第三十二章 18

 時刻は数十分前にさかのぼる。

 梅子と上美とアンジェリーナが揃って、安楽市絶好町繁華街のペデストリアンデッキを歩く。


 上野原家の近所では、アンジェリーナの存在はすっかり馴染みになったが、この辺に来るのはまだ二度目だ。以前、子供達と一緒に遊びに来た程度である。それ故、すれ違う人々は皆、アンジェリーナに奇異の視線を投げかけてくる。

 しかしアンジェリーナはそれらの視線を心地よさそうに受け止めている。自慢のイルカボディーが人目に触れられることが楽しい。特に子供は、素直に喜んで手を振ったり声をかけたりしてくるのが嬉しい。


「アンジェリーナさん、御機嫌だねー」

「ジャ~プ」


 手を大きく振って大股で歩き、時折子供達に手を振り返すアンジェリーナを見て、上美が言うと、アンジェリーナもそれを肯定するように、上美の方を向いて両腕を小さい輪にして、頭の上に指先を乗せる。


「私のために遊びに来たのか、アンジェリーナのために来たのかわからないね」

 と、笑顔で梅子。


「ジャップジャップップッ」


 梅子の前でアンジェリーナが片膝をついて、片手を己の胸に当て、もう片手を横に広げ、恭しく頭を垂れてみせる。


「わかったわかった」


 喋れない分、大袈裟なジェスチャーで感情表現を示してみせるアンジェリーナを見て、梅子は笑いながらその頭を撫でる。


「せっかく絶好町に来たんだし、ちょっと知り合いに顔見せしてくるよ」


 梅子がそう言って、ペデストリアンデッキの階段を下り、駄菓子屋玉村と書かれた看板の店へと入る。小さい頃、上美が何度梅子に連れてこられた駄菓子屋だ。


「おや、梅子さん、お久しぶりー」


 レジで漫画を呼んでいた初老の女性が、梅子に声をかけた。


「お久しぶりねえ。かつては突っ張りまくってたギャルの環ちゃんが、見る度にどんどんお婆ちゃんになっていくよ」

「あはは、今でも気持ちは突っ張ってるわよー。お肌の張りはなくなっちゃったけど」


 梅子の言葉に、駄菓子屋店主の玉村環が無邪気な笑顔を見せる。


「環ちゃん、裏通りの仕事はまだ続けているのかい?」

「まあねえ。最近はいろいろと物騒よ。他所の国から余計な干渉が度々あってね。面倒臭いったらありゃしない」

「そうかい。気張りなよ。ああ、独楽之介に会ったらよろしく言っておいてよ」

「はいはい」


 梅子と環が喋っていると、上美とアンジェリーナが、駄菓子が山盛りになるほどどっさりとカゴに詰めて、レジまで来る。


「曾お婆ちゃん、駄菓子買ってー」

「ジャップジャーップ」


 猫撫で声でお願いする上美とアンジェリーナに、梅子は顔をしかめる。


「こらこら、いくらなんでも買いすぎよ。戻しておいで」

「え~?」

「ジャ~?」


 梅子にたしなめられ、不満げな声をあげる上美とアンジェリーナ。


「あら、梅子さん、一度カゴに入れたら戻すのは駄目なのが、この店のルールよ」

 冗談めかして言う環。


「知らないよ、そんなルールは。まあ……しゃーない。一度に食べるんじゃないよ」

「わあい」

「ジャアプ~」


 諦めたように財布を取り出す梅子に、上美が歓声をあげ、アンジェリーナは頭の上で手を叩きながら、その場でステップを踏む。


「そうだ、今日は球場でガラクタ市やってるのよ。何か掘り出し物があるかもしれないわ」

「そうかい、じゃあ行ってみるよ」


 店を出る梅子達に、環が声をかけた。


「ジャッ、ジャッ」


 歩いている途中、アンジェリーナが少しくぐもった声を発する。


 上美と梅子がアンジェリーナを見ると、棒状のふがしを二本、口に縦に咥えて、頭を両手で抱えて、横に振っていた。つっかえ棒を入れられて、口が閉じなくなって困ったというパフォーマンスだ。


「こら、食い物で遊ぶんじゃない」

「ジャプッ」


 梅子に注意され、アンジェリーナは口を閉じてふがしを砕き、そのままぼりぼりと貪る。


 その後三人は繁華街を北へと抜けて、安楽市民球場へと訪れた。


「ううっ……お爺ちゃんお婆ちゃんばかり……」


 球場の中で行われているフリーマーケットを見て、上美が抵抗を示す。


「今日は私のために一緒に来てくれたんだろ? だったら我慢しな」


 上美が居辛そうにしているのを見て、ニヤニヤと笑う梅子。


「う~……わかった。でも曾お婆ちゃん、ここに欲しいものなんかあるの?」

「あまり大きな声で言えないけどね、絶好町で定期的に行われるこのガラクタ市には、裏通りの組織もこっそり絡んでいて、ヤバいブツもこっそり売られているんだよ。そいつを見つける作業が楽しいのよ」


 上美の問いに、声を潜めて梅子が言った。


「さっすが曾お婆ちゃん、ワルよの~」

「誰かに言いふらすんじゃないよ。ま、爺さん婆さんばかりの所に、あんたが友達と一緒に来る度胸は無いと思うけど」

「うん、無理だし、そもそもヤバいブツが欲しいとも思わないし」


 梅子が一体どんなヤバいブツとやらに興味があるのか、そちらの方に興味を抱く上美だった。


***


 シルヴィアはそのイルカの存在を知っていた。さらにイルカの隣にいる皺くちゃの老婆も知っている。


(あれは……上野原梅子じゃねーか。デビル・グランマザーの異名で知られた、伝説の傭兵にして、伝説の武術家。隣にいるイルカみてーのは、アンジェリーナとかいう奴だろ。純子に改造されたマウスの。確か薬仏市の抗争で、葉山と行動を共にしていたって聞いたが……)


 葉山に繋がりがある時点で警戒したシルヴィアだが、イルカがこちらに気がついている様子はない。それどころか、並べられている雑貨に目を落とし、普通に客として訪れたかのような素振りしか見えない。


「何よ~、あのイルカ~……。着ぐるみ? それにしては生々しいわぁ。しかもあのイルカ、呪われてる……いや、憑依されている」


 幾夜が珍しく怯えたような声を発する。


「憑依?」

「呪いと言ってもいいけどさァ。何かすごくヤバい霊を宿しているよ、あれ。私はあまり霊を視る力に長けていないし、詳しくもないけど、それでもわかる。呪いと憑依って、わりと似通っているというか、同じもんと考えてもいいからさ」


 神妙な面持ちで幾夜は語る。


 ふと、梅子が幾夜とシルヴィアの方を向いた。おそらくこちらの視線を察したのだろうと、シルヴィアは判断する。

 梅子の方から、人ごみをかきわけてシルヴィア達の方へと近づいていく。


「ん? 曾お婆ちゃん?」

「ジャァップ?」


 何か梅子におかしな雰囲気を感じ取り、上美とアンジェリーナが怪訝な表情で、梅子の方を見る。


「何か用かね? そっちの筋の者みたいだけど、用があるのは私にかい? それともアンジェリーナ――あのイルカにかい?」


 梅子の方から声をかけてくる。ほのかに闘気を漂わせ、威嚇しながら。


(見た目はヨボヨボの婆だが……見た目だけだな。どう見ても俺よりは強そうだ)


 梅子と対峙して、シルヴィアは思う。負けず嫌いなシルヴィアにしてみると、明らかに自分より強いと認める相手との遭遇する度に、心がざわめく。


「ちょっと興味深そうに見ていただけだよ」

「ふーん、本当かね? ただの興味とは違う質の視線を感じたんだけど、あれは気のせいだったのかねえ」


 不敵な薄笑いを浮かべ、梅子が煽る。


「しゃーねえな。こっちも腹の探りあいは苦手だし好かねえから、ストレートに聞くぜ。葉山の関係者か?」


 シルヴィアの問いに、梅子の顔から笑みが消えた。


「私の弟子だよ。昔、フランス外人部隊にいた際に面倒みてやったね。今またひょっこりとうちに顔出してきたから、毎日しごいてやってるさ」


 正直に答える梅子に、シルヴィアは警戒を解いた。結託してこちらに害を成そうとしているというわけではなさそうだと、判断する。


「それならいいや。悪かったな」

「あんたは何者なんだい。ああ、私は……上野原流古武術継承者の上野原梅子ってもんだ」

「知ってるよ。俺は銀嵐館の当主、シルヴィア丹下」

「へえ……あの銀嵐館の。当主はこんな別嬪さんなんだね」


 一応銀嵐館の存在だけは知っているが、所属する者までは知らない梅子であった。


「葉山とは因縁があるからさ。そっちのイルカが葉山と行動していたと聞いたし、それで警戒してた」

 と、シルヴィア。


「ねえねえ、ちょっと口出ししていい~? そっちのイルカの人のことでさぁ」

「ジャップ?」


 幾夜に名指しされ、自分を指で指して訝しげな声をあげるアンジェリーナ。


「あんた、凄くヤバい霊に取り憑かれてるわ。除霊した方がいい……けど、そんじょそこらの除霊師じゃ難しいレベルのヤバい霊。一応、警告はしたからね」


 幾夜の言葉をアンジェリーナは理解したが、何のリアクションも示さなかった。幾夜に言われずとも、アンジェリーナはその事実を知っていたから。


***


 夕方、ルキャネンコ邸へと戻ったシルヴィアと幾夜は、明後日の蒼月祭について打ち合わせを行い始めた。


「少数精鋭で行く。俺、幾夜、栗三、屠美枝の四人だ。そして遊軍かつジョーカーの純子だな」


 幾夜の話を聞いている限り、蒼月祭は何が起こるかわからない、超常の領域が絡んだ怪しげな祭りのようであるし、大人数でぞろぞろ行っても統制が取れなくなる可能性もある。それなら対応力のある精鋭を揃えて臨んだ方がよいと判断した。


「護衛対象を守りながら、刺客の頭の暗殺も同時進行ってのは、今までやったことが無かったわけじゃあないが、滅多にない。しかし少人数で臨む限りは分担もできそうにないし、幾夜にも戦ってもらう可能性大だぞ」

「任せて~。ばんばん殺しまくるから」

「本来は、護衛対象を連れて、敵が手ぐすね引いている場所に乗り込んで、あまつさえ護衛対象にも戦闘参加させるとか、あるまじき行為なんだがな。今回は……どうしょうもない」


 乗り気な幾夜であったが、シルヴィアは申し訳なさそうに言った。


(葉山さえ絡んでこなければ、こんなことにはならなかったがな。俺の頭ではこれで精一杯だ)


 葉山は今の所はこちらの敵に回らないようだが、何がどう転ぶかわからないとする。絡んでいる時点で、それは危険だと。楽観視できない。何しろ葉山がその気になれば、銀嵐館だけでは防げないのだから。

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