第二十九章 エピローグ

 安楽市絶好町に戻った亜希子と望は、百合達と別れ、カンドービル内のファミレス『ウォンバット』で食事を取りながら一息ついていた。


「亜希子は普通じゃない世界に生きているんだなってこと、今回の件ですごくわかった。そして亜希子は僕のこと、そんな世界に近づけたくないってこともさ」


 望が口にした言葉に、亜希子は食事の手を止めた。明らかに恐怖の色が浮かんでいるのが望の目にも見えて、もう少し言葉を選べばよかったと後悔する。


「私と付き合いたくなくなった?」

「まさか。でもさ、俺も普通ではなくなっちゃったし、亜希子も俺に対してそんな接し方や意識の持ち方するのって、キツくない?」


 これでも亜希子を不安がらせないように、言葉を選んでいるつもりの望である。


「だから、そんな意識は持たないで欲しい。僕も亜希子と同じ目線で、同じ場所で生きたい」


 伝えたい本心を伝えてから、望は亜希子の反応を伺う。

 あまり自分を出すということをしない望が、ここまで言うのは、覚悟の発言なのだろうと、亜希子にも伝わった。しかし――


「そんなにビクビクしながら言われてもね~……。覚悟があるのはわかったけどさ。前から思っていたけど、私の反応に怖がるのは――顔色伺いすぎるのは、ちょっとどうかと思うの。それだと距離縮まらないし、今みたいに本心伝える時にも、そんなノリじゃあねぇ……」


 溜息混じりに言われて、望はしゅんとなってうつむく。


「ほらほら、そういうの~」

「僕、人の顔色伺うのがデフォになってるから、治すのも中々難しいよ。人の機嫌損ねたくないし、喧嘩もしたくないし……」


 霧崎に言われたことを思い出す望。


「えー? 喧嘩ぐらいしてもいいじゃな~い」

 亜希子が笑い飛ばす。


「でも……争いは苦手だし、霧崎教授も女との喧嘩は避けろ、喧嘩になったら男から許しを請え、平謝りしろって言われたし」

「は? 馬鹿みたい。それじゃあ私が間違ってた場合はどうなるの? それなのに思考放棄して謝られても困るよ。本気で頭にきたら喧嘩したっていいじゃん。自分が正しいと思ったら、それを主張したっていいじゃない。後で仲直りして、相手を受け止めて、認めて、許せばいい話だしさ」


 亜希子のその言葉は、望からしてみれば目から鱗であった。そういう考え方もあるのかと感心し、なおかつ亜希子があっけらかんとそう言ったことに、嬉しさと同時に、尊敬の念のようなものを覚える。


「霧崎に変なこと吹き込まれちゃって、しかもそれ真に受けてるのォ? 勘弁してよ~」

「いや……亜希子の方が、説得力あるかな。亜希子の言葉を信じるよ」


 はにかみながらも望はきっぱりと言い、亜希子も照れくさそうに微笑んだ。


***


 尊幻市での騒動が終わった三日後、雪岡研究所にダンボール箱五つ分のカップラーメンが送られてきた。


「亜希子ちゃんはさ、望君を自分がいる世界に引き込みたくなかったんだろうねえ。それが望君に悪影響をもたらしかねないと、死の危険に近づけるんじゃないかと、そんな風に考えてさ」


 カップラーメンにお湯を注ぎながら、同じ部屋にいる真に向かって言う。


「昔の私と同じだよ。真君を……」

「昔の話なんかするなよ」


 かなり険悪な声を発し、純子の話を遮る真。


「まあ聞いてよ……」


 純子が視線を外し、心なしか物憂げな表情を浮かべたので、真はそれ以上噛みつかないでおく。


「私はもう覚悟を決めたし、信じているし、自分ができることは最大限にしているつもりでいる。でもさ、今まで真君もヤバいこと何度かあったじゃない? その時、私がどんな気持ちでいたか、真君は考えたことある?」


 純子の問いかけに、真は押し黙る。


「意地悪なこと聞いてすまんこ。答えは、ただ信じてる――だよ」


 沈黙の時間が長く続いた所で、純子がにやりと笑って告げた。


「心配は心配だけど、死んじゃうかもしれないどーしよーなんて風に、そんなオロオロするような感情が、私にはあまり残ってないんだ。全然無いってわけでもないけどねー。鈍くなっているって言った方がいいかな。不老不死の弊害って、オーバーライフによりけりなんだけど、私の場合は負の感情がいろいろと欠けちゃってねえ。だからただ強く信じていられる。でも……たまーに凄く心配になることもあって、どうにも不安定でさあ。あははは」


 純子は笑っているが、真の心には、純子の話が重く響いた。


「君がいなくなったら、昔みたいに泣くことできるかなあとか、漠然と考える。いなくなったら……多分悲しむことはできる。で……また探して歩き続けるかなあ。千年も探し続けて歩き続けたんだし、今はいろんな繋がりもできて縁も強化できたし、生まれ変わった君と再開してから、魂の残り香をたどる方法も、独自に研究したから、今度はもう少し早く見つかりそうな気もするしね」


 そこまで喋った所で、カップラーメンの蓋を開けてすすりだす純子。真は無言のまま、何も言えずにいた。言いたいことは確かにあるが、それをはっきりと口にできない。


(僕は絶対に死なないよ。お前のためにも)


 その台詞が、恥ずかしくて口にできずにいる。


「亜希子ちゃんも、この先私と同じ気持ちを味わうのかなーとか、今現在もあの時の私と同じ気分なのかなーとか、まあ、いろいろと考えちゃうんだよね。好きな子を泥沼に引きずりこんだ側は、相当な覚悟を持って受け入れ、共に歩んでいかないといけないし」


 ラーメンをすすりながら喋っていると、電話が鳴った。


『おお、雪岡君。次のプランにまた雨岸君にも参加して欲しいのだが、君が餌になってどうにかしてうまく誘き出せないかね?』

「教授……百合ちゃんのこと気にいったの?」


 霧崎の要求に、純子はラーメンをすすりつつ苦笑をこぼした。


***


 尊幻市から帰宅して三日後。ハヤ・ビトンは責任を取らされて殺されることを覚悟したうえで、日々を過ごしていたが、中々上からの沙汰は来ない。


 しかしタダでは済まないのは間違いない。救出できた兵士は、さらわれた十人の中で、ネーサン・ポロッキーただ一人。残り九人は救えず、救出に向かった兵士にも死傷者を出し、霧崎を殺害することもできずと、実に散々な結果だ。しかもこれらは命令無視をしたうえで断行したのである。これまでの貸切油田屋の処断を鑑みれば、処刑されない方がおかしい。


 ここはそういう非情な組織だ。重大なミスを犯した者はデーモン一族の者ですら苛烈な粛清がなされる。最近ではサラ・デーモンの自害が記憶に生々しい。

 月那美香は、サラが死ぬ直前まで自分と電話をしており、組織に責任を取らされて自害に追いやられたのだと厳しく糾弾したが、貸切油田屋もデーモン一族も事実無根として突っぱねた。しかし組織の者は全員わかっている。月那美香の言うことの方が真実であろうと。


 そしてとうとう直属の上司であるラファエル・デーモンから、ビトンに呼び出しがかかった。

 口頭で自殺しろとも言われず、始末人が来るわけでもなく、呼び出しがかかるという点が腑に落ちなかったが、それでも処刑覚悟のうえで、ビトンは貸切油田屋東京支部へと向かう。


 通された部屋に入り、ビトンは驚いた。ラファエルの他に何人もの幹部がいる。中にはデーモン一族の運営を取り仕切る執政委員さえも。


「ハヤ・ビトン。君には死んでもらうことになる。表向きには、な」


 淡々と告げたラファエルの言葉に、ビトンは耳を疑った。


「粛清されることもいとわず、命がけで部下を救いにいった君の勇気と信念を見て、君は信ずるに足る人物と判断した。よって、死んだことにして、我々の一員に入ってもらう」

「我々?」

「我等は現在の貸切油田屋及びデーモン一族の支配体制の、転覆を目論む者の集まりだ」


 そう告げたのは、デーモン一族の執政委員である老人だった。一族のトップの一人である。


「どちらかと言えばデーモン一族内部の浄化が目的だがな。身内も容赦無く切り捨てるような、冷酷非情な者達を駆逐し、組織を改革したい。そして己の利を貪るために、世界中に争いの火種を蒔くこれまでの組織の方針も変えたいと、ここにいるのはそういう志を持つ者だ」

「そんなこと言って反乱分子を集めて一網打尽とか、そういう作戦じゃないのか?」

「それはおかしな読みだ。そんな面倒なことをしなくても、手っ取り早く暗殺した方が、話が早い。君とてそうだ。殺したいだけならさっさと殺している」


 ビトンの指摘に、執政委員である老人が笑う。


「私に選択肢は無いでしょう?」

「もちろんそうだが、君の本心は――心の選択肢はどうかね? 君の心は拒んでいるかね?」


 優しい目で見ながらの老人の問いかけに、ビトンは自然と笑みがこぼれた。本心は決まっている。


***


 尊幻市から帰宅して四日後。木島樹、林沢森造、枝野幹太郎の三名は、ある人物に呼び出された。

 ホテルの最上階で待ち構えていたのは、白無地姿の浅黒い肌の少年だった。白狐弦螺――霊的国防の大家である白狐家の当主であり、裏通りを総べる中枢の最高幹部『悦楽の十三階段』の一人であり、さらにはこの国の真の支配者の一人でもあるという、超大物だ。


「君達にはいろいろと悪いことしたと思ってさあ。純子に注意されて、やっと気付いたのもあれだけど。ごめんよう」


 これまでの木島の扱いの悪さを謝罪する弦螺に、木島の三名は何も言葉を発さない。


 概ね放置されていたかと思えば、たまに持ち込まれる任務は極めて理不尽な内容であり、木島の命は少しずつ散り、腹に据えかねて出ていってしまった者も多い。

 樹も内心は穏やかではなかったが、そういう扱いをしてよいという認識をもたれているのだろうと、諦めていた。それでもなお自分達は、霊的国防という日陰者の役を担うことを矜持として、すがりついていた。


「三人で相談して決めました。木島はこれより、自由にさせていただきとう存じます」

「だと思ったよう」


 樹の言葉に、弦螺は小さく笑う。


「で、今後の身の振り方は考えてあるのぉ?」

「裏通りの住人となりて、星炭の妖術師に習い、超常関係の厄介事の解決を生業としてゆこうかと」

「だと思ったよう」


 弦螺がディスプレイを出して樹へと飛ばす。


 宙を飛んできたディスプレイが、樹の前で反転した。書かれていたのは、裏通りの始末屋としての登録手続き。情報屋の紹介や、始末屋同士での横の繋がりへの紹介、中枢との提携契約の紹介などであった。それら全て、裏通りビギナーが、裏通りで仕事を始めやすくするための斡旋であることは、三人共理解できた。


「大体パターンなんだよねえ。国の仕事を辞めた荒事関係の人達が裏通りに堕ちるのも。だから僕はせめてこうやって、餞別代りの援助をしてあげてるんだよう」

「心遣い、感謝」


 にっこりと笑う弦螺に、樹は無表情のまま頭を垂れた。


***


 雨岸邸。

 リビングでは百合と亜希子の二人だけだ。百合は編みものを行い、亜希子は目の前にディスプレイを投影して、ネットを閲覧している。


「ねえ、ママ。どうしてママって義手のまんまなの? ママなら普通の手にすることだってできるでしょ~?」


 何とはなしに尋ねる亜希子。先日の霧崎とのやりとりを聞いてから、気になっていた。

 亜希子の質問を受け、純子の笑顔が脳裏にちらつく


「聞いちゃいけないことだった?」


 答えようとしない百合を見て、亜希子が言う。


「話したくもありませんし、知る必要もありませんわ」


 言葉のわりには、柔らかい口調の百合。


「そうだ、私すっかり忘れてたわ。ママに御礼言うのをさ」

「御礼?」

「だって一緒に望を助けにいってくれたじゃーん。ありがとね、ママ」


 礼を述べつつ、亜希子は百合の隣に座り、横からしなだれかかるようにして抱きつく。


「あらあら……邪魔でしてよ」

「今とってもこうしたい気分なの。だから拒まないで」


 うるさそうに顔をしかめる百合であったが、亜希子の頼みを聞いて、そのまま亜希子の頭を腕の中に収める格好で、編みものを続ける。


「いつかママが私に飽きて、ゴミみたいに捨てるとわかっていても、それでも今はママへの気持ちでいっぱいなの。すごく嬉しいし、感謝してるし、愛しい」


 夢見るような口調で口にした亜希子の台詞に、百合の胸に軋むような痛みが走る。


(捨てられる……。捨てられた……私は……)


 人生で最悪の記憶を呼び起こされ、強く意識しながら、百合は亜希子のことを強く抱きしめる。


「ママ……?」


 百合の体が強張っているのを感じ取り、亜希子が訝る。


「馬鹿なことを……。貴女は私が先日、尊幻市で純子に言った言葉、もう忘れてらっしゃるの? それとも聞こえていなかったのかしら?」

「え? あれって本気だったのォ? 純子に嫌がらせするための、口からでまかせだと思ってたのに」


 意外そうに言う亜希子の台詞を聞いて、百合は憮然とする。


「貴女が白金太郎だったら、この棒で耳を突き刺して、通りをよくしてさしあげました所よ」

「え~……つまりそれって、ママの中じゃあ、私より白金太郎の方が大事なんだ~?」

「あらあら、耳だけでなく、そのまま奥まで突き通して、頭の中もかきまぜてあげた方がよろしいかしら?」


 物騒なことを言って微笑む百合に身を預けたまま、亜希子もくすくすとおかしそうに笑った。


第二十九章 マッドサイエンティスト達と遊ぼう 終

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