第三十九章 29
星一郎は、自分をとても幸福な人間だと思っている。かなわないと心のどこかで諦めていた夢がかなってしまったのだから。
宇宙人に会いたいという、見果てぬ夢がかなってしまった後には、さらに他の夢をかなってほしいと願った。それらのうちの一つかなったら、さらに別の夢を強く思い続けていた。
世の中の多くの人間は上手に生きているように、星一郎には見える。御立派に生きているように見える。同時に、いろいろなものを抑えて、自分を殺して生きていると映る。
星一郎はそれが一切できない人間だった。願ったことも望んだことも、抑えられない。夢を見たら夢を追い続けて走らずにはいられない。一つの夢がかなえば、その次もまた望む。足るを知る事など無い性質だ。
際限無く、果ても無く、欲の赴くまま、夢を追い続けることしかできない人間に、自分は生まれてしまった。その結果、寿命は大分縮まるかもしれないが、それでも自分はそうした人間に生まれた事を幸運だったと思うし、幸福だったとも思う。
「慎ましく、安全に、お利口さんに生きるのが、立派な人らしいよ」
虚空を見上げ、誰ともなく呟く星一郎。
「俺には無理だった。本能の赴くままにしか生きられない。そして立派な人達は、己の本能を抑えて歪めているようにしか、俺には思えない。だから……俺は正直に生きて、今ここにいる」
「酔ってるんじゃねーよ。別にお前は特別でも何でもない。裏通りの連中は大抵そんなもんだ。もちろん俺もな」
「そっか。それ聞いて、逆に安心したし、何か嬉しいわ」
バイパーの言葉を受け、星一郎はにっこりと笑う。
「始めよう」
「はいはい。お好きにどーぞ」
気合いを入れて声をかける星一郎だが、バイパーはゆるく力を抜いている。
「狂え色欲の輪舞!」
紫と桃色の中間的なハートが大量に発生する。
「男がハートとか使うなよォ~……しかも男に向けてさァ」
みどりが思わず突っ込み、何人かが口にはせず同意する。
ハートは全て追尾仕様であったため、バイパーは回避に手こずっていた。やがて幾つかがバイパーに着弾する。精神攻撃であるため、身体への影響は無いうえに、バイパーは
「強欲に踊る奴隷商人!」
赤黒い光を放つ太い鎖が星一郎の手から伸びる。
嫌な思い出がバイパーの中で蘇る。あれに巻きつけられて振り回され、電車にぶつけられた事を。
バイパーは避けようとせず、あえて鎖の先を右手で掴む。
鎖が蛇のようにうねり、バイパーの胴に巻きつこうとしたが、左手でもう一箇所掴んで、巻きつくのを防ぐと、思いっきり力を込めて、鎖を引っ張る。
その直後、バイパーは派手に尻餅をついて転倒した。星一郎が鎖を消したのだ。
「怠惰を尊ぶ漁師の網!」
転んだバイパーめがけて、やたらと広範囲に広がるピンクの光の網を投げかける。
「つーか怠惰を尊ぶ漁師ってイミフだな」
網にかかってももがこうともせず、悠然と呟くバイパー。星一郎の能力はもうある程度把握している。一対一であれば、この網は大して意味が無い。何故なら星一郎は常に一つしか力を発動できないのだから、次の能力を発動すれば、この網も消える。
動こうとしないバイパーに、星一郎が接近していく。
「娼婦の嫉妬深き爪!」
超改造した虹森夕月ですら行動不能にした、赤い光の短剣二振りを両手に持つ。一撃でも当たれば、体内のアセチルコリンという神経伝達物質の大量分泌を促し、さらには分解もできなくして、体に様々な悪影響をもたらす。
「うるせー」
一言発し、バイパーの長い脚が無造作に突き出される。加減した一撃であるが、星一郎はカウンターを食らって思いっきり後方に吹っ飛んだ。
(一番警戒しなくちゃなんねーのは、知る限りでは、あの青い光の剣だ)
起き上がる星一郎を見ながら、バイパーは腕を切断された時の事を思い出す。
「バイパーとじゃ、話にならんだろ」
煙草をふかしながら、梅津が呟く。
「いや、あいつは油断できない」
「へえ」
星一郎に視線を向けたままの真の言葉に、梅津が感心したような声をあげる。
立ち上がった星一郎は、果敢にバイパーへと突進する。
「強欲なる王剣!」
「出たか」
超高速かつ超精密な動きで振られる青い光の剣の出現に、バイパーは覚悟を決める。一応対策は考えてきた。
後方に跳んで距離を取るバイパー。そして距離が開いた自分へと迫る星一郎めがけて、軽く腕を振った。
「痛っ!?」
目の下に長針が刺さり、星一郎がひるむ。
(この辺が経験不足って所だな。同じことをしても、真ならひるまずそのまま向かってくるぞ)
そう思いながらバイパーは、ひるんだ星一郎に向かって跳び、手刀で星一郎の両手首を殴りつけた。
片方の手は折ったが。腕の一振りで、手二本まとめて折るというのは無理があった。星一郎の青い光の剣は依然として握られている。
バイパーが残った無事な方の手首を掴む。こちらにまだ青い光の剣が握られているが、手首を掴んだ状態で触れるわけもない。
鳩尾に膝蹴りをかまして終わらせようとしたバイパーであったが、青い光の剣が消え、星一郎が不敵に笑ったのを見て、危うい気配を感じて飛びのく。
「貧者の暴食!」
深緑の巨大な唇が、バイパーが直前まで掴んでいた、星一郎の手首の側に出現していた。
「惜しい……。でも準備は整った」
脂汗を噴出し、片手を粉砕された痛みに顔をしかめながらも、星一郎は笑う。
六つの能力を使ったことで星一郎は、切り札である七つ目の能力が発動できる。
「憤怒の聖人!」
星一郎の手から炎が直線状に噴き出したかと思うと、6メートル近く伸びた所で固定化し、長大な炎の剣と化した。
遠心力の影響を受けることなく、袈裟懸けに振られた炎の剣を、バイパーは横に大きく跳んで回避する。
「何? あれ……」
火の剣が床に突き刺さっているというか、半ば床に埋まっているという光景を見て、上美は嫌な予感を覚える。
「バイパーさんっ、下に気をつけてっ!」
思わず声をかける上美。星一郎は自分のしようとしたことを口出しされ、むっとした顔になりながら、下から剣を振り上げた。
床を透過したかのように、床の中に埋まっていた炎の刀身がバイパーの足元から出現する。今度はかなり際どい所で、バイパーは回避した。上美に言われるまでもなく、バイパーも何となく予想していたが、いざ実際に床の中から飛び出てくるのを見ると、反応がやや遅れた。
「タイマンに口出しするな」
「ごめん」
不機嫌そうに言う星一郎に、一応謝っておく上美。
「そんなもんお前が勝手に決めたことで、従う謂れは無いんだぞ? お情けで付き合ってやってるってこと、忘れるな」
バイパーが言うも、星一郎は無視して炎の剣を上段から振るった。バイパーは体を横向きにしてかわす。
正直これのどこが切り札なのか、いまいちわからないバイパーだが、隠された力があるかもしれないので、油断はできない。リーチに関わらず、遠心力も重量も障害物も一切無視して高速で振れるという部分も、それなりに脅威ではあるが。
星一郎からすれば、距離が開いていれば、わずかな動きだけでも剣の切っ先が大きく動くというのも、有利な点である。そのため、高速で剣が振れる。
(剣というより棒術って感じだな。あいつは剣として扱っているが)
横に縦に斜めにと、振り回される炎の剣を避け続けながら、次第に接近していきながら、バイパーは思う。
バイパーもあまり余裕は無い。たった数メートルの距離が遠く感じられる。それでも何とかじりじりと迫っていく。星一郎は後退するが、後退した際は剣の振る速度が衰え、攻撃の手も緩む。その分バイパーは詰める。結果的に、距離は少しずつ、確実に狭まっていく。
(このままなら決まるな)
距離が縮まれば、バイパーの勝利であろうと真は見なす。他の面々も同じ見方だ。
(ふわぁ~……バイパー、気をつけろよォ~、あいつは何か狙ってるぜィ)
距離を縮められても動揺していない星一郎の目を見て、みどりは届かぬ警告をする。その気になればテレバシーで伝えられるが、水を差す行為なので控えておく。
とうとう星一郎は壁まで追い詰められた。バイパーの攻撃が届く範囲に入るのは、時間の問題だ。
バイパーがアタックレンジに踏み入ったと思われたその時、炎の剣が消失した。
「強欲なる王剣!」
一度使った能力は一巡するか一日経たないと使えない、星一郎の『使い捨ての七罪道具』であるが、一巡したのでリセットされている。バイパーや真の動体視力でも捉えられぬ速さと、飛来する銃弾二発を一振りで斬り捨てる精密さを持つ、青い光の剣が星一郎の手より現れたのを見て、バイパーはぎょっとした。
背筋が凍りつく感覚。避けられぬ死の予感。しかしここで臆してはいけないことを、バイパーは経験則から知っている。危険を承知で、あえて前に進み出て活路を開かねばならない時もある。今が正にその時であると、バイパーの本能が告げている。
斬られる事を確信しながらも、バイパーが星一郎の腹部めがけて拳を突き出した。
星一郎が袈裟懸けに剣を振るう。攻撃の意思と連動して振られる剣。それは星一郎の意思に応じて、腕の動きとは関係なく、剣が動いている。
「ごはあっ!」
血反吐の噴射と共にくぐもった声をあげ、星一郎の体が壁に叩きつけられた。バイパーのボディーブローが致命的な威力を伴い、決まっていた。
その一方でバイパーも、青い光の剣で袈裟懸けに切り裂かれていた。
(肋骨は……切られてる。だが肺には達して無いか……気息に異常は無い。腹……内臓も一応無事か)
冷静に自分の状態を分析するバイパー。内臓は無事だが、腹筋は切り裂かれているので、中から臓物があふれてくる可能性はある。腹を押さえ、腹筋を引き締めて必死にそれを防ごうとする。
(手加減できなかった……こいつ、強かった……)
バイパーは壁にもたれかかって尻餅をつき、夥しい量の血を吐き続ける星一郎を見下ろして、忌々しげに舌打ちする。もう十代後半ではあるが、やはり未成年を相手にするとなると、気分が悪くなる。真を相手にした時よりは大分マシではあるが。しかも今回は致命傷を与えてしまった。
『望み通り、戦いの中で死ねてよかった』
林の中で戦った化け物の台詞を、星一郎はまた思い出す。
(ああ、俺も今、そんな気持ちだ。俺達、満足できる死に方……幸福な死に方が出来たんだね)
あの化け物に向けて語りかける。星一郎が最期に想ったのは、両親でもなければ、実父でもなく、幸司でもアルラウネでもなく、化け物と化して自分と戦った、虹森夕月であった。
「星一郎……」
何も言い残すことなく息を引き取った星一郎の元に、幸司が近づいていく。
幸司が星一郎の亡骸に覆いかぶさるようにして抱きつく。その顔に悲しみは無く、ひどく穏やかな微笑が浮かんでいる。
「幸せなまま逝けたんだね。よかった」
星一郎の顔に自分の顔をすり寄せ、幸司は語りかける。
「俺……星一郎に伝えたいことがあったけど……伝えなくてよかったよ。あはは……」
笑いながら懐から銃を取り出し、幸司は己の頭に突きつけた。
響き渡る銃声に、アンジェリーナとハチコーが身をすくめる。梅津は目を伏せて軽く黙祷を捧げていた。
その後、梅津と松本と累の三人がかりで、重傷を負ったバイパーの治療を行う。衣類を破いて包帯代わりにして、腹部を重点的にキツく巻きつける。
バイパーのバーチャフォンが鳴る。
「俺が呼んだ助っ人が今頃到着だ」
バーチャフォンのメール着信を見て、バイパーが渋い声で言った。
「バイパー、あ、真もいる。こんばんはにぅ」
ビルの入り口に、真が見覚えある猫耳カチューシャをつけた美少年が、大きなバスケットを手にして現れた。クラブ猫屋敷の住人、ナルこと
「遅えよ。もう片付いた所だ」
ナルの方を見もせずに、バイパーが吐き捨てた。
『無駄足かよ。まあいいさ。呼び出しはお前からだけあったわけじゃねえ。純子からも呼び出された所だ』
どこからか奇妙な響きの声がしたので、ミルクの存在を知らない者達は怪訝な顔になる。
『一応今回はつくしと繭も来てるぞ。ここにはいないですがね。必要無かったようだ』
「つくしもかよ。随分と念入りだな……」
バイパーが呻く。クラブ猫屋敷の者を全員連れてくるということは、ミルクが今回の敵に対して、相当警戒視していたということだ。
「これでおしまいか」
「おつかれさままま」
「皆さん、ありがとうございます」
「ジャップ~」
梅津がニヒルに呟き、みどりが歯を見せて笑い、上美が礼を述べ、アンジェリーナは両手で二つの輪を作ってお気に入りのポーズを取る。
「ところでこの犬怪人はどうします?」
松本がハチコーを指し、梅津に問う。警察官を殺害した張本人であるが、操られていた風であったし、一緒にきた裏通りメンツの仲間のような感じなので、どう扱うかというニュアンスで尋ねた。
「そりゃあ動物園だろう。このイルカもセットでな」
「ジャアアァァッアァップ!」
「冗談に決まってるだろ」
梅津の答えにアンジェリーナが怒りの声をあげ、梅津は破顔した。
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