第三十六章 24

 羊のマスクを被った魔術師は躊躇っていた。

 穴に落とされた豚マスクと、愛らしい顔のゆるふわロングヘアーの美少女の戦いは、善治との戦いの合間に何度か視界に入った。その際、豚マスクは何度も術をかけていたのが目に映った。

 今、目の前で自分と向かい合っている少女は、一体どうやって豚マスクと戦っていたのか、どうやって凌いでいたのか、そこまではわからない。豚マスクは焦っているかのようにも見えた。


 試しに幻術をかけてみる。

 すると、抵抗(レジスト)される以前に、少女に術を用いた直後、術の魔力がかき消されるのを羊マスクは感じた。


(妖術は妖力、魔術は魔力、呼び方は違えど、超常の術を行使する際には、超常の力の源となるエネルギーを用いる。術の発動直後にそれが消されてしまえば……当然、術消される。しかし……力を消し去る力など、聞いた事が無いぞ)


 聞いた事が無いが、しかし現実として存在している。そしてそんな者を前にして、どうすればいいのか思い浮かばない。


 実際の所、優からすればそう楽でも無かった。幻術にはかかっている。その幻術そのものを視認し、かかった直後にすぐ消しているにすぎない。その際、幻術に費やされている魔力も同時に消えている。

 動体視力で捉えられない速さのものは消し去ることができても、目には絶対に映ることのない、魔力だけを消すという事などできない。少なくとも現時点では。


 先程の戦闘でも、視認できた術のみ消すことができた。幻術も脳が目を通じて認識しているから消せたが、もしも幻影を見せることなく、感情そのものを操る精神操作系の術をかけられたら、優には成す術が無い。


(消せない術もあるでしょうし、あまり乱発していると、こっちの能力の正体も気付かれてしまいそうですし、この人も早めに封じた方がいいですねえ)


 優はそう判断し、羊マスクの足元に視線を向け、地面を消して穴を掘り、豚マスク同様に穴の中へと落とす。

 道路なので、あまり派手に大きな穴を開けられない。また、縦にのみ深く掘るというのは無理がある。深く掘るなら――地面を消すのなら、横幅もある程度必要だ。しかしそれをやると水道管やらガス管を破壊する可能性が高まるし、そもそも後始末も大変だ。


(いや……今の時点でも水道管とか壊す可能性十分ありますし、この穴に人が落ちてしまうとかそういう可能性もあるから、何とかしなくちゃいれませんねえ)


 戦闘が終わったらすぐに警察に連絡して、後は知らん振りしておこうと心に決める優であった。警察が来るまでは、誰かが落ちないように、自分で開けた穴を見張っておかないといけない。


***


 玉夫は馬マスクの魔術師と交戦していた。


 魔術師というが、敵が用いてくる術は、霊を用いない呪術の類であった。術に怨嗟を込め、強力な呪いをかけて、様々な悪しき効果をもたらす。

 玉夫も霊を用いない呪術を使えるし、最近は必要に迫られて、霊を用いない呪術の効果を高めようと研究中だが、この国古来の呪術師の多くは、霊を利用しての呪術を用いる事が多いし、概ねその方が高い効果をもたらす。


 敵がかけてくる呪いに抗いながら、自分も相手に呪いをかける。傍から見ても何をやっているのかよくわからない、絵的には非常に地味な戦い。しかし本人達は必死だ。


「おぉぉううぅうおぅうええぇげえぇぇえうぇうぇーッっッ!」


 やがて玉夫の呪術が打ち勝ち、馬マスクに呪いがかかり、頭を大きく前後左右に振りながら絶叫する。

 目に一定量の光を浴びると、頭部の全ての神経に激痛が走る呪いをかけた。玉夫の使用する呪術の中でも、霊を用いないものであれば極めつけに強力な代物である。その分、あまり持続もせず自然消滅するし、薄目になっただけでも呪いの痛みを防げるが。


 隙だらけの馬マスクに向かって、玉夫は銃を抜いて撃つ。心臓を撃ち抜かれ、崩れ落ちる馬マスク。


(何てこと……。皆やられた)


 弟子二人が穴の中に落とされ、残った一人は射殺されたのを見て、明らかに分が悪いと悟るシャーリー。これはもう引き際であろうと考える


(伽耶と麻耶が来るのも待たずに、あの馬鹿が飛び出したせいで……)


 シャーリーが俊三の迂闊な行動を改めて忌々しく思ったその時、竜二郎が顔色を変え、急にシャーリーの前から俊三達のいる方へと駆け出した。


(ああ、そういうこと)


 竜二郎が戦闘放棄した理由を知り、シャーリーはにんまりと笑った。それを追撃しようとはしなかった。追撃したならば、敵も自分に攻撃を仕掛けてくるし、弟子を倒した二人がこちらに来る前に、さっさと逃げた方がいいと判断した。


***


 玉夫が勝利し、竜二郎がシャーリーとの戦いを放棄するより前に、少し時間は遡る。


 鋭一が後退し、善治が前に進み出たのを見て、俊三は鋭一の動きに気をつけながら、善治に戦いを挑む。


「人喰い蛍」


 善治の体の周りに、三日月状に明滅する光が大量に出現する。接近してきた俊三めがけて、様々な角度と軌道で一斉に襲いかかる。


(何だ、この術は。えげつなさすぎるね)


 俊三は慌てて逃げようとしたが、三日月状の光は点滅しながらしつこく追ってきて、俊三の体のあらゆる場所を穿ち抜く。

 頭部も胸部も数箇所穴を開けられ、どう考えても致命傷だ。


「終りか……? 強かったんだな、お前」

 意外そうに善治を見る鋭一。


「俺が強いというか術が強いというか……!?」


 喋っている途中に全身穴だらけの俊三が平然と起き上がったのを見て、善治も鋭一も驚愕した。


「再生能力持ちマウスだ。これは厄介だな。再生する力が尽きるまでひたすらダメージを与えないといけない……」


 鋭一が言った。強力な再生能力があるようでは、自分の奥の手を使っても仕留められる保障は無い。


(このスーツを簡単に貫通していった。胸も何箇所かやられたけど、再生装置は傷ついてなかったか。よかった……)


 自分の体が高速で治癒されるのを感じつつ、俊三は胸を撫で下ろす。運が悪ければ、今の術で死んでいただろう。


 善治に向かって再び接近する俊三。魔術を使ってもいいが、今の俊三の殺傷力は接近戦の方がずっと高い。


(凍らせるのはどうだ? これなら再生しようと……)

 凍結の呪符を懐から抜く善治。


「ブルーブレード!」


 善治が呪文を唱え、呪符を放たんとしたが、俊三の方が一瞬速かった。

 俊三の手刀が、善治の体を袈裟懸けに切り裂く。


 その直後、透明つぶてが降り注ぎ、俊三の動きが鈍る。


 俊三の動きが一時的に止まっているうちに、鋭一が倒れた善治に近づき、抱き起こす。すでにその間に、もう一度ロックオンしてある。


(これは……最悪の状況になったぞ。抱き起こして、とどめをさされないようにして……それでどうする? これからどうなる? こんな格好で……夕陽ケ丘も気絶しているし、こんなんで、こいつと戦うのも逃げるのも……)


 善治を片手で抱えて、俊三と向かい合った格好のまま、必死に後退する鋭一。俊三がこちらに向かってきたらまたつぶてをくらわすつもりだが、大した時間稼ぎにもならないだろう。

 戦闘不能になった善治を抱えて、健気にも自分と向かい合った姿勢のまま、バックして逃げようとする鋭一を見て、俊三は勝利を確信した。もうこの状態であれば、どうにでも料理できると思った。


 鋭一が腕を振り、透明つぶてを降らす。俊三に無数のつぶてが降り注ぐが、その場で堪えておいてから、俊三は鋭一と善治に向かって駆け出した。


「えっ?」


 俊三が怪訝な顔をした。目の前にいた鋭一と善治の姿が消えたのである。


「間一髪でしたねー」


 シャーリーとの戦いを放棄して、多重幻影結界の通路を鋭一の後方へと伸ばして移動していた竜二郎が、結界の中へと入ってきた鋭一に声をかける。


「悪魔様に、お・ね・が・い」


 気絶している善治に向かって、竜二郎が回復のお願いをかける。するとたちまち傷口が塞がったが、善治は意識を失ったままだ。服はもちろんのこと、アスファルトも真っ赤に染まり、大量の出血だ。傷は相当深かった。


「どこに消え……」


 不可解に思いながら、内からも外からも見えない――しかし出入りは自由な多重幻影結界へと接近する俊三。


「俊三、今のうちに逃げる」

 その俊三に、シャーリーが声をかけた。


「弟子は全員やられた。あんたのせいよ」

「何で私の……」


 ぴしゃりと告げられ、苦笑してしまう俊三。


「伽耶と麻耶の到着を待たず先走ったせいよ。あの子達が来れば、もっと楽に終わったのに。とりあえず、あの二人はこれ以上戦う気が無いようだし、今のうちに逃げる」

「はいはい」


 優と玉夫に視線を送りながら、シャーリーは俊三と共にその場を立ち去った。


 優が動けなかったのは、道の真ん中に穴を開けたせいだ。この穴に誰かがうっかり落ちないよう、見張ってないといけない。中にはシャーリーの弟子二人がいるが、それでも落ちて打ち所が悪かったら不味いと考えた。


 玉夫は単純に、俊三とシャーリーを二人相手にするのは避けたかった。優が動こうとしない理由も理解したうえで。


「逃げていきましたあ、もう出てきてもいいですよう」


 俊三とシャーリーが見えなくなった所で、優が声をかける。結界が解け、鋭一、竜二郎、そして意識を失った善治が現れる。


「善治は無事かね」

「傷口は塞ぎましたが、出血量がひどいですねー。すぐ輸血した方がいいです」


 様子を伺う玉夫に、竜二郎が答える。


「あんたの占い、善治の女難の相より、こっちの結果の方を占えなかったのか?」

「いやはや、面目ない」


 鋭一に嫌味を言われ、玉夫は笑いながら頭をかく。


「追跡はしてますかあ?」

 優が玉夫に問う。


「大丈夫だ。悟られやせんよ。腕っ扱きのストーカーの霊を使っているんでな」

「腕っ扱きのストーカーって何だ……」


 玉夫の言葉に、鋭一が突っ込みかけたその時だった。


「遅刻」「遅参」


 タクシーが停まり、二つの頭を持つ少女が降りて言った。


「終わってるから帰ろう」「うん、逃げよう」

「待って」


 再びタクシーに乗ってその場を去ろうとする二人だったが、伽耶が引き止めた。指先携帯電話を取り出し、メールを確認する。


「兄弟弟子が穴の中」「ろーどらんなー」


 アニマルマスクは穴の中から電話で、姉妹に助けを呼んでいた。


「助ける」「交戦開始」


 タクシーが走り去り、牛村姉妹が身構える。


「おいおい、この可愛いねーちゃん、この数相手に一人でやろうってのか?」

「油断しない方がいいですよー。改造されたターゲットよりもずっと強そうですから」


 へらとへら笑う玉夫に、竜二郎が警告する。


「玉夫さん、この穴に人が落ちないよう、見張っててくださあい」


 優がそう言って、牛村姉妹の方を見る。

 その視線を感じ取る伽耶と麻耶。


「あの目が危険」「目から力を感じた」

「悪戯者が飛ぶ」「タバスコは目にかけるものではない」


 伽耶と麻耶の言葉が、魔力を具体的な力の作用へと変える。つまり――即興で新たな術が編み出される。


「ううう……」


 優が呻きながら、痛みを堪えて目を開き、目に入った何かを消滅させる。


 優の能力は単純に見たものだけを消すわけではない。優の視界範囲内で、消すと認識したものを消す。故に、視界内にいるのであれば例え高速で動き回ろうと効果は及ぶ。動体視力で捉えられない銃弾ですら消せる。

 しかし目を閉ざされてしまったり、すぐ目の前に遮蔽物を置かれてしまって対象の位置がわからなくなったりすると、視界が狭まってしまうので、視線消滅の能力も効果が及ばなくなる。

 逆に、視界内で明らかに隠れていることがわかる場所にある存在は、例え直接見えなくても、存在が認識できれば消滅できる。例えばロッカーの中に隠れているのがわかっていたら――そして視界内にロッカーがあれば、直接視線が及ばずとも消してしまうことができる。

 あるいは、服の内側の下着を消すということもできる。しかし目のすぐ前に遮蔽物があるのでは、何がどこにあるのかわからない。認識できない。


「でぃっふぇーんす、でぃっふぇーんす」「ばりあーなしーるどいかが?」


 即興の呪文を唱え、即興の魔術を組み立てる牛村姉妹。優の眼前に黒い板のようなものが出現する。それをまた消したが、上からまた降ってきて、優の視線を遮る形で止まった。


「えー……」

 困り顔で、困り声をあげる優。


「あれは不味くないか?」


 優と牛村姉妹の様子を見た鋭一が、竜二郎に声をかける。


「ええ、まさか優さんまであっさりと封じられちゃうとはねー」


 奥の手である、朽縄流妖術の獣符は残っているが、今ここで無理に披露することもないと竜二郎は考える。


「穴の中にいる兄弟弟子さえ救助できれば、もう戦わない」「彼等を助けられればもう戦わない」


 優だけでなく、その場にいる全員を意識して、牛村姉妹は言った。


「ふう……その人の言うとおりにしましょう」


 消しても消しても次々顔の前に振ってくる黒い板を見て諦め、優が決定した。


「ありがとう」「話がわかる子で助かる」


 優に向かって同時ににっこりと笑いかける伽耶と麻耶であったが、優の視線を遮る魔術を解こうとはしなかった。

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