第三十一章 30

 ラドクリフが向かった先は、東京中から集められた霊魂と邪気と瘴気を溜め込んだ、広大な広間であった。

 天井も高く、面積も下手な体育館よりずっと広い広間に渦巻く、怨霊悪霊群。結界の中にさらに張られた、もう一つの結界の中にいるそれらを見上げ、ラドクリフは息を飲む。


 ある程度貯まった時点で亜空間へと移す予定であったが、それすら間に合わず、アブディエルは死に、部下も大半が死に絶えた。TATARIプロジェクトは、最早失敗したといっていい。


「しかし……せめて最後にこれらを解放して、膨大なTATARIをこの国に……」

「へーい、そんなこと、あんたの主は望まないよー。あの人は最期にいろいろと悟ったからさ」


 ラドクリフの後ろから、声がかかる。

 振り返ると、雪岡純子とその仲間の計四名がいた。


「死ぬ前のあの人の心、あたしは見たんだ。あ、別に信じなくてもいいけどね~」


 みどりが軽く伸びをしながら、どうでもよさそうに言った。


「何を悟ったと?」

 ラドクリフが真顔で問う。


「自分の過ち。自分を誤魔化していたこと。好吉って奴に悪いことをしたとも思っていたし、御先祖様の――雫野累の言葉も認めてたよ」


 みどりが真顔で答えた。ラドクリフはそれを妄言だと切って捨てる気にはなれなかった。少女の瞳に、確信の光が見受けられたからだ。


「僕の言った言葉で、気がついたのでしょう。アブディエルは純子と戦っていた時も、僕と戦っていた時も、別人でした。本来、人の上に立って秩序を司るような、そんな性質ではなかったんだと思います。彼の戦っている際の顔を見ませんでしたか? 活き活きしていたでしょう?」

「ううう……」


 累に諭され、ラドクリフは言葉に詰まって呻く。


「死ぬ直前に改心したなんて、ある意味ついてるぞ。大抵の小悪党は、改心するまでもなく馬鹿なまま死ぬ。馬鹿なまま死なずに済んだのは不幸中の幸いだ。でも、残ったあんたが余計なことをすれば、アブディエルの死に泥を塗る形になる。それがわからないのか」

「だ、誰が小悪党だっ」

「真兄、ちょっと言葉を選ぼうか……」


 真の言葉に怒るラドクリフと、呆れて注意するみどり。


「そうか……わかった」

 がっくりと膝をつき、ラドクリフがうなだれる。


「この霊はどうするんだ?」


 真が累やみどりを意識して尋ねる。実体化が強い霊なので、真の目にもはっきりとそれらは見えた。


「この数全て浄化とか面倒だから嫌です。この人は解放すると言ってましたが、新宿中で行われている祭りの効果で、邪気や怨念がどんどん薄れていますし、今、解放して解き放たれたら、多くは勝手に成仏しそうですよ。成仏しきれず残る霊もいるとは思いますが。いずれにせよ、災いをもたらすための利用は、この状況では難しいでしょう」

「ようするにお祭りパワー凄いってことだよね」


 累の解説を簡単にまとめる純子。


「なるほどー、解放したらヤバいかと思ったけど、御先祖様の理屈が正しければ、むしろ祭りやっている今こそ、解放した方がよさそうだわさ」


 みどりが言い、ラドクリフを見る。


「わかった……。しかし、それなら君達は私を追わず、勝手に解放させておけばよかったという、そういう理屈にならないか?」

「あ、確かにそうだねえ」

「御先祖様に言われるまでわからなかったもんよー」


 ラドクリフに指摘され、純子とみどりは笑顔で顔を見合わせる。


「では……解放を」


 ディスプレイを映し、ディスプレイを指でなぞって操作するラドクリフ。すると広間に張られていた結界が解け、霊達が一斉に四方八方に向かって飛び出した。


(本当に大丈夫なのか?)


 霊が凄い勢いで放出され、壁や天井をすり抜けて外へ出て行くのを目の当たりにして、真は不安を覚える。


(大丈夫だわさ。こいつら、あたし達に憑依する力すら無いみたいだよォ~)


 みどりが真の頭の中に語りかけてくる。言われてみれば、まるでここにいる生者を避けるようにして、真達の横をすり抜けて外へと飛んでいる。


「ラスボスと最後の戦いとかなく、説得で解決! それもまたよし!」


 霊達が全ていなくなったのを見計らって、みどりが満足そうに頷く。


「この人は一応私の敵だし、捕獲して研究所に連行して実験台かなあ」

「ええぇっ!?」


 純子の言葉に、顔をひきつらせて声をあげるラドクリフ。


「その人は別に純子に何をしたわけではないでしょうに……。ただ敵の陣営にいただけなんですし」

「そっかー。じゃあ見逃すかなあ」


 累が言うと、純子は冗談めかして笑ってみせ、ラドクリフは胸を撫で下ろした。

 純子のルールとしては敵の陣営にいただけで、実験台として確保するには十分条件を満たしていたが、ラドクリフの最後の潔さと、アブディエルへの忠誠に免じて、見逃した格好だった。


***


「十夜とミサゴは下がって」


 凜が有無を言わさぬ口調で命じる。二人が負傷している事もあるが、敵がほぼ遠隔攻撃オンリーで、近接の彼等向きでは無いという事も有る。もちろん隙を見て接近して襲いかかることも可能であろうが、無理をさせる事もないと判断した。


「じゃあ僕も下がるっ」

「いつもあんたはそのポジションでしょうに」


 ふざける晃に、凜は微笑をこぼす。


「いいなあ……戦いの最中までふざけていられるくらい信頼している仲」


 陰鬱な面持ちで好吉が言う。


「仲間が死んだ時には、どんな反応になるんだ? 見せて……くれよ」


 喋っている最中に好吉が仕掛けた。


 後方に向けて、肘打ちをするように、軽く素早く腕を引くだけの動作。殺気も最小限に、そしてぎりぎりまで抑えている。


 凜は際どい所で反応してかわしたが、不可視の衝撃が、ふくらはぎをわずかにかすめる感覚があった。

 凜の回避直後を狙い、肘打ちの素振りをした手の拳を握り締めて、後ろに一度振り、さらにショートアッパーでもするかのように振り上げる。


 コンパクトでシャープな二連打。そのどちらも、凜は身に受けてしまう。そのどちらも、脚を狙われていた。左の膝と、右太股裏に突き上げるような痛みと衝撃を食らい、体がよろめき、体勢を崩す。


 凜が隙を見せたそのタイミングに、晃がフォローのニュアンスを込めて銃を撃つ。好吉の左胸を銃弾が貫通する。


(まず足を殺す――か。短い間にこいつ、随分と成長したような)


 体勢を立て直しながら、凜は好吉が以前と別物であると認識する。


(おまけに銃食らっても血もほとんど出ていないし、分裂体とはいろいろと違うみたい)


 多少ひるんだものの、あまりダメージを感じさせないように見える好吉であった。


 しかし鋭い攻撃をするものの、好吉には覇気が感じられない。赤と黒の肌の中にある目は、どんよりと濁っている。

 この覇気の無さが、殺気を抑えるのにも繋がっているのかもしれないが、凜からするとそれが気に食わない。好吉の欝全開な面持ちにげんなりする。戦いは楽しむものであるとする彼女の美徳からすると、後ろ向きな気構えで戦いに挑んでいる好吉は、戦いを冒涜しているにも等しい。


「スポーツだって、あからさまにやる気が無い相手と競っても、嫌な気分なる。殺し合いもそれと同じよね。何で必死にならないの。何で楽しまないの」


 好吉を睨みつけ、凜は低い声で言い放つ。


「凜さんにとって殺し合いはスポーツだもんねっ」

「黙ってな」

「はい」


 茶化す晃に、凜のドスの利いた一言。晃は真顔になって返事をする。


「前向きに殺し合いとか、そんないかれた神経、理解したくもねーよ」

「だったら黙って殺されたら? 何のために戦ってるの?」

「とにかく全部壊してやりたいだけだ。目につく奴、殺したいだけだ。部屋の掃除するみたいにな」


 凜が発破をかけても、好吉のローテンションは変わらない。


 好吉から仕掛ける。力をこめて足踏みをする。


「あだっ!」


 攻撃は、凜ではなく晃が狙われた。右肩をハンマーで殴られたような衝撃を受け、右に大きくよろめく。


(あの馬鹿、ぼーっとして……)


 凜が舌打ちして、黒鎌を振り回す。


 液状化して、さらには亜空間トンネルを抜けて、黒鎌の刃が好吉のすぐ背後に出現すると、肩口に突き刺さりそのまま袈裟懸けに好吉の体を切り裂いた。

 確かな手応えがあった。しかし好吉の服は切り裂いたが、出血はごくわずか。はっきりと肩から胸にかけて切り口を入れたにも関わらず、少し血が垂れた程度だ。そのうえ、好吉も少し顔をしかめた程度である。


「俺がどうやって分裂体を作ってると思う?」


 凜達が不思議がっていることを見越して、好吉はわざわざ解説した。


「人間でも動物でもいい。他者の肉に自分の肉の一部を混ぜ、それで作り変える。増殖させる。他人の分裂体でさえ作れる。他人は劣化にしかできないがな。で、同じことを自分の体にもできる。これも再生っていうのかね? 傷を受けても、自分で自分の肉を使って自分をすぐ作り直すから、すぐ治せるし、何ともないのさ」


 言いつつ、好吉は自分の頭を指す。


「狙うなら頭だ。あるいは爆弾でももってきて、一撃で木っ端微塵にするか、だ」

「それをわざわざ教えるってことは、死にたいの?」

「死にたくない。でも、消えてしまいたい……」


 凜の問いに対し、好吉は振るえる声で、涙目になってそう答えた。


(本当……調子狂う奴ね……。お望み通り、さっさと殺してやるか)


 好吉の頭部に狙いをつけ、凜が鎌を振るおうとしたその時――


『勝手に消えろおぉおおおぉおおぉっ! 一人でなあああぁああぁぁぁ!』


 異様な声がロビーの響き渡った。


『お前っ! お前はあぁあアァあアあぁあ! 俺のっ、俺の俺のっ、俺の依代に相応しくないいぃぃいぃィいいぃッッ! 貧弱軟弱惰弱虚弱暗弱脆弱薄弱! 命に執着無き者など願いさげどォぅわああアぁああぁあぁァァあアァっ!』


 狂人そのものの喚き声は、好吉から発せられていた。しかし――好吉の声ではない。


「ふわあぁぁぁっ!?」


 情けない響きの声で好吉が叫ぶと、好吉の口から勢いよく何かが飛び出した。


 好吉の腕の長さが人のものに戻り、肌の色も、赤と黒から普通の肌色へと戻る。


 白目を剥いて好吉が倒れる。

 倒れた好吉の上には、おぞましく不気味な姿の霊魂が浮かんでいた。フォルムこそ人のそれだが、体中に、夥しい数の同じ顔が同じ表情で、重なり、交じり合い、溶け合い、くっついている。全身、半透明だ。


「力霊……」


 凜が呟いた。好吉に憑依していたこれこそが、好吉の力の源だと、その場にいる全員が察する。


『次はより強く! 逞しく! しぶとく! 図々しく! 猛々しく! 命に執着する者を選ぶ也いぃいいぃぃィいぃぃぃッ! 楽しみにしとけええぇえぇえぇっ!』


 力霊はひとしきり喚きたてると、高速でビルの外へと飛んでいった。うつ伏せに後には倒れた好吉が残るだけだ。


「しまらない終わり方ね」


 力を失くした好吉を見下ろし、凜は戦意が失せ、黒鎌を消して大きな溜息をついた。

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