第三十三章 5

 ヴァンダム夫妻と船の上で楽しくお喋りしたその翌日、義久は自宅にて、安瀬が殺された事を知った。


 しばらくして犬飼が訪れた。犬飼も安瀬が死んだことを知り、義久を訪ねたのである。


 安瀬の死は情報屋同士のネットワークで知った。銃殺死体が堂々と人目につく場所に晒されていたので、いずれは表通りのニュースでも取り扱う可能性がある。あるいは……相手が相手であるし、報道に規制が入り、ニュースにはならないかもしれない。


「ペンは剣より強しとかぬかしている連中が、殺し屋雇っているのは笑うところか?」

 皮肉げな口調で犬飼。


「戦場ジャーナリストなんかは昔から、傭兵を雇って護衛や案内をしてもらう事が多かったって話だが、自前の兵なのか、それともそうした護衛の仕業か? いずれにせよ自分達を探りまわる同業者を問答無用で始末してくるとは、流石に想像できなかった。よほど知られたくないことがあるのかな」


 怒りを押し殺した声で義久が喋る。


「銃を持った護衛を待機させているなんてだけでも、知られたくはないだろうな。そして死体をこっそり処理せず晒したのは、他に仲間がいるかもしれないと見て、警告のつもりかな? つまり俺達への。そう考えると、知られたくない云々以前に、かなり犯罪者属性の強い、攻撃的な組織なんだろうぜ。あるいは安瀬が裏通りの住人と見て、一切容赦しなかったのかも。何しろ奴等の背後には、裏通りと相対する構えの貸切油田屋がいるわけだし」


 犬飼の冷静な分析を聞いて、ますます怒りが募る義久。裏通りの常識からすれば、こそこそ嗅ぎまわっていたのだから、殺されても仕方無いという事になるが、義久にはそれが受け入れられない。その辺、まだ表通りの感覚を引きずっている。


「どうする? ヤバそうだから手引くか?」

「犬飼さんはいつでも手引いていいよ。俺はこんなことされて引き下がっていられるタチじゃない」

「おいおい、俺は一人でもやるつもりだったし、意地悪言ってくれるなよ。安瀬にゃあ悪いが、せっかく面白くなってきたことだしさ。メンタル弱そうなお前さんを気遣ってあげたんだぜ」


 不敵な笑みを浮かべてからかう犬飼に、義久もつられて笑った。


***


 肝杉柳膳と烏腹法之は共にフリージャーナリストであり、メディアに露出する機会が多く、そして嫌われている。


 烏腹は一時期ケイト関連の件で干されかけた事があるが、最近はまた仕事がぼちぼちと入るようになった。最近は記事を書く仕事よりも、テレビで珍獣コメンテーターとして扱われる仕事の方が多い。

 人前に露出する仕事は正直好かない烏腹であるが、自分の売り込みと宣伝のためと思って仕事を引き受けている。細かいトラブルを起こすこともしばしばあった。再び干されるレベルではないが。


 一方、世渡り上手な肝杉は、何人もの支援者を抱えて、彼等の協力も得ながら、次から次へと仕事に励んでいる。自己顕示欲も旺盛で、精力的かつ積極的に自分を売り込んでいく。他人に恨まれ、嫌われるようなことはするが、仕事上の取引相手と衝突することは避けている。そうした計算ができる。

 その日、烏腹と肝杉はショットバーのボックス席にて飲んでいた。友人もあまりいない烏腹が、人生で最も多く酒の席を共にした相手は、肝杉であった。


「三週間前の新宿封鎖騒動、あれも酷い報道規制だった。ネットでは幽霊がどうのだの結界がどうのだの、流言飛語が酷くて、結局何が起こっていたかわからん状態だ」


 忌々しげに語る初老の男――烏腹。肝杉と飲む時は大抵、報道にまつわる話しかしない。


「裏通りに関してもそうだが、この国は報道に規制をかけすぎる。報道自由度が常に下から数える有様なのも頷ける」

「報道自由度なんてものを勝手に決めている、国境イラネ記者団だってそうじゃないか。報道の自由を掲げておきながら、実際には規制をかける側だ。ま、今はそんな奴等の手足となって、動いている身分だけどな」


 烏腹の苛立ちを肴にするかのように、へらへらと笑いながら余裕をもって話す肝杉。こちらは腹が大きく出た、樽体型の中年男であった。直情的な烏腹と、常にシニカルで冷徹な肝杉は、同じ記者でも対照的な性格をしている。


「あいつらは報道関係者の振りをして、報道を支配している」

 拳を握り締める烏腹。


「しかし俺らにとって美味しい部分もある。利用し、利用され……世の中そんなもんだ」


 肝杉がたしなめるが、烏腹は納得がいかない。絶対正義である自分を利用する存在など、この世にいてはならないと本気で考えている。あくまで利用するだけの立場でならないと。


「ヴァンダムも日頃はマスコミを批難する言動が多いくせに、雪岡純子の件では報道機関を利用してくれたな」


 烏腹が言い、ウィスキーを呷る。


「あれは裏通りの報道規制にムカついていたテレビ局にとっても、都合がよかったから仕方無い。ヴァンダムと結託して、一泡吹かせてやっただけのことだ。それに、ヴァンダムは口ではマスコミを批難しているが、各国に独自ルートで、マスコミとも繋がりを持っている。いや、作ったと言った方がいい。恐らくは一年前のケイト・ヴァンダム叩きが影響してな」

「そこまでは知らなかった……流石……」


 肝杉に教えられて、烏腹は感心する。年齢は烏腹の方が上だが、記者としての能力ではどちらが上かはっきりしていたし、傲岸不遜な烏腹も、肝杉のことだけは認めていた。


「ついでに言うと、あんたが爆弾を投下しようとしている事も知っているぞ」

 肝杉がそう言って、ビールを注ぐ。


「大した鼻してるよ。明日記者会見が開かれる。その時を楽しみにしていてくれ」


 烏腹は一瞬目を丸くして驚いたが、自信満々に言い、にやりと笑った。


***


 貸切油田屋日本支部。


 エントランスにてテレビを見ている何人かの中には、幹部の一人であり、工作員部隊の隊長であるハヤ・ビトンの姿と、日本支部の支部長であり、上級幹部であり、さらにはデーモン一族執政委員の一人でもあるラファエル・デーモンの姿があった。


 ビトンは名義上、死んだことになっているが、それでも堂々と日本支部の中に姿を見せている。役職も変わっていない。もし本部の者に突っ込まれたらよく似た別人だといって誤魔化しておけと、ラファエルにそう言われている。

 そんな杜撰な死亡工作でいいのかと呆れたビトンであるが、おそらくバレてもいくらでもフォローが利くのであろうし、そもそも死んだ事にしてもしなくてもよかったのではないかと、最近は思い始めている。


 テレビには、ラファエルと同じくデーモン一族の執政委員であり、貸切油田屋の上級幹部である人物、テオドール・シオン・デーモンが映っていた。

 精悍な顔立ちをした壮年の白人男性だが、目はどろりと濁っている。顔立ちは整っているが、目つきが悪い。ようするに人相がよろしくない。愛想の一つも無い男で、ラファエル同様に、鉄面皮の何を考えているかわからない男として、一族の中でも不気味がられている。


「私はできるだけ感情を表情に出さないようにしているだけだが、この男は……私が見た限り、人と大きく異なる思考と感性の持ち主故に、他者と壁を作っているタイプに思えるよ」


 画面の中でインタビューに応じているテオドールを見やりつつ、ラファエルは言った。


「元々はデーモン一族の中でも目立たない者であったし、執政委員の一人に入るような柄では無かった。エンジェルネームを授かることができなかった時点で、有望視もされていなかった」

「エンジェルネームか……」


 ビトンが顔をしかめる。デーモン一族内における、エンジェルネームにまつわるエピソードは、決してハッピーな代物では無い。


 デーモン一族は全て、始祖とも呼べるミハイル・デーモンの血を引いている。

 この中でも母親の遺伝子も優秀とされた者や、冷凍保存されたミハイルの精子優秀な遺伝子を持つ卵子に人工授精して生まれた者は、生まれた時から天使の名を与えられ、幼少時から非人道的とさえ言えるほどの徹底した英才教育を受ける。その教育課程で廃人化する子や、自殺する子もいるという噂だ。

 例外としては、ミハイルの長子や、それに近い歳のオーバーライフが、エンジェルネームを持っている。


「しかし彼は、国境イラネ記者団の代表という地位についたが故に、執政委員の一人に加えられた。いささか不自然な栄転ではあったが、世界中のメディアを牛耳れる立場となったのであるから、その功績としては相応しい。彼が来日して何をしているのか、私にもわからんが、どうもキナ臭い。彼は兵士や殺し屋を揃えている。貸切油田屋が好んで使う殺し屋のアドニス・アダムスも雇っている。彼も最近日本で活動していたことだしな」

「知っているよ。昨夜アドニスが、安瀬春太郎という、裏通りの情報屋界隈では、そこそこに名の知られたカメラマンを殺害しているとも聞いた」

「君も知っていたか。探りを入れられていた事もそうだが、殺害して対処するとは、いよいよもってキナ臭いな」


 ラファエルとビトンが会話していると、ラファエルの電話が震動する。テレビはCMへと変わっていた。


『テレビを見てください。ニュースで大変なことが』

「今まさに見ていたが、どのチャンネルだね?」

『24chです』


 部下の言葉に従い、チャンネルを変えると、記者会見の場が映し出されていた。

 マイクを前にして席に座っている、東南アジア系と思われる可愛らしい少女が映し出されている。年齢は十代前半と思われる。


「この子は……」

 ラファエルはその少女に見覚えがあった。


「知っているのか?」

「ケイト・ヴァンダムが二年前、命がけで助けて話題になった子だよ」

「ああ……あの……」


 訊ねるビトンに、ラファエルが答える。事件の内容だけは、ビトンも知っていたが、女の子のことまでは覚えていなかった。


『二年前、私がケイトさんに助けられたという話は嘘です』


 泣きそうな顔で、そして涙声で、その少女――赤村千晶は告白する。


『全部作り話です。ケイトさんが名声をあげるための狂言だったんです』


 千晶の横にいる父親が、沈鬱な面持ちで言った。

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