第二十八章 25
夕方。闇の安息所には、ペペと檜原姉妹だけが残っていた。
今日のやりとりが華子にはいろいろとショックで、皆が帰っても帰ろうとせず、ペペと様々なことを話し込んでいた。
「私は皆が安心できる空間を作りたいと、常に思っているの」
華子が何度聞いたかわからない台詞を、ペペは口にする。ここに初めて来た時も、ペペが同じ台詞を口にしていた事を華子は覚えている。
「私が闇の安息所を作ったのは、安心できる場所を提供するためよ。裏通りの住人という共通点と、心の病を抱えているという共通点、二つの共通点を持った人同士が安心できる場所。そんなのが欲しいなってずっと思ってた。需要あるのかなって不安だったけど、作ってみたらちゃんと人が来たよね。そして憩いの場になってくれた。思いきって作ってみてよかったって思ってる」
穏やかな表情で、ほぼ一方的にペペが話す。
「私は裏通りの住人だったけど……そんな私が……いや、そんな私だからこそ言いたい。争いのない平和な空間で、皆で楽しく仲良く笑いあって過ごしたいって。クサいこと言ってるのはわかってるけど、これが私の心からの願い」
(やっぱりペペさんが、この騒ぎの黒幕なんて有り得ない。こんな優しくてステキな人が、そんなことするわけがない。それなのに毅の奴……許せない)
(クサいこと言う人って、必ずその後付けを口にするのよね。偽善者と言われるかもしれないけど――とか、綺麗事言ってるのはわかってる――とか。で、その後に『でもこれが本心』みたいな台詞言うのが定番になっている)
先程から美辞麗句ばかり口にしているペペに、華子は素直に感心していたものの、真菜子は内心辟易としていた。真菜子はペペのこういう所が苦手である。
(怪しいのは雪岡純子の方よ。彼女経由で連れて来られた人達の中には、信用できそうな人もいるけど、あの雪岡純子は絶対に信用ならない。ペペさんに疑惑の目を向けて、何か企んでいるのかもしれないわ)
そう考えた華子は、意を決して、ペペに己の考えを訴えてみることにした。
「私……この騒動、雪岡純子が怪しいと思ってます」
「こら、華子っ」
毅然たる表情で切り出した華子を、真菜子が軽く叱る。
「私はそうは思わないな。ていうかね、身内を疑いたくない……」
ペペが表情を曇らせる。
「私だって……正直言えば、疑われていい気はしないからね」
「で、でも……」
自分の台詞にペペが悲しげな顔をしたことに、華子は戸惑い、真菜子はペペの反応を予想していたので嘆息する。
「明日は皆で警察に面会に行きましょう。誠君と勝美さんの様子も気になるし」
華子がしょげているのを見て、ペペは話題を変えたが、華子はうなだれたままだった。
***
ユマと美香がカンドービルを出た所で、見知った人物と遭遇した。
「あ、美香さん、ユマさん」
優だった。
「今日の安息所はどうでした?」
「大荒れだったらしい!」
「うん、大荒れだった」
ユマは先程美香に話した時より簡潔に、今日の安息所でのやりとりを優に話す。
「そうですかあ。いよいよ純子さんが本腰入れて動きましたかあ。それにしても、純子さんでさえ、赤猫に憑かれちゃうんですねぇ」
「一応は我々と同じ人間だったようだな!」
優と美香の会話を聞いていて、わりと純子に近しい彼女達が、純子のことを化け物扱いしている事に、ユマは笑いがこみあげる。
「あ……ペペさんから」
「私にもです」
ユマ、優、美香が一斉にディスプレイを開くと、ペペからのメッセージで、明日は面会に行くとの通達があった。
「最初に赤猫に取り憑かれて、殺してしまった人達ですかあ。面会と言われても、どちらも知らない人ですが……どういう状態か興味はありますねえ」
優が言った。
「興味があるという言い方も不謹慎だぞ! いちいち言葉尻をとらえて騒ぎたてる不謹慎厨は死すべしだが、それは本気で不謹慎な表現だ!」
「そうですね。ごめんなさあい。興味津々ですぅ」
「もっと悪い!」
「私はそれなりに長い付き合いの人達だから、どうなっているのか気になる。自分の意思とは無関係に家族を殺して、ずっと牢屋に閉じ込められたままとか……しかも元々精神障害を煩っていた誠君がどうなっているのかとか、考えただけでぞっとする……」
今度の優と美香のやりとりは笑えず、ユマは青ざめた顔で語る。
「ごめんなさい、ユマさん。変なこと言ってしまって」
謝罪する優に、曖昧な笑みをこぼすユマ。
「いや、いいよ。気になるけど、正直会いに行くのが怖い……。今まで意識するのさえ怖くて、誠君と勝美さんのこと、なるべく考えないようにしてたよ」
「しかし今、事態が動こうとしている最中であるし、彼等に会うことでまた、何かわかるかもしれん。ペペさんもそう判断したのかもしれん」
叫ばずに落ち着いた声で美香が言う。
「そうね。私は行く」
「私も行きますねえ」
「すまん! 私は明日は表通りの方の仕事だ! 七号も行けん! 後でまた経過を教えてくれ!」
その後、三人はすぐに別れた。
(嫌だな……明日の面会……やっぱり……行きたくない。何かすごく嫌だ……)
一人で歩きながらユマは、先程までの美香との楽しいお喋りの余韻さえ失くすほど、漠然たる不吉な予感を覚えていた。
***
「争いのない平和な空間で、仲良く……か」
雪岡研究所にて、安息所に仕掛けてあった盗聴器からペペの台詞を耳にいれた純子は、何とはなしに同じ台詞を呟いた。
同じリビングにいた累とみどりと毅も、純子が呟いた言葉を耳にする。
「難しいようで簡単。簡単なようで難しいことだよね」
ペペの台詞はきっと本心なのだろうと、純子は思う。しかしだからこそ危険であることも、純子は知っている。人類の歴史と共に歩み続けてきた純子は、綺麗な世界を作ろうとした者達が、それが叶わぬが故に人の道から外れ、恐ろしい事態を引き起こすまでの過程と破局を、幾度も目の当たりにしてきた。
「俺はもうペペさんが犯人としか思えませんが……」
「決め付けは危ないよー?」
毅の言葉を聞き、純子はやんわりと制する。
「でもジャンク屋の件とドリームバンドの件を考えれば、そうとしか……」
「別にペペさんがジャンク屋で仕入れて改造した件は、私は何とも思わないけどね」
「どうしてですか? ジャンク屋の店主も、危ない品物が混ざっていると言ってましたし」
純子の考え方が、毅には不思議に思える。
「ペペさんがジャンクいじりに精通しているなら、その問題もクリアーできるだろうし、改造そのものも、品質向上とコスト削減に繋がるからねえ」
「市販品より、個人の改造が品質よくなるって理屈、わかんないなあ」
今度はみどりが純子に突っ込む。みどりも毅と大体同じ考えであるし、ペペを怪しんでいる。
「えっとねー、例えば私が毅君や累君に飲ませている、精神安定のためのビタミン剤、あれは市販品ではなくて私が精製したものだけど、効果は市販品の十倍くらいあるよ」
昨今でのメンタルケアは、抗生物質の使用は極力避け、ドリームバンドとビタミン剤による治療を主流としている。精神状態の安定化には、特定の栄養の投与が効果的であると認められたからだ。純子も毅に、ビタミン剤の服用を促していた。
「そりゃ純姉の作ったもんだし……」
「私だからこそできる凄い特別な技術っていう問題じゃなく、その気になればメーカーでも出来る事だよ。器材さえあれば、その気になれば誰でもできる。でもメーカーはやらない。大した精製もせず、不純物も混ぜて効果の薄い代物を販売している。手の込んだ精製にはお金も時間もかかるしね。精製にそんなにお金をかけるくらいなら、そのお金を宣伝費にまわして、より多く売り出そうとする。精製してお金がかかった分、値段を高くすれば買ってもらえなくなるし、効果が高いのを売ってさっさと治されても売る側としては困るし、それなら大した効果の無い商品を、安値で恒常的に買い続けてもらう方がいいってわけ。さらに言えば、宣伝をあまりしていない商品より、宣伝いっぱいしている商品の方が、効果があると、人は思い込んじゃうしね」
「なるほど……」
純子の説明を受け、みどりは納得した。
「市販のドリームバンドにも似たことが言えるのよ。ビタミン剤ほど露骨なことはしてないけど、その気になればもっと改善できる。私が毅君や累君に用いているのは、栄養治療にしてもドリームバンドのケアにしても、私自身が手を加えて効果を高めたものだからね」
「それで俺は……短期間に劇的に改善されたわけですか」
「僕はあまり改善されてないですよ……? ずっと純子の元にいたのに……」
純子の説明を受け、毅も納得したが、累は納得がいかなかった。
「累君は五百年以上の蓄積があるし、性質的にもそういった治療は多分、合ってないんだと思う。全然効果無いわけでもないけどさ」
「それ以前に僕のことはわりと放っておいた状態でしたし、ドリームバンドの治療やビタミン食品の摂取も、積極的にするようになったのは、最近になってからですよね……」
純子の説明を受け、累はやっぱり納得がいかなかった。
「話を戻すけど、ペペさんにもそういう意図があるんじゃない? まだ怪しいと決まったわけじゃないかな。ま、実際ペペさん、かなり怪しいけど」
「どっちやねーん」
ころころ変わる純子の言葉に、苦笑して突っ込むみどり。
「ペペさんは市販のソフトをジャンク改造品にインストールしたと言ってましたから、改良ではなく、ただ安上がりに済ませただけだと思います」
と、毅。
「こっちもドリームバンドの解析しているけど、かなり手こずりそうだよー」
純子が小さく息を吐く。一日中解析作業を行っていたが、情報量が多い上に、巧みに隠蔽されているので、進展は見受けられない。
「雪岡さんに難しいと言わせるほどってことは、相当凄い仕掛けってことですか? ペペさんにそんなスキルがあると?」
「毅君、何度も言うけど、まだペペさんが犯人とは決まってないからね」
「一応ペペさんの過去も洗ってみました。殺し屋時代の事とか、それ以前の事とか」
純子が再び注意したが、毅はペペへの疑念モードを解こうとしない。
「毅兄は悪い意味で仕事早いね~」
みどりがからかう。
「一つだけ気になったのが、殺し屋になる前のことです。ペペさんも心の病を患って闘病していたみたいですが、裏通りの組織に頼んで、過去のほとんどは消し去っているようです。痕跡もほとんど見つけられなかったと」
「裏通りに堕ちて、わざわざ過去を消す人って、誰かに追われている系がほとんどだけどねえ」
毅の報告を聞き、純子は言った。
「あと、ペペさんはカウンセラーを名乗っていますが、カウンセラーと一口に言ってもいろいろでして……。ペペさんはカウンセラーの資格、ちゃんと取っているんですかね? その辺を調べても出てこなかったですし」
「あのね……毅君。私だって日本の学会追放された身分だけど、この国じゃトップ3に入るマッドサイエンティストだし、公式にどうこうという問題は、触れない方がいいよ……。裏通りに表通りの常識持ち込むようなものだし」
「あ……そうですね」
今日何度目かの注意を受け、毅は頭をかく。
「毅君、累君、みどりちゃんにお願い。ドリームバンド製造及び改造に長けたマッドサイエンティストを、国内国外問わず調べてみてほしい。これだけの物を作れる人なら、名前の知れた人の可能性が高いと思うんだ。名の知れない埋もれた人って可能性もあるけどさ」
「それ……マッドサイエンティストに限った話でもないんじゃないですか?」
累が疑問を口にする。ドリームバンドの製造技師であれば、誰であろうと可能性は有り得る。
「そうだけど、まずは怪しい所から当たる感じでさー」
「マッドサイエンティストのみ、ドリームバンドに通じた者のみという条件でも、世界中となると難しそうですね」
早速ディスプレイを開いて検索しつつ、毅が言う。
「ドリームバンドにサイコメトリーが通じれば、簡単に犯人わかったんだけど、これ、みどりも含めて安息所の人達が使いまくってるおかげで、思念がごちゃごちゃ残りすぎてて、変なプログラムをインストールした人の思念の記録まで、辿りつけないんだよねえ」
みどりが口にしたサイコメトリーとは、物体に宿る残留思念を読み取る能力だが、物体に宿る残留思念は、量があまりにも多すぎると、古い思念がランダムに弾かれてしまう。
「しかし新たにやる事ができましたし、それを頑張ってみます。こういう地味な作業、俺には向いてますし」
ディスプレイを凝視したま、爽やかな笑みを浮かべる毅。
(彼も随分変わりましたね……。出会った頃とはまるで別人です)
毅の横顔を見て、累は思う。人が変われる可能性の生きた証拠のようなものなので、毅の変化を見て、自身に対しても希望が沸いてくる。
***
久留米狂悪はドリームバンドの設計技師であったが、久留米狂悪の両親もドリームバンドの設計技師だった。
久留米はドリームバンドで暗示をかけ、殺人衝動へといざなう実験を、実の両親に行ったが、その結果、両親は殺人衝動というより、目の前の物を片っ端から壊したがる破壊衝動だけの廃人となった。
両親が使っていたドリームバンドを調べられ、改造したのが久留米だという事も判明して、久留米は逮捕されてしまった。
あの時は本当に迂闊だったと久留米は思う。大嫌いな両親への復讐を果たしたが、人生の長い時間を牢屋で無駄に過ごした上に、職も失ってしまった。
そしてあの事件が記録して残っているため、久留米は自分の存在を徹底的に消すことにした。名前も変え、戸籍も抹消して新しいものを買った。整形も考えたが、自分の顔まで変えるのは抵抗があった。現在の久留米狂悪という名前も、買い取った名だ。
もう自分に辿り付く者はいない――と思いたい。しかしそれでもなお、何者かが自分の過去から現在に迫ってくるかもしれないと、怯えている。
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