第二十八章 7

 闇の安息所に通う者達は全員裏通りの住人である。しかしだからといって、身近な人が殺人事件を起こして、それで動じないわけもない。しかもそれが二件目とあっては、動揺も激しくなる。


「同じ場所に通う人間が二人も殺人を起こしている。明らかにここに何か関連性が……いや、原因があると見ていい」


 ペペを見据え、梅津はきっぱりと言う。


「通うと言っても、事件を起こしたのは奥さんの方でしょう? ここに通っていたのは、亡くなられた啓次郎さんの方ですよ」


 ペペが言い返す。最初の事件は、心の病を持つ者が、母の介護に耐えられずに殺してしまったと解釈できるが、今回は被害者が病人で、加害者がその妻だ。


「八丈勝美だって、付き添いにここに来ることは多かったのだろう? そして被疑者はいずれも同じ言葉を口にしている。これは断じて見過ごせないな。ここで奇妙な暗示をかけて、突発的な殺人へと走るように、マインドコントロールでもしているんじゃないかと疑っている」


 梅津の指摘に、ペペの表情が強張る。


「私が何かしていると疑っているのですか? 私が宗教の教祖よろしく、皆におかしな教えを説いたり暗示をかけたりしていると? あるいは薬を使うとか?」


 冷たく硬質な声を発するペペ。安息所ではペペと付き合いの長いユマ、真菜子、華子であるが、彼女がこんな声を出したことなど、今まで一度として耳にしたことはない。


「そういう疑いを持つのも、自然な流れなんだよ」

 梅津も淡々とした口調で言い返す。


「へーい、今はまだ聞き込みの段階なんでしょー? 禿の刑事さん、もうちょっと言葉選びなよォ~」

「まっ、まだ禿てねーよっ」


 みどりが口を挟み、梅津は動揺しつつ声を荒げる。


「みどりの言うとおりだ! そちらが嫌疑をかけるのもわかるが、場所と相手と状況を選んでくれ! ここがどういう場所か、ペペさんがどういう立場の人か、わからないのか!?」

「わかっちゃいるがね、殺人事件が二度も起きてるんだ。気遣っていられんな」


 美香が激昂するが、梅津も引かない。


「殺人の動機はー?」

 純子が問う。


「不明だ。当人からしてわからないとよ。二人とも、気がついたら殺していたと言ってるんだ。だからこそ、ここが怪しいとなっちまう」

 ペペに視線を向けたまま、梅津は言った。


「お願いですから、ここに来ている人達を不安がらせるようなことは辞めてください。今日初めて来た子もいるんですよ」


 ペペが真摯に訴える。梅津はバツが悪そうにうつむくと、薄くなった頭をかき、話を続ける。


「不安がるようなタマじゃないのも多いがな……。俺はあんたらをいじめにきているんじゃないぞ。また新たな犠牲者を出したくないから、また悲劇を起こしたくないから、来てるんだ。そいつもわかってくれよ」

「それなら言葉や態度をもう少し選んでよ」

「まったくだぜィ。まるで真犯人がこの中にいるみてーなノリじゃん」


 来夢とみどりが不愉快そうに文句を言い、梅津はますます渋面になった。


「でも二人とも気がついたら殺していたとか、おかしいですよね? 梅津さんをフォローするわけではないですけど、確かにマインドコントロールを疑ってしまいますよお。皆さんも冷静になって考えてみましょう。そして梅津さんも、もう少し詳しく話してくださぁい」


 優の言葉を受け、何人かは冷静さを取り戻した。


「殺した二人共、共通することが幾つかある。一つは二人共、ここに足を運んでいたこと。一つは二人共、殺す気など無かったと供述していること。一つは二人共、殺す直前に頭の中に赤猫が現れて、その直後に頭の中が殺意一色に染まり、何も考えられなくなって、殺人を実行したと供述していることだ」

(赤猫……?)


 純子はその単語に覚えがあった。トイレに現れた血まみれの幽霊が、その言葉を口にしていた。


「わかってくれよ。もう一度言うが、俺が来たのは新たな被害者を出さないためだぞ? どういうからくりか知らんが、本人の意思とは無関係の殺人が発生しちまってるんだ。そしてそれはまた起こるかもしれないと、俺は見ている。まだ断定するには早いと言われるかもしれないが、俺にはここに何かあるとしか思えないんだ」

「梅津さんの勘は結構正しいから、どうか梅津さんを信じてください。それに梅津さんもこんなんだけど、悪を憎んで弱気を助ける、刑事ドラマの主人公みたいな人情派デカなんです」


 梅津の後ろから、松本がフォローを入れる。


「被害者と加害者、両方で、何か心当たりはないか? 紋切り型の台詞だが、どんな変わったことでもいいから教えてくれ」

「最初からそう言えばいいにゃー」

「まったくだ!」


 下手に出た梅津に向かって、七号と美香が忌々しげに言った。


「殺された啓次郎さんは、トイレで血まみれの幽霊を見たとか、そんなことも言ってたし、幻覚持ちだったかも」

 ユマが口を開く。


(それ、私も見たから幻覚じゃないと思うけど……どうしよう)


 それを自分も言うべきかどうか、純子は悩む。しかし口にしても不都合は思いつかなかったので、言うことにした。


「えっとねー、私、ここのトイレで幽霊見たんだ」

「純子ちゃんも?」


 ペペが顔色を変えて反応した。


「あ、実は私も見たことあるのよ。皆には不安がらせないように黙っていたけど。それに……確かに啓次郎さんも見たって言ってたし」

 続けて話すペペ。


「確かに……ここに初めて来た時、霊気を感じました」

 累が発言する。


(すっかり話題が幽霊の件になったけど、これ関係あるのか?)

 梅津が口をへの字にして疑問に思う。


「累君、みどりちゃん、探ってみてくれない?」

「探るってどういうことですか?」


 ペペが純子に尋ねる。


「この二人は霊を扱う術が得意だからねー。トイレに出る霊ってのが、手がかりを知っていそうな気がするし、呼び出して聞き出してもらおうと思ってさー。私がトイレの霊と会った時、彼も赤猫っていう言葉を口にしていたんだ」

「オッケイ、純姉。……といいたいところだが、もう探ったんだわさ。霊気の残滓はあったけど、いなかったし。地縛霊じゃあないみたいだからさァ、霊がいつもここにいるわけじゃないみたいだよォ~」

「そっかあ。でも一応だけでもいいんで、今ちょっと見てくれないかな?」

「しゃあないなあ」


 純子の要請を受け、トイレへと向かうみどり。累と純子もその後を付いていく。さらには来夢と岸夫と美香と七号とペペも。


「ちょっと……そんなに皆で押し寄せたら、幽霊も出てきませんよ……」


 累にストッブをかけられ、全員その場に止まった。


「ふわぁぁ……霊気無し。いないよォ~」

「人が多いですからね。悪霊でも地縛霊でもない浮遊霊のようでしたから、今は出ないでしょう。人が少なくなって、逢魔が時か夜でも無い限りは実体化しづらいようですね」

「しかし確かに霊気は漂っている、と。害は無いようだけど、気になるなあ」


 トイレを開き、みどりと累が言った。


「霊を扱う術が得意でも、自由に呼び出すってのは無理なのか?」

 梅津が質問する。


「霊の性質が違うので無理です。サイコメトリーもしてみましたが、トイレで殺されたとか、そういうわけではないようです。そもそもサイコメトリーは、殺された当人が身につけた物でもないと……」

「トイレに現れるのも、人気がつきにくくて、陰気で現れやすい場所だからだわさ。霊ってシャイなのが多いんだよォ~。明るい所とか人が多い時とかは、よほど強い霊で無い限り、自然に出現しないんだよね。特に浮遊霊の類は捕まえづらいよぉ」


 累とみどりが続け様に解説する。


「みどりと累のどちらかをずっとここのトイレに待機させておけば、いずれその幽霊が現れて、真相がわかるかもしれない」

「うん、私もそれ考えたけど、言うの躊躇ってた……」


 来夢が躊躇いなく言い、純子は躊躇いがちに言った。


「見たのは今までに三人だけですよ。出現率相当低いのに、それをずっと待つっていうのは、辛いんじゃないですか?」

 と、ペペ。


「ふえぇ~、みどりは勘弁だぁ~」


 トイレ前で延々と、正座して待機している自分の姿を想像してしまうみどり。


(精神分裂体を投射してトイレに張りこませておくっていう手もあるけど、そうするとその精神分裂体が、ここでトイレする人達のことも見続けることになるし……累君もみどりちゃんもそれを申し出ない時点で、嫌だってことだよねえ……)


 二人の心中を察する純子。


「禿のおじさん」

 来夢が声をかける。


「ふざけんなよ、おい。まだ禿きってないぞ。逮捕するぞ」

「多分純子が解決してくれるから大丈夫。純子が面倒臭がって解決しなかったら、きっと美香が解決するから安心して」


 梅津の文句を無視して、来夢が断言する。


「勝手に人の名を引き合いに出すな! それに、そういう場面では他人の名を出さず、自分が解決すると名乗り出るものだろう!」

「そんな決まり、俺には通用しない」

「お前は何を言ってるんだ!」

「美香は日頃から正義の味方ぶってるから、引き合いに出されても仕方無い。俺は悪だから、正義の味方は敵だし、正義の味方なんてせいぜい利用してやるんだ」

「意味がわからん! いや、半分はわかった気がする!」

「どっちにしろ美香なら見過ごさない。お人好しだから。俺はお見通しだよ?」


 来夢と美香の噛み合わない言い合いを、おかしそうに聞く安息所の面々。


「そうは言うが私も忙しい身だぞ! 七号と一緒に来るのも、毎回というわけにもいかん! 付き添いも純子達に頼もうと思ってたほどだ!」


 七号が暴走した時の事を考えると、抑えるための付き添いが絶対に必要だと、美香は用心している。


(つーか……純子は余計にかき回しそうだから、できれば美香に頼みたいが……。幽霊云々って所が、どうも気になるな。事件と関係あるのか? 俺の勘では、あるような気がするが)


 梅津が思案し、累とみどりの雫野コンビに目をやる。


「累、それにみどり。お前らは後でいいから、ちょっと顔貸せ。もう少し詳しく幽霊の話聞かせてくれ」

「わかりました」

「イェア、了解~」


 梅津に声をかけられ、頷く雫野コンビ。


(何のかんの言って、雪岡研究所の関係者らがいてくれたのは助かるな。協力的な奴等もいるし。こいつらの力も頼りにできそうだ。純子が余計なことしでかさなければいいが)


 純子を一瞥する梅津。その純子と視線が合う。

 訝りながらも微笑み返す純子だが、梅津に唯一の危惧扱いされている事など、思いもよらなかった。


***


 久留米狂悪は思い出す。


「赤猫か……。面白いデザインだ」


 あの時、彼女に向かってそんなことを言い、瞳が無くて真っ黒な目と、全身赤一色の猫を作り上げた。


 それは人の脳の中だけに現れる。条件が整えば、対象の人物だけに見える。

 赤猫が見えた時、それが破滅のサインとなる。


 いずれはより多くの人間に赤猫を見させてやりたいと、久留米は思う。赤猫なるもののヴィジョンの発想は久留米によるものではないが、久留米はそれをいたく気に入っていた。


 だが現時点で実用するには、いまいち心許ない。最大の課題は持続時間の短さだ。久留米としてはもっと長いこと持続させたい。

 多くの課題を解消すべくデータを取るために、まずは実験をしようと思い至ったのであるが……

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