういうわけかとても楽しい気分になり、少女は電子レンジを頭上に掲げて、くるくるとその場で回転しながら喚く。


「何を騒いで……うおおおっ!?」


 そこに父親がやってきて(中略)血だまりに倒れた父親を、少女は心地良さそうに長めて、へらへらと笑っていた。愛する家族を意味不明の怒りに任せて皆殺しにしたのだ。実に気分がいい。


 少年は平面化して影の中から、その様子をじっと監察していた。


 楽しかった。形あるものが壊れる様が。それまで存在していた家族というそれは、確かに形があったはずだ。そこに存在していた家庭というそれは、例え日頃は意識していなくても、確かに幸福な存在であったはずだ。幸福が崩壊する際に、幸福だったと知ることができたのではないかと、少年は夢想する。

 楽しい。壊れる者達のことをいろいろ考えるのが楽しい。今目の前で発生した出来事が楽しい。一つのものが呆気なく壊れる構図が楽しい。


 しかしこれだけでは物足りない。もっと楽しくする事が出来る。


「え……? ええっ!?」


 少年が少女から邪気と狂気を吸い取る。正気に戻った少女が、血にまみれた己の手と、血にまみれたリビングを見渡し、愕然とする。


「嘘でしょ……。ゆ、夢よね……これ……」


 しかし少女には確かに記憶が存在する。怒りと殺意に染まった自分が、自分の意志で家族を手にかけた確かな記憶。

 少年にもそれはわかっている。この少女の幸福な日常は壊れた。壊した。その意識を抱え、これからこの少女はどんなに歪んだ人生を歩むことになるのか。それを考えると実に清々しい気分だ。


「あああああああっ!」


 絶叫して泣き崩れる少女を見て、少年は一つだけ残念に思う。どんな顔をしているか、今自分がいる位置からでは見えないことが。悲痛に歪んだ少女の顔を見てみたかったが、それは諦めた。彼女がせっかく悲しみで心が張り裂ける想いを味わっているのに、それを妨害してしまいかねないので、控えておく。


 一方で、レールから外れた少女に、口には出さずおめでとうと祝福していた。今この時が、君の新たな人生の幕開けだと。これで君は一生、心におぞましい闇を抱えて生きる事になる。

 何と素晴らしいことなのだろう。普通ではない人生を歩めるのだ。悲劇のヒロインとなれたのだ。素晴らしい。実に素晴らしい。心よりおめでとう。もっと大声で泣いて悲劇を楽しもう。血にまみれた自分というシチュエーションを楽しもう。少年は気付かれることなく、少女のすぐ後ろにいながら、真っ黒な顔で微笑みかけて、祝福し続ける。


 この少女は新たな仲間とも言える。不幸の奈落へと堕ちた、愛すべき同胞はらからである。不幸を知り、悲痛を知り、絶望を知る者は、全て仲間である。それを知らない者は憎むべき敵だ。少年は憎むべき敵に、愛の手を差し伸べて、同じ感覚を知る仲間にしてやった。これは疑いようのない善行だ。


 泣き崩れた少女を残して、少年は入ってきた時と同じように、そっと壁をすり抜けて家の外へと出ていった。


 マンションの壁を屋上に向かって直立して歩き、夜空を見上げる。

 あの黒く広がる中に、自分の真っ黒な体も溶けて混じって一つになりたい。そして世界に降り注ぎたい。


 そんな気持ちを抱き、少年は壁から足を離し、夜空を見上げたまま、落下の感覚を楽しんだ。

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