第三十一章 6
自宅に物を取りに行かせた分裂体を謎の二人組に殺され、好吉の本体は荒れていた。
「畜生っ、畜生畜生畜生っ! 何なんだあいつらーっ! 俺のホーリー・ドッキングを邪魔しやがってーっ!」
好吉が与えられた部屋には、好吉の分裂体が他にも何体もいたが、全て瞑目して動かない状態で、寝転がっている。同じ人間の体が幾つも同じ室内にいるので、傍目からは不気味な光景だ。
「せっかく作った分身が一つお釈迦だ! 一つ作るのに時間かかるし、わりと大変なんだぞ! 畜生、しかも殺される痛みまで伝わるとか……畜生!」
分裂体と本体は感覚がリンクしている。快感も苦痛も共用する。
(せっかく力を手に入れて、好き勝手できるかと思ったら……そういうわけでもない。俺が力を手に入れたのなら、俺以外にも力を持つ者がいて、不思議じゃないってか? ラノベみたいに俺ツエーで無双はできないってのかよ。明らかに俺より強そうな、ヤバそうな奴等がいきなり出てきやがって……。もしそんな展開のラノベあったら即座に読むのやめて、ネットで評価ボロクソにつけてやるのにっ。ああ、もう、これだから現実は嫌なんだっ)
あの二人が何者かは不明だが、間違いなく自分を脅かす敵だと、好吉は認識した。
(俺はもしかして……力を与えられて浮かれさせてから、幸福の絶頂だと思わされた所で、一気に地獄へ突き落とされるんじゃ……。いや、そんな風に疑ったら駄目だ。俺は神の戦士なんだ。アブラハムさんもそう言っていた。俺はもう一人じゃないんだ)
もし一人であったら、ずっと恐怖と疑念にとらわれ続けていただろうが、孤独ではないと強く意識する事で、好吉は己の心に平静をもたらすことが出来た。
(人との心の繋がりって……こんなにも人の心を強くできるんだな。凄く……大事なものだったんだな。なのに……俺は今までそれを取り上げられていた)
そう意識することで、運命を呪う。神の使いを自称しているのに、運命を司る神を呪っている矛盾に気付きつつも、その事実からは目をそらして意識しない。
***
貸切油田屋日本支部、ラファエル・デーモンの執務室。
今、部屋にいるのはラファエルとビトンの二人だ。会話内容は、力霊量産計画の件に関してであった。
「雪岡純子が真っ先に有力な手がかりを見つけるとはね。流石というか」
純子からの報告を受けたのはビトンだった。録音した報告内容を、ラファエルにそのまま伝え終わった所である。
「その雪岡純子の件も含めて、二つほど不可解な点がある」
ビトンが言った。
「何だね?」
「一つは……雪岡を推薦したのが、ヨブの報酬の者だという点だ。実はヨブの報酬のエージェントとも接触して、その件に触れたら彼女も不自然さを感じているようだった。シスターが発案するならともかく、部下レベルで、しかもその部下が雪岡純子と面識も無い人物が思いつきレベルで、進言したものだそうだ」
「ふむ……しかしそれを言ったら、その進言を聞き入れたシスターも、それを許可した我々も、おかしな判断をしたという事になる。それに――だ。敵対勢力といえども、力になってくれそうな者なら、利用しあってもおかしいことではない。敵の手の内も見られるかもしれない」
「我々からすればそうだろうさ。だがヨブの報酬のシスターは、雪岡の手口をよく知っているはずだ。ただ利用するだけならともかく、手口を知る必要も無い。ヨブの報酬が雪岡に協力を請うことを提案したのは、何か裏があるんじゃないかと思えてならない」
ビトンの危惧はもっともだと思う一方で、ヨブの報酬のトップであるシスターは、同盟を結ぶ相手にまで、あれこれ策を巡らすタイプではない事を知っている。同盟を結んでいる間は、決して裏切らないという姿勢を何百年も貫いてきた。
(あるいはビトンは気がついたうえで、こう言っているのか。ヨブの報酬内に、内通者がいると。シスターもそれを承知のうえで、泳がせている可能性も有りか。いや、むしろそう考えるのが自然か?)
ラファエルはしばらく無言で思案していたが、やがてビトンに声をかけた。
「留意しておこう。で、もう一つの不可解な点とは?」
「アブラハム吉田という男に関してだ」
「やはりそれか」
ビトンの口からその名が出て、ラファエルは苦笑いを浮かべる。
「あんたも気がついていたのか」
「うむ。あの男の素性が、まるでわからないことに関してだろう? こちらでもとっくに調べている。プロジェクトに携わる前の経歴が一切不明だ」
ビトンが疑問に思った事が、正にそれだった。
「仮にもゴースト・ウェポン・プロジェクトのような、組織にとって重要な計画の責任者を任せられるにも関わらず、だ」
ラファエルの言葉に付け加えるビトン。
「ひょっとしてアバラハム吉田はただのデコイに過ぎず、本当の首謀者は他にいるのではないか? 堂々と日頃から風俗店通いまで目撃されているほどだ。プロジェクトに関わる者達は、自分達が組織内からも疎まれ、ヨブの報酬からは敵視される行いを働いていることくらい、自覚があるだろうに」
ビトンの指摘に、ラファエルは難しい顔になる。
「しかしあの男が長年、プロジェクト責任者として携わっている事もまた事実だ。多くの部下達を仕切ってきたし、傀儡と見るのは無理がある。これまで全く成果を上げていなかったがな。ようやく完成させた力霊を暴走させてしまうことで、ようやく成果を証明するとは、皮肉な事態であるが」
「ならば、何者かが化けていると見ればよいのか?」
「ああ、そう見てもいい」
ビトンの問いに、ラファエルは頷いた。
「名が知られている何者かが素性を隠し、過去を葬り、今のアブラハム吉田という怪しい男になった可能性も十分有りうる」
それは有名人が潜伏して謀(はかりごと)を行う際の、パターンの一つであった。しかし貸切油田屋という巨大な組織において、それを実行するからには、かなりの人物であるとも、推測できる。
***
亜空間内で、凜はアブラハム吉田への尋問を開始した。
「アブラハム吉田。貸切油田屋の一員。これで合ってるよね?」
「知りませんっ。知りませんっ」
凜の質問に、怯えたような表情で、ぶるぷると激しく顔を横に振るアブラハム。
「じゃあ貴方の名前は?」
「アブドーラ・ザ・吉田と言います。人違いです」
「見え透いた嘘言っても、いいことないってわからない?」
今の一見しょーもないと思えるやりとりで、凜には幾つか判ったことがある。
人違いだと訴え、怯えた演技をしているが、この男は相当腹が据わっている。表情はともかく、瞳に怯えは全く見受けられない。凜の目に映るヴィジョンにも、変化が無い。猛々しいほどの黒い炎が燃え盛り続けている。
プロジェクトの首謀者ともあろう者が、堂々と風俗に出入りをしている。これはもうあからさまな囮だ。誰かを罠にハメようとしていたのだ。
そしてかかったのが自分達であったのは、このアブラハムにとってハズレなのだろうと、凜は思う。イーコに雇われた自分達など、絶対にイレギュラーであっただろう。
故に、面倒なので適当に誤魔化してやりすごそうとしている。凜は今のやりとりだけで、そこまで見抜いた。
(こいつにとっての敵が、他にいるんでしょうね。そいつを誘き寄せたかった? そして誘き寄せてどうしたいの?)
もちろん、今それを考えてもわからない。
「私達が知りたいのは――」
凜が口を開き、問いかけようとして、途中で止めた。
知りたかった事は、無数にある。組織の規模。本拠地。何が目的なのか。だがこいつは絶対に答えない。拷問されても答えない。そう悟った。誰かを誘き寄せて、ただの囮で動いているような奴が、答えるはずがない。
(捨て駒? こいつは首謀者の偽者?)
そう勘繰る凜。そう考えた方が自然ですらある。だが一方で、この男から見える黒い業火のヴィジョンが、この男が只者ではないとも物語ってもいる。わけがわからない。二つは符号しない。捨て駒程度の役割の男が、ここまで強烈なオーラを放つのか?
「どうしたの? 凜さん」
凜が尋問を進めようとせず、ずっと思案顔でいるのを見て不審に思い、十夜が声をかける。
「こいつ、解放しよう」
凜のその決定に、十夜も晃もアリスイも、そしてアブラハムも驚いた。
「人違いってことにしてあげる」
そう言うと、亜空間の扉を開くように、アリスイに視線で促す凜。
「ど、どうも……」
亜空間の扉が開くと、へこへこと頭を下げ、そこから出て行くアブラハム。しかしその視線が一瞬鋭く輝くのを、凜はもちろんのこと、十夜と晃も見逃さなかった。
「凜さん、どういうことなの?」
晃が尋ねる。
「あいつは誰かを誘き寄せたくて、わざわざ目立つ行動をしてたのよ。でも……影武者を使っている風でもない。あいつから……そんじょそこらの雑魚には出せない威圧感も感じた。ボスクラスのオーラを感じた」
通常空間に出て、風俗店には行かず、今来た道を引き返していくアブラハムの背を見送りつつ、凜は己が感じたことを述べた。
「尋問しようが拷問しようが、無意味よ。あいつと面を合わせて、尋問しようとしたのがそもそも失敗だった。欲をかいた。最初から亜空間越しに後をつけるべきだったのよ」
「なるほど……」
凜の言葉に晃は納得した。
それから四人は、亜空間トンネルを伸ばして、どこかへと向かうアブラハムを尾行した。
「愚かな弟達よ、妹達よ。金と権にまみれてぬくぬく暮らして、それで幸福か? 長兄である私は恥ずかしいぞ。きっと父も恥じている」
歩きながら、アブラハムは朗々たる口調で、誰かに語りかけるように、奇妙な独り言を口にしていた。
「父を殺した者達よ。今更の復讐と思うだろうが、三十年もかけて、私は貴様等に対抗できるだけの力を身につけた。今は縁(えにし)の大集約とも呼べる時代。この時に合わせて、丁度よく私も貴様等と方を並べられるようになった。父が治めていた国を滅茶苦茶にしたのだ。貴様等が住む国も同様に壊させてもらおう」
誰も聞いていないのに、誰かに聞かせるように、まるで尾行している者達に気付いていて、聞かせるかのように、はっきりと声に出して言うアブラハム。
「こいつ、何わけのわからないこと言ってるんだろ?」
「悪役ボスの独り語りモードだけど、イミフだよね」
不気味に思い、十夜と晃が言った。
「縁の大集約……」
アリスイが、アブラハムが口にした言葉を反芻した。
「イーコの長老も同じことを言ってましたよっ。丁度今の時代が、縁の大収束地点だって」
歩きながら、ほころびレジスタンスの三名は、アリスイの話に耳を傾ける。
「全ての魂は縁で繫がれていて、転生した後、惹かれあうようにできているということです。それはイーコの間でも、術師達の間でも通説ですよ。稀にその縁が一気に惹かれる時代があるということです。そういう時は、激動の時代になるって、長老が言ってました」
「イーコの長老って髭はえてて眉毛長くてフガフガ系、それともアリスイ達と変わらないキュート系?」
晃が尋ねる。
「おっ、晃さんにしてはいい質問ですねえ。ズバリ、キュート系ですよ。定番のフガフガ老人ではありません」
「全然いい質問じゃないわ」
話の腰を折っただけの晃と、顔を輝かせるアリスイに、凜は呆れる。
その後もアリスイの亜空間トンネル越しに、アブラハムの尾行を続ける三人。
やがてアブラハムは小汚い雑居ビルへと入っていく。壁の汚れ方やヒビなどからして、築百年と言われても驚かないほど古い建物だ。
狭い階段を地下へと降りていく。
「きっとこの先に秘密研究所があるんだよ。雪岡研究所みたいにさ」
「わりと本気でそうなんじゃないの?」
おちゃらけた声を出す晃に、凜が真面目に言った。
階段を下りた先に、やけに重厚そうな鉄の扉があった。指紋認証、虹彩認証の両方を済ませ、さらに鍵も使い、パスワードも打ちこんで、扉を開きにかかる。
アリスイはアブラハムが扉を開くより先に、扉の先へとトンネルを伸ばしてみた。
果たして、そこには晃の予想通り、秘密研究所があった。
それまでの狭い階段や汚い雑居ビルが一変して、かなり広いスペースである。そのうえ壁も床も天上も白一色で、清潔感にあふれている。
白衣姿のいかにも技術者風の者と、いかがわしい魔術師だか占い師風の格好をした者が、それぞれ半々、そこかしこに見受けられた。いずれも白人だ。
「何だ、先に入ったのか」
扉を開けたアブラハムが、亜空間にいて見えないはずの四人の方を向いて、歪な笑みを浮かべた。アリスイがぎょっとした顔になり、凜、十夜、晃の三名は顔を引き締める。
「一目でわかった。お前は超常の力を有している。それもかなり強力な。つまり、力霊の良い素材となる。あの場で騒ぎを起こして捕まえるようなことをしなくても、泳がせておけば勝手に来てくれることもわかっていた。本命ではないが……思わぬ拾い者だったな」
「スペースゲート強制開放、開始します」
魔術師風の男が言うと、アリスイの亜空間トンネルに穴が開き、どんどん広がっていった。そして四人の姿がその場で露わになり、その場にいる全員の視線が降り注がれる。
驚いている者は一人もいない。きっとアブラハムが密かに連絡し、前もって四人の亜空間越しの尾行も告げていたのだろうと、凜達は判断する。
研究室の奥の扉が開いて、サブマシンガンで武装したフルフェイスフルアーマーの兵士達が現れた。魔術師達が兵士達の後ろへと回る。
「なるほどー、こうやって罠にかけようとしていたわけか。本命は僕らじゃない誰かだったんだろうけど」
晃が兵士達を見渡して、危機感に欠けた声で言い、微笑んだ。
「数が多いうえに火力も装甲も整っている。おまけに術師のあの数。これはちょっとハードかもね」
言葉とは裏腹に、不敵な笑みをひろげる凜。久しぶりに訪れた楽しい状況なのだから、思う存分楽しもうと、心に決めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます