第三十五章 エピローグ

 百合との戦いが終わった純子は、深夜研究所に帰宅するなり、ほぼ丸一日眠り、起きたのは午後十一時という有様だった。

 快勝したように見えて、純子も体力をごっそり消耗していた。遊びすぎて効率の悪い力の使い方をしたという理由もあるが、オーバーライフ二人と同時に戦うのは流石に骨が折れた。


 純子の睡眠が不規則なのは昔からだが、それでも食事の時と三時のティータイムにはしっかり起きてくることが多かったのに、その時間にも起きてくることなくなく眠り続けていた。そのため研究所の住人達も心配し、起きるなり問いただされ、百合と戦ってきたことを明かす。


 それからまたさらに眠り、一夜明けた翌日。いつもの四人で集っての、三時のティータイム。


「殺さなかったから別にいいさ」


 そう言って茶をすする真。話題はまた百合との戦いの件だった。朝も昼もその件について喋った。


「殺しはしなかったけど、百合ちゃんの心の変化がねえ。どうなるかわからないんだなあ」

「関係無い。あいつが例え改心しても、僕は目的を果たす」

「改心はないでしょー」


 そういう問題ではなく、百合はもう自分への恨みや執着を無くしたのだから、ちょっかいもかけてこないかもしれないと、そういう意味で言った純子だが、真にはいまいち伝わってなかったようだ。


「でもまあとりあえず、私と百合ちゃんの間での決着はついたよー。ちょっと荷が下りた気分」

「僕の前でそんなこと言ってほしくないな。あいつが僕に何をしたか。その大元はお前とあいつの確執が原因なのにさ」

「すまんこ」


 ジト目を睨む真に、軽々しい発言だったと思い、謝罪し、お菓子をつまむ純子。


「僕も許す気にはなれません。純子の神経がわかりませんし、真のことをもう少し考えてあげてくださいよ」

「すまんこ」


 累も口を出す。謝罪し、お菓子をつまむ純子。


「改心したとしても、お前と和解したとしても、僕はけじめをつけさせてもらう。僕の心が納得できるように」


 静かに告げる真を見て、累とみどりは驚いていた。


 どろどろした恨みのような念がまるで感じられない。もっと涼やかな心境に見える。今までの真とはまるで違って感じられる。


「百合が生きていれば、それだけでこの先、多くの人が弄ばれて殺されるのですし、純子が戦う時に真も連れていってあげて、とどめだけ真に譲ればよかったんです」

「とどめだけ譲られてもな……」


 累の言葉を受け、心の中で苦笑いを浮かべる自分を想像する真。


「百合ちゃん以上に、大量に人殺しまくった累君がそれを言っても……」

「僕は過去には確かに相当に罪を犯していますが、今は違いますし。今は違うから違いますよ」


 お菓子をつまみながらの純子の突っ込みに、累は真顔でそう言って否定する。


「へーい、話、変わるけどぉ……みどりさぁ、さっきからすっげえ純姉のこと、気になってるんだけど……」


 凄く言いづらそうにみどりが切り出す。その視線の先は、テーブルの上に置かれたお菓子の山に注がれていた。いつもより量が多い。


「んー、何~?」

「明らかにお菓子食いすぎじゃね? ストレスでも貯まってるの? 太るよォ~?」

「いや……太りたいんだよねえ……」


 みどりに指摘されて、純子は苦笑いを浮かべた。


「うっひゃあ……太りたいって……」

 口をぽかんと開けるみどり。


「正確にはあとちょっとだけ脂肪をつけたいの。世の中の女の子達はやたらと痩せたがってるけど、脂肪だって大事なんだよー。でも私は筋トレしすぎのせいか、油断するとすぐ筋肉ばかりになって体脂肪率も落ちまくっちゃうし、腹筋も割れちゃうしね。そのうえ太股が引き締まっちゃう悪夢とか見たし……」


 口に出しては言わないが、脚が自分の一番のチャームポイントだと思っている。そのためにいつも短パンを掃いて、脚を露出させている。大腿筋ムキムキだけは絶対に避けたかった。適度に脂肪がついている方がいい。

 そんな悪夢を見たのも、昨夜百合に腹筋のことを指摘されたからだ。今までは気にしなかったが、帰宅してから嫌々ながらじっくりと自分の体を確認し、確かに少し浮き出ているのを見て、げんなりしたのである。


「ただでさえ、腕が筋肉ついてて太いのも気にしてるのに、お腹の腹筋の割れてるのが見えるとか、超キツいよ。だからちゃんと贅肉つけて隠そうと……」


 一方で筋トレを程ほどに抑えるという発想は無かった。


「世の女の子達と逆行しまくってますね……。羨ましいと思われるんじゃないですか?」

「ふわあぁ~、だよねえ。だからって、意図的に脂肪つけることないよォ~。ていうか、あの神蝕とかいう能力で脂肪増やせないの?」


 累とみどりが言う。


「あれは能力で一時的に増殖しているだけだよー。増やしている状態を維持してると、体力も少しずつ消耗するし、体の一部が欠損した時とかに一時的に増殖して補っていても、後で研究所に帰ってから、ちゃんと改めて再生処置するよ」


 一昨日の晩もその処置を行ってから睡眠に入ったし、その回復も兼ねての爆睡であった。


「じゃあ、脂肪がつきやすく筋肉がつきづらい体に、改造すればいいのでは?」

「んー、それも何か嫌だしー。そういうのは自然に作りたいしー」


 累が提案したが、純子は難色を示す。


「ていうかね、みどり興味あるなァ~、」


 歯を見せてにかっと笑うと、みどりがそろそろと純子に近づいていく。


「え……興味って……」

 嫌な予感を覚える純子。


「純姉の割れたビューティーお腹、見たいっ」

 座っている純子に横から飛びつくみどり。


「あーれーっ、なりませぬーっ、なりませぬーっ」


 強引に服をめくりにかかるみどりに、純子は必死に抵抗する。


「げっへっへっ、よいではないかー、お腹ぐらい、減るものでもなしー」

「嫌だよーっ、腕の次に嫌だよーっ」


 救いを求めるように、純子が真と累の方を見ると、二人して顔を背けるという紳士的気遣いをしていた。


「さっさと済ませろよ」

「オッケイ、真兄」

「いや、そういう気遣いじゃなくて、助けてほしいんだけど……」


 真の態度を見て、何故か抵抗する意欲が少し薄れてしまった純子であった。


***


 瑞穂の住処は、新生ホルマリン漬け大統領の事務所になった。


「今日も元気にーっ、呑気なテロリストたいそーっ。いっちにー、のんきっ。さんしー、てろりすとっ」


 花野がやかましく喚きたてる。


 度重なる改造により、花野はすっかり気が狂っていた。

 こんな状態の花野を返されても、迷惑でしかないが、他に行き場も無いので、仕方なく瑞穂の組織で引き取っている。


「うるせーなー……。元気で呑気とか、どっちなんだ……」


 騒ぎながら怪しい踊りを踊り続ける花野を、おもいっきり顔をしかめて睨む長五郎。


「ちょーごろー……だめー。ころしちゃだめー」


 殺意を滲ませる長五郎に、勝子がしがみついて制止する。


「いや、あれは流石に殺したいし、何とかならねーのかよ」


 長五郎が瑞穂を見ると、瑞穂はアンニュイな面持ちで立ち上がり、机の引き出しから鞭を取り出し、容赦なく花野を打ちつけた。


「うきゃきゃきゃきゃきゃーっ! ぼーりょくはんたーいっ!」


 奇声をあげて事務所の中を逃げ回り、部屋の隅に丸まってうずくまり、震える花野。


「純子もとんだプレゼントをくれたものね」


 瑞穂が大きく息を吐く。花野は最早、こうやって暴力的にしつけるしかない状態になってしまっている。

 瑞穂の事務所は、新生ホルマリン漬け大統領事務所となり、元ラット達が出入りするようになっていた。それに加え、宏と由紀枝もいる。


「勧誘しまくったけど、他の元ラットは来そうにないね。未だに純子を盲信している者もいれば、許せないという者もいるし、後者はうちらが純子と和解したと思ってるんだ」


 水島が報告する。


「新生ホルマリン漬け大統領の設立パーティーを見れば、そう思うんじゃない? 向こうがこっちに協力してくれたわけだし」


 宏が言う。ショーの協力をしてくれた時点で、和解も同然だと、宏も思っている。


「私だって許せない気持ちは残ってるけどね。でももう諦めた」

 瑞穂が言った。


「これ以上はもう……無理。はっきりとかなわないとわかったしね」

「瑞穂が純子に戦いを挑んだのは、無謀だと思ったけど、同時によくやってくれたと思ったよ」


 肩をすくめる瑞穂に、長五郎が躊躇いがちに告げる。気持ちをストレートに口にしたが、負けた瑞穂にこんなことを言ったら、怒るかもという心配もあった。


「そう思ってる人もいてくれたなら、少しは救われるかな」


 しかし長五郎の心配は杞憂であった。瑞穂は照れくさそうに微笑む。


「新しい会員希望者、結構増えてきてる。ネットの口コミ見た限り、以前のホルマリン漬け大統領は嫌いだけど、今度のは期待できそうだっていう人が結構いるよ」


 ディスプレイに向かって真紅の瞳を見開いて、由紀枝が報告した。


 純子に人工魔眼をもらった由紀枝であるが、平面を見る時以外は閉じている。谷口陸の脳組織を移植してもらったおかげで、目に頼らない方がずっと、周囲の空間の把握をできる。


「今後の出し物とか、私も考えていいかな? それと、私もプレイヤーとして参加したいから、戦闘訓練とかしたい」


 瑞穂の方を向き、開いていた目を閉じて、由紀枝が伺う。


「もちろんオッケーよ。皆で考えて、参加して、楽しい組織にしていきましょ」

 瑞穂がそう言って微笑む。


「おお、瑞穂が明るく建設的なことを言うなんて……。ついこないだまで、何かローテンションだったのに」


 宏がからかう。


「もうなるべく後ろも下も見ないで、前向きに生きることにするわ」


 その宏の方にも爽やかな笑顔を向け、瑞穂は宣言した。


***


 一昨日から、百合は気の抜けた顔で虚空を見上げたままで、一日中ほとんど何もしていない。

 話しかけられれば一応答えるし、会話もするが、会話が途切れると、すぐにまた虚ろな眼差しで虚空を見上げ、何もしなくなる。


 純子と決着をつけたことの反動で、百合はすっかり放心してしまっていた。


 恨みは消えてしまった。

 唐突な謝罪、唐突すぎる真相。そして最期のつもりで自分の全てをぶつけた百合であったが、純子は自分を殺してくれもしなかったので、力も想いも出しきって、抜け殻の状態となってしまったのである。

 今や生きる意味さえわからない。これまでは純子に復讐することだけを考えて生きてきたし、それは百合にとって、とても楽しいことであり、生き甲斐でもあった。しかしその生き甲斐も消えた。


「ママ、元気出してよ……」


 心配げに声をかける亜希子に、百合は力なく笑った。


「復讐など、お馬鹿さんのすることですわね。強すぎる想いの反動が、私の中の全ての気力を、根こそぎどこかへ吹き飛ばしてしまいましたわ」


 こうなることも薄々わかっていたからこそ、純子に自分を殺してくれるよう懇願したというのに、純子は殺してくれなかった。


「例えば、今のこの私の情けない姿を真に見せてあげるというのは、どうかしら? 私に復讐しようとしているあの子にとって、それこそ最高の悪意の賜物ではなくて? でもそう考えると、一番の悪は純子とも見れますわね。復讐対象の私を先駆けて壊してしまったのですから」

「あはっ、喋る気力と笑う気力があるのなら、時間が経てば回復するんじゃないかなあ」


 睦月が笑いかける。


「まあ、真が私を斃すのが目的としているのですし、今後もあの子を玩具にして遊んであげましょうか。純子に比べれば物足りないですが」


 そう言って百合も微笑む。徐々に気持ちが落ち着いてきた。


「うわああっ! 百合様あぁああああぁぁっ!」


 悲痛なわめき声と共に、白金太郎がやってきた。

 白金太郎の手にしているものを見て、百合の表情が引きつる。


「百合様! 死ぬ気ですか! 百合様が死んだら俺も死にますよ! ついでに亜希子と睦月も殺して殉死させておいてから死にますよ!」

「あんた、何言ってるの……?」

「何があったのさ……」

「これを見ろ!」


 呆れる亜希子と睦月に、白金太郎が小脇に抱えたゴミ箱の中身から、丸められた手紙を取り出して見せる。


「こらっ、やめなさいっ!」


 取り乱した声をあげて立ち上がり、白金太郎の腕からゴミ箱を取り上げるが、すでに亜希子と睦月は手紙に目を落としていた。


「何これ……? ママ、別れの手紙?」

「これって純子と決闘する前に書いたのぉ? 百合らしくもないというか……」


 亜希子と睦月がますます呆れる。


「百合様、どうか考えなおしてください!」

「いや、考え直すも何も、百合は今これを書いて自殺しようとしているわけじゃなくて、一昨日に書いたんじゃない? 純子と戦って死ぬつもりでさあ」


 土下座して懇願する白金太郎に、冷めた声で告げる睦月。


「え……もしかして俺、凄い誤解してました?」


 顔を上げ、白金太郎が百合の顔色を伺う。

 百合は明らかに怒りを滲ませて、白金太郎を見つめていた。


「あ、貴方……どうしてこれを? 私の部屋にあったものでしょう?」

「いや、だって百合様の出したゴミは、以前から全部チェックしてますもの。百合様の健康を考えて」


 さも当然の如く言う白金太郎に、亜希子はあんぐりと口を開け、睦月は苦笑いを浮かべ、百合は自分の中で何かが切れる音を確かに聞いた。


「ママ……怒っていいよ。超怒っていいよ。いや、絶対怒るべきだから……」


 亜希子が言うが、言われるまでも無い。


「うふふふ……きっと白金太郎は、私を元気づけるために、このような真似をしたのですよ。そうですわよね?」


 こめかみをひきつらせながら、にっこりと笑う百合。


「は、はいっ、そうですっ」


 立ち上がり、逃げ腰になりながら頷く白金太郎。


「あらあら、取ってつけたような見え透いた嘘をついて。罰が必要ね」


 逃げ出す前に一気に間合いを詰め、百合は白金太郎のいがぐり頭を片手で掴んだ。


 百合が白金太郎の折檻をしている間に、睦月と亜希子は手紙の数々を堂々と読み漁る。

 手紙を読みながら、亜希子は瞳を潤ませていた。睦月も穏やかな表情で微笑んでいる。


「ママ、私を創ってくれてありがとう」

「いきなり何ですの? ……って、貴女達、それ全部読みましたの?」


 涙声で礼を述べる亜希子の方を見て、百合は眩暈を起こした。


「私をただ弄ぶためだけに創ったとしても、私はこの世に生まれたこと、いろんな人と巡りあっていろんな経験が出来ること、感謝しているわ。ママのこと、ムカつくけど大好きよ。ママは沢山悪いことをしたけど、いいこともちょっとだけしたのよ。そのいっぱいの悪いこととちょっとのいいことのおかげで、私は今こうして生きているんだから」


 不器用ながらも真剣に想いをぶつける亜希子を見て、百合は助けを求めるかのように睦月に視線を向けたが、睦月は顎でしゃくって、亜希子に答えてやるよう、百合に促す。


「もしよろしければ、それと同じ台詞、真をここに連れて来て仰ってみてくださる?」


 満面の笑顔で言ってのける百合。


「うわあ……ここでそういうこと言うかあ~……。全くママって、意地悪の天才だね」

(照れ隠しだと思うんだけどねえ……)


 顔をしかめる亜希子の隣で、こっそりそう思う睦月であった。



第三十五章 思い出を振り返りながら遊ぼう 終

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