第二十九章 22

 背中から悪魔を連想させるような巨大な蝙蝠の翼を生やし、腕は四本生えて肘から先が大きく反り返った刃となり、体は首から下が真っ黒で光沢のある甲殻的な材質で覆われている。

 そんな異様な姿の怪人が空から舞い降りて、目の前に着地したのを目の当たりにして、貸切油田屋の兵士達は一斉に銃を身構えた。


「待てっ」

 ビトンが制止の声をかける。


「ビトンさん……あいつは……」

 副隊長が呻く。


「ああ、わかっている。ランスキーだ」


 霧崎と戦って行方知れずになっていた、自分の部下であることを暗闇の中で暗視スコープを通して、ビトンは認識した。首から下は怪物のように変貌を遂げていたが、頭部だけは人のそれと変わっていない。


「撃ってください……お願いします」


 ビトン達に向かって、怪人が泣きながら懇願する。


「俺の体は……俺の意思では動きません。お願いします。今のうちに撃ち殺してください。さもないと……俺は……」

「そういうことか……」


 どういう状況かを察し、ビトンは怒りに拳を震わせ、副隊長の耳にも聞こえるほどに、思いっきり歯軋りする。


「お前の無念は俺の胸に刻んでおく! 仇は必ず討つ!」


 ビトンの叫びは、怪人はもちろんのこと、その場にいる兵士全員の胸をうった。


「撃て!」


 兵士達のマシンガンが火を吹く。


 怪人が横滑りに動き、左右ジクザグに動いて、兵士達の方へと迫る。人のそれを超越した速度であったが、兵士達の一斉射撃を全て避けきれるものでもなかった。


 甲殻は銃弾を全て防いでおり、銃の衝撃もものともせず、怪人が兵士達の側まで迫る。

 ビトンとしては、マシンガンで足が止まった所にグレネードを撃ってやるつもりでいたが、これではそれもかなわない。味方も巻き添えにしてしまう。


「頭を狙え!」


 ビトンが叫んだ直後、最前列にいた兵士数人の頭部が、怪人の刃によって輪切りに切断される。制御の効かぬ己の手で仲間を殺め、怪人は泣き叫んでいた。

 それを見てビトンは再び歯噛みし、怪人の頭部に狙いをつけてライフルを撃ちまくる。


 頭部が吹き飛ばされ、怪人は仰向けに倒れ、痙攣しだした。


「わざと弱点を作っておくのが、怪人製造のお約束。二番目のあれにも一応弱点は用意してあったのだが、それにしてもバランスが悪かったな」


 ビルの陰から無数の人影が現れ、ネチっこい声が響く。

 半裸の美少女達を馬代わりにして椅子を引かせ、椅子に座った美少女二人のさらに上に座った、燕尾服の痩せた男が、頬杖をついて薄気味悪い笑みを浮かべて、ビトン達を眺めている。


「霧崎っ……!」


 怒りを露わにしてビトンが銃口を向ける。部下に射撃は命じず、自分の手で殺してやりたいという気持ちと、部下に一斉射撃を命じると、少女達も殺しかねないという危惧があって、一斉射撃を命じようとはしなかった。


 しかし銃口を向けた瞬間、ビトンの体が金縛りにあったかのように固まった。

 霧崎の視線を受け、引き金を引けなくなった。百戦錬磨のビトンは、対峙しただけで直感した。自分と霧崎との力の差を。引き金を引いても、決して当たらないであろうことを。


「やめたまえ。今私を殺したら、君達が救おうとしている者も救えんぞ? 体内に毒薬を仕込んでおいたからな。私が定期的にパスワードを入れないと、毒薬が体内に流れ出す仕掛けになっている」


 何十人という兵士達を前にして、少しも臆した素振りを見せず、悠然とした態度で霧崎は喋る。


「ま、君達では私を殺そうとしたところで無理だがね。試してみてかまわんよ」

「交渉が目的か?」

「命乞いの交渉だとでも思っているのか? 滑稽だな。私は楽しいことをして遊びたいだけだ。君達にも遊んでもらいたくて、誘いをかけにきただけだ」

「サイコ野郎が……」


 冷や汗が流れているのを自覚しつつも、ビトンは怒りの形相を意地し、吐きすてる。恐怖はあったが、かろうじて怒りの方が勝っていた。


「もし私のゲームに参加してくれたら、君達が救助しようとしている兵達の体内に仕込んだ毒を取ってあげよう。解放もしてあげよう。一人ずつ、な」


 ぬけぬけとふざけた要求をする霧崎に、ビトンの怒りは頂点に達しかけたが、霧崎の話が真実であれば、従うしかない事も理解している。


「隊長、こんな脅しに乗らないでください」

「わからないのか? これが脅しであるはずがない。ましてや命乞いでもない。こいつは本気だ」


 進言する副隊長に、ビトンは忌々しげに言いつつ銃を下ろした。


「この人数を前にしてですか? 蜂の巣にしてやればそれで済むじゃないですか」

「それが可能な気が……全くしない……」


 ビトンの呻きに、副隊長は驚いた。見るとビトンが総毛だって震えている。

 ビトンは歴戦の兵である。だからこそ本能的に理解してしまった。目の前の痩せこけた中年男に、必死で集めた精鋭で総攻撃したところで、勝てないであろうことを。


「ふむ。君は中々賢く鋭い男のようだが、君の部下達は理解できていないようだ。試してみるとよかろう」


 霧崎がニヤニヤ笑いながら立ち上がり、その細い両腕を大きく広げ、無防備な姿を晒す。


「合図をだしたまえ。私を殺す合図を。それで君の部下達もきっと納得する」


 挑発する霧崎だが、ビトンは乗らなかった。当たることはない。そして当たらない様を見せて、部下達を恐怖に晒すこともないと。


 しかしビトンの指示を待たず、スナイパーの一人が独断で霧崎を撃った。

 霧崎に弾は当たらず、銃弾が地面を穿つ。


「それだけかね? もっとやってもいいのだよ。ほら、試してみたまえ」


 さらに挑発し、くねくねと奇怪な動きを見せる霧崎。


「撃つな。弾の無駄だ」

 諦めきった声で命ずるビトン。


「今のは……どうなってるのでしょう? 外したようには……」

 副隊長が唸る。


「単に空間を歪めて弾を凌いだだけだがね。オーバーライフなら多くの者ができる芸だ。そしてそんなオーバーライフを銃で殺した剛の者もいるが。まあそんな話はどうでもいい。これで納得したかね?」

「話を聞こう……」


 今は従うしかないと、ビトンは唇を噛む。ここまで化け物だとは思っていなかった。結局、ラファエル・デーモンの言うとおりにしていればよかったのではないかと、そんな考えさえ一瞬脳裏をよぎってしまう。


「悪い話ではないぞ。君達もちゃんと活躍できるし、残った七人を助ける力にもなれる」


 その霧崎の台詞に、ビトンを含め何人かの兵士の頭が沸騰した。たった今、同胞を操って殺し合わせておきながら、ぬけぬけとこのような台詞を吐いたことが、許せなかった。


 その後、霧崎はゲームの内容を説明し、ビトンもこれに従う姿勢を見せた。

 霧崎と半裸美少女軍団は、貸切油田屋の兵士達に堂々を背を向けて、立ち去った。


「あらあら、これは酷い有様ですこと。見過ごせませんわね」


 霧崎と入れ違いで、極めて場違いな格好をした女性が現れ、兵士達のいる方へと近づいてくる。


「止まれ。何者だ」


 全身白ずくめの貴婦人に銃口を向け、ビトンが制止の声をかけた。この状況を前にして、笑顔で堂々と近づいてくるなど、只者ではないと察していた。


「通りすがりの治癒術師ですわ。負傷者を放っておけない性分なので、癒させていただきますわよ」


 白い貴婦人――雨岸百合が優雅に一礼すると、頭部を輪切りにされて殺された兵士達の前に近づく。


「いや……負傷者って……」


 どう見ても死んでいる兵士の側にかがみこむ百合に、啞然とするビトン。

 だが次の瞬間、輪切りにされて散乱していた兵士の頭部と脳が元に戻り、明らかに死んでいたと思われた兵士がゆっくり起き上がったのを見て、ビトン達は驚愕した。

 同様に、他の倒れている兵士達の側にかがんでいく百合。死体としか思えなかった兵士達が、次々と起き上がっていく。


「おい、大丈夫か?」

「はい」


 起き上がって戻ってきた兵士に声をかけると、どこか虚ろな眼差しで返答した。


(大丈夫には見えないな……。心ここにあらずという様子だ)


 起き上がった兵士達は全員、虚脱しているようにビトンの目には映った。


「強力な治療術で癒したばかりで、まだ頭がはっきりしませんのよ。しばらくすれば、元通りになりますわ」


 そう言って百合はにこやかに微笑む


(切断されたとはいえ、脳が溶解する前でしたら、元の記憶もちゃんとありますでしょうしね。もっとも、霊魂はもう冥界へ飛んでいった後ですけれど)


 言葉に出さずに付け加える百合。治療術で癒したなど、当然嘘だ。死霊術によって肉体の機能だけを元に戻し、魂の無い肉の塊を動かしているに過ぎない。しかし腐りかけのゾンビではないし、肉体機能そのものは、医学的には生きている。呼吸もすれば血液の循環も有り、食事も排泄もする。思考能力もある。

 しかし感情は無い。意思も無い。心が無い。つまるところ魂が無い。生ける死体なのだ。そして一度死んだ肉体は、術によって無理矢理維持されて動いるだけなので、百合が術を解けば、瞬時に塵となって崩れ落ちる。


 これこそ百合が得意としている、死体人形化の術だ。普通に死体を動かすだけの死霊術とは違い、生きている死体を造る。普通の人間と見た目もあまり変わらないし、食事さえ与えておけば体が腐っていくことも無い。

 知能はあるが意思と意志の無い彼等は、百合に与えられた命令で動いている。今とてそうだ。予めプログラムされた簡単な目的に沿っている。死ぬ前と同じ任務と役職に従って動け、と。


「大丈夫……です。ビトン隊長。頭が多少……ぼやけているだけです」


 兵士の一人が告げるが、やはり大丈夫には見えないビトンであった。


「俺……誰? ここはどこ……? 貴方達は……?」


 しかし兵士の中には、完全に記憶を失っている者もいた。自分が置かれた境遇に対し、理解すらしていない。


(やはり脳の損傷からの蘇生となると、完璧に記憶が戻らない者もでましたわね。いくら脳も作り直したといっても、こればかりは、私の力ではどうにもなりませんわ)


 もしそれがどうにかできるのなら、望の脳死とて、百合に治療することが出来たかもしれない。


「今、この尊幻市で行われているゲームに関して、貴方達は把握しておられますの? 雪岡純子と霧崎剣、二人のマッドサイエンティストの遊びのことですわ」

「大体はな……。それを知るあんたは何者なんだ?」


 百合に尋ねられ、ビトンは尋ね返す。


「あの二人と相対する者とだけ言っておきますわ。手を組みませんこと? 正直貴方方では手に余る相手ですことよ。もちろん私一人からしてみてもそうであるからこそ、声をかけましたの」

「仲間の命を救ってくれたんだ。そのうえ頼もしい力の持ち主ときた。断るはずもない」


 ビトンが言うものの、心から信じたわけではない。


 百合もビトンが自分を疑っていることはわかっている。それでも構わない。建前上だけの同盟であろうと、共通の敵であることは事実であるし、互いに互いを利用できることもまた、事実なのだから。互いに認識さえしていれば、それだけでよいとする。

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