第三十四章 20
「一対一を三つに分ける。自分の相手を斃したら、援護しようなどと考えずに、とっとと中に突入してヴァンダムを探して殺せ。まだ中にはテレンスもいるから用心しろ」
「はいはい」
「異議あるけど議論してる暇無いからわかった」
アドニスの指示に、シャルルと正美がそれぞれ答え、自分の相手を決めて視線を向ける。
正美はキャサリンに、シャルルは先程から自分を睨んでいるミランに視線を向けていた。消去法で、アドニスはロッドが相手となる。
正美とキャサリンが西に、アドニスとロッドが東に移動し、ミランとシャルルは位置を変えずにそれぞれ対峙する。
***
真っ先に始めたのは正美とキャサリンだった。少し遅れて、ミランがシャルルに向かって発砲する。ロッドとアドニスは互いにすぐに仕掛けようとはせず、向かい合ったままだ。
右手に銃、左手に銛を持った正美。右手に銃、左手で
移動直後に、キャサリンが正美めがけて縄を投げる。
正美は移動方向を変え、正美めがけて接近することで、投げ縄を回避したつもりであったが、キャサリンの手元に縄が戻る途中、縄が二つに分かれ、一つが正美を追撃するかの如く、後ろから首にかかろうとした。
正美は左手に携えた銛で大きく縄を振り払い、キャサリンめがけて一発撃つ。
キャサリンは横にかわして、正美を撃つが、キャサリンのかわした方向に、正美もぴったりとくっついて横へ移動してかわすと、さらにキャサリンめがけて迫る。
接近戦を嫌がって避けようにも、キャサリンの後方には壁がある。キャサリンはさらに銃を撃つが、またかわされる。
正美の動きの鋭さと速さと正確さに、キャサリンは舌を巻いていた。ひょっとしたらテレンス以上なのではないかとも思う。
ついには、正美が近接戦闘を行える間合いまで、キャサリンに迫っていた。
至近距離からキャサリンが縄を振るったが、正美は一気に速度を速めて踏み込むと、縄を振るった直後の姿勢のキャサリンの腹めがけて、銛を突き入れた。
銛が腹に刺さるも、正美は奇妙な手応えを感じた。柔らかくも厚い感触に阻まれ、内臓に達した手応えがない。
「脂肪アーマーよ」
勝ち誇ったように、にんまりと笑うキャサリン。
「何それ。脂肪で防いでるっていうの? ちょっと信じられない。脂肪ってそんなに凄い防御力あるわけ? でも私はそんなアーマー身につけたくないな。私女だから、普通そんなアーマーいらないと思う」
銛を高速で震わせて、押したり引いたりと試みながら喋る正美。しかし銛はがっちりと掴み取られたかのように、びくともしない。これにはさすがの正美も驚いた。
「ふふふ……私の腹にあるのが、脂肪だけだと思っているの? よーく覚えておきなさい。脂肪の下には、筋肉があるっ!」
正美が力を込めて銛を引こうとした動きに合わせて、キャサリンは腹部に渾身の力を込めた。
反動で、銛が一気に引き抜かれ、正美も体勢を崩す。
その隙を狙って、キャサリンが正美に銃を向けたが、正美の姿は無かった。
体勢を崩したのではない。正美はキャサリンの動きを読んで、銛が抜けた直後に銛を手放し、側面へとまわっていた。
「しまっ……」
至近距離から側頭部に銃口を向けられている事実に、戦慄するキャサリン。
慌ててかわそうとするキャサリンだが、かわせないのはわかっていた。それ故に、他のことも同時に行っていた。回避と同時に、咄嗟に側頭部を太い腕でガードする。
引き金が引かれ、銃弾はキャサリンの手首を貫き、側頭部を穿っていた。
否――穿っていたかのように見えて、違った。手首に阻まれた事によって弾道が変化し、弾丸は頭蓋骨の表面を派手に削りながらも、脳には達することなく、キャサリンの頭部を滑るようにして明後日の方向へと飛んでいった。
それでもキャサリンの頭部に深刻なダメージを与えたことには変わりない。弾の衝撃もしっかり食らっている。キャサリンは意識を失い、その場に倒れた。
「運がいいね、この人。これも脂肪の力?」
明らかに戦闘力を失った相手に、とどめをさすつもりはない正美である。敵の戦闘員まで始末しろと依頼されているわけでもない。
もちろん相手がそのうち逆襲してくる可能性も高いので、因縁を断つには殺しておいた方がいいことは、正美とてわかっている。しかしそれでも、無抵抗の相手にとどめをさす気にはなれない。それが正美の性格だ。
キャサリンを放置し、アドニスの指示に従い、奥にある階段へと正美は向かった。
***
「オットーの仇!」
叫びつつ、ミランは二挺銃を撃ちまくる。
二挺銃は敵が複数の時こそ最大の意味を持つ。
では一対一で効果は無いかといえば、無くも無い。コンセントの効果で銃口と弾道を注視し、敵の弾を回避する戦闘において、銃口が二つに増えれば、ほんの少しだけ、注意が逸れる事もある。しかしコンセントのおかげで、同じ人間の持つ銃の弾道が二つに増えた程度では、それほど大きな変化があるわけでもない。
あとはリロードの回数を減らせるという利点がある。こちらの方が利点としては大きい。しかしだからといって誰も彼もが二挺銃を用いるかと言えば、そんなことはない。むしろ使わない者の方が多い。銃一つの方が集中できるという者の方が多い。
シャルルもミランに合わせ、銃を二挺に増やす。真に教えたのは鋼線や針の扱いだけではない。二挺銃の扱いもシャルル仕込みだ。
ミランは普段から二挺銃を使っているわけではない。むしろ今回で初めてだ。特に戦術面での深い意味も無い。もう一挺の銃はオットーの形見という、ただそれだけだ。
両者は激しく動き回り、しばらく一進一退の攻防が続いた。だがミランもシャルルも、敵の銃弾を回避して凌ぎながら、はっきりとわかった。どちらの技量が上か。
シャルルは油断せず落ち着いて敵の動きを見切り、追い詰めていく。ミランはどんどん余裕を無くし、動きが荒くなり、やがておぼつかなくなる。しかしそれでもミランはよく粘っていた。
やがて勝負はついた。シャルルの銃弾が、ミランの腹部と胸部にヒットした。
どちらも防弾繊維を貫かずに済んだが、ミランは衝撃に堪えきれずに倒れ、致命的な隙を晒してしまう。
とどめをさそうとしたシャルルが、しかしとどめの引き金を引けずに、大きく横へと動いた。
背後に殺気を感じ、その直後、シャルルがそれまでいた空間を無数の銃弾がよぎった。
表で戦闘していた強化吸血鬼部隊と銀嵐館の戦士達が、外の刺客を全て退け、中に突入してきたのだ。
(もう全部やられたのか。早すぎー)
シャルルは苦笑して、エントランスの奥へと向かう。階段にはたどりつけない。非常口の方へと向かった。もしそっちにも敵がいたら面倒臭いが、いないことに賭けた。
***
ミランとシャルル、正美とキャサリンが銃撃戦を繰り広げる中、アドニスとロッドは静かに向かい合っていた。
アドニスとロッドは、互いにその存在を知っていた。どちらもアメリカの裏社会では有名人だ。
アドニスはすでに銃を抜いていたが、ロッドがボクシングスタイルで構えているのを見て、銃をしまい、代わりにアーミーナイフを取り出す。
「おい、俺をナメているのか。お前はそのまま銃でいい。無理して俺に合わす必要は無い」
アドニスの挙動を見て、ロッドが不機嫌そうに言い放つ。
「そんな台詞を吐くってのも、無粋だと思わんか?」
そう言って、アドニスは中腰でアーミーナイフを構える。
「それもそうだ。悪かった」
ロッドが無表情のまま謝罪し、静に少しずつ距離を詰めていく。
アドニスはナイフを構えたまま、一気に飛び出せるように、さらに腰を落とし、片足を微かに後ろへと引く。
武骨な男同士、互いを見据えたまま、その距離がゆっくりと縮まっていく。
静かに距離を詰めていくロッド、先に一気に相手の懐に飛び込んだのは、アドニスの方であった。
上体を前方に突き出し、思いっきり腕を伸ばしてナイフを振るう。狙いはロッドの首だ。
(ナイフ相手の戦闘は、実戦はもちろんのこと、テレンス相手に散々模擬線をしている)
ロッドは思う。ナイフの達人であるテレンスに比べて、アドニスの動きは明らかに速度が劣る。しかしその無駄の無い洗練された動きは、テレンスにも引けを取らないのでは無いかと感じた。
上体を後方に反らす――スウェーバックによって、アドニスのナイフはかなり際どい所で、空を切った。ロッドの喉すれすれの所だった。ロッドは己の喉に、冷たいような、熱いような風が駆け抜けていく感触を、確かに感じ取った。
アドニスの攻撃はそれで終わらなかった。ナイフを振るうよりもさらに速い動きで、そしてさらに強く早い踏み込みを行い、体を横に入れ替えつつ、もう片方の手で掌打が突き出される。
ロッドはナイフをかわした後、アドニスの顔面めがけてジャブを放つつもりであったが、予想以上にアドニスの動きが速かったため、完全にペースを狂われさていた。アドニスの動きそのものも、予想外であった。ロッドの繰り出すジャブとは逆方向に、体が入れ替えられている。
おそらく自分の動きを最初から予測されていたのだろうと、ロッドが思った刹那、体重をたっぷり乗せたアドニスの掌打を横腹に食らっていた。
ロッドの体がくの字に折れる。かなりの衝撃であったが、ロッドは倒れるのを踏みとどまり、アドニスの次の攻撃を警戒しつつ、苦し紛れの反撃に出る。
ロッドはボクシングスタイルを好むが、何もボクシングだけではない。他の格闘技にも精通している。崩れた体勢から、アドニスの頭部めがけて回し蹴りを放つ。
だが完全に苦し紛れの攻撃であったが故、アドニスは余裕をもってかわし、ロッドの喉めがけて、今度はナイフを突き出した。
ロッドは拳でこれを受けた。これまた苦し紛れの防御であった。瞬間的な受けであったが、奇跡のように上手くいった。アドニスのナイフがロッドの手を貫く。
アドニスは一気に後方に跳び、距離を取ると同時にナイフをロッドの手から引き抜いた。無理はしない。ロッドがすぐに反撃に転ずる気配を感じていた。
(強い……)
貫かれた手の血をなめ、ロッドは血の混じった唾を吐く。強敵とまみえた喜びと恐怖で、全身の細胞が震えている。
両者が再び接近を試みようとしたその時であった。これまで無かった複数の銃声が立て続けに鳴ったのは。
アドニスは己に降り注ぐ銃弾を回避しつつ、トラックへと向かった。そして荷台の中へと飛び込む。
ロッドの中で大放出していたアドレナリンが引いていく。それと共に、脇に痛みを覚える。先程のアドニスの一撃で、肋骨が折れていたようだ。実に強烈な一発だった。貫かれた手も痛みを帯びる。
(せっかくのいい勝負だったのに、最悪の邪魔しやがって……)
救援のつもりで銃を撃ってきた、強化吸血鬼と銀嵐館の戦士達を、憮然とした面持ちで睨むロッド。もちろん文句を言うのは筋違いだとわかっている。
アドニスはトラックに脱出用に積んであったバイクに乗ると、トラックから一気に飛び降りて、銃を撃ちまくりながら、強化吸血鬼と銀嵐館の戦士達の間を駆け抜けて、外へと走り去っていった。
(あのまま戦っていたら、勝負はどうなっていたかはわからんが……俺の方が押されていたのは事実だな。それでも……楽しかった)
ほんの短い間であったが、実に濃密な時間を過ごした。嫌な幕引きではあったが、せめてその余韻に浸ろうと、ロッドは決めた。
***
ビルの奥へ侵入して、階段を駆けあがり、廊下を駆けて扉を片っ端から開けていた正美は、ほどなくしてその人物と遭遇した。
「うん、今目の前にいますよ。了解」
廊下を歩きながら、テレンスは電話をしていた。相手はキャサリンだ。失神していたが意識を取り戻して、正美の侵入を許してしまったと、テレンスに報告を入れた所だ。
「その銛……捕鯨用の銛ですよね? 捕鯨反対を掲げるグリムペニスと海チワワへの嫌味ですか?」
正美の持つ銛を指し、笑顔で親しげに声をかけるテレンス。
「え? 違うよ。何ソレ? いきなり人の武器見て嫌味かってそれどういうこと? 頭にきちゃう。ぷんぷんだよ、もう」
テレンスの言葉に、頬を膨らます正美。
「あ……違いましたか。ごめんなさい。でも何で銛を武器に……」
「知らないの? 銛って強いんだよ? 鯨だって狩っちゃえるんだから。だから私は銛を使うの」
やっぱり嫌味ではないだろうかと疑う、テレンスであった。
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