第三十九章 7
笠原と星一郎は、蒼墨弥生子こそが、オリジナルのアネラウネを宿す者という事を知っている。しかし弥生子が所属する漸浄斎の教団の者には、漸浄斎も含めて誰にも教えていない。一部の者だけが知る秘密だ。
「相手が子供だから皆手出しするのを嫌がってる。そんくらいの良心は残ってる」
弥生子と並んで歩きながら、笠原は言った。二人はある場所へと向かっていた。
「貴方は無いの?」
「俺も嫌だけど、誰かがやらなくちゃならないだろ。オリジナルだけに任せていいならそうするけどさ」
弥生子に問われ、笠原は遠い目で答える。
「常に率先して重き岩を持ち、ぬかるみの中へと最初に飛び込み探る。それがリーダーの務め。大変よね」
そう言って弥生子が立ち止まり、バーチャフォンからホログラフィー・ディスプレイを開き、地図と報告にあったマンションの場所を確かめる。
「あれね」
少し離れた所に立つ、夕陽に照らされたマンションを指す弥生子。藍と惣介の住むマンションだった。
***
夕方、純子とみどりが神谷家に訪れた。
「ジャアアアアァァァップ!」
ここで会ったが百年目とばかりに、敵意剥き出しにして、純子に襲いかかるアンジェリーナ。
「ジャアアアアップ!」
「痛い痛い」
「ちょっ、このイルカ、純姉に何すんだよォ~」
純子を引っ掻きにかかるアンジェリーナの間に、みどりが割って入って、アンジェリーナの体を押し返す。
「はいはい、アンジェリーナさん、落ち着いて」
「ジャップ!」
上美も後ろからアンジェリーナを引き離して制し、アンジェリーナは引き下がったが、怒りの一声と共に、純子に中指を立てていた。
「おお、これがバイパーの息子か~。父親似じゃなくてよかったじゃーん。あばばばば」
「死ねよ」
「何、この失礼な女……」
惣介を見ておかしな笑い声を発するみどり。バイパーは毒づき、当の惣介も憮然とする。
「じゃあ私に似てる?」
藍がみどりに声をかける。
「そいつが母親だ」
「母親若すぎ! 超若作り!? しかも美人だし!」
パイパーに言われ、みどりが仰天した。上美やアンジェリーナも最初に聞いた時、驚いていた。
「若作りじゃないから。私まだ二十四」
「うっひゃあ……つまりこの子を産んだのは……バイパーはやっぱりロリコンだったかあ」
藍の言葉を聞いて、みどりがジト目でバイパーを見る。
「そういうからかい方すんな。歳が開いていようと所詮は男と女だし、いろいろこいつの事情を聞いているうちに、お互いに……って、こいつらのいる前で何言わせやがるっ」
「あばばばば、勝手に喋って勝手に怒ってるよ」
「つーかお前も子供のくせに生意気じゃないか? バイパーさんのこと呼び捨てにしてさ」
やたら馴れ馴れしいうえに、バイパーをからかっているのが気に入らない惣介が、みどりに食ってかかる。
「みどりの方がバイパーより長く生きてるし、前世じゃ同級生だったもんよォ~。あぶあぶあぶぶ」
「本当だよ。幼馴染で相棒みたいなもんだった。自殺しくさりやがったけどな。記憶を持ったまま何度も転生しているんだ、こいつは」
みどりとバイパーの話はにわかに信じがたいものだったが、二人共嘘を言っているようには思えなかった。
「ジャップ?」
「自殺するような辛いことがあったの? だってさ」
みどりに声をかけるアンジェリーナの言葉を、上美が通訳する。
「いんや。大人になると面倒だから、なるべく子供のうちに自殺して、転生しているだけ。あたしは転生しても記憶も術も技も失わない秘術を編み出したからね」
「ジャア~プッ」
みどりの答えを受け、アンジェリーナは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。それを見て、みどりはかちんとした。
「ずーっと子供のままでいるとか、何か変……」
惣介には理解できない考えだった。惣介は逆に、早く大人になりたいと考えている。誰にも話したことは無いが、大人になって、政治家になって、いじめの無い社会を作りたいという夢がある。
「自殺したら周囲の人とか悲しむでしょ……。周囲の人を悲しませることは何の抵抗も無いの?」
上美も呆れて思わず口を出す。
「三人がかりかよォ~。上ッ等!」
よってたかって否定され、みどりは不敵な笑みを浮かべた。
「あたしには純姉がいるんだっ。純姉、何か言ってやってっ」
「いや、私は加わらないけど?」
それどころか上美の台詞には同意している純子であった。
「ふえぇ~……純姉に見捨てられた~」
へなへなと崩れ落ちるみどり。
「この家がこんなににぎやかになったのは初めてよ」
お子様達の楽しそうなやりとりを見て藍が、ソファーにもたれかかって腕組みしているバイパーの側で微笑む。二人は仲睦まじく寄り添って座っていた。
「お前も嬉しそうだな」
藍を見て、バイパーも微笑を浮かべて言った。
「見ているだけでもほのぼのする。私は子供の頃、楽しく賑やかな触れあいをしたのって、クラブ猫屋敷にいた時だったもの」
「だったらそのままいりゃよかったんだ」
「私も今はそう思ってるわ」
バイパーの言葉を素直に認める藍。
「ああ、そうだ。報告」
純子がバイパーと藍と惣介とアンジェリーナを見渡す。
「霧崎教授と相談して、アルラウネを移植したマウス達は一箇所に集めようってことになったんだ。藍ちゃん達も一緒にそこに行った方がいいと思うんだよねー」
「信じて任せるわ」
「ジャップ」
藍とアンジェリーナが、二人揃って仕方ないと言った風な声を発する。
ふと、バイパーが真顔になったのを見て、藍が訝る。
「どうした? みどり」
バイパーが真顔になったのは、みどりが真顔になって警戒のオーラを発しているのを見たからであった。他の面々もみどりに注目する。
「意識の根をこっそり広げておいて正解だったぜィ。まさかあたしらがいる時においでなさるとはねえ」
「どの辺にいるー?」
不敵な笑みをこぼすみどりに、純子が問う。
「マンションの中に入ってきている。でも家に近づこうとはしないよォ~」
みどりの報告を受け、一同の間に緊張感が高まった。
***
「どうして入らないんだ?」
対象の部屋も見つけたというのに、部屋の近くで立ち止まった弥生子に、笠原が疑問をぶつける。
「雪岡純子がいる。他にも部屋の中に何人もいる。争いになるとしたら、これは流石に分が悪い」
答えたのは弥生子の声ではなく、アルラウネの声であった。
「純子を出し抜くこともできなくはないが、確保したい対象が三人というのが厄介かな。その三人をどうするか、悩んでいた。その場で解剖調査をしてみるのもよし、生きたまま連れて帰るのもよし。しかし純子がいる状態では、せいぜい一人奪うのが精一杯だろう」
「じゃあ少し待ってみないか? 客人である彼等は、しばらくしたら帰るだろう」
「帰ると見せかけて、こちらが動いたその直後、戻ってくる可能性もあるが……そうだな。笠原の言うとおり、待ってみるとしよう。隣はまだ住人が帰宅していないようだしね」
そう言うと弥生子はよぼよぼの手で笠原の手を掴み、引っ張る。
「え?」
弥生子が壁に向かって歩いたので驚いたが、その壁をすり抜けていったのにはもっと驚いた。さらに手を繋いだ自分の体までも、壁の中をすり抜けて、廊下から暗い部屋の中へと入り込む。
「便利な能力だな」
「宿主は中々手こずらせてくれた。しかしこの能力、うまく弥生子の体とも適合し、使用することができた」
感心する笠原に、弥生子――アルラウネは淡々と答える。
「敵の人数が多い。こちらの最強の戦士も呼んでおこう」
「あいつか……」
顔をしかめる笠原。
「ここからならば、私は透視の力で監視も出来るし、中の会話も聞こえる。動きはチェックできる。星一郎が来るまでの間、チェックし続けておくよ」
壁にぴったりと近づいてアルラウネが告げた。
壁を凝視し続ける老婆というシュールな構図を後ろから見て、笠原は何とも言えない気分だった。
***
安楽警察署。裏通り課室。
「梅津さん、河西と連絡が通じない」
竹田香苗が裏通り課係長梅津光器に報告する。
「純子や霧崎のマウス達が襲われまくっているってんで、あいつはそのガードをしていたはずだが……まさかあの河西がやられたのか?」
梅津が眉をひそめる。河西は安楽警察署戦闘力ランキングで六位に入る実力者だ。それが殺されたとなると、かなりの脅威である。
「GPSも破壊されているみたいよ」
「最後に途絶えた場所を捜索してみるとしよう。おい、行くぞ」
「あ、はい」
梅津が立ち上がり、梅津と行動を共にする事が多い松本完がそれに従った。
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