第三十六章 悪い魔術師と遊ぼう

第三十六章 三つのプロローグプラスアルファ

 彼は確信している。

 自分が彼等に惹かれたように、自分がここで朽ち果てても、誰かが必ず引き継ぐ。誰かが自分の影響を受けて、自分と同じ心になる。そして同じことをする。意志を引き継いでくれる。

 いや、あるいはこれから引き継ぐ者も、元々自分と同じ心の持ち主なのかもしれない。引き継ぐ前の自分も、彼等と同じ心の持ち主だったのかもしれない。


***


 年間、世界中で殺人事件は起こっている。

 理由はさておき、殺人事件は必ず起こるものだと、少年は考える。世の中はそういう風に出来ている。誰かが誰かを殺すようにできている。殺人事件が無くなる事は無い。


 さてはて、では一体どうして世の中はそうなっているのか? 殺人事件を起こす者は、どうして発生してしまうのか?


 少年――墨田俊三が思うに、殺人事件を起こしてしまう者は、そうした運命が予め決まっている。逃れられぬ呪われた運命を与えられた、ある意味立派な被害者であると。

 何しろこの世から殺人事件が消えることは絶対にないし、誰かがいつか、必ず加害者になってしまうからだ。

 正直な所、小さい頃からそういう欲求や衝動はあった。殺人事件のニュースを見ても、心の中ではいつも、犯人側の心情で考えていた。実行こそせずに抑えていたが、人を殺してみたいという気持ちと、人を殺したらどうなるのかという興味は、物凄く強かった。


「なるほど。こういう気持ちか。こういう気持ちで人を殺し、殺した後はこういう気持ちになるのか。そしてこんな事が毎日世界中で起こっているのか」


 足元の死体を見て、俊三は冷静に考える。自分は加害者という名の被害者であると。

 足元の死体に同情はしない。この女は殺されて当然のろくでなしだ。他人に殺意を抱かせた時点で、それはもう殺されても仕方が無い。自業自得。因果応報。むしろ可哀想なのは、殺人者となってしまった自分だと考える。


 俊三は、黙って警察に捕まって刑務所に入るつもりなど毛頭ない。自分は悪いことをしたと思っていない。捕まらないで済む方法を模索するため、裏通りにまつわる掲示板を開く。噂で聞いたことがある。裏通りの組織の庇護下に入れば、殺人さえ揉み消してくれることもあると。


 しかし駄目だった。幾つかそれらしい組織はあったが、大抵、事情を聞いたうえで、揉み消すに値するかどうか判定するらしい。彼は……自分は悪いことをしたという意識は無かったが、誰かに自分の罪を問われた場合、有罪判決しか出されないという自覚は有った。

 何しろ俊三は、恋人を衝動的に殺しただけなのだから。


 これまでにも彼は人を殺したい衝動に駆られたことはあったが、必死に我慢していた。何度も何度も殺意が生じたが、殺人者になりたくはないから、我慢し続けていた。しかし今とうとう人を殺して悟る。自分はそういう運命だったと。

 人を殺したことにも悲観は無かった。取り返しのつかないことをしたと怯えることもなく、それどころか、本当の自分を知ることができて、実に爽快な気分だ。今が一番幸福な時間だ。今が本当の人生の始まりだ。だから終わらせたくは無い。


「血の臭いと怨念が漂っていると思ったら……」


 ふと、同じ部屋で声がして、俊三はぎょっとした。


 いつの間にか一人の女性が自分の家に上がってきて、自分のすぐ斜め後ろから、死体をしげしげと眺めている。

 それだけで異常事態であったが、俊三はそこでパニックになりかけた頭を冷まし、こう判断する。彼女は修羅場慣れした裏通りの住人だと。


「まだ若いのに可哀想ね。お互いにね」


 金髪碧眼の痩せた白人女性。年齢は……おそらくそう若くはないと思われるが、いまいちわからない。目の下に大きなクマが出来ていて、それを化粧で隠すつもりもないらしい。


「助けてほしい」


 初対面で相手の素性も怪しいのに、そんな要求をいきなりぶつけられ、女性は面食らった。


「貴女は……普通じゃない人でしょ? 台詞からしておかしいし。なら……助けてほしい」

「間を飛ばしすぎよ。でも、興味を惹くには十分な台詞ね」


 女性はにっこりと笑った。


「いいわ。好奇心には好奇心で重ねましょう。せっかくの出会いも大切にしましょう。貴方が今後私を楽しませてくれるかも期待しましょう。Every man and every woman is a star 貴方がどんな風に輝くかも期待しましょう」


 女性の台詞を聞いて、ああ、どっかいっちゃってる系の人なんだなと俊三は思ったが、キモいとは感じなかった。

 英語で喋った部分もはっきりと記憶し、その意味は後ほど知った。


 それが七年前の話。


***


 世の中には呆れるほど、悪がのさばっている。

 例え法に触れてなくても、明らかに悪だと断ずることができる存在が数多くいる。

 自分の欲望のために、他者を平然と傷つけ、貶める輩。それが彼には許せなかった。そして彼自身もまた、そうした悪の被害者でもあった。


「何でそんな余計なことしたんだ!」


 豪雨の中、幼馴染を殴り飛ばした彼は、豪雨の音にもかき消されぬほどの大声で叫んだ。


「何でお前が俺のために手を汚して……! どうしてだ!」


 本当は問うまでもなくわかっていた。幼馴染の少年は、許せなかったのだろうと。いつもは飄々としているし、自分とは正反対の負の面も持ち合わせているが、それでも義憤に駆られたのだろうと。しかしわかっていても、叫ばずにはいられなかったし、殴らずにはいられなかった。


「許せなかったからですよー」


 端正かつ愛らしい顔を泥水で汚しながら、幼馴染はにっこりと笑って立ち上がった。


 こんな状況でよく笑えるものだと、幼馴染のことをよく知る彼も呆れてしまう。しかしそういう奴だという事も知っている。


「君と血の繋がったお爺さんお婆さんであろうと、悪でしょー? 法的には無罪であっても、君のお父さんを死に追いやった殺人者でしょー? 法が裁けぬ悪を、君が許せぬ悪を、僕も許せなかったから君と法の代わりに『捌いた』んですー」


 泥水をすくいあげるようにして手をかざして、幼馴染は笑顔のまま言った。見慣れたその笑顔が雨にぐしょ濡れであったのが、彼の記憶に焼きついた。

 幼馴染――鈴木竜二郎はこの状況にあってもなお自分のペースを崩さない。ある種の化け物のように、芹沢鋭一には見えた。


「人を殺したんだぞ……」

「実は初めてでもないんですよねー。軽蔑されそうで黙ってましたが」


 震える声で言う鋭一に、竜二郎があっけらかんと言い放つ。


「僕はこういう星の元に生まれたんです。人間社会のどこかに必ず悪人が出現しますが、僕もその一人だったようです。でも、そんな僕からしてみても、許せない悪っていうのも存在します。それが君のお父さんを理不尽に責めたてて、自殺においやったお爺さんお婆さんです。そして、君のお父さんの会社を奪った人達だったんですよー」

「まさか……」

「はい、鋭一君の父親の会社を乗っ取った会社の役員さん達も、今頃地獄で鬼さん達に拷問されていると思いますよー」


 微塵も悪意を感じさせずに、いつもと代わらぬ朗らかな笑顔で告げる竜二郎に、鋭一は呆然としてしまう。


 幼馴染の親友は、悪であり、化け物であった。しかし……

 許せない悪ではない。そして悪である以前に、幼馴染であり親友であった。


「俺は……今からお前を見張っておく。お前がどうしょうもない、許しがたい悪にまで堕ちないように、見張る。もしそっちに行こうとしたら、俺がお前を殺してやる」

「あはははは、それはおっかないですねー。気をつけておきまーす」


 いつものようにあっけらかんと笑う竜二郎の、年齢よりも幼く見える美少年顔が腫れあがっているのを見て、鋭一は胸の痛みを覚える。


「殴って……悪かったな。何なら俺のことを殴り返してもいいぞ」

「嫌ですよー。手が痛くなりますしー。そんなむさくるしい友情ごっこも趣味じゃないですしー」


 言いづらそうに謝罪を述べる鋭一に、竜二郎は冗談めかして言った。


「それと……ありがとう……」


 言いづらそうに礼を述べる鋭一に、竜二郎は笑顔のまま無言になって、照れくさそうに視線を逸らしていた。


 それが三年前の話。


***


 アース学園生徒会長室にて、激しい言い合いが展開されていた。

 怒鳴り込んできたのは風紀委員長の夕陽ケ丘善治だ。怒鳴り込んできた理由は、竜二郎と鋭一が殺人倶楽部の一員だと知ったからである。


「俺は自分に恥じ入ることは何一つしていない!」

「ちょっと鋭一君、少し声を抑えてくださいよー……」


 いつも冷静と思われた鋭一が感情を剥き出しにしているのを見て、善治は面食らっていた。


「お前の価値観を押し付けるな! いつもお前はそうだ! 俺は俺が正しいと思ったことをしている! 例え世間一般に悪だとされるものだろうと、俺は今やっている事は何も思っていない! それよりも、お前の大好きな規則やルールの陰に隠れて、他人を傷つけ踏みにじっている奴はどうなんだ!」


 鋭一がわざわざこんな台詞を口にして激昂しているという事は、自分か自分の身内が傷つけられたからなのだろうと、善治にも察することができた。

 善治にもまだ言いたいことはあったし、鋭一の主張全てを認められるわけでもない。しかし鋭一の純粋な怒りは、それはそれで正当なものであるし、自分は知らないうちに鋭一の傷口を無闇に触ってしまったと感じ、それ以上口論する気も失せてしまった。


「悪かった……」


 罪悪感を覚えて謝罪すると、善治は鋭一達に背を向けた。


「え?」


 その善治の行動が、鋭一には意外と映った。いや、まだ言い合いの途中だというのに、何故善治がいきなり謝りだして、そのうえ口論も中断してしまったのか、鋭一には全く理解できなかった。


(待てよ。こっちには言いたいことも、聞きたいこともあるんだぞ……)


 消化不良な気分で終わったこの言い合い。鋭一の中ではまるで抜けない小さな刺のように、心に刺さって残った。

 善治には善治の主張があるのはわかっている。しかし彼はそれを言い尽くす前に、勝手に言い合いをやめてしまった。どう見ても、善治の方が言い負けたとか、そういう雰囲気ではない。


(何なんだ、一体……)


 相手がもう口論する気がないので、鋭一もそれ以上は続けられない。


 それが数ヶ月前の話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る