第三十三章 22

 甘粕瑞穂は、元々はただの博打打ちの少女であった。

 最初は家庭の借金を返すという事情でやむなくギャンブルに手を出していたが、次第にギャンブルにとりつかれていき、気がつけばすっかりデスゲームの博徒と化していた。


 デスゲームといっても、裏通りの賭博においては、負けた方が必ず死ぬゲームというわけではない。あくまで死ぬ可能性もあるゲームを指す。デスゲームという響きが格好いいので、その名で呼ばれているが。

 そもそも負けたら必ずゲームなど、プレイヤーがどんどん消えていってしまい、商売が成立しない。また、負けたら必ず死ぬ仕様にしてしまえば、客が贔屓にしているプレイヤーも容易く死んでしまい、集客も悪くなる。


 ホルマリン漬け大統領の運営するデスゲームの常連となった彼女は、そこで早坂零という男と、雪岡純子という悪名高いマッドサイエンティストと知り合い、親しくなった。そして瑞穂は純子に心酔し、彼女の実験台となった。

 瑞穂は純子を女神のように崇めて慕うが、純子はそんな瑞穂を冷遇し、『ラット』というカテゴリーに入れた。後ほど知った話だが、純子は自分を盲信する手合いを好まず、ラットとして放置するらしい。


 純子のために役立ちたい、側にいたいという感情は未だ捨てきれずにいる瑞穂であるが、彼女がそうした想いを嫌うというなら、それはそれで仕方無いと、割り切ろうとしていた。しかし気持ちがどうしても冷めてくれない。


 裏通りの始末屋となり、零とコンビを組んで仕事をするようになった瑞穂は、いつしか零に想いを抱くようになる。

 しかし零に気持ちを打ち明けることもできず、零は相沢真との戦いで命を落とした。


 改造後もずっと、ホルマリン漬け大統領の主催する、デスゲームに明け暮れていた瑞穂であったが、零を失ってからは、その頻度が激しくなっていった。瑞穂はベテランのプレイヤーであるが、危うく命を落としかける事も二度ほどあった。


 デスゲームに没頭することで、何もかなわない嫌な運命を忘れようとしていた。


 ところがデスゲームを開催していたホルマリン漬け大統領さえも、潰れてしまった。


 何もかも失ってしまう。何も得られない。今はただの始末屋として生きている瑞穂。今は大杉宏という男と知り合い、コンビを組むことが多い瑞穂。

 この生き方も、そして新たな相棒も、いずれ失ってしまうのだろうか? 瑞穂は心の底で密かに怯えている。


***


 幾度となく投げつけられるラリアット。そしてその合間に撃たれる銃弾。

 変則的な攻撃に最初は戸惑った瑞穂であったが、次第に慣れてきた。


 しかしこの慣れさえも、キャサリンの計算に入っている。


(中々やるみたいね。でも、これはかわせるかしら)


 キャサリンがラリアットを投げる。瑞穂は回避しようとする。

 キャサリンが投げた縄が、途中で二つに分裂し、瑞穂の回避先へと変化球のように軌道を曲げた。そのうえ、瑞穂に向かって飛んで来た輪が炎に包まれた。


「え?」


 縄が燃える仕掛けを仕込んだのはキャサリン自身だが、想定以上に激しく炎が噴きあがっているのを見て、キャサリンは怪訝な声をあげる。

 炎によって輪が燃やしつくされたのを目の当たりにして、キャサリンはこれが如何なる事態か察した。


「ふーん、貴女も火を使うんだ。私ほど上手くはないようだけど」


 瑞穂が口にした言葉が、キャサリンの想像を証明していた。さらに、手元に戻したもう片方の輪までもが燃え、さらには炎が不自然な動きで、キャサリンの持つ方へと縄を伝って動いてくる。

 慌ててラリアットを手放すキャサリン。生き物のように動く炎が、ラリアットをあっという間に焼き尽くす。


(炎を操る能力……パイロキネシスの使い手ね。フィクションでしか御目にかかったことのない能力だけど……実在したなんて)


 炎を操る能力など、実在したらとんでもなく危険極まりないと、キャサリンは思う。それが自分の敵として立ちはだかっている現状は、極めて脅威だ。


「まあ、焼かれてあげてもよかったんだけどね。それで驚かせるってのもいいしさ。こんな風に」


 瑞穂が冷たい声で言うと、その全身から炎が噴きあがった。


「十分すぎるくらい驚きよ……」


 炎の中にいる瑞穂を見て、キャサリンは呻く。瑞穂の肌も髪も、そして何故か服さえも、炎の中にいながら焼けてはいない。あの炎自体幻覚ではないかとも勘繰ったが、ラリアットを不自然に燃やしつくしたのは、明らかにこの女の能力だ。


 一方で、ロッドと宏は近接戦闘を繰り広げていた。

 ロッドがボクサーであるのに対し、宏はナイフ使いである。


 ナイフを得物にする者とも、用心棒の仕事で散々やりあっているロッドであるが、宏のナイフの扱いは、そこいらのチンピラとは一線を画するものがあると、ロッドは見た。今まで戦ってきたナイフ使いの中では、間違いなく最も強いであろうと。


 互いに攻撃が当たれば一撃必殺になりかねない中で、緊張感のある近接攻防が、すでに三十秒以上も続いている事に、ロッドは久しぶりにアドレナリンが全開し、激しい興奮と喜びをえている。


 宏の方は、本能的に察していた。自分にナイフという武器があろうと、相手の方が明らかに強いと。

 しかし相手が強かろうと、必ずしも自分が負けるとは限らない。仮に十回戦えば、間違いなくロッドの方が勝ち越すだろう。それが戦闘力の違いと言える。しかし十回やって全敗するほどの差は無い。勝てる一回を、今にすればよい。例え相手が自分より強くても、そのつもりで戦う。


 ロッドのジャブをかわして、宏が踏み込んで首めがけてナイフを振るうも、すでにロッドの上体は横に逸れている。

 ロッドのフックが飛んでくるが、宏はフックをかいくぐり、さらに踏み込んでナイフを突き出す。

 しかしロッドはあろうことか、手の甲で宏の手首を打ち付けて、払って防いだ。


(まるで楽しい社交ダンスのお時間だ)


 空中に冷や汗を迸らせながらも、宏はそう思い、微笑みをこぼす。


 互いに解っている。このダンスは、ペアの片方がもう片方のリズムに合わせられなくなって、いずれ破綻して終わるものだと。

 そしてリズムを先に崩すのは自分である気配が、時の経過と共に濃厚となっていくのを、宏はひしひしと感じていた。


 ロッドの踏み込みに、拳の動きに、とうとうついていけなくなった。反応しきれなかった。ただ、反応しきれなかったという事実だけ、脳が受け入れていた。その瞬間、宏の周囲の動きがスローモーションになり、本当にわずかな間だけ、宏は逃れようと精一杯足掻いた。

 フックがテンプルを穿つ。ロッドの拳は、容易く相手の骨を砕く。これまで何度も敵の頭蓋骨を粉砕し、一撃であの世に送ってきた。


(ほう……やるな)


 ロッドは敵に感心し、称賛を贈っていた。わずかではあるが、宏は頭部を逸らして、ロッドのフックがクリーンヒットするのを避けていた。攻撃の威力を大幅に殺していた。しかしそれでもなお、宏が軽い脳震盪を起こしてダウンするほどの威力を伴っていた。


 宏の敗北が確定したその時、瑞穂は体中から無数の透明のビニールのようなものを飛ばした。

 瑞穂は風上にいる。無数のビニールは風に乗って、キャサリンへと向かって飛んでいく。しかし風に乗って飛ぶにしては不自然な動きと見るキャサリン。まるでビニール袋が意思をもって飛び、自分めがけて向かってくるように思えた。


 何枚ものビニールはキャサリンの近くで、発火した。そして何倍もの大きさの炎の塊となって、十分に警戒していたキャサリンに様々な角度から襲いかかる。

 瑞穂の能力は、パイロキネシス一つだけではない。平面状に肉体を増殖分裂させ、変化させることができる。紙、布、ビニールのように変化させ、色もつけられる。実は普段着ている服は全て肉体の一部であり、厳密にはいつも裸でいるようなものだ。自分の体の一部を重ねて纏っているのだから。


 何故そんなことをするかというと、瑞穂の発火能力が、自らの体から噴出するものであるからだ。瑞穂の体は一万度近くまで耐えられる耐熱能力があるが、普通の服では燃えてしまう。だから自分の体を分裂させて服のように纏っている。さらには、分裂した部分からも炎を出せるし、分裂した部分をある程度コントロールも出来る。


「のおぉぉおおぉおぉっ!」


 炎に包まれて悲鳴をあげて悶えるキャサリンを見て、ロッドは目を大きく見開いた。


 だが、その直後に炎が嘘のように消えた。キャサリンの動きも止まる。炎に包まれたのはそう長い時間ではなかったが、それでも十分すぎるほどにキャサリンの全身に深刻な火傷を負わせた。

 瑞穂の視線は、ロッドに向いていた。


「痛み分けってことにしない? そんな馬鹿でも一応私の相棒だし、助けてくれるとありがたい。見逃してくれたら、退いてあげるし、この仕事もキャンセルしとく」


 冷めた顔と声で、瑞穂がロッドに交渉を持ちかける。


「そんな口約束に乗れと?」

「信じられないなら殺してもいいわ。こっちも焼き豚にしとくから」


 問うロッドに、瑞穂がキャサリンに視線を向けると、キャサリンの体からまた、少しずつ火がついていく。


「わかった。交渉に応じる」


 ロッドが言い、倒れている宏から離れた。するとキャサリンの体についた火も消える。


「お前があっさりと敗北するとはな……」


 キャサリンの側まで来て見下ろし、信じられないような口振りでロッドは言った。この姉は少なくとも自分よりはずっと強いし、海チワワの中でキャサリンに勝る者など、テレンスくらいしかいない。ここまではっきりと敗れたのを見たのも、初めてではないが珍しい。あのバイパーですら、散々手こずらせたというのに。


「あっさりって言われるのも心外だけどね。あの女が上手だったわ。あいつがまた来たら、テレンスに出てもらいましょ」


 瑞穂の口約束など信じられるものでもないが、できれば信じたいと思うキャサリンであった。


「すまんな……また足引っ張っちまった」

 瑞穂に担ぎ起こされた宏が謝罪する。


「ええ、本当済まないわ」


 アンニュイな口調で身も蓋も無く告げる瑞穂に、宏は苦笑した。


「嫌になったら見放してくれてもいいぜ。こんな駄目なパートナー」

「人を見放すってのは……私はしないでおく。見放された時、辛かったから」


 赤い目の少女の可愛らしい笑顔を思い浮かべながら、瑞穂は自虐的に言った。

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