第三十二章 22

 シルヴィア達が道を歩いていると、ぽつりぽつりとであるが、人にも遭遇した。

 中には襲い掛かってきた二人組がいたが、ただの気の触れた素人であり、あっさりと撃退した。


「この森の中からターゲットを探すのか。道から外れた場所にいるとかだと、しんどいな」


 シルヴィアが木々の暗がりに目を向けて言った。流石にそれは無いと思いたい。


「あの……もし……」


 シルヴィア達に声がかかった。道の脇にうずくまっている上半身裸に、体中におかしな傷痕がある土気色の肌をした壮年の男が、シルヴィア達を見上げている。


「爪切り売りです。爪を切らせてください。手一つで50円です」


 男が爪切りをかざして、媚びるような笑みを広げる。


「この世には理解不能な領域があるな。ここは……それだらけか。いずれにしても、美が無い。これほどさっさと仕事を終わらせて帰りたいと思ったこともない」


 男の気色悪い笑みと姿を見下ろし、栗三が呟く。


「ま、待ってください! 助けると思って!」


 無視して通り過ぎようとするシルヴィア達を、男が必死に呼び止める。


「切らせていただけないと、このまま自分の体を切り続けなければなりません。どうかお願いします。お願いします」


 男の台詞を聞いて、シルヴィアの足が止まり、振り返る。体の傷の意味を理解し、そういう呪いであることも理解した。


「栗三」

「よりによって私か……」


 シルヴィアに名を呼ばれ、栗三は諦めたように、男に手を差し伸べる。


「ありがとうございます。真心をこめて、丁寧に切らせていただきますね」


 男が宣言通り、栗三の手の爪を丁寧に切り出す。


「ああ……これでしばらくの間、自分の体を切らなくて済む……」


 その台詞で、シルヴィア以外も、男が呪われていた事を知った。


「私……この呪いが解けるかもしれないという希望を持って、ここの噂を聞いて来ましたが……解く方法、ここで見つかるんですかね……。何か心当たり……無いですか?」


 ぽろぽろと涙をこぼし、男が訊ねてくる。


 完全に一般人で、裏通りとも超常関係とも無縁な人物だなと、シルヴィアは男の話を聞いて思った。何もこんな場所に来なくても、その筋をしっかりと調べれば、呪いを解くことのできる御払い師や術師は容易に見つかるはずだ。


「心当たりなら、こいつだよ」

 隣にいる幾夜を指すシルヴィア。


「幾夜、呪いを解いてやれ」

「解くというか、買い取るし、吸い取るのよーん」


 幾夜が鞄の中から画板を取り出す。


「ほ、本当ですかっ!? あ、ありがとうございますっ」


 感極まって泣き出しながら礼を述べる男。


 幾夜が男の呪いを画板に吸い取ると、画板に絵が浮かんだ。男が爪を切る絵だ。


「はぁい、呪い買い取り料金」

「え?」


 一万円札を五枚渡してくる幾夜に、戸惑う男。


「いいから受けとれ。こいつにとっては、呪いを買い取ったという認識なんだ」

 と、シルヴィア。


「受けとらないと、呪いも返しちゃうよ~?」

「ひぃぃっ! わ、わかりましたっ。ありがとうございますっ」


 意地の悪い笑顔で言う幾夜に、男は礼を告げながら慌てて金を受け取った。


 それからまた一行は歩き出す。


「しっかし……あんなキモいのばっかりなのか、ここは……」

 うんざりした顔でシルヴィア。


「正直面白いッス」

「だよね。面白い」

「お前ら、おかしいよ……」


 屠美枝と幾夜が楽しそうな声をあげ、シルヴィアはさらにうんざりした顔になって呟く。


 しばらく森の中を進むと、前方から強い明かりが見えた。脇の木々につけられた灯りとは明らかに異なる。


 さらに歩くと音楽が流れてくるのが聞こえる。無数の嬌声も。


 やがて四人は開けた場所に出た。広場にかなりの人数がいる。中心には巨大な薪があり、薪の中には山羊の頭を持つ悪魔の像が聳え立っている。

 薪の周囲では裸の男女が馬鹿騒ぎしていた。歌い、踊り、そして乱交パーティーよろしく交わっている男女も多数だ。同性同士の交わりもあり、シルヴィアはうげっとなる。


「まるでサバトっスね。まるでと言っても、サバトなんて見た事無いッスけど」


 屠美枝が薪の中の悪魔像を見て言った。


「実際それを模した趣旨なんだと思う。うちに来た客から聞いたことあるよ、これ」

 と、幾夜。


「外人も結構いるな」


 明らかに日本人以外の人種も複数混じっているのを見て、栗三が呟く。


「もう海外の魔術関係者やマニアの中でも有名な祭りになってて、年々人が増えてるって話よ。祭りに参加するためにうちに呪いをかけてもらいに来る人も、少なくないし、この場にも見覚えのある顔、幾つかあるよ」


 裸で祭りの狂熱に浮かされている者達を見渡し、幾夜が言った。しかし相手は幾夜に気付いていない。


「つまり幾夜も祭りの関係者みたいなもんだ。その幾夜を何で招待したんだろうな。刺客を送りつけるようなやり方をしてまで」


 シルヴィアが改めて疑問を口にする。


「君達はここ初めてかい?」


 その時、大きなカメラをぶら下げた、背が高くがっちりとした体格の黒人の中年男が話しかけてくる。彼は裸ではない。ちゃんと服を着ている。革のジャケットとTシャツにジーンズという、普通の格好だ。


(あれ? こいつの顔、見たことあるな。裏通り関係のサイトに、顔が載っていたような)


 情報組織の大幹部と言っても、裏通りの住人全てを知っているわけでもない。しかしシルヴィアには確かに見覚えがある。


「俺はここの常連だ。随分と浮いている感じだからさ。腕は立ちそうだが、油断しないようにな。ここは暴力的な奴も凄く多い。人を殺すのが目的で来ている奴等もいるんだぜ」


 男が神妙な顔で警告してくる。しかし一同、男に対して警戒は解かない。悪い奴ではなさそうだと油断させて、いきなり不意打ちを仕掛けてくる可能性もある。


「知ってるしもう襲われたよ。最初からこっちも戦闘前提で来ている」

「なるほど。まあ人によって来る目的は様々だからね。戦いたいならあっち側に行けばわりとお盛んだ」


 男が親指で指した方を見ると、森の中に青黒い建物が建っているのが見えた。


「地域によって分かれているのか?」

 栗三が問う。


「多少はね。ここいらは馬鹿騒ぎ地区。殺し合いがしたい奴は一応空気呼んで、ここいらには来ないさ。仮にそういう奴が来たなら、一斉にぼこぼこにされる。ルーキーで馬鹿な奴がたまにここで殺されることがあるな」

「あんたの目的は?」


 今度はシルヴィアが尋ねる。


「これ見てわからないかい?」


 男性がカメラを親指で指し、にっこりと愛想よく笑ってみせた。


「俺は呪われたカメラマンて奴さ。世界中を駆け巡り、珍奇な写真を撮り続けている。怪奇現象なんかもな」

「日本語上手いッスねー」

「こう見えても一応、日本生まれ日本育ち日本国籍の日本人だからね。喋れないとおかしい。とはいえ、俺は世界中駆け巡ってるよ。日本は超常方面が実に豊かで、いい絵がよく撮れるから、日本での活動が一番長いけどね」

「あ、そっスか。何かすまねえっス」


 男の言葉を受けて、屠美枝は申し訳無さそうにペコリと頭を下げる。


「あの建物は?」

 青黒い建物を見上げ、シルヴィアが問う。


「あの中では毎回いろんなイベントが行われている。俺もさっきここに来たばかりでね。前回入った時は人と化け物が殺し合いをしていたな。前々回はカニバリズムだ。まあ大体ろくでもないことが多い。そこに着くまでも一苦労だ」


 男は肩をすくめて答えた。


 その後四人は、男が言う危険な地区とやらに進む。あのいかにも怪しい青黒い建物を調べてみるために。


 再び狭い道を進む四人の前に、同じ人数の男女がたちはだかる。

 その中の二人の顔に見覚えがあり、シルヴィア達は激しく動揺した。


「狐村、狸街……」


 栗三が呻く。拘束されて猿轡をかまされた、銀嵐館見習い戦士の狐村星尾と狸街月菜が立っている。その後ろにはそれぞれ男が一人ずつ、見習い戦士を盾にするかのように佇んでいる。


(わざわざ俺達への嫌がらせ目的だか何だかのために、こいつらもさらってきたってわけか……)


 シルヴィアは理解し、怒りに打ち震える。


 そんなシルヴィアの怒りをさらに増幅させることが、目の前で起こった。

 狸街月菜の胸の中心から、剣の切っ先が突き出た。後ろにいた男が刺したのだ。


 猿轡の隙間から大量の血を吐き出し、狸街月菜は泣きながら、恋人である狐村星尾の方に視線を向けると、その体から力が抜けた。


「うぐーっ!」


 目の前で恋人を殺された狐村星尾が、猿轡をかまされたまま、悲痛に満ちた声を漏らす。


「てめえ……」


 冷たい怒りが煮え立つシルヴィア。


 男二人は狐村星尾を連れて、建物の方へと疾走する。


 シルヴィアがライフルを撃ち、狸街月菜を殺した男の背を撃ち抜いて殺害したが、狐村星尾を連れたもう一人には逃げられてしまった。


「追うな。罠だ」


 後を追おうと駆け出そうとする栗三と屠美枝であったが、シルヴィアが冷たい声で制止をかける。二人の動きが止まる。


「俺達の仕事は、幾夜を守ることだ。そしてこのくだらん祭りの仕掛け人を殺すことだ」

「お姉様。それで部下を見捨てていいの?」


 幾夜が神妙な面持ちで確認する。


「いいわけがない。でも仕方が無い」


 冷然たる面持ちで、そして冷たい声で、シルヴィアは言い放つ。


「お嬢の判断が正しいな。しかし――破門にしてくれてもなんでもいい。私は助けに行く。見捨てることはできん」


 言うなり栗三が再び駆け出した。


「あの馬鹿……」


 シルヴィアが拳を強く握り締める。何故かその時、こんな状況であるにも関わらず、一瞬だが嬉しさのような感情が沸き起こってしまった。


「私も行くッス! 当主は幾夜さんの護衛に専念しててください」

「じゃあここでお前らの帰りを待っておく」


 栗三の後を追う屠美枝に、シルヴィアが声をかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る