第三十章 8

 スラブの怪人、超常殺しなどの異名を持つ殺し屋――オンドレイ・マサリクは、しばらく日本に滞在するにあたり、かつて自分が師事していた老妖術師の家に厄介になっている。

 別に妖術そのものを習得するために師事したわけではない。超常の力に抗う術を学ぶために学んだのだ。その老妖術師のみならず、オンドレイはこれまで様々な人物から教えを受けた。


 道場の庭先の物干し竿に洗濯物をかけていく、身長2メートル越えの筋肉ムキムキのヒゲ面の巨漢と、縁側に座った痩せた老女が湯のみを手にして、微笑みながら巨漢の背を見つめるという、シュールな絵図。


「それくらい私にやらせなさいよ。あまり動かないで怠けて、オンドレイ君にばかりやらせているのも、私の体によくないのよ」

「まだ病み上がりでしょうが。食事の方は作ってもらっていますし、掃除と洗濯は当分俺が請け負います」


 冗談めかして言う老婆に、オンドレイは振り返り、厳つい顔ににんまりと不気味な笑みを広げてみせる。


 この家に住んでいた師はすでに他界し、今は師の妻である老婆と共に、オンドレイは生活している。


 厄介になっているというよりは、半ば介護をしている。オンドレイが師の家を訪ねた時、家からは悪臭が漂っていて、彼女は寝たきりになって、垂れ流しで助けすら呼べない状態となっていた。オンドレイが来るのがもう少し遅れたら危険だったろう。

 オンドレイのおかげで老婆は一命を取り留めた。その後は順調に回復していき、普段と変わらない生活もできるようになってきたが、オンドレイは彼女の身が心配で、家事の手伝いなどをして見守っている。老人ホームに入ることも勧めたが、彼女は自宅から離れることを嫌がった。死ぬなら、思い出の詰まったここで死にたいとまで言ったので、オンドレイは諦めた。


 日本に滞在する間はここにいて仕事をこなし、離れる時は介護のための人を雇おうと決めた。住み込みの修行時代にも食事を作ってもらったり服を洗って貰ったりと、散々世話になった人であるし、今はきっちりとその恩を返す時だとオンドレイは思っている。


 洗濯物かけを終わった所で、ふと指先携帯電話を取る。

 オンドレイの電話に、殺しの依頼が入っていた。直接電話での交渉だ。盗聴の危険性もあるが、特に気にしないオンドレイであった。


『超常の力を持つ者との交戦も豊富と聞きましたが』

「俺の二つ名のとおりだ。生来の能力者も魔術師も、何人も斃してきたぞ」


 電話の向こうの依頼主の確認に対し、オンドレイは得意気に言う。


『相手のデータを知っている限り送りますので、これで判断してください』

「親切なもんだな……。あんたくらいの依頼者ばかりだと助かるってなもんだ」


 ディスプレイを開いて、データを確認するオンドレイ。


(このターゲットは……つまりは内部抗争か)


 標的の名を見て、オンドレイは鼻を鳴らす。依頼者と標的の名は、姓が一緒だった。依頼者の名前は星炭銀河。そして標的の名は星炭輝明。


***


 雪岡研究所のリビング。純子、累、みどりの三人で、星炭流の現状について語り合っていた。


「何で輝明が国に背を向けたのか、みどりにはそこがわからねーッス」

 一番の疑問を口にするみどり。


「多分……輝明は、霊的国防の真実を知ってしまったのでしょう」

「だろうねえ」


 累が言い、純子が頷く。


「ふわぁぁ~、何それ~。純姉と御先祖様が知ってて、あたしは知らないことって、何なのォ~?」


 同じオーバーライフでありながら、みどりは他の不死の超越者達が知っていることも、わりと知らないことが多い。オーバーライフ同士での繋がりがあまり無い故であるが。


「みどりちゃんも知ってる事かもしれないよー?」

「過ぎたる命を持つ者の中には、気がついている人が多いですね」

「いや、そういう言い方されると腹立つー。ちゃんと教えてよォ」

「えっとですね……」


 唇を尖らせるみどりに、累は、輝明が国の専属から離れようとしている理由を教えた。


「なるほどね~……。いや、なるほどじゃねーや。あたしはわかんないなあ。それって国に背を向けるようなこと? 真相が何であれ、戦わなきゃしゃーないことだしさァ。まあ、確かに馬鹿馬鹿しい構図だって、みどりも思うよォ~。でも別に国から離れなくてもねぇ……」

「考え方は二つあると思うな。私は輝明君の気持ちもわかるよー。輝明君は星炭という家に生まれたことそのものを、あまり快く思っていない節もあるし、そのせいで小さい頃からいろいろと嫌な目も見ながら育ってきたからねえ。そのうえで真相を知ったら、頭にも来るよ」


 みどりが疑問と感じる一方で、輝明を小さい頃から知っている純子は、その背景を見たうえで、輝明が真相に怒りを覚える事を理解できた。


「白狐や朽縄の当主は承知のうえで、霊的国防も続けてるんでしょ~?」

「朽縄一族の当主は代々それを知った上で、反発の意味も込めて、滅多に動かないのだと思います」


 みどりが尋ね、累が堪えた。


「弦螺は……白狐は承知のうえで引き受けているのでしょう。反発して誰もが戦うことを辞めるわけにもいきませんから」

「貧乏くじってわけか。何か段々、反発したくなる気持ちもわかってきたかなあ」


 みどりが言ったその時、雪岡研究所の呼び鈴が鳴った。

 純子がホログラフィー・ディスプレイを開き、研究所入り口のモニターカメラを映すと、長髪長身の美少年が、カメラを見上げて悪戯っぽく微笑み、ピースサインなどしていた。しかしその全身至る所に、包帯が巻かれている。


「いらっしゃーい、修君。リビングにいるからー」

 純子がそう言って研究所入り口の扉を開ける。


 しばらくして、包帯まみれの修がぎこちない足取りでリビングを訪れた。


「久しぶりだねー。修君も改造希望?」

「違うよ。純子の所なら、普通の病院よりも傷の治りも早いと思ってさ。そもそも純子が改造したマウスのせいでこうなったんだし、治してくれるよな?」


 にっこりと笑ってお願いする修であったが、目だけ笑っていない。


「んー……結構ひどい傷だし、完治に二日くらいはかかると思うよー。ていうかよくこれでここまで来たねえ……」

「今夜の集会には間に合わないか……。ところで真は?」


 初めて見るみどりの存在も気になったが、真の姿が見えないのも、修は気になった。また純子と喧嘩したのだろうかと、こっそり疑う。


「そろそろ帰ってくると思うんだけどねえ。尊幻市の知り合いに仕事依頼されちゃって、そっちでいろいろやってるみたい」

「そっかー。治ったらリハビリも兼ねて、久しぶりに手合わせしてもらいたかったのになあ。そういや尊幻市で、貸切油田屋や純子や霧崎が三つ巴抗争してたって、話題になってたね」

「へーい、手合わせならみどりがしてやんよ。あたしの方が真兄より強いんだぜィ」


 ソファーに寝転がっていたみどりが跳ね起きて、並びのいい綺麗な歯を見せて笑い、申し出る。


「一応彼女も雫野の姓を名乗ることを許された術師です。武の腕も相当なものですから、油断無きように」

 累が忠告する。


「そうみたいだね。じゃ、治った後でよろしくお願いしますねっと」


 修もみどりに向かってにっこりと笑った。


***


 雷軸洋はみどりの乱入による一撃を受け、負傷していた。

 骨折したかと思ったが、幸いにも打撲と裂傷だけで済んだ。しかし広範囲にダメージを受けてしまい、お世辞にも良いコンディションとは言えない。


 数日程休んでからまた襲撃しようと思った矢先、銀河からのメッセージを確認する。届いていたのは昨日であり、内容は星炭流妖術師達への集会への呼びかけだ。今夜、各家の代表格が集うことであろう。

 銀河に何か企みがあるのは明白だ。彼もまた、積極的に輝明降ろしを行っていると、雷軸も気付いている。昔から輝明に対して敵意を剥き出しだった男だ。


(星炭の方で動きがある今は、俺が迂闊に動かない方がいいかもしれないな。俺の狙いはあくまで輝明だけだ。それに……何が何でも俺の手で殺さなくてはならないという気持ちも無い。銀河が何か狙っているのなら――あいつが俺に代わって輝明を葬るなら、それでもいい)


 そう思い、雷軸は少し様子を伺うことにした。

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