第三十二章 21
午後六時半。シルヴィア、幾夜、栗三、屠美枝の四名は、指定された場所へと向かった。
安楽市の西部。山梨県との県境の山奥の森林地帯。舗装された道を外れて地面が剥きだしの細い道を下っていった場所が、指定されていた場所――蒼月祭会場であった。
「少し南に行けば尊幻市だな」
栗三が呟く。地図には記されていない、安楽市扱いになっている無法都市だ。栗三もシルヴィアも、何度かそこで仕事をしたことがある。
「物凄く広範囲に結界が張られているな」
術の類は部分的にしか習得していないシルヴィアだが、それでも結界の有無くらいは見て取れる。
結界の前には看板が立てかけられていて、蒼い月に血が一筋流れた絵が描かれている。中に続く道には、ちらほらとだが、人が入っていく。入り口は複数個所有り、ここはその一つだという話だ。
「時間的には、祭りはもう始まっているみたいよ~」
と、幾夜。すでに辺りは暗い。
「雪岡純子は来ているのか?」
「ああ、今こちらに向かっているらしい」
栗三の問いに、シルヴィアが答える。向こうとは電話で確認済みだ。ちなみに結界内に入ると電波が通じなくなるという。ネットももちろんできない。
「純子ちゃんと別行動する意味は? 一緒がよかったのにぃ」
「お前は話を聞いてなかったのか? 何度も言ったろ。あいつはジョーカーだ。隠している方がいい。多分敵には、あいつを助っ人に呼んだとは悟られていねーと思う」
質問する幾夜に、シルヴィアは微かに眉を寄せて答えた。ちなみに幾夜は、かなり大きな鞄を背負っている。中には商売上の呪い関連の道具が沢山入っている。何かの役に立つかもしれないと思って持ってきた。
結界との境界で、シルヴィアが結界の壁に触れて、解析を行う。
「入ったら出られなくなるタイプの結界だ」
「朝には結界も解けるからだいじょーぶっ。それまでに祭りの合間にそれぞれの目的を遂げるわけね」
シルヴィアが解析結果を報告し、幾夜が、栗三と屠美枝を意識してフォローする。
「入れる条件は、呪われていることっスか。おぞましいっス」
全然怖がっていない様子で、屠美枝が言う。栗三と屠美枝も呪物を持参しているので、入ることはできる。
「じゃあ行くぞ」
シルヴィアが真っ先に結界の中へと入った。栗三、幾夜、屠美枝の順で、後に続く。
「結界の中に足を踏み入れた瞬間、まるで世界が変わったみたいだ。すげえ嫌な空気」
「そう? 私はすごく落ち着くなぁ……。呪いを扱う職業のせいかもだけど」
シルヴィアが顔をしかめているのに対し、幾夜はうきうきしている。
周囲が木で覆われた中、その間を縫うように伸びる細い道を進む四名。道の脇の木には全て灯りがついているため、真っ暗という事はないがそれでも暗い。
(異世界に入った気分だ。実際瘴気の渦巻く空間だけどな)
声に出さずシルヴィアが呟く。
「おや、幾夜ちゃんじゃないか。君もとうとう蒼月祭に参加かい」
途中、道の脇で木にもたれかかって座っている男が、声をかけてきた。
「あ、こんばんは~。えっと、この人は常連のお客さんだよ。呪いマニアって言ってもいいくらいの人」
「どうも、呪いマニアです。ちなみにこの祭りの常連でもあるよ。この方達は幾夜ちゃんの友達かな?」
男が立ち上がり、愛想のいい笑みを広げて一礼する。髭を綺麗に整えた中年男性で、高級スーツに身を包んでいる。
「ボディーガードだよ。銀嵐館の人」
「興味本位で訊ねていいか? 祭りの常連と言ったが、あんたは何の目的でここに来ているんだ?」
幾夜が答えた直後、シルヴィアが男に質問した。
「私の目的は、ただ祭りの雰囲気を味わい、見物することさ。どんな呪いを受けた者がいて、何が目的で来ている者がいるか、何が起こるかを見て楽しむ。たまに襲ってくる奴もいるけどね。ま、それもこの祭りの醍醐味だ」
「具体的にどんなことが起こるんだ?」
「去年面白かったのは、人と魔物が混ざった化け物が暴走して、人を食い殺しまくったことかな。あれはスリルあった。危うく食われかけた所を、高位の魔術師が撃退してくれたけどね。あとは……御婦人の前では言いにくいが、狂った女達が裸になって、鉈や斧を手にして、同じく裸の男達を追い回して陰茎を刈り取る、男根狩りかな。建物の中の闘技場のような場所で行われるんだが、実に愉快だったよ。女達は皆強姦被害者で、呪いをかけられている。追い回されるのは刑務所から買い取った強姦容疑者達さ」
「しっかり言ってるじゃねーか。もういいわ」
楽しそうに語る男の話に、シルヴィアは憮然とした顔になり、男の横をすり抜けて、先へと進んだ。
「お姉様、結構ウブなの~?」
からかうように声をかけてくる幾夜。
「ウブとかそういう問題じゃなくて、普通に気分悪くならないか?」
「えー、私そういうの大好きだけど~?」
「俺は嫌いだからな」
シルヴィアが吐き捨て、少し早足になった。
***
「こんな時間になっても帰ってこないなんて……」
時計を見て、上野原上子は半泣き顔になる。午後七時を指している。
いつもなら上美がとっくに帰っている時間である。しかし上美は帰らず、電話しても連絡も通じない。
「アンジェリーナも帰ってこないね。二人して……何かあったかもしれないよ。警察に知らせた方がいいかもね」
「はい、そうします」
梅子に促され、上子は110番をかけた。
***
うっかり寝過ごした葉山が、寝袋の中で目を覚ます。
「殺し屋失格、正に蛆虫……そして今のこの状態も正に蛆虫。名残惜しいですが……えいっ」
寝袋から飛び出る。葉山は寝袋が大好きであった。理由は言わずもがなである。
すでに日は暮れている。時刻は午後七時だ。
前日に下見に来たものの、祭りの準備をしていた者達から立ち入り禁止と言われてしまい、祭りが始まるまでの間、会場手前の森の中で一人寝ていた。
結界の中へと入り、舗装されていない細い道を進んでいく。
森の中の小道をしばらく歩いた所で、葉山は殺気を感じ取った。
「あばあばあばばばあばばばばーっ!」
寄声をあげ、ひどく痩せ細った全裸の男が、包丁を振り回して葉山に襲いかかる。
「おぶぁ!?」
葉山に鳩尾を蹴られ、くぐもった声をあげ、崩れ落ちる。
「あのー……そんな格好で寒くないですか? 結構寒いと思うんですが。蛆虫の僕ですら服着てますし」
くの字になって倒れて粟を吹いている男に、葉山が尋ねる。
「呪い……なんだ」
男が顔をあげて答えた。木につけられた灯りに照らされ、頬がこけ落ちて目の下にクマができているのが見えた。唇はひび割れている。
「衣類を身につけると激痛が走る。だから……普段は人里離れた山奥で、自給自足生活でひっそりと暮らしている。必要なものは……大抵通販で済む。呪いを解くには……殺すしかない。殺して……人の皮を剥ぎ取り、百人分の皮で作った服を着て十年過ごせば、呪いは解けるとさ。この祭りは……何でも有りの場所で、人殺しもできるから、今がチャンスなんだ……。ここならいっぱい殺せる……ううう……」
「そうですか……。大変ですね。頑張ってください」
すすり泣き始める男に声をかけると、葉山は歩き出した。
***
上美とアンジェリーナは森の中に放り出され、拘束も解かれた。
自分達を拉致した老人からは、しばらく祭りを楽しめなどと、わけのわからないことを言われた。
「こんな山奥の森の中……道から外れたら大変な事になるね。痛っ!?」
「ジャッ!?」
道を進もうとした上美が悲鳴をあげて、弾かれたように後方に飛びのいた。それを見たアンジェリーナが小さく叫ぶ。
「見えない壁みたいなのが……しかもビリビリってきたよ。こっちに進めない」
「ジャップ!」
上美の言葉を聞いて、アンジェリーナが果敢に道の先へと進んでいく。
「ジャアアアァァアアァアアァアアアアアアアッ!」
「ちょっと、アンジェリーナさんっ」
不死身の体なら平気と言わんばかりに無理矢理進もうとしたアンジェリーナが、悲鳴をあげてその場でがくがくと痙攣したかと思うと、上美同様に、後方へと飛びのいた。
「ジャップ……」
「やっぱり駄目かー」
かぶりを振るアンジェリーナに、仕方なく上美は逆方向へと向かうことにする。
と、そこに一人の女性がいたのを見て、上美は警戒する。
とんがり中折れ帽子と、ほつれまくった深緑色のローブを着た、魔女のコスプレをした痩せた白人女性だ。地べたに座って、二人のことをじっと見ている。
「貴女達は初めてここに?」
流暢な日本語で訊ねてくる。
「はい……拉致されてきて……」
「拉致って……。変な話ね。そういうケースもあるのね。じゃあここがどんな場所かも知らないわけだ」
魔女の格好した女性が不思議そうに言った。
「この先で蒼月祭という祭りが催されているのよ。普通は自分で望んで足を運ぶものだけどね。どんな祭りかというと――」
その後、上美とアンジェリーナは、蒼月祭についての説明を受けた。
「という催しだから、くれぐれも気をつけて。でもまあ、そっちの女の子、結構できそうだから、襲われても対処できそうだけど」
くすくすと笑う魔女。
「貴女は……?」
「私はただコスプレして、祭りを楽しみにきただけよ。祭りの主催者とも知り合いで、同じ魔術結社の者だしね。ああ、私の名前はシャーリー・マクニール。魔術結社コンプレックスデビルの一員よ」
座ったままお辞儀をするシャーリー。
「上野原上美です。こちらはアンジェリーナさん」
「ジャーップ!」
両腕を頭上に上げて折り曲げ、手を鉤爪状にして、挨拶するアンジェリーナ。
「イルカさんは……着ぐるみじゃないのね。しかも……かなり強力な悪霊に取り憑かれてるみたいだけど、大丈夫なの?」
シャーリーの指摘に、アンジェリーナは口を閉じ、そのまま無言になる。
(この間も安楽市民球場で赤毛の女の子に、同じこと言われてたよね。アンジェリーナさん、霊に憑かれているって。でもアンジェリーナさん、その件にはあまり触れたくないみたいだし……)
アンジェリーナの過去もまるで知らない上美であるが、時折、寂しそうな様子を伺わせる事もあり。普段のおどけた愉快なキャラからは想像もつかない、何か暗い過去があるのではないかと、薄々感づいている。
***
「あの娘とイルカを自由にしてよかったのですか?」
指示通りに拘束を解き、蒼月祭の結界内に解き放ってきた佐藤一献が、山葵之介に問う。
「手間ではあるが、後ほどまた捕獲せよ。面白い二人であるし、まずは祭りを楽しんでもらおう」
「承知しました」
山葵之介の言葉に、佐藤は恭しく頭を垂れた。
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