第三十七章 6

 虹森夕月は用心棒扱いでこの安心切開にいる。しかし本当の依頼者は安心切開ではない。安心切開内にいる、本当の依頼者の手の者の口利きで、この組織の中へと侵入した。

 彼は複数の依頼を受けているが、そのうちの一つに、安楽警察署裏通り課と遭遇したら、全員殺せというものがある。夕月の見たところ、依頼者は裏通り課に恨みを抱いているようであった。

 二つの依頼を果たさないといけない。まずは目の前にいる警察官達を屠り、その後でもう一つ――


 夕月が警官達を見渡す。すでに夕月は臨戦体勢であるし、警察官達も、鞘に納まったままの刀剣を手にした夕月を見て、油断なく銃を構えている。引き金を引くだけで、夕月を撃ちぬけるように、銃口を向けている。


 警察官達は一人残らず、恐怖に支配されている。虹森夕月の噂は聞いている。芦屋黒斗と並んで、裏通りの生ける伝説の一人として、知らぬ者はいない程のビッグメジャーだ。二十年もの間、修羅の世界を生き抜いてきた羅刹の如き男であり、未だ敗北を知らぬ者だ。

 彼にまつわる数々の逸話を抜きにしても、警察官達は夕月と対峙しただけで、その力の差を感じてしまっている。戦って勝てないことを実感してしまっている。

 引き金を引けば夕月に穴を開けられるはずなのに、銃弾が当たる気がしない。それどころか、引き金を日引いた瞬間、殺される予感がしてならない。夕月とは十分以上に距離が離れているし、夕月の得物は剣であるにも関わらず、だ、


 夕月が静かに動いた。


 それを見て、弾かれるようにして、警察官達の指が、恐怖と殺意の元に動く。一斉に引き金が引かれる。一斉に銃声が鳴り響く。


 常識的に考えて、銃弾は当たるはずだった。しかし――

 蚊や蝿を仕留めたと思った際に、しかしその姿はどこにもなく、ワープでもしたかのように消えてしまったような、あの感覚。


 気がつくと、夕月は警察官達の列の合間にいた。

 一人が、首をはねられ、一人は心臓を剣で一突きにされていた。


 無事だった警察官が、恐怖に弾かれ、銃口を再び夕月に向けたが、夕月は軽やかな足取りで、まるで舞うように動く。その舞いに、至近距離で発射される数多くの銃弾のどれもが、追いつく事がかなわない。


 今日も見える。夕月の目にのみ、それは見える。自分の体から無数に伸びた、ぼんやりと淡く輝く光の帯が。

 帯は様々な軌道で伸びている。時に曲がり、時にねじれ、時に太くなり、時に細くなり、時に分かれて、敵に向かって何本も伸びている。

 夕月は自然とその帯に従って、体を動かしている。足を、手を、刀を、胴を、頭を、帯の軌道に合わせて動かす。舞うようにして動く。それだけで事足りる。


 コンセントの服用すらしていない。修羅場をくぐりにくぐってきた結果、夕月には敵と対峙した際に、この淡く光る帯が見えるようになった。この光る帯に体を預ければいい。コンセントなど不用だ。


「皆、逃げろ! すぐに!」


 叫んだのは西部だった。恐怖と、そして死の覚悟によって蒼白な顔で。こんな西部の顔を誰もが初めて見た。

 その叫んだ西部めがけて、夕月が迫っていた。


「早く逃げろおおぉっ!」

 絶叫しながら、西部がショットガンを撃つ。


 スラッグ弾は夕月の舞いに翻弄されるかのように、あらぬ場所へと飛び、壁に大穴を開けた。


 夕月の剣が閃く刹那、西部は思い出していた。六歳の頃、テレビで見たホラー映画。登場人物の一人が、人では絶対にかなわない禍々しい化け物に追い詰められる場面。袋小路で、絶望してへたりこみ、泣き喚く女性が、全身刺だらけの化け物に成す術なく貫かれる絶望の場面。あれは幼少時の西部の心に焼きつき、夜、一人でトイレに行けなくなってしまった。

 走馬灯のような記憶が次から次へとフラッシュバックする事はなく、あの時の絶望だけを思い出しながら、西部の意識は途絶えた。


「逃げろ! 逃げろ!」


 西部の頭が胴から切断されて床に落ちたのを見て、松本が喚きながら、何かを夕月に向かって投げた。

 それを見た夕月は、光の帯が自分の前方に一切見えないのを確認する。振り返ると、後方に太く一本伸びている。


 夕月が後ろに跳ぶ。直後――凄まじい爆発音が鳴り響き、さらには強烈な閃光が広間を包んだ。


(スタングレネードか……)


 強烈な耳鳴りと眩暈を感じつつも、夕月は立ち上がらんとする。しかし足元がふらついているうえに、視界が白く感じられる。全く対処しきれなかったわけではないので、頭が混乱をきたすことは無かったが、それでもすぐに動くことはできない。


 警察官達は松本が何をするかわかっていたので、夕月より対処が早かった。松本がスタングレネードを投げた時には耳を押さえて目を閉じて、スタングレネードが投げられた時には、反対方向へ移動していたからだ。おかげで夕月よりは視聴覚と脳への衝撃は軽くて済んだ。

 ふらつく夕月に攻撃を仕掛けようという者はいない。全員建物の外へと逃げていた。


(依頼の一つは未達成か。まあいい)


 夕月には他にももう一つ、やらなくてはならないことがある。


「おおおおお……先生っ! 裏通り課の連中を撃退してくれたのかっ。流石!」


 マクシミリアン保田が現れ、感激しながら称賛する。まさか夕月が裏通り課を返り討ちにするとは、思ってもみなかったのだ。


 夕月は振り返ると、無言で剣を振った。

 保田の頭が胴から落ちて床に転がり、頭部を失くした体も少し遅れて床に倒れた。


 生き残った構成員達はその光景を見て、呆気に取られる。味方であるはずの夕月が、何故このようなことをしたのか、理解できなかった。


「依頼達成」


 夕月が剣を収めながら呟く。彼は本当の依頼者から、次のような依頼を受けていた。もしも安心切開のアジトが警察に割れたら、ボスが警察に捕まらないように処分しておけと。そして警察官も皆殺しにしておけと。


***


 香苗、梅津、李磊、真、アドニス、河西、そして警官隊は、チャイニーズマフィアの本拠地である廃工場に突入し、交戦を開始した。


 マフィアの構成員は一方的に殺されていった。マフィアとて当然応戦したが、襲撃した警察サイドは全く犠牲を出していない。一方的な殺戮となり、戦いになっていない。


 やがてマフィアのボスを追い詰める。その男と李磊は互いに面識があった。


「お前だったのかあ」


 呆れたような声を出す李磊。その男は張浩然チャンハオランという元軍人だ。


「よくもまあ同胞をさらって、日本に売るような真似ができたもんだよ」

「中国から輸入しているだけじゃあないぞ。現地調達だってしている。日本人を狙うのはヤバいから、日本国内にいる、消えても大して問題の無い奴を狙っているよ。むしろ消えると喜ばれる奴等をな」


 軽蔑しきった眼差しで言い放つ李磊に対し、浩然は憎々しげな笑みをたたえて語る。


「移民か……」


 真がぽつりと呟く。現代の日本では、移民が様々な問題となっているし、叩かれたり擁護されたり忙しい存在である。


「その通り。身元が不確かで縁者もいない、社会的に消えても問題の無い移民達。これらは一部の人間の懐を潤し、欲望を満たす大事な資源だ。俺達だけじゃないぞ。噂では――ぶほっ!?」

「わざわざお前なんかの講釈を受けずとも知ってるっつーの」


 喋っている途中、香苗が浩然の横っ面を思い切り蹴り飛ばして黙らせた。


(本当怖いな、この女……)


 香苗の沸点の低さに、李磊は苦笑いを禁じえない。


「移民の問題を俺達に知られたくなかったのか?」


 しかしアドニスが物怖じせずに、香苗に声をかける。


「そうね。恥ずべき問題であるのは事実よ」

 香苗は素直に認めた。


「日本人だって諸手をあげて移民を歓迎したわけではなく、一部の屑共が暴走して強行したんだぜ」

「外圧もあって、な」


 釈明するように言う梅津に、李磊が意地悪く笑って付け加えた。


「それももちろんある。いろんな事情が重なった。そして当時の政治屋や財団共は、その外圧も利用しやがったたのさ」

「よく意味がわからん。外圧などはねかえせばいいだろう」


 李磊と梅津の話が、アドニスには真剣に理解できなかった。


「日本人は批難されることや責められることに、とても弱い。個人でも、家庭でも、組織でも、国家単位でもな。他所の目を気にしまくるっていうか……」


 刑事達や真の目を気にしながら、表現を抑えて解説する李磊。そんな李磊に代わって、香苗が口を開く。


「誰かに叱られたとビクつく民族。そんな性質を見抜いて諸外国はふざけた外圧を繰り返すし、国内でもクレーマー達が集団で襲いかかってくる。組織は批難されると、『面倒だからとにかく謝っておけ』で戦闘放棄。だからクレーマーは余計につけあがる。文句言ったもんの勝ち、批難した方が勝ち。批難されたら負け。負けたら、負けを素直に認めておけば勝ちという、情けない思考回路――それが日本という国の社会。理解できた?」

「なるほど、わかりやすい」


 李磊のオブラートに包む努力を台無しにした、香苗のぶっちゃけた解説により、アドニスも理解できたようであった。


 その時、松本から電話がかかってきて、梅津が目を剥く。


「踏み込み最中に虹森夕月が現れ、裏通り課の精鋭が何人も殺されたと。その中には西部もいたと」

「へえ、あの虹森夕月がか」


 梅津の報告を聞き、真が声をあげる。その名前は勿論知っている。


「裏通り課とガチでやりあう奴がいるとは、ちょっと驚きだ」

 と、意外そうな顔で李磊。


「ここまで一度に被害を出して、裏通り課を敗走させた奴なんて、久しぶりだわ」


 香苗が獰猛な笑みを浮かべる。強敵が現れた事を喜んでいる。


「久しぶりってことは、そういう奴もいたのか?」

「でも最終的にうちらが負けたことはないのよ。でなければ裏通り課は今もこうして存在はしていない」


 李磊の疑問に、香苗が答える。


「あの谷口陸でさえ、警察と正面きっての交戦は極力避けていたほどだしな」

 と、真。


「虹森夕月。荒事専門の有名な始末屋だけど、ここまでキレてる奴だとは思わなかったわ。楽しくなってきたじゃない」


 獰猛な笑顔のまま香苗が言う。李磊は名前しか聞いた事がないし、裏通り歴の短いアドニスに至っては知らないので、ネットで検索し始める。


「二十年以上も裏通りで数多の修羅場を潜り抜けてきた超ベテランか。剣風の戦鬼とか、格好いいんだか悪いんだかわらん異名がついていやがる」

「しかしこの戦歴は中々凄いな」

「死地に好んで向かっているような奴だ。しかしそれでいて全て生き延びている。未だ無敗」

「それも得物はカタナか。漫画みたいな奴だな」


 ネット上の虹森夕月の評判やデータを見ながら喋りあう、李磊とアドニス。


「じゃあ、こいつは署に連行して――」


 マフィアのボス浩然を見下ろして言いかけた梅津の体が、急に床に沈んだ。足元から崩れ落ちて、這いつくばって倒れた。

 浩然もほぼ同じタイミングで、床に突っ伏した。真とアドニスと李磊と河西も、梅津と同じような倒れ方をした。


「ちょっと……どうしたのよっ」


 唯一人無事な香苗が、狼狽して一同を見渡す。警察官達もほとんどが倒れていた。いや、一人だけ、若い警察官が香苗同様に立っている。


「力が抜けて……立てない」

「同じく……。何者かに超常の力で攻撃されているのか?」

「気を練ることもできないね。これは一体……」


 河西、真、李磊がそれぞれ言う。


 香苗ははっとした。この現象に心当たりがあった。


「これはまさか……」


 香苗はかつての部下から、その恐ろしい能力のことを聞いていた。自分が無事で、自分以外に一人だけ無事で、他は皆倒れているこの状況は、その能力の効果と符号する。


 倒れた警官達の間を縫って、一人の少年が現れた。予想していた通りの人物の登場に、香苗の動悸が激しくなる。

 現れたのは、上も下も黒い服で身を包み、黒い一本角と黒いバイザー付きの黒い帽子を被った、背丈からすると小学生と思われる少年。


「知り合いか?」


 香苗が少年を見て動揺しまくっているのを見つつ、梅津が倒れた格好のまま、声をかける。


「光男……」


 香苗が呻く。十年振りの再会。かつての部下であり、自分の後を継いで肉塊の尊厳のボスとなった桜井光男。十年経っても全く背は伸びず、バイザーの下から覗く顔にも、変化が見受けられない。子供のままだ。


「竹田さん……」


 光男がバイザーの下のつぶらな瞳を潤ませて、香苗を見上げる。


「み……光男じゃ……ないっ。今の僕はっ……!」


 未練を振り払うかのように、悲壮な決意の表情となる光男。


「正義の味方、童貞戦士ドウテイダーだ!」


 両手を大きく横に振ってポーズをつけ、光男は高らかに叫んだ。

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