第三十二章 10

 呪いの本質とは、悪意で人の運命を蝕み、弄ぶことである。

 それがどれだけ心地好い行為であるか、理解できる者は少ない。しかし少ないからこそよいと、電々院山葵之介は考える。


 山葵之介は呪いに魅せられている。大抵の呪いは、恨みがセットになっている。しかし山葵之介に恨みなど無い。ただ他人の運命を面白半分に弄びたいがためだけに、誰かを呪う。特定人物を呪う時もあれば、場所や物品にかけて、不特定の者にかかるようにする事もある。

 山葵之介は己の行為に陶酔している。誰かを呪う時、呪われた者が目の前で苦しんでいるのを見る時、楽しくて仕方がない。


 今、目の前で正に、呪いをかけられんとしている男の姿がある。

 男は震えながら山葵之介を凝視している。男の名はガルシア。コンプレックスデビルに魔術師となりたくて入門したが、素質がなく、大した術師にはなれなかった男だ。


 ガルシアが魔術を身につけたかったのは、力が欲しかったからだ。社会では惨めな底辺の存在だった。だから特別な存在になりたかった。

 望み通り特別な力は得られた。しかし魔術師の中では最底辺であり、結局惨めなまま。


 そこからガルシアはさらなる力を望んだ。故に、確実なるリスクが生じる方法で、確実に力を得る道を選んだ。即ち、呪われる身となる事で、力を得ると言う寸法だ。

 呪いは必ずしも害悪だけをもたらすものではない。制約や苦痛の代償として、力をもたらすこともある。あるいは力の代償としての呪いと捉えてもよい。


「ガルシア、お前にもたらすのは、呪いと希望だ」


 異様なまでに長い指でガルシアを指し、山葵之介は厳かな口調で告げる。

 ガルシアは恐れと覚悟が入り混じった表情で頷く。これは自分が求めたことだ。


「苦痛と制約、この二つがお前を蝕む。制約は――我輩の人形となって戦い続けることよ」


 山葵之介の言葉に、再び頷くガルシア。やはりその顔には、覚悟と恐怖が混在している。


 そんなガルシアの反応を面白がるかのように、山葵之介の口元に不気味な薄ら笑いが浮かび、甲高い声で呪文の詠唱が開始される。

 周囲の空気が一変したのをガルシアは感じ取った。禍々しい気配が立ちこめ、空間そのものを蝕んでいるかのようだ。目に見えぬ得体の知れぬ、何かがガルシアの心身にも侵入してくるかのような、そんな錯覚を与える。しかし実際にはまだ呪いがかけられたわけではない。その最中である。


 やがてガルシアは、自らの体の変化を感じた。内側から何かが溢れてきて、全身の細胞が興奮して喜んでいるかのような感覚。そして力を込めれば大きく何かが内側から弾けるであろうことを、本能で理解する。


「解き放つがよい。呪いと共に」


 山葵之介に促され、ガルシアが力を解き放つ。


「おごおおおおおぉっ!」


 快楽と苦痛の双方が体を突き抜ける。全身に力が漲り、快い感触でありながら、同時に全身の肌と筋肉が切り刻まれるような痛みに見舞われる。

 呪いによって生じる痛みは、まるでガルシアの肉体を痛めつけて嘲るような、そんな代物のように感じられた。


 やがて痛みの方が消え、快い感触だけが残った。苦痛は長いこと持続しないようであった。

 見た目の変化は大して無い。せいぜい少し筋肉質になった程度である。しかしその身には、ガルシアを恍惚とさせるに十分すぎるほどの力が漲っている。


「ふっ……はっはっははははははあぁーっ!」


 ガルシアが哄笑をあげる。力無きことを苦にしていた己が、とうとう力を手に入れた。それが嬉しくてたまらない。


「また一人、呪われし者が生まれた。我輩は祝う。呪われし者の出現を祝う。呪いを祝福する」


 呪われた力を授かり、望みをかなえたガルシアに向かって、山葵之介が告げる。


 祝いの本質とは、善意で人の運命を喜び、称えることである。


***


 夜、シルヴィアと幾夜はタスマニアデビルを訪れた。一応ここは中立地区であるが、それでも外では栗三が警備にあたっている。

 その栗三に実家から電話がかかってきた。


「柿八郎が喧嘩に負けただと?」


 実家の母親の報告に、栗三は目を丸くする。

 しかも相手は中学生で女子だと聞き、にわかに信じがたい話だと、眉をひそめる栗三。

 桃島家の生まれの者は、幼い頃から徹底的に戦闘術の修練を積む。柿八郎はそんな桃島家に反発して非行に走り、銀嵐館に仕えることを拒否しているばかりか、身につけた力で喧嘩に明け暮れる日々を送るという不届き者であった。


「世の中、上には上がいるという事を知って、いい薬になったか」

 小さく微笑み、電話を切る。


 シルヴィアは幾夜と共に、タスマニアデビルの店内のカウンター席にいた。


 銀嵐館の護衛中であろうと、普通に移動はできる。もちろん常に護衛はつく。

 館にこもりきりもどうかという事なので連れだしてみたが、いらぬ世話だったかもしれないと、シルヴィアは思う。幾夜は元々あの館にいつもいて、滅多に外出しないという話だ。


「以前来た時はお酒一杯しか飲ませてもらえなかったのよねぇ」


 カクテルをちびちびと飲みつつ、幾夜が言った。タスマニアデビルのルールでは、飲酒は十三歳からで、十五歳になるまでは一杯のみとなっている。


「十五を過ぎたといっても、やはり未成年の体ではお酒は毒です。程々に」


 オールバックに髪を綺麗に揃えた、浅黒い肌の小柄な中年のウェイターが、低く渋い声で注意を促す。背は低いが、極めて彫りが深く、端正な顔立ちをしている。裏通りの住人御用達のこのバーに長年務める店員で、客のプライバシーに関わらない程度に、様々な情報を無償で教えてくれる人物でもある。


「マスターは相変わらずクマのぬいぐるみ着ているけど、あれは何で~?」


 タスマニアデビル名物、クマの着ぐるみマスターを指し、幾夜が訊ねる。


「博打などせぬ方がよいという教訓ですな。負けたら生涯、この店ではあの着ぐるみ姿で接客するという条件で、勝負をした結果だそうで」


 ウェイターが恭しい口調で答えた。


「律儀に約束を守ってるわけだな。マスターの博打の相手は何を賭けたのやら」

「それは存じませぬ」


 シルヴィアの言葉に対し、ウェイターが言った。


「しかし懐かしいよぉ。こうしてまたお姉様に、タスマニアデビルに連れてきてもらえるなんて」


 うっとりとした顔で幾夜。シルヴィアにここに連れてこられるのは、これで二度目だ。あの時は十三歳だった。


「ずっとあの家にいて、息がつまらないのか?」

「何言ってんのよぉ、お姉様。あの屋敷こそが私の聖域であり宇宙なのよ。屋敷の外なんて宇宙の外に等しいんだから」

「じゃあ俺は宇宙外生命体かよ」


 シルヴィアが小さく笑い、カクテルに口をつける。幾夜はブラッディーマリー、シルヴィアはカミカゼを飲んでいた。


「父さんが死んだ時さぁ、大好きなお姉様が駆けつけてくれて、私のこと慰めてくれて……いろんな後片付け、一緒にやってくれたの……あれ、私……夢に何度も見るくらい、私の中では強い思い出として残ってるのよ? なのにぃ、お姉様ったらあれ以来疎遠になっちゃって……私がどんな気持ちだったかわかってるのぉ~……? 寂しくて寂しくてもう……」


 酔いがまわりだし、幾夜はいつになく饒舌かつ大胆に喋っていた。


「一杯飲んだだけでその様じゃ、二杯目はやめた方がいいな」


 幾夜が思った以上に酒が弱く、しかもからみ上戸だか泣き上戸だかわからない酔い方をしているため、幾夜とは今後なるべく、酒は飲む機会は作らない方がいいと判断するシルヴィアであった。


(ああ、駄目だな。またこういう考え方している。細かい所でも自分の嫌なことは徹底して避けに回る姿勢と、損得勘定……)


 それが当たり前のことだとして疑わない人間も世の中にはいるだろうが、そういう奴は孤独でも平気か、他人にどう思われようと平気という奴なのだろうと、シルヴィアは思う。


 シルヴィアは周囲から、打算的で利己的な所をよく注意され、時として批難されてきた。それで他人に迷惑をかけたこともあったし、傷つけたこともあった。子供の頃から、年齢的には老人と言える今に至るまで、ずっとその繰り返しだった。

 幾夜に関してもそうだ。あんなに懐いていたのに、レズっ気があった事を知って、面倒臭くなって離れてしまった。その結果幾夜に寂しい想いをさせた。あるいは傷つけたかもしれない。


 自分の性格が時として人を傷つけ、人に白い目で見られる事は理解できるし、なるべく改めようとも思っているが、性質として根付いてしまっているのが如何ともしがたい。


「ごめんな」


 控え目な声でぽつりとこぼした謝罪の言葉。しかしすでに酔いつぶれていた幾夜の耳には届いていなかった。


(カクテル一杯であっさり潰れるとか、いくらなんでも弱すぎだろ)


 苦笑いを浮かべ、シルヴィアは二杯目を注文する。


「んぐふぅ……夢……見た」


 シルヴィアが二杯目を飲み終えた時、テーブルに突っ伏していた幾夜が起き上がり、虚ろな目で呟いた。


「お姉様が私に、『ごめんな』『ごめんな』って何度も謝りながら、私の体中ペロペロする夢」

「もう一度寝てろ」

「ずっとあの夢の世界にいたかっぶおっ!」

「ちょっ……」


 テーブルの上に吐きだす幾夜に、シルヴィアは顔色を変える。一方、ナイスミドルのウェイターが顔色を変えず、雑巾とバケツをもってくる。


 やっぱり幾夜に酒はやめた方がよさそうだと、改めてシルヴィアは思った。


***


 上野原家の夕食時に、上美は今日の授業参観の様子を皆の前で楽しそうに語っていた。


「信じられん、これが学校の教師にも生徒にも受け入れられるとか。この国はどうなってしまったんだ。嘆かわしい」


 話を聞いて憮然とする上野原。


「娘の授業参観に一度も来ない親が、憂国の士気取りだもんね。そりゃ嘆かわしいし、日本の未来も相当暗いわ」

「ジャ~~~~ップ」

「ぐぬっ……」


 上美の台詞と、顔の横で両手をひらひらさせて、明らかにからかっている声を発するアンジェリーナに、上野原は唸る。

 その後、放課後に不良と喧嘩したことも全て話す上美。


「ごめんなさい、曾お婆ちゃん。ついうっかりとはいえ、禁じ手を使っちゃって」


 謝罪する曾孫に、梅子は別の意味で呆れた。


「わざわざ馬鹿正直に言わんでもいいだろうに。あんたは少し嘘やズルも覚えな。それに……だ。ついうっかり使うってことは、それなりの使い手だったんだろう?」

「うん、桃島柿八郎って名乗ってた。曾お婆ちゃん知ってる?」

「知らないねえ」


 名の知れた強者なら、梅子も多くは知っているが、全てを知るわけでもない。


(桃島……)


 一方、アンジェリーナの横で食事を取っていた葉山が、その名に反応した。


(桃島家……銀嵐館縁の者の可能性がありますね。ただの偶然かもしれませんが)


 銀嵐館に古くから所属し、何人もの当主も輩出した名家の存在を、葉山は知っていた。

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