第三十三章 9

 スハルトは雪岡研究所に訪れ、嗚咽しながら真相を全て暴露した。自分達親子が烏腹に従って、ケイトを陥れようとしている理由も。犯罪に手を染めた事を烏腹にかぎつけられ、その証拠を幾つも押さえられて、それをネタに強請られている事も全て。


「生活が苦しくて、ついつい出来心で裏通りの危険な仕事に手を出してしまったんです。違法ドラッグの運び屋を……」

「それは字面だけの意味ではなく、裏通りでも禁止されている違法ドラッグって意味だよな?」

「はい、コカインやヘロインといった麻薬です」


 真の問いに、涙声でスハルトは答えた。側には純子とみどりもいる。


 コカイン、ヘロイン、覚醒剤といった、一部の依存性の高い違法ドラッグの売買や運輸は、裏通りですら禁じられている行為である。下手すれば中枢から問答無用で粛清されかねない。

 実際の所、国の法で禁じられた違法ドラッグ全てが、裏通りでも禁じられているわけではない。裏通りに違法ドラッグ販売組織は無数にあるが、法律的に違法とされていても、中枢の判定基準でさほど危険ではないと判断されたドラッグだけを、彼等は扱っている。中枢からダメ出しされた物は、裏通りの組織とて決して扱わない。

 しかし一部の組織はその禁すら破って、危ない橋を渡っているという噂だ。あるいは、裏通りのルールには従わないマフィアか。


「私だけなら……どうなっても構いません。しかし……私が捕まれば、千晶を一人にしてしまいます。千晶も私を守るつもりで、傷つきながらケイトさんを陥れる片棒を担いでしまっています。全ては私が悪いのです。だから……どうにか助けていただきたい。この状況……どうすればいいか、私にもわからない。何とかできる方法を……」

「言ってることが矛盾している。どうなっても構わないと言いつつ、娘を一人にはできないと言ってるじゃないか。ここに来るってことは、死ぬ可能性も含まれているんだぞ」


 懇願するスハルトに、真が冷たい口調で告げる。


「その記者を殺しておこう。僕が行ってくる」

「真君、それだけじゃ済まないよ」


 物騒なことをあっさりと口にする真に、スハルトは慄き、純子は溜息混じりに制した。


「千晶ちゃんとスハルトさんは、ケイトさんを告発した人として、もう世間の前に晒されているんだよ。例えその記者を殺しても、何も解決しない。他の記者がたかってくるだけなんじゃない? それにケイトさん達がどう出るかも、現時点ではわからないんだしさー」

「殺すだけで済まないのは僕にもわかってるよ。でもその烏腹ってマスゴミは、ケイト・ヴァンダムを陥れるために、赤村親子をさらに自分の言いように動かそうとするのが、目に見えているじゃないか。殺しておいた方がいいのも確かだろ」

「そうだよ。だから烏腹って人を殺しても、別の人がきっとその役目を引き継いで、スハルトさん達を、ケイトさんを貶めるために利用するんだよ。今朝のあのニュース見てわからない? 烏腹さんだけが、ケイトさんを攻撃しているわけじゃないんだ。マスメディアそのものが一斉に攻撃しているんだよ」


 シンプルな手段での解決を図ろうとする真を、純子がわかりやすく説明して諭す。


「以前メディアは、ケイトさんをつるしあげて、逆に信用を損なうという顛末があったからねー。その屈辱を忘れていなかったし、逆襲の機会を伺ってたんだよ。それが今なんだ。単にケイトさんにリヴェンジして溜飲を下げようっていうだけじゃない。それで商売にもなるし、自分達の正当性のアピールにもなるし、もちろんプライドの維持のためでもある。これはそういう戦争の構図であり、スハルトさん達はその矢面に立たされたんだ」

「なるほど……。そこまでわかってるなら、どうするつもりか聞きたいな」


 純子の口からどんな答えが返ってくるか承知のうえで、挑みかかるような口調で問う真。


「私は私のルールに従ってしか動く気は無いよー? 私に助けを求めるなら、その代償は支払ってもらうよー? 私の実験台になってもらうし、その代わりとして助けになる力を授けるし、その後もフォローはするつもりだよー?」

「そこが矛盾するだろ。それで実験結果で死なせてしまったら、娘を一人にしてしまう。逮捕されるのと同じことになる。元はといえば、そんなことしたこの人が悪いけどな。でも今更そんなこと言っても仕方ないし、お前が手心を加えるしかないんだよ」


 予想通りの純子の対応に、それでも真は苛立ちを覚えた。


「この人は罪を犯した。その罪だって、娘を思うがあまり、キツい境遇から少しでも楽になりたいと思うがあまり、だ。それを責める気にもなれないし、偉そうに責められる資格のある奴がどれほどいる? そして……罪を犯したことを悪魔につけこまれ、利用され、犯した罪以上の代価を支払わされている。酷い話だと僕は思うし、助けられものなら助けたいと思うけどな?」

「んー……」


 情に訴える真の論理に、困り顔になる純子。


「悪魔に目をつけられ、悪魔から逃れるために助けを求めた先も、また悪魔か? 異なるタイプの悪魔がお前か? いや……お前が悪魔になるのか天使になるのかは、お前の手心次第だ。僕はお前に悪魔になってほしくはないんだがな。お前を……どんなになだめても、怒っても、頼み込んでも、お前はそのルールを変えない事は承知してるけど、それでも言わせてもらった」


 言いたい放題言ってから、真はぷいと横を向いた。その仕草が可愛いと感じて純子は微笑をこぼす。


「へーい、純姉の件はおいとくして、具体的にどうしたいのォ~?」

 みどりがスハルトの方を向いて尋ねる。


「どうしていいかわからないけど、とにかく助けてほしいという、曖昧なお願いだから、具体的にどうもないです……」


 自分でもはっきりしないことを言っていると思いつつ、スハルトは言った。


「はっきり言うけど、取り返しのつかないことしちゃってるわけじゃん。例え脅迫されたにしても、糞野郎の片棒をもう担いじまったんじゃん。その清算をしたくて、ここに来たわけ~?」

「娘を傷つけたくないし、もうケイトさんを裏切りたくないです。もう……裏切ってしまいましたが」

「ケイトさんに事情を話して謝んなよ。こんな所に来てないでさァ」

「全くだ。裏切って悪いと思いつつ、謝罪もせず、無傷で通そうっていうのか?」


 真もみどりに同意する。


「私はそれでもいいんです! でも娘に罪は無い! 娘を罪人にしたくはない!」


 中学生と小学生に上から目線で責められているかのように感じ、スハルトは苛立ちを覚えながら叫ぶ。


「娘も立派に同罪だ。罪を犯した。脅迫されていようがな。あんたは自分の娘可愛さに盲目的になっている」


 冷たく言い放つ真に、スハルトは顔色を変えた。


「子を持った親の気持ちがわかるか! しかも年長者に敬語も使わず!」


 見た目が十代の子供達にいいように言われ、スハルトも腹が立って怒鳴った。


「そんな定番の逃げ口上が通じるとでも思うのか? そういう状況か? あんたがいくら娘のためと言っても、あんたの娘も嘘と裏切りという形で罪を犯した。例え脅迫されたにしても、だ。貧乏だから、脅迫されたから、子を持つ親の気持ちだからなんて理由を免罪符にして、それを無かったことにしたい。それがあんたの目的か? さっきも言ったけど、僕はそれを責めはしないよ。でもさ、無かったことにはできないんだよ。罪を清算しないといけない。倫理上、そうすべきだと言ってるわけじゃないぞ。あんたとあんたの娘の心を楽にするためだ」


 自分の半分程度しか生きていなさそうな子供にそこまで言われて、スハルトはやっと理解した。


「あんたはきっと僕のこと、子供のくせに偉そうなこと言うとか見くびっているだろう。年長者に敬語を使え? 歳を経て経験をより多く積んだ者が偉いという意味で言っているなら、そっちが使え。僕は裏通りという、表通りの人間の何億倍も密度の濃い世界で生きている。人もいっぱい殺している。つまり人間としての経験値の積み上げは、ただ年月を長く生きただけのあんたより何億倍も上だと、確信を持って言える。そういう領域の人間を前にしているということを意識しておけ」


 冷ややかかつ高圧的な告げる真の言い草に、しかしスハルトは反論できなかった。反論する言葉が思い浮かばなかったし、真のその言葉と視線に気圧されていた。真の言葉が正しいとして、心が認めて受け入れてしまっていた。

 それだけではない。振り返ってみると、自分の言い分こそ駄々をこねている子供のようであり、真はこちらのことをちゃんと気遣ったうえで――罪の清算まで考えたうえで発言してくれていた。その事にようやく気付いて、スハルトは恥ずかしい想いでいっぱいになる。


「申し訳ない……。私が間違っていました。君の言うとおりです」

 素直に謝罪するスハルト。


「まーそれはいいとして、話を元に戻そうぜィ。実は脅されて嘘でしたと言ったとしても、それでどうかなるかねえ?」

「んー、でもさあ、私も真君と同意見で、それは避けて通れないと思うんだよねえ。改造どうこうでケリをつけるなら、良心を破壊して罪の意識をもたなくする改造とか、そういうのになっちゃうだろうし、それだってお父ちゃんだけじゃ意味ないだろうし」


 みどりが疑問を口にし、純子が顎に手を当てて思案顔で言った。


「良心破壊だけでも意味は無いだろ。ケイトへの償いもないうえに、マスゴミへの悪事の片棒担ぎも破棄しないといけない。みどりは何を危惧しているんだ?」

 真がみどりに尋ねる。


「脅されていたと人前で訴えたくても、それができないってことだわさ。マスゴミとしては、そんなの流したくないっしょ? あるいはネット上にうぷしたとしても、一度テレビに流しちゃった事実を消すのは難しくね? テレビの方が、見ている人は圧倒的に多いんだしさ」

「何のかんのいってテレビっていう媒体が一番強いしねえ。視聴者の数が多いから。まあ、それなら心配もいらないよー。生放送で不意打ちかませばいいだけの話だし」


 みどりと純子に言われて、真も納得する。


(見た目は子供だが、確かに皆よく頭が回る……。私などとは格が違う)


 一方、スハルトは感心して、三人の会話を聞いていた。


「ああ、そっか。ケイト叩きに協力しているふりをして、あれは嘘だったって言えばいいわけね」

 みどりがぽんと手を叩く。


「うん。どうせすぐお花畑映像に切り替わるだろうけど。ケイトさんを叩くのが、どうもマスコミの総意みたいだから」

 と、純子。


「さっすが純姉は悪知恵まわる~。越後屋よりワルよのォ~」

 みどりが茶化す。


「いや……すまんこ、やっぱそれは意味無いよ。ここは正攻法の方がいいね。記者会見を開くと言って集めて、嘘だったと言った方がいい。ヴァンダムさんと親しいテレビ局もあるから、そこだけはきっと流してくれると思う」

「ふぇぇ~……それじゃあ、せっかく褒めたあたしが馬鹿みたいじゃん」


 純子の訂正に、みどりが頬を膨らませる。


「とりあえずもう改造云々は無しだな」


 話の流れを聞いて強引に断定すると、真はスハルトを見た。


「あとはあんた次第だ。困ったことが他にあれば――何か協力できることがあれば、僕が力を貸してやる。ただし、改造希望ではもうここに来ないことが条件だ」

「ちょっと真君、それひどーい」


 真に向かって抗議の声をあげる純子。


「え……条件が改造しないことって……」

 真の言葉の意味が理解できないスハルト。


「言葉通りだよ。人体実験して改造して力を得ようとか、そんなことはもう二度とやろうとしないと誓うなら、協力できることは協力してやる。僕も散々偉そうなこと言ったしな」

「そんな……そんなことしてもらう義理は……」

「困ってる人間が目の前にいる。それを助ける。それってそんなにおかしいことか? まあ今の状況じゃ、知恵を貸すくらいしかできないけど」


 戸惑うスハルトに、真は淡々と述べた。見た目や喋り方こそ冷たい印象の子だが、その台詞の熱さに、スハルトの胸と目頭も熱くなった。


「あ、ありがとうございますっ」

 深々と頭を下げ、心から礼を述べるスハルト。


「たまには無償の人助けもいいだろ? どうしてもお前のルールとして受け入れられないなら、お前は黙って見てればいい。僕とみどりでやるから」


 純子の方を向いて真が言う。


「私は別にそこまで自分ルールを、何が何でも遵守はしないよー。仲間はずれも嫌だし、私も仲間に加わるよー」


 溜息をつきつつも、まんざらでもない顔で微笑む純子であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る