第三十章 10
ある日、優しい姉は、厳しい母親にして師匠へと変わった。
輝明はそれを受け入れた。受け入れなくてはならないのだと、幼いながらに察した。我慢して飲み込んだ。
しかし彼の中ではわだかまりがずっと残っていた。星炭の家に生まれ、才能があったことでそうなったと意識し、自分の運命に怒り、呪うようになっていた。周囲が持て囃し、嫉妬するから、余計に負の念が強くなり、反抗的になっていった。
一方で綺羅羅も、そんな輝明の気持ちを全て見抜いていた。
(あんたを苦しませたのは私。でもあんたは今まで、そんな私のために頑張ってきた。私だってそいつは全部知っているさ)
輝明が妖術師としての修行に手を抜き、その才能を伸ばさなかったら、星炭の老害頑固術師共が綺羅羅を責める。輝明は幼くしてそこまで見抜くほど、利発だった。だから努力したし、綺羅羅の変貌も受け入れた。そして綺羅羅もそれを承知している。
(正直、あんたがここで星炭を壊しても、文句を言いたくない気分よ。でも……それじゃあ今まで積み上げてきたものは、私と輝坊が歩んできた道は、一体何だったのかっていう話になるでしょう?)
先に庭に出た綺羅羅が、ゆっくりと庭へと出てくる輝明に、口に出さずに語りかける。
輝明が庭に靴下のまま降りた瞬間、呪文を唱え始める綺羅羅。
「おいおい……」
「本気か? タダでは済まないぞ……」
綺羅羅の唱えている術の呪文を聞いた術師達がどよめく。
妖術師同士で、互いの力量を測る、術試しというものがある。最初は弱い術をかけあい、そのうち強くしていくというのが一般的だ。ようするに手加減したうえで戦うわけであるが、綺羅羅が用いている呪文は、加減抜きの殺傷力たっぷりの術だ。
呪文の詠唱が終わる。何本もの炎柱が続けて発生したかと思うと、アーチを描くようにして、一斉に輝明へと降り注ぐ。
(本気で殺す気か?)
善治は慄然とした。目の前で母親による息子殺しなど、見たくも無い。いや、それ以前にどんな事情があろうと許されない行為だ。
降り注いだ炎柱の先端が、輝明に降り注ぐ直前に、炎に変化が起こった。輝明に近い炎の柱が、紙を手でねじったかのように細くなり、炎の勢いが劇的に弱まり、輝明の前で打ち消された。
「妖気の噴出と操作だけで止めおった。あれは術にも非ず。念力のようなものだ」
年配の上級妖術師が呻くような声で、輝明が何をしたかの解説をする。
「炎は操りやすいし消しやすいんだよ。所詮は酸素の燃焼だからな。妖気で酸素の流れを遮ってやっただけだ。ちょっと練習すればどんな妖術師でもできそうな芸当だが、どいつもこいつも馬鹿だから、その発想すらねえ」
冷めた表情で、種明かしを蔑みまじりに口にする輝明。
綺羅羅は次の呪文を唱える。これまた殺傷力の強い術であったため、縁側でギャラリーと化した術師達が驚く。
「天草之槍」
綺羅羅が術を完成させると、綺羅羅の周囲の地面から七本もの光の槍が現れ、射出され、輝明めがけて降り注いだ。
(この数は魔道具のブースト効果か)
輝明は冷静にそう判断する。綺羅羅の力量ではこの数は出せない。一つにつき、威力も相当に上がっているはずだ。
破壊力も殺傷力もたっぷりとある術。加減抜きで殺す気なのかと、ギャラリーは肝を冷やしているだろうと思い、輝明はおかしくなってきてしまう。それくらいでやってもなお、つりあいは取れないというのに。
呪文一言で、五色の光をそれぞれ放つ五つの光球を呼び出す輝明。それらは輝明の体の回りを斜めや横に激しく回転し、降り注ぐ光の槍を横殴りにして、次々と打ち消していった。
「ペンタグラム・ガーディアン。最近作った術だ」
輝明が悠然と告げる。
綺羅羅はさらに攻撃を仕掛ける。呪文の詠唱を聞いて、術師達は仰天した。それは星炭の術の中でも、秘奥を覗けばトップクラスの攻撃力を誇る奥義、雷軸の術であったからだ。
渦状の紫電が放たれる。同じ術を会得している上級妖術師達は特に驚いた。ここまで太く、そして折り重なれた紫電の数が多い雷軸の術など、初めて見たからだ。自分達では到底及ばぬ領域だ。魔道具によるブースト効果もあるのだろうが、術の威力を増すための技術も、相当なものだとわかる。
対して輝明は、短い呪文を唱えて迎えんとする。
輝明の呪文の詠唱を聞き、ギャラリーは本日何度目かの驚愕を覚えた。輝明が唱えている術は、星炭流の初心者でも可能な、極めて初歩的な攻撃の術なのだから。
「星屑散華」
術名を口にすると、輝明の制服の内側から、色とりどりの小さな星のようなものがこぼれ落ちる。
それは金平糖だった。触媒に金平糖を使うユニーク妖術。しかし初心者向けとはいえ、れっきとした攻撃の妖術。妖気を孕んで強化した金平糖を、つぶてとしてぶつける術だ。
渦巻く紫電が輝明に迫った矢先、金平糖が一斉に、紫電と紫電の中心にいる綺羅羅めがけて放たれた。
雷軸の術の正体は、電撃を伴った生体エネルギーの奔流である。そこに妖気という名の生体エネルギーのこもった金平糖の弾丸が浴びせられ、撃ちぬき、かき消していく。
かたや星炭の奥義とされる術で、そのうえドーピング仕様。かたや星炭の初歩の術。しかし初歩の術の方がはるかに強力なエネルギーを宿していることは歴然だった。輝明が独自の改良を行ったこともまた歴然だ。
紫電の渦を突き破り、金平糖の流星群は綺羅羅の体を容赦なく撃ちぬいた。
体中から血を噴きだして、綺羅羅がゆっくりと前のめりに崩れ落ちる。
「勝負有りだ!」
銀河がここぞとばかりに叫んだ。
(やった! ようやく目立てた!)
心の中でガッツポーズを取る銀河。
(綺羅羅さんも手加減無しでどうかと思ったが、輝明もやりすぎだろう……。自分の親相手に……)
血まみれかつ体中穴だらけになって倒れている綺羅羅を見て、善治は怒りとも恐怖ともつかぬ感情にとらわれ、輝明を睨んでいた。
輝明が倒れている綺羅羅に近づいていく。金平糖は、腹部や胸部の中心や、頭部や喉は避けているが、手足や肩や脇腹はあちこち撃ちぬいている。無論、大動脈は撃ちぬいていない。ちゃんとコントロールして外してある。
「輝坊……成長してからも、私の見てない所でこっそり修行を積んでたのね」
倒れたまま顔を上げ、綺羅羅が誇らしげに微笑む。その笑顔を見て、輝明の胸が痛む。
「修行ってほどでもねーさ。俺は術の改良も新術の開発も、一週間か、あるいは一週間もかからずにできちまうし、腐れ凡人が十の努力をして三くらいが身につく所を、俺は一やって八百万くらい身につくからな。つまんねー人生だわ。馬鹿馬鹿しくて修行だの新術開発だのは、真面目にやってねーよ。ひたすらネトゲ三昧だ」
奢っているわけでもなく本当のことを口にする輝明だが、それを聞いた術師の何名かは嫉妬に唇を噛みしめたり、拳を握り締めたりしている。
「ケッ……ババアにだけはわかってほしかったんだがな……。残念だよ」
「わかってないと思ってるのか、このバカガキ」
渋い表情で言う輝明に、綺羅羅は微笑んだまま告げた。
「実に馬鹿げた茶番ですね」
「ああ?」
嘲る銀河を、輝明は怒りに満ちた顔で睨みつける。
「綺羅羅さんがわざわざ当主に戦いを仕掛けたのは、ただのガス抜き狙いです。育ての親が本気で戦ってみせることで、ここにいる一同の、当主への悪感情を少しでも和らげようとしただけですよ」
侮蔑しきった顔で銀河が言い、鼻で笑う。
「例えガス抜き狙いのために、育ての親である綺羅羅さん自身が覚悟を示し、息子に戦いを挑んだとしても、私はそれを茶番とは思わないな」
静かな口調で意見を述べたのは、夕陽ケ丘良造だった。銀河が顔色を変える。
「むしろ子を持つ親の立場からしてみると、悲壮な決意と受け取って、胸が苦しかった。今の綺羅羅さんを見て感じ入るものがないなんて、私には考えられない。ここにいる皆の気持ちを和らげることが狙いというなら、それは十分に果たせた。綺羅羅さんのその意思は汲んであげるのが人情というものだろう。そして星炭流は昔から、義理人情を大事にせよとされてきたはずだが、君はそれを習わなかったのかね?」
穏やかに喋る良造の話を聞いて、善治は己の父が誇らしくて胸が熱くなった。多くの星炭の術師の前で、これだけのことを堂々と口にしてのけることに感動した。
他の術師達も良造の言葉に頷き、銀河には白い目を向けていた。
一方で、自分の目論見と体面を潰されたと感じ取った銀河は、顔を真っ赤にして怒りに震えていた。甘やかされて育った銀河は、思い通りにならないことが少しでも起こると、怒りを表情に出してしまうし、感情の制御の出来なさに関しては、善治よりもひどい。
「ありがとうよ、善治の父ちゃん。御礼にうちのババアを愛人にする権利をやろう」
「私如きには綺羅羅さんのような妙齢の女性は勿体無いよ」
輝明の下品な物言いにも、自分のペースを崩さずに軽くいなす良造。
「さーて、銀河ちゃんよ。この集会、有意義だったか? 何が狙いで開いたんだ? まだてめーは何もしてないし、何か浅はかでしょーもない企みがあったんだろ? 足りない脳みそでひりだした薄っぺらい糞策は何だ? まだ何もしてねーよな? 正直もうお開きでいいと俺は思うが、何せほら、俺はお優しい当主様だ。てめーを立ててやるよ。さあ、ここからは銀河ちゃんの劇場だ。てめーのターンだ。さあみんな~、注目注目~。銀河ちゃんが何かするよ~」
一同の白い目が、再び銀河に降り注がれた。
銀河が集会を開いて星炭の術師を集めた狙いは、全員の前で輝明を徹底糾弾して輝明の心象を悪くしたうえで、自分のイメージアップであったが、自分が言おうとしていたことを綺羅羅に先に言われてしまって、それができなくなってしまった。
「わ、私は当主に言いたいことがあった。しかし……綺羅羅さんに先に言われてしまったから、もう言うことはない」
赤面しているのが自分でもわかったので、それを隠すようにうつむきながら、銀河は言った。
それを聞いて輝明もそれ以上その件には、突っ込むのはやめた。おそらく銀河の言うことに間違いは無いと見て、そんなことをほじくり返しても仕方がないとして。
「何だったら、継承者決めるルール変えてもいいんじゃねーか? どんな手段使ってでも当主ブッ殺したら、ブッ殺した奴が当主なれるルールでいいじゃん。雷軸みたいに自分の力じゃかなわないなら、マッドサイエンティストに頼んで改造パワーアップするってのも有り。ヘタレカス無才虚弱の銀河みてーに、自分の力じゃ手に負えないから殺し屋雇って殺しても有りってさ」
「ふ、ふざけるな。私が殺し屋を雇ったなどと、どこにそんな証拠があるっ!?」
心臓が飛び出そうになるような感覚を覚え、ガタガタ震えながら叫ぶ銀河。口ではどこにそんな証拠があると言いつつも、一体どこで証拠を見つけてきたのだと、怯えまくっていた。
「証拠が無くたって皆てめーがやったって思ってるよ。てめーくらいしかそんな馬鹿なことする奴はいねーって、皆思ってるんだ。残念だねえ。いや、それが証拠だな。そこまでどーしょーもないうすら馬鹿が、銀河ちゃんの他にはいないってのが証拠な。はい、この判定の仕方に異議と異論ある人、いるー? いたなら出てきて、俺に論争ふっかけてー。けちょんけちょんに論破して恥かかせてやるけど、それでもいいなら出てきてこいつの肩持ってあげてー。用語してあげてー。あれぇ~? いないねー? 誰も銀河ちゃんの味方してくれないってさ~。皆銀河ちゃんのこと嫌いだってさー。皆てめーの仕業だと思ってるってさー。うん、これが現実だ」
輝明におちょくられまくって、泣きそうな怒り顔でぷるぷると震える銀河を見て、ある者は呆れ、ある者は半笑いになっていた。
「その強引な論法は新居仕込みなんだろうけど、あの男の真似なんてしない方がいい。当主にはとても相応しくないし、自分を貶めることになるよ?」
「別に新居だけに影響されたわけじゃねーよ。確かに影響受けた部分もあるけど、俺のオリジナルも入ってるからっ」
やんわりと諭す良造に、照れ笑いをこぼしてやんわりと反論する輝明。
(新居って、タブーの一人とされているあの新居太郎か……。父さんや輝明は、そんな奴と知り合いなのか? それはそうと……この傍若無人な男も、うちの父には一目置いているような接し方だな……。気のせいかもしれんが)
父と輝明のやりとりを見て、善治は思う。
「それと、本人が妖術以外での強化はまだ認められても、外部の人間を差し向けて殺したとあっては、流石に認められない。それを有りとしておかしな前例を作ってしまったら、星炭でまた将来に継承者争いが起こった際、殺し屋を雇って殺す方法が主流になってしまうよ」
「ん? 本人がおかしな力を手に入れて、妖術以外で戦い挑むのは有りなのか?」
良造の言葉を聞き、輝明は面白そうに確認する。
「意見は分かれると思うがね。当主は最も強い者がなるのが掟なら、有りだろう。しかし殺し屋を雇ったのでは、それは強さとは認められない。それに今綺羅羅さんがあっさりと精神増幅器を使ってしまったし、それを誰も咎めなかったからな。純粋な力だけの勝負とあれば、今のも反則なのは間違いない」
「わかったよ。善治の父ちゃんの案でいこう。殺し屋雇って殺しても当主にはなれないが、自己強化なら妖術以外の手段でも有りな」
(改造はいいのか……それなら、俺にも当主になるチャンスはあるのか?)
輝明の決定を受け、善治の中で野心が疼く。
「というわけだババア。つーか誰か救急車呼んだのか? ちったあ気きかせろよっ。どいつもこいつも本っ当無神経で、気の利かない奴ばっかりだな。一度徹底的に調教しなおしてやろうか」
「あんたも私をこのままにして、べちゃくちゃ喋ってただろうに……。私を傷つけたことより、そっちのが許せないわ。覚えてなよ」
喚き散らす輝明をジト目で見上げ、綺羅羅はいつも以上にドスの利いた声で言った。
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