第三十四章 26
テオドールとケイトの記者会見と、その後のコメンテーターやキャスターの歯切れの悪いぼやきを聞いた後、純子、みどり、累は、それぞれ目の前にディスプレイを投影して、ネットの反応をチェックしつつ、雑談をかわしていた。
テオドールと国境イラネ記者団が、メディアの監視の役割を担うことに対して、ネット上での評価は賛否両論だが、先に素直に非を認めたという事と、ケイトが賛同して支持を出した事によって、支持率が今までにないほどに上昇していた。これまでは10%以上いったことがなかったのに、日本では32%。世界では23%にまで上がっている。
「日本と日本以外でのこの微妙なズレは……まあ、そういうことです」
「あばばばば、喉元過ぎればのお人好しが多い国だもんよー」
「日本人のお人好しは、日常面では悪くないですが、社会そのものに向けて発揮すると、わりと困りものだと思います」
「イェア~、何か事件が起こって一瞬怒ってもすぐ忘れて、別の事件を楽しむからねえ。社会悪を知る民衆とそれを報せるマスコミ。流しそうめんみたいなもんじゃね? 大衆にそばを上から流し続けるマスコミと、次々流れてくるそうめんを延々と食い続ける大衆」
「僕のイメージとしては、わんこそばの方がしっくりきます。そう考えると、マスコミばかり叩くのもどうかと感じてしまいますね」
などと、累とみどりが喋っている。
「マスコミはこれまでも、メディアの裏の大ボスみたいな国境イラネ記者団に、いろいろ検閲や規制されていた身だし。それがさらに厳しくなっちゃう感じになるから、マスコミ関係者はいい顔はしていないだろうねえ」
それまで黙って二人のやりとりを聞いていた純子が、口を開いた。
「それでもヴァンダムにやられるよりはマシだと思って、受けいれるっしょ。テオドールの言ったとおりさ。ボスが変わらない方が安心。あ、でも本当はクローンと入れ替わってるわけだァ。あぶあぶあぶぶぶぶ」
みどりが歯を見せて笑う。
「奥さんを叩かれたから怒って戦い始めたのに、その奥さんに梯子を外されたヴァンダムさんも、ある意味可哀想ではあるけどね。自業自得とはいえ……」
と、純子
「彼は何で既得権益に繋げたら不味いと、理解できなかったんでしょう……」
累が不思議がる。
「常識を完璧に備えた人間なんていないし、人間誰しもどこか欠点が有り、どこかで非常識な部分も持ち合わせている。今回、ヴァンダムさんは、その欠点と非常識部分が炸裂しちゃったとしか言えないよー。ここにいる三人だって皆それぞれ、どっかおかしい所あるわけだし」
「ふえぇ~……凄くあるよォ~」
「凄く説得力ありますね……」
純子の解説に感心する雫野流の二人であった。
「あ、ヴァンダムも声明を出すみたいですよ」
累が言った。
「早いねー。多分リアルタイムで視ていて、いてもたってもいられなくなったんだね」
「どんな足掻き方するか楽しみだわー」
純子とみどりが楽しげに微笑み、ヴァンダムのサイトを開いた。
***
真はかつての傭兵仲間であるシャルルと李磊(リーレイ)の三人で、安楽市内の喫茶店で雑談をしていた。
「新居とは都合がつかなかったん?」
「うん。日本にいるみたいだけど、都内にはいないし、薬仏市とかいう所にいるみたいだねー」
李磊の問いに、シャルルが答える。二人共英語で喋っている。
「しかし自国嫌いの李磊が軍の工作員なんかしてるとは、驚きだよ」
「いろいろあったし、いろいろ考えてさ。いい加減、家族とも仲直りしたかったしね」
目を閉じて、言いづらそうに話す李磊。
「秘密工作員しながら道場開いて、その道場に日本の国家機関に所属する戦闘員が通って、互いに雑談レベルで正体ばらしあってる方が、僕は驚きだ」
「こらこら、知っててもそれは言うんじゃないよ」
真の言葉に李磊が苦笑いを浮かべる。
「シャルルは何してるの?」
「アメリカで始末屋してるけど、アメリカの裏社会は今概ね平和なんだよねー。『戦場のティータイム』に平定されちゃったおかげで」
李磊に訊ねられ、シャルルが答えた。
「サイモンが戦場のティータイムのナンバー2してるって聞いたよー」
「そうなのか……道理でアメリカの裏社会支配とかもできるわけだ」
「へー、あいつがギャングなんてイメージ全く合わないな」
シャルルの言葉に、真は感心し、李磊はかつての仲間のギャング姿を想像していた。
「シャルルもアメリカが暇なら、日本に滞在したらどうだ?」
「そうだねえ、この国は俺にとって聖地だけど、住むにはちょっとなあ……」
真の誘いに、シャルルは逡巡する。
「それはそうと俺秋葉原行くから、二人共ついてきくれない?」
「行かない」
「いいぞ」
シャルルの誘いに、真は即座に断り、李磊は即座に了承した。
***
テオドールの記者会見を視聴し終えたヴァンダムは、しばらく憮然とした顔のまま無言であった。
同室に勝浦とテレンスもいたが、声をかけづらい雰囲気で、無言のままだ。
そこに、電話がかかってくる。テレビ電話を繋ぐ要請付きで。相手はテオドール・シモン・デーモンだった。
『私の記者会見を視てくれたかな? 君の奥さんの言うとおり、互いに矛を収めよう。私は収めたよ』
画面の向こうでテオドールが、切実な表情と声で訴える。
「収めた? どこが? 君は収めてなどいないだろう。私がしようとしたことを代わりにやろうとして、自浄すると宣言していた。本当に矛を収めるつもりなら、何もしないはずだ。違うか?」
この台詞には、画面の向こうのテオドールはもちろんのこと、傍で聞いていた勝浦とテレンスも驚いた。驚きつつ、勝浦とテオドールは、ヴァンダムに神経を疑うような眼差しを向けている。
『何を言っているんだ。謝罪も反省も自浄もせずでは、何も解決しないだろう』
「私を出汁にして改心し、私は拳を振り上げたままの格好のピエロというわけかね? そもそも事の発端は、君達が私の家内にちょっかいをかけた事だというのに」
『あれは……申し訳ないと思っている。近いうちに公の場で謝罪をする』
伏し目がちになるテオドールを見て、ヴァンダムは少し怒りを冷まし、違和感を覚えた。記者会見の時にも、そしてここに繋いだときからもずっとその違和感はあった。
「君は……本当にテオドールか?」
不審げに訊ねるヴァンダムに、テオドールが画面の向こうで固まった。
「私が知るテオドール・シモン・デーモンは、そんなに潔い男ではないはずだが」
喋り方も顔つきも、まるで違うように感じられる。
『君の知るテオドール・シモン・デーモンと、別人と思ってくれても全く構わないぞ。雪岡研究所で洗脳されたとでも思ってくれ』
本気とも冗談ともつかぬ台詞を返され、ヴァンダムは言葉を失った。
『当然世間も、我々の立場で今更自分の尻を自分で拭くと言っても、すぐには信じてくれないだろう。しかし信じてもらえるまで、私は尽力するつもりだ。メディアに嫌疑の目が向けられなくなるよう――』
「そしてやはり私は一人で玉乗り遊びをして、転げて落ちたピエロとして歴史に名を残す――か。よくもまあ人をここまで小馬鹿にできるものだ」
荒々しく言い放つと、ヴァンダムは電話を切った。空中に浮かんだディスプレイも消える。
怒りを露わにした顔で、ヴァンダムがテレンスの方を向く。
「テレンス、テオドールを始末してきたまえ」
「言うと思いました。お断りします」
間髪いれずに断るテレンスに、ヴァンダムは歯噛みする。
「対話でカタがつかなければ戦争だ。私もその理屈で奴等に狙われた。こちらは我慢して矛を収めろと? 戦争を仕掛けておいて、勝手に矛を収めて、もう終わりにしようなどとのたまう相手に、我慢しろと?」
「ミスター・ヴァンダム。もう引き際ですよ」
ヴァンダムを真っ向から見つめ、涼しい顔で告げるテレンス。自分の二倍以上も歳上のヴァンダムと向かい合い、臆する事なく堂々と意見している。いや、意見どころか、事実であると確信をもって口にしている。一方、勝浦は少し離れた所でオロオロしている。
「テレンス、君にはわからないかもしれないが、私はこれまでの人生で、何度も何度もこういう状況を経験し、今の君と似たような台詞を何度も何度も言われたよ。しかし、だ。私はそこで一度として諦めたことはなかった。普通に考えて――誰の目から見ても、間違っていると、有りえないと、やってはいけないと、ここで退かなくてはいけないと、勝てるわけがないと、そう思われている状況で、しかしそれでも私は戦いを辞めなかった。もちろん、退いたこともある。しかしそれは私が退いた方がよいと認めた時だけだ。私が認めない限りは、どんな正論をぶつけられようと、どんなに不利な状況であろうと、私は前に進み続ける。勝つための算段を立てる」
演説気味の長広舌で宣言するヴァンダムに、テレンスは呆れと諦めの入った吐息をつく。
「わかりました。一応は付き合います。しかし、テオドールを始末するというのは反対です。少なくとも僕は請け負いません。理由は、僕が彼を殺したいと思わないからです。今の電話の様子を見ても、会見の様子を見ても、彼は殺してはいけない人物だというのが、僕の結論です」
「では君以外の君の部下に頼んでもいいかね?」
「それもお断りです」
「ミランあたりは私の個人的頼みで動いてくれそうだがね。個人での直接のやりとりだ。構わんだろう? 君はミランに動くなと釘をさし、ミランが動かなかったら仕方ないと諦めよう」
ミランがテレンスとあまり仲がよくないことを見越して、ヴァンダムは一応確認を取った。
「わかりました。好きにしてください」
投げやりに言うテレンス。
「早速私も声明を出すとしよう」
深呼吸をして気を落ち着かせると、ヴァンダムはディスプレイを投影し、ネットを開いた。
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