第二十八章 26

『私は夢を見ました。


 とてもとても嫌な夢です。家の中にあるものがいうことをきかなくなり、どんどん壊れていく夢です。


 まずエアコンが壊れました。いくらスイッチを押しても動きませんでした。誰かが頭にきて、壊れたエアコンを殴りました。殴った誰かは、手が痛そうに顔をしかめていました。

 その後、知りました。壊れていたのはエアコンのリモコンの方でした。エアコンは何も悪くないのに殴られたのです。誰かは頭にきてリモコンを殴りました。粉々になるほど殴りました。手が痛そうでした。でも壊れていたわけではなく、電池が切れていただけなのです。なのに壊れたと思って殴って、結局リモコンを壊したのは、理解しなかったその怒りんぼうな人でした。

 頭にきたその人は、リモコンだけではなくエアコンも殴って壊してしまいました。電池を交換すれば済むだけの話なのに、それをしようとせず、自分の手で全て壊してしまったのです。


 次に本が腐りました。私が小さな頃に望んで、お父さんとお母さんが私のために買ってくれた大事な本が、腐ってしまったのです。私は頭にきて、本を破きまくったら、家中に本の紙が散らかりました。

 そうしたらお父さんとお母さんが凄く怒って、私を怒って殴りました。腐ったのは本なのです。本が悪いのです。なのに私が本を壊したかのように、怒りました。

 仕方ないので破った本を接ぎあわせて、腐りかけのつぎはぎの本を大事に読み続けるようにしました。同じ内容の本を何度も何度もただずっと読み続けるようにしました。他の本は読みません。腐ったつぎはぎの本を読まないといけないので、他の本は読めません。


 私はあまりにも馬鹿で手間をかける悪い子で、頭もおかしい子なので、お父さんとお母さんに呆れられ、牢屋に入れられたようです。

 狭い狭い洞窟の牢屋です。身動きが取れないくらいの狭い牢屋です。岩が冷たくて、風邪を引いてしまいそうです。身動きが取れないのは辛いです。苦しいです。でも御飯と飲み物だけ直接与えられるので、死なないのです。

 この生き地獄でようやく私は悟りました。暴れたり喚いたりするのをやめれば、きっといつかここから解放してくれると。だからいい子にするようにしました。でも中々牢屋から出してくれません。早く出してほしいと思い、叫びたかったですけど、そうするとまだ私が悪い子なままだと思われて怖いので、叫びたくてもずっと我慢して、泣きたいけど鳴き声も我慢して、ただ涙を流して、許してくれるのを待ち続けました。いい子にしていればいつかここから出して貰えると。

 死ぬまで出してもらえず、このまま身動きとれずに死ぬのかと、何度も思いましたが、やっと出られる日がきました。でもお父さんとお母さんは来てくれませんでした。


 私の隣の牢屋には、もう一人の家族が閉じ込められていました。そちらは快適です。私があんなに苦しんでいたのに、もう一人は閉じ込められた中で、自由に動くことができたのです。頭にきます。彼女を殴ってやろうと思いましたが、それをすれば、またあのひどい牢屋に逆戻りなので、今は我慢しようと思いました。今我慢すればいいのです。我慢しなくてもいいようになったら、いっぱい殴ってやろうと思います。

 彼女は心配そうな顔で私を見ました。彼女はつぎはぎだらけの腐った本でした。


 私は――壊れていないのに壊れたことにされて、実際に壊された、リモコンの電池が切れていただけのエアコンでした』


***


「もういいでしょ? お姉ちゃん」


 声に驚いて、真菜子は目を覚ました。すぐ間近で、泣きそうな顔で華子が自分を覗き込んでいる。

 つぎはぎだらけの腐った本……そんなフレーズが、真菜子の脳裏をよぎる。


「また全部喋ってたの? あれを声に出して」

「うん」


 確認する真菜子に、愛しい妹は涙目で頷いた。


 身を起こし、額に手を当てて悪夢を思い起こす。

 この悪夢は何度も見た。見る度に、絵本の朗読をするかのように、声に出して喋っていた。それを何度か妹に聞かれた。


「エアコンとリモコン……」

 ぽつりと呟く真菜子。


「あれこそ障害者とそれを傷つける家族そのもの。心の病を理解せず、殴りつける。そして壊したのは……」

「うん、知ってる。お姉ちゃんを壊したのは、お父さんとお母さん」


 真菜子の手を握り、華子は同情を込めて言った。


「腐った本は……?」

「それはお姉ちゃんが望んだ私だったはず。私なんかの面倒を見なくちゃいけないから、他の本は読めない。恋人も作れないし、友達ともろくに遊べない」


 真菜子の問いに対し、華子は現実に置き換えた答えを述べる。


「洞窟の身動きが取れない牢屋は……?」

「重度の人が入る閉鎖病棟じゃない? 私は解放病棟だった。暴れすぎて手に負えないから、お姉ちゃんは手足をベッドに縛られていた。おむつに垂れ流し」

「そう……一緒に壊れて、一緒にあそこに入れられたのに、扱いに違いがあることで、私は貴女が余計に憎らしくて……」

「でもお姉ちゃんは治ったよ? 私はまだおかしいまま……」


 華子の治ったという言葉に、真菜子は乾いた笑みを浮かべる。


(これが治ったというの? そう……確かに医者にはそう診断された。だって、そういう振りをしていたんだもの。抑えこんで、治った振りをしただけ。苦しいのが嫌だから、人前では自制できるようになっただけ。それが……治ったという判断。本当バカバカしい。人前で抑えられるようになったら、それは治ったことにされるんだから。私は相変わらず、その後も妹を嬲り続けているっていうのに……)


 表向きはこういう事になっている。心の病を抱えたままの妹の面倒を見る姉と。


 真実はこうだ。手のかかる姉を暴力で躾けようとして、娘を心の崩壊へと追い込んだ、癇癪持ちの馬鹿な親。心の壊れた姉は妹に暴力を振るい、妹の心もそれで壊れた。病院に入れられ、姉は治癒した振りをして、罪滅ぼしに妹の面倒を見ると言って引き取った。両親は得体の知れない娘達とはもう関わりたくなかったため、簡単に首を縦に振った。


 そして今の構図が出来上がった。真菜子は相変わらず、妹を嬲り続けている。華子は自分が病気だから、殴られても罵られても仕方無いと思い込んでいる。あるいはそう思おうとしている。こんな自分でも見放さないでくれているから、姉は神様に等しいとしている。


(あいつらは、私達をまるで失敗作みたいな目で見た。そう罵った。でも……私達を壊したのは、あなた達じゃない……)


 声に出さず、両親に向かって毒づく真菜子。

 それから妹を見る。


(私もまだおかしいままなのに、その現実を見ようとせず、私を神格化することで、心の平穏を得ている……可哀想で可愛い子……)


 そんな妹に、真菜子はとことん付き合うつもりでいる。自らの欲望を吐き出し、妹を嬲ることで心の平静を保ちながら。


***


『精神障害のくせにっ。僕は身体障害者だから、君よりましだっ』


 自分が最も心を許していた人間に、面と向かってそう罵られた時、ペペは世界が赤く黒く染まるのを実感した。自分の心の中の決定的な何かが壊れた瞬間だった。

 気がついたら、自分の分身の如く思っていた人物が、目の前で血まみれの動かぬ肉の塊へと変わっていた。


 気がついたら、安息所で一人うたた寝していた。気がついたらすでに深夜だった。

 これまで何度も見た悪夢。一生見続けなければならないのかと、ペペは顔をしかめて額に手をあてる。


 ペペは自宅に帰らず、安息所で寝泊りする事が多い。

 ここは落ち着く。ここは神聖な場所でもある。悪夢の始まりと幸福の終わりの場所でもある。

 悪夢の場所であるにも関わらず、ペペはこの場所を安息の場とした。心の平穏を望む者を大勢集めて、交流を図り、実際に多くの人々の心が癒せた。それはそれで満足している。


 息を吐き、トイレに行くと、悪夢の続きがあった。

 悪夢の中で自分に殺された者と同じ顔が、何かを訴えるように、ペペを見ている。

 ペペは別に驚かない。しょっちゅうだ。悪夢を見た直後に現れることも多いので、悪夢もこの幽霊が見せているのではないかと、思っている。


「私にあんなことを言っておいて、よくもまあ私を恨んで出てこれるものね! 消えろ!」


 ペペが怒鳴ると、幽霊は素直に従い、姿を消す。


「全部あなたのせいよ……。全部……」

 拳をきつく握り締め、扉を叩く。


「わかってる……。私も悪い。あの時、喧嘩なんかしなければ……ずっと仲良くしていれば、こんなことにならなかったのに……。私が悪いの。我を出してしまったから。和を乱してしまったから……。そのあげく……私は貴方を……貴方を……」


 消えてしまった幽霊に語りかけるようにして呟きながら、ペペはリビングに戻り、別の引き出しの中に入れてあったドリームバンドを手に取る。純子に渡さなかったものだ。


「時が来たということ。これはいい機会でしょ……。私はそれを望んでいた。でも私は最後まで見苦しく足掻くわ」


 清々しい笑みを浮かべて呟くと、ペペはドリームバンドを被った。


***


 深夜の雪岡研究所、リビングルーム。


「ふわあぁぁ~、みどり、そろそろ寝る」


 みどりが大あくびをして立ち上がる。ずっとネットで検索作業に没頭していた。ドリームバンドの製造及び改造に関連した、マッドサイエンティストを調べまくっていた。


「おやすみなさい」

 同じ作業をしていた毅が告げる。


「僕も寝ますけど、毅はまだ続けますか?」


 同じ作業をしていた累も立ち上がり、確認を取る。


「ええ、せっかくここまで絞り込めましたし、あとは一人ずつ掘り下げて調べていくだけです」


 毅が気力に満ちた顔で言う。三人は長時間の作業で、ドリームバンドに長じたマッドサイエンティストを世界中から二十四人にまで絞っていた。


「ふえぇぇ~、その掘り下げが面倒だと思うんだけどねぇ~。個人がネットで調べられることにも限度有りそうじゃね?」

「言われてみればそうですね。情報組織を頼った方がいいかな。この人数だとかなりのお金と時間がかかりそうですが」


 みどりに言われ、毅は方針を改めることにした。

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