第三十章 30

「ふええぇ~……あたしの術を最後に使っておいて負けんなよォ~」


 うつ伏せに倒れている善治を見て、みどりが言った。本気で不満というわけではなく、冗談交じりの台詞だ。


「惜しかったですね。しかし中々熱い戦いでした。昂ぶりました」


 本人の言うように、心なしかちょっと興奮したような声を出す累。


「しかし全てを出しきれたわけでもない。想定していた戦法がまだ幾つもあったのに、先にダメージをくらいすぎた。やはりなりふり構わず悪臭玉を使うべきだったな。そうすれば勝てたと思う」

「真兄、本当しつこ~い。ていうか、真兄の頭の中からそれ失くしてよ。あたしの中で真兄のイメージダウンになるからさァ。純姉にだって嫌われるかもだよォ?」

「わかった、やめるよ……ただ僕は、あの悪臭玉を調合しているのが楽しかっただけなんだ」


 みどりが何故そこまで嫌がるかも、実はあまりよくわかってない真であった。


「変なことに喜びを見出すんですね……」

 累は真の意外な一面を見た気がした。


「あー、終わっちゃったんだねえ。残念。あとで動画で視よう」


 と、そこへ純子が戻ってくる。異様な物を片手に携えて。


「そいつがスナイパーか」


 純子が手にしているものに視線を落とし、真が言った。

 手も足も付け根から無く、首から下の皮は全て剥かれて神経や血管が露出し、腸は腹部から引きずり出されて首や肩や背中に巻かれ、その他の露出した内臓には至る所にピンが刺さっている男。その目も表情も虚ろで、口からはとめどなく涎を垂らし、全身ひくひくと痙攣していた。

 何より驚くべきことは――そしておぞましいことは、このような状態にされてなお生きているという事だろう。


「久しぶりの拷問だったから、ちょっとはりきりすぎちゃってさー。あははは」


 頬をかいて照れくさそうに笑う純子。


「僕が裏通りに堕ちる前の特訓期間に、お前から受けた拷問訓練よりは大分マシじゃないか」

「あー、懐かしいねー。真君のこと極限まで弱らせて、その後に看病の繰り返し、楽しかったなー」

「真兄、純姉……それ最早訓練じゃなくね?」


 真面目に言う真と、うっとりした顔で言う純子に、みどりが怖そうに突っ込む。


 一方で、輝明と善治の周囲には星炭の術師達が集り、手当てを行っていた。


「よくやったな、善治。惜しかった」

「ああ、結果は負けたけどお前の粘りは凄かった」

「星炭の中にこれだけ強い術師がいるってことは心強いぞ」


 善治を称える声が次から次へとかかる。


 良造は息子の手当てをしながら、ずっと穏やかな微笑を張り付かせていた。いつもの父と変わらぬ笑顔を見上げ、しかし善治は、自分を支える手が熱く、力強く感じる。表面には出さない、形容しがたい様々な気持ちが伝わってくる。


「ケッ、勝ったのは俺だってのによ。俺を褒める奴はいやしねー。勝ったのは俺だし、いくらあの負け犬を褒めようが、当主の座は渡らねーから。実力の勝ちが全てだバーカ」


 そんな善治の様子を見て、いつもの如く悪態をつきつつも、輝明はまんざらでもない表情だ。


「ま、テルは日頃の行いが悪すぎるから仕方無いさ」

「全くだよ……」


 修が笑いながら言い、綺羅羅は憮然とした顔で同意し、輝明の手当てを行う。


「私は輝明が勝ってくれてほっとしてるよ」

 と、笑顔で玉夫。


「自分のためにな」

 嬉しく無さそうにそう返す輝明。


「勝ったのはテルだけど、皆の気持ちは善治に持っていかれちゃってるし、善治の派閥とかできそうな勢いだな。今後の善治は余計に手強い、テルの天敵になるだろうね」


 修がからかうように言い、輝明の反応を伺う。


「上等だバーカ。ザコが何匹集ろうと所詮ザコはザコですからー。烏合の衆派閥の長をせいぜい頑張りゃいいわ」


 あくまでも憎まれ口を叩き続ける輝明。もちろん善治や善治の周囲にいる者達にも聞こえる声でだ。


「当主なんてやりたくないと言ってるあんたが当主の座を守り、当主の座を欲しがる善治はそれを得られずってのも、皮肉な話だけどね」

「そうなのか? 当主が重荷であると」


 綺羅羅の言葉を聞き、玉夫が輝明に尋ねる。


「俺が当主なんてしたくないのはな、俺にも他にやりたいことが……夢があるからなんだ」


 普段であればこんなことを口にしたりはしないのだが、善治との戦いの後で気が大きくなっているため、輝明はついこぼしてしまった。


「それは知らなかったなー」

「私も初耳」


 意外そうな顔をする修と綺羅羅。


「言ってもどうせ馬鹿にされるの、わかってるからな」

 輝明がぷいとそっぽを向く。


「僕は馬鹿にしたりなんかしないぜ。ていうか見損なうなよな。僕のこと、夢を持つことを馬鹿にするような、つまらない人間だと思ってたのかよ」

「私も輝坊が真剣に望むことなら、それを応援したいわ。当主と兼任できないことなのかもしれないけどさ」

「じゃあ言うぞ。聞いて驚くなよ」


 修も綺羅羅も真面目に聞いてくれそうなので、輝明は勿体つけつつ、己の夢を打ち明けた。


「ニートになりたい」

「は……?」

「あん……?」


 輝明が口にした台詞を聞き、修がぽかんと口を開け、綺羅羅が険悪な面持ちへと変わってジト目になる。


「いや、ずっとネトゲしてて、いつも思ってたよ。時間無制限のニートには絶対かなわないなって。あれも境遇の幸運であり、恵まれた環境故の勝利なんだなってさ」


 真面目に語りだす輝明に、修と綺羅羅は閉口し、白い目で輝明を見る。しかし輝明は二人の様子に気付かず、話を続ける。


「だから俺はニートにずっと憧れていたし、今でもなりたいと思っている。そして一日中ネトゲに入り浸って、廃神王として頂点に君臨したい。今でも廃扱いされてるけど、ニャントンらガチニート勢には絶対勝てねーし、いつも悔しく思ってたよ。ネトゲしてて、廃ニートとか馬鹿にする奴だって、本当はあれ、ニートが羨ましくて仕方ないんだぜ。働かないで一日中好き勝手できるなんて、そりゃ最高の勝ち組だし、最上級国民だろ」


 輝明が話し終えてしばらく、重い空気が三人の間に漂う。

 気まずそうな顔になり、やはり言わなければよかったと思う輝明だが、その直後、空気が重いどころではない事態が発生した。


「うっ……ううう……ううっ……」


 突然、綺羅羅が顔を押さえ、嗚咽を漏らし始めたのである。


「お、おい……ババア……」


 輝明が呆気に取られる。綺羅羅が泣くところなど、生まれて初めて見る。しかも泣かせたのが自分であることに、輝明は相当なショックを受けていた。


「私……何が間違ってたんだろう……。うっううっ……これでも……必死にっ……頑張って……うううう……」

「泣くほどのことじゃねーだろーっ。しかもこんな大勢いる場でーっ」


 周囲の目を気にして喚く輝明だが、その声で余計に周囲の目を惹きつけてしまう。


「テル……お前、まず謝るべきだろ」

 輝明を非難する目で見て、修が言う。


「俺は何も悪いことしてねーしっ、ババアが勝手にしょーもないことで泣き出したんだしっ、謝ることなんか何もねーよっ」

「うううう……」

「あ、ごめん……やっぱ俺が悪かった。何が悪いのかよくわからないし、泣かせるほどのこと言ってないと思うけど、とにかく謝るから泣くのはやめてくれよ……」


 精一杯粋がる輝明であったが、とうとうその場に泣き崩れてしまう綺羅羅を見て、流石に態度を改めて、謝りだす。


「あれ? 綺羅羅さんが……」


 善治が父親におぶられて庭を出ようとする際、綺羅羅が泣き崩れ、輝明が必死に謝っている光景を見てしまった。


「何か深刻な事態があったようだな。見ない振りをしておこう」

「う、うん……」


 父に言われ、視線を外す善治。他人の家庭のごたごたなど、確かに見ない方がいいし、興味など持つべきではないと思う。


「負けは負けだ。しかし敗北は多くのものを得られる。生きていればの話だがな。お前がこの敗北で得たものは、非常に大きいものだろう。いろんなことがわかったはずだ」

「うん……」


 良造が静かに語りかけ、父の背におぶさった善治は、何も反発することなく、父の言葉を素直に受け入れられた。

 その善治と良造の横をすり抜け、純子が弦螺のいる場所へと向かう。


「弦螺君、はい、これ」


 手足を失い生皮剥がれて神経も内臓も露出した狙撃手を、純子は弦螺の方に笑顔で差し出す。


「いらないよう。純子のことだし、この様子から見ても、もう依頼者の名を吐かせたんでしょ?」


 弦螺が言った。殺し屋が依頼者の名を吐くなど、通常有り得ない。文字通り死んでも吐かない者もいる。


「うん。ただ、この人が中々頑張るもんだから、私も楽しくてついエスカレートしちゃった。てへへ。命に別状はないけど、頭の方が壊れちゃってねえ。真君はもっと過酷な拷問訓練も耐えてくれたんだけどさあ」


 純子の言うとおり、殺し屋の顔を見ただけで、すでに正気を失っているのが一目瞭然であった。

 そして純子は依頼者の名を弦螺に告げる。


「その依頼人の上を辿っていけば、誰が上にいるのかわかるよう。ありがとさままま」

「じゃあ、これ……」

「いらないよう。そっちで捨てといてよう」


 再び目の前に殺し屋をかざしてみせる純子であったが、弦螺は嫌そうな顔で拒絶した。

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