第三十九章 1
薬仏市の一角にある小さな繁華街。バイパーは自動販売機にコーヒーを買いに出た。
コーヒーを買った所で、首の後ろの毛がちりちりと反応する。
「やれやれ、またかよ」
自分に向けられた殺気。しかも複数。実は一昨日も襲われている。さらに一昨昨日にも、一週間前にも。つまりこれで四度目だ。
恨まれる覚えは沢山ある。しかし『タブー』に指定されている自分を積極果敢に襲う者など、そうそういない。加えて、これまでの襲撃者と共通することが二つ。
「一人減ったな。今度は六人くらいで来るかと思ってたぜ」
一昨日は四人であったが、今日は三人に前後を挟まれた。いずれも若い男だ。一人はまだ少年といっていい歳である。バイパーは缶コーヒーを上に何度も放り投げて弄びながら、値踏みするように三名を見る。その前は二人に襲われ、さらにその前――最初は一人だった。
二つの共通事項。それは一昨日の一人も今日の三人も、どう見ても表通りの住人であるということ。そしてもう一つは、体内のアルラウネが反応しているという事だ。つまりこの襲撃者も自分と同様に、アルラウネを宿している。
「今日は勢いあまってちぎりすぎないように、気をつけねーとな」
口角を片方吊り上げて獰猛な笑みを広げる。その危険な笑顔を見ただけで、三人の襲撃者のうちの二人の顔には、恐怖が如実に表れている。
一番年下の少年だけは、覚悟を決めた眼差しでバイパーを見ていた。緊張はあっても、さほど恐怖は無さそうだ。それでも表通りの住人であるようにしか、バイパーの目には映らない。
「ぷうっ!」
奇怪な叫び声と共に、一人がバイパーに向かって口から何かを吐き出した。確認するより早く、相手に向かって体を横にして、上体を反らしながら、軽く跳んだ。
吐き出されたのは、小さな深緑色の泥の玉のようなものであったが、家の塀に当たると、塀の石が音をたてて白煙を上げ、腐蝕していく。
(銃弾より厄介だな。間違っても当たらないようにしねーと。しかも相手は三人だ……。何してくるかわからねー超常の力の持ち主に、うまく連携とられちまったら面倒臭い)
例え相手が表通りの素人でも、決して見くびれないとバイパーは見る。
(しかし、せっかくアルラウネに進化してもらうってのに、気持ち悪い能力を身につけたもんだな……。人の趣味をどうこうは言いたくねーけどよ)
そう思うなりバイパーは、口から緑腐蝕玉を出す男に向かって駆け出した。
そのバイパーの眼前に、巨大な物体が広がった。
反透明で肌色の薄くペラペラしたそれは、一瞬何だかわからなかったが、どうやら人間の手だとわかる。男の一人が手を伸ばし、そこからまるでビニールのようになった腕が大きく伸びて、手に至ってはバイパーをすっぽりと中に収めてしまえるほど、巨大化している。
ペラペラの手がバイパーを掴む。バイパーの全身が、ビニール化した手で覆われてしまう。避ける余裕は全く無かった。ペラペラのくせに動きも異様に速かったのだ。おまけに面積もあり、突然出てきて意表をつかれ、不覚を取った。
自慢の怪力で破り、ひきちぎって脱出しようとしたが、ビニール手はバイパーの体にぴったりとくっついてしまっている。破ることや引きちぎる事はそう難しくはなかったが、逆に簡単にちぎれてしまうのが不味い。一気にちぎり取れず、引っ張ったら小さな部分だけちぎれて、体に貼りついたビニールはほとんどが残っているという有様だ。
「ぷうっ!」
そこに緑玉がまた放たれる。バイパーの足にもビニール手が絡まっていて、まともに動けない。
しかし右腕だけは何とか動く。バイパーはビニール手の下でにやりと笑うと、飛んでくる緑玉を右手で受け止めた。
右手が腐食する前に、大急ぎで泥のような緑玉を薄く広げて体になすりつける。特に足と左手、それに顔にもだ。
「お前ら、相性悪い組み合わせなんじゃねーの?」
拘束していたビニール手を緑玉によって腐蝕させたバイパーは、半分爛れた顔でにやりと笑う。都合よくビニールだけを腐蝕させるということは出来ず、バイパーの肌や肉も少し腐蝕させてしまった。手も足も、所々爛れて酷い有様だ。
バイパーの凄絶な形相を見て、襲撃者三名はもろにひるむ。やはり表通りの住人でしかないと改めて思いながら、バイパーは緑腐蝕玉男に向かって改めて突っ込んだ。
「ぷ……」
緑玉を吐き出しかけたその時、目の前にまで迫ったバイパーの拳が唸り、男の頭蓋骨を破壊した。拳は後頭部まで突き抜け、潰れた脳みそが後頭部から勢いよく弾き飛ばされて、アスファルトの上に落ちた。
(やっちまった。捕まえてミルクのところに連れて行くつもりだったのに。まあいいか。まだ二人いる)
放っておくと危険な敵であると判断し、加減するわけにはいかなかった。
「あ……あわわ……」
ビニール男がそれを見て腰を抜かしていた。手は元に戻っている。
(戦意喪失。こいつなら楽に捕まえられそうだな。しかし……)
最後に残った少年から放たれる殺気に、バイパーは反応する。
「強欲に踊る奴隷商人!」
赤黒い光を放つ鎖が少年の手から伸び、戦意を失ったビニール男に絡まると、一気に少年の方へ引っ張った。
「戦えないなら引っ込んでていいよ」
「す、すまない……」
少年がビニール男をかばうように前に進み出る。
「中々出来そうだな」
「どうかな」
バイパーに声をかけられて、少年――馳星一郎は照れくさそうに微笑むと、バイパーへと一直線に駆けていく。
(俺に接近戦を挑む気かよ。上ッ等……って、みどりかよ)
敵がどんな超常の力を備えているかわからないが、それでもバイパーは肉弾戦で受けて立つ構えを見せた。
先にバイパーの拳が放たれる。
星一郎の動きはほぼ素人だ。バイパーにはそれが一目でわかった。身体能力もそれほど高いとは思えない。このパンチをかわすことはできない。何か特別な力でも使わないかぎりは防げない。それだけは確信できる。
「強欲なる王剣!」
避けられるはずのないバイパーのパンチが、避けられるどころか、肘から先が切り落とされていた。
有りえない速度だった。バイパーの動体視力をもってしても、見極めは困難だった。こちらが先に放ったパンチが、相手の顔面に届くよりも前に、後から青い光の剣を抜いて切断するという非常識な芸当で、腕を切り落とされたという事実。バイパーの思考は一瞬停止してしまった。
星一郎の手から青い光の剣が消える。バイパーの動きが止まった隙を逃さず、連続で攻撃を仕掛ける。
「娼婦の嫉妬深き爪!」
叫ぶと同時に、星一郎の両手に赤い光の短剣がそれぞれ握られる。
「うっせえ!」
バイパーも叫んで、飛びかかってきた星一郎をカウンター気味に蹴り飛ばした。
当たり所が悪ければ一撃で死んでいたが、星一郎は間一髪で短剣を交差して、蹴りの直撃をガードしていた。短剣をそのまま吹っ飛ばされて、星一郎の体も軽く5メートルは吹き飛ばされて、塀に背中から打ちつけられる。
「馳、退こう。俺達じゃかなわない……」
ビニール男が星一郎に声をかける。
「そうか? 結構追い詰め……」
星一郎が反論しかけたその時、バイパーが素手でアスファルトをえぐり、アスファルトの塊を星一郎めがけて投げつけた。
しかしビニール男が手を広げ、アスファルトの塊はビニール手によって絡めとられた。塊はビニール手を突き抜けたが、そのせいで軌道が途中で逸れてしまい、星一郎の顔の横すれすれを飛んでいった。
「やっぱり、ここでトドメをささないと危険な奴だ。ここでケリをつける」
星一郎は逆に闘志を滾らせ、バイパーを真っ向から睨む。
だがその時、パトカーのサイレンが鳴り響き、星一郎の闘志もそれで消失した。流石に警察まで敵に回したくはない。
「次会った時は、邪魔が入る前に決着を着けよう」
「今度は百万人の軍勢でも連れてこいよ」
星一郎が凛然と言い放ち、全身ぼろぼろのバイパーが忌々しげに吐き捨てる。
「ひでー醜態だ……」
二人が去った後、バイパーはその場に尻持ちをつき、腕の止血に入った。襲撃者がかなり手強かったのは事実だ。
***
『ひでー醜態だこと』
バイパーがクラブ猫屋敷に帰ると、先ほど自分が呟いた言葉と同じ台詞を吐かれ、げんなりする。
警察は適当にやりすごした。新しい薬仏警察は以前とは異なり、まともな人材を起用しているし、バイパーの事は、薬仏をマフィアから守った裏通りの英雄として一目置いているので、任意同行も事情聴取も一切無く済んだ。
『ボッコボコにされておめおめ逃げ帰って、また生体の確保ができずとは、私はお前をそんな無能に育てた覚えはないですよ』
言いたい放題言われて腹の立ったバイパーは、テーブルの上にいるミルクめがけて空き缶を投げつけたが、念動力であっさり止められたあげく、空中であっという間に小さく折りたたまれ、掌に収まるサイズにされたあげく、燃えないゴミ箱の中へと放り投げられた。
「逃げ帰ったわけじゃねーよ。一昨日だって、そんな余裕は無かった」
いくらバイパーでも、超常の力の持ち主を複数相手にするのは、骨が折れる。今回は相性の悪い能力者や、強い敵も混ざっていた。
「全員アルラウネ持ちってことは、どこかのマッドサイエンティストがバイパー相手に、マウスをぶつけて試しているにぅ?」
ナルが不思議そうに言う。
『私も最初そう思ったが、違った』
ミルクが深刻な声を発した。
『バイパー、体を癒したら安楽市に行け。藍とお前の息子を守れ』
「何?」
ミルクの命令に、バイパーは一瞬怪訝な顔をした後、理解した。
「まさか、俺以外のアルラウネ持ちも、アルラウネ持ちに狙われているのか?」
『そういうことですよっと。安楽市で複数のマウスが襲われ、殺されている。純子や霧崎の無能馬鹿共が移植したマウスだ。しかも御丁寧に、体内に宿したアルラウネのリコピーを抜き取られてやがる』
つまり、安楽市に住むバイパーの息子である神谷惣介と、その母親である神谷藍も危ない。特に惣介は、アルラウネの第二世代という、研究者達が実現しえなかった奇跡の存在だ。
『これは私達三狂への挑戦と受け取っていい。へばってないで奴等をきっちりと皆殺しにしてこい。今日みてーな醜態晒して、私の顔に泥塗るんじゃねーぞ』
「うるせーっ! 糞猫っ! さっさと治せ!」
『ふん、藍達のこととなると、流石にムキになるか」
血相を変えてがなるバイパーを見て、ミルクは鼻で笑い、バイパーの治療のために研究室へと向かった。
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