第三十二章 30
「ほうほう、御高名な雪岡純子殿と御目にかかれるとは、光栄の至り」
全く気持ちが込められていない棒読みで、山葵之介は挨拶する。
「さて、そろそろ客人達に我輩の出し物を見せて、楽しませてやらねば。一部、客人達に役者になってもらってな」
山葵之介がそう言って、シルヴィアに顔を向ける。
「シルヴィア丹下、望みをかなえてやる。お前が葉山を討ち漏らしていることを知ったからこそ、葉山を起用し、護衛的な用途でも用いたのだ。しかしそれだけで終わらせてしまうには勿体無い。こうして因縁有る宿敵同士が顔を合わせたのだ。今こそ討ち果たすがよい」
「そんなことお前に命じられてやる筋合いはねーし、今の俺の仕事は、お前を殺す事だ。そっちの方が優先順位はたけーんだよ」
シルヴィアが不機嫌を露わにして言うが、山葵之介は意に介さず、今度は葉山の方を向いた。
「葉山、シルヴィアと戦うがよい。断れぬ理由はわかっておろうな?」
山葵之介の長い指が、人質にとられている上美を指す。葉山は反応しない。
「しかし……そのまま戦ってもお前が勝つに決まっていて、面白くない。ハンデをつけるとしよう。佐藤、葉山の両腕を折れ」
「両腕を折ったらハンデがつきすぎではないですか?」
「否、我輩の見立てでは、それでもその男は強い」
異を唱える佐藤に、山葵之介はぴしゃりと言った。
「葉山よ、前に進み出て、両手を上げよ。佐藤が折りやすいようにな」
山葵之介の命令に、葉山は無言で従い、数歩前に進んで、両手を肩まで前に上げた。
「おい、葉山……」
素直に従う葉山を見て、シルヴィアが思わず声をかける。
「いいんですよ、シルヴィアさん。敵なのに……蛆虫なのに、心配してくれてありがとうございます」
振り向いた葉山に爽やかな笑顔で言われ、シルヴィアは口ごもった。心配したというより、あまりに簡単に敵の言いなりになっていることに、これでいいのかという意味で声をかけたつもりであったが、それも広義では、心配というニュアンスに入るのかもしれないとも考える。
「これは報いでしょう。今まで罪を犯し続けた蛆虫への。蛆虫な僕のせいで、上美ちゃんを危険に晒したことは、申し訳なく思っています。生まれてすみません」
葉山が喋っている間に、佐藤が腕を振り、刃のような形状の光を発して、葉山の右腕に直撃させる。
「む?」
佐藤は唸った。刃のような形をしているが、この光は佐藤の殴打と同じ威力を持つ打撃を伝えるものだ、所謂孫の手と呼ばれる、念動力の一種である。ただし佐藤の場合、素で使える超常の力ではなく、予め術を己にかけておく必要があるうえに、効果時間も存在する。
さらに光を二度飛ばす佐藤。確かに右腕に打撃は与えている。しかし折れない。単純にとんでもなく固い。今度は続け様に三発放ったが、やはり折れない。
「仕方ないですな」
佐藤は諦めたように呟くと、葉山の側まで歩み寄り、葉山の右手首を右手で掴んで捻り、自らは腰を落として、片膝を立てる。
「ふんっ」
一声発すると、佐藤は葉山の右腕を、己の膝めがけて勢いよく叩きつけるように振り下ろした。さらに叩きつけた部分を支点にして、葉山の右腕上腕部に左手を乗せて体重をかけ、手首を持った右手にも同時に体重をかける。
嫌な音がホールに響く。中々折れなかった葉山の腕が、ようやく強引にへし折られた。
腕を折られても、葉山は顔を少ししかめただけで、呻き声一つあげなかった。その様子を見て、上美は涙をこぼしながら猿轡を強く噛み締める。
葉山のもう片方の腕も粉砕しようと試みる有様を、上美は目を背けることなく見届ける。自分が人質にされているために葉山が酷い目にあっている様から、目を背けて逃げてはいけないと感じたからだ。この事を心に刻みつけないといけないと、強く思ったからだ。
一方でシルヴィアも、葉山が人質を取られていいようにやられている様を見て、自分が激しく怒りを覚えていることを意識する。仲間を何人も殺した恨めしい相手ではあるが、同時に強敵としても認めた相手だ。その葉山が、自分が見ている前で、卑劣な連中にいいようにやられている有様が、悔しくてたまらない。腹が立って仕方がない。
「んー、どうしたものかなあ、これ」
上美をチラリと一瞥する純子。
「人質などというチープな手を使っている輩が、美学がどーたらとか、正直呆れるな」
「うん、同感」
栗三が言い、安瀬が頷く。
「しかし葉山はそのチープな手にどうにもできず、従う道を選んだ。お前達は自由だぞ。従う謂れもあるまい? もちろん、葉山以外の者が我輩の意向を無視して勝手に動いても、その娘は殺すつもりでいる。別に構わぬのではないか? 葉山と違い、赤の他人であろう? 特に雪岡純子、自身を悪とするのなら、躊躇いなく動けばよいではないか」
長い指で純子を指し、山葵之介が指摘する。
「で、葉山さんの覚悟を台無しにしろと? そういうことをしないのが、私の美学なんだよねえ」
「純子さん……」
両腕を折られた葉山がゆっくりと起き上がり、純子に感謝するかのように、無理して微笑み、会釈する。
(しかし実際どうにかしないとヤバいし、今、それができそうなのは、純子、お前だろうに……。何で黙って見てるんだよ。動けよ。それとも……)
シルヴィアが純子を見て思う。何故純子は動こうとしないのか、わからない。何か理由があるのかと勘繰る。
純子からすると、話は単純だ。葉山はともかくとして、電々院山葵之介という男は、今の所、自分に対して敵対行為を働いていない。純子のルールからすると、戦う理由は無い。
そして人質にとられた上美を助けるのは、今はその機ではないと判断する。そのうえ人質の救出は、そう容易でもないと受け止めている。少しでも人質を取っている男が隙を見せれば、その時、空間操作を用いて、さくっと助けようと考えている。
(でも……一人じゃないんだよね)
上美を人質に取っている男の側に小さな空間の扉を開いて、純子はチェックしていた。正確な位置まではわからないが、確かに気配がある。すぐ側にもう一人潜んでいる。ようするに人質を取っている男が撃たれるなりして、奇襲で殺されても、側に潜んでいるもう一人が上美を殺す手筈なのだろうと、純子は察する。
(随分と先の展開まで読んで、用意周到で、しかも意地悪だねえ。いちかばちかで人質救出を強行したとしても、側にもう一人殺す係を配置していて、助けたと思って安心した所で改めて殺し、ぬか喜びをさせて、絶望させるわけかー。んー、私とどっちが意地悪だろ?)
純子が山葵之介を一瞥し、不敵な笑みをこぼす。
(葉山さんが人質取ってる人を撃たなくてよかったよ。その人だけなら殺せたかもしれないけど、二段構えの罠だからねえ。もし真君なら撃ってそう。あとで真君に、こういうケースもあるよって、ちゃんと教えておかないと……)
純子がそんなことを考えている一方で、無惨にへし折られた両腕をだらりと下げた葉山が、シルヴィアの方を向いた。
「別に両腕が使えなくても問題有りません。元々蛆虫に両腕なんて無いでしょう? また一歩、本物の蛆虫に近づいただけです。さあ、シルヴィアさん……僕と戦ってください。お願いします」
力無い笑みを浮かべて声をかける葉山に、シルヴィアはやり場のない怒りに歯噛みしながら、銀嵐之盾を呼び出す。
「お姉様、本当にこんな茶番に付き合う気~?」
「仕方ねえさ」
幾夜の言葉に、シルヴィアが吐き捨てて、葉山を見据える。
その時であった。
「ジャアアアアァァァァップ!」
高らかな叫び声と共に、観客席の入り口――丁度山葵之介の向かいの位置に、アンジェリーナが現れて、高々と片腕を上げた。
「おや、新たな客であるかな?」
「え? アンジェリーナさん……?」
「あのイルカ……人質の子と一緒にいたよね」
山葵之介、葉山、幾夜が、アンジェリーナを見てそれぞれ言った。
その数秒後、闘技場にいた者全員が驚く事態が発生した。
「ジャァアァァァァップ!」
「ジャアアァァァァァーップッ!」
「ジャ、ジャ、ジャアアアァァアァァープ!」
さらに三人のアンジェリーナが、別の入り口から姿を現して、拳を振り上げるポーズと共に叫んだのである。
「は……?」
「増えた……」
「産んだのー?」
「何じゃこりゃ……」
葉山、安瀬、純子、シルヴィアが、それぞれ呆然として呟く。
「ジャァーップ!」
「ジャジャジャプ! ジャアアアッ!」
「ジャアアアァァアアァァァップ!」
「ジャップップップ~ッ!」
さらに複数の叫び声があがり、いろんな場所から現れる複数のアンジェリーナ。最初に現れた入り口から数名追加し、別の入り口からも後方から何人もどんどん出てきて、シルヴィアが入ってきた入り口からも、葉山が入ってきた入り口からも何人ものアンジェリーナが現れて、闘技場のリングも客席も瞬く間に、増殖するアンジェリーナまみれになっていく。
「ジャアアアアップ!」「ジャーップジャーップ!」「ジャプジャプジャーップ!」「ジャジャジャジャジャジャジャップゥ!」「ジャあーップジャープジャプ!」「ジャ、ジャ~ップ」「ジャアアァァーップ!」「ジャップジャップジャップププ」「ジャぁージャ~ジャジャップ~♪」「ジャップジャプジャアァァアアッ!」「ジャアアッアアァァッッッッァアプ!」「ジャップジャーップジャップップップ」「ジャアアァァーッっプ!」「ジャップぅーっ」「ジャップジャプジャアアァァップ!」「ジャップ!」
一体どれだけ増えるのか? 闘技場の客席のすでに半分以上の席が埋まるほどの勢いで、入り口からアンジェリーナが何十人もなだれこんできて、口々に叫んでいる。山葵之介や上美達の方には、途中に仕切りがあるので、侵入してはいない。
増える一方で、すでに闘技場内に入ったアンジェリーナは、手を広げて意味無く走り回ったり、並んで踊ったり、逆立ちをして開脚したり、肩車をしながらステップを踏んだり、シャドウボクシングを始めたり、どこかで拾ったボールでリフティングをしたり、組体操をしたり、騎馬戦を始めたり、パントマイムをしたりと、それぞれ思い思いにはしゃいでいる。
「何という闖入者だ……。ガルシア、手勢を率いて出よ」
流石の山葵之介も狼狽を禁じえず、こっそりと連絡した。
明らかに百名を超えているであろうアンジェリーナの大群。
ようやく出揃ったと思われた所で、それまで個々で勝手に叫んでいたアンジェリーナ達が、一斉にピタリと叫ぶのをやめて、動きも止まった。
数秒の空白と静寂。しかしその静寂の時間に、闘技場にいる面々の緊張が高まる。皆、俄然、注目してしまう。突然叫ぶのもやめて、動きも同時に止まった百を超えるアンジェリーナ達が、次に何をするのかと。
一方、葉山と上美だけは何となく予想がついていた。
『ジャアアアアアァァアアァァァァァアアァアアァァァアアアアアァァァーップ!』
同時に拳を突き上げ、同時に叫ぶアンジェリーナ達であった。
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