第二十八章 1

 かつて赤城毅は、安楽市で最大規模の卸売り組織の長をしていた。


 親から組織を丸々受け継いだ毅は、ボンクラな二代目にはなりたくないと、躍起になって組織の拡大に励んだ。弱小組織であろうと強引に吸収しようとした。雪岡純子という上客も自分の元へと引き込もうとした。

 その結果、毅は全てを失ったうえに、雪岡純子に敵視されてキツい制裁を受けた。人間時計にされたり生首鉢植にされたりと、何ヶ月もの間、動くことすらできない悲惨な生活を送っていた。


 だがその間に、毅はずっと観察していた。雪岡純子という人物を。観察しながら、今後のプランもずっと練っていた。このままでは終われないとして、野心も捨てなかった。

 その間、毅は何度も純子に許しを請うていた。純子は中々許さなかったが、毅のある話を聞いて、許すことに決めた。それは毅が幼い頃からある性質に関する話だった。


 毅は突発的な暴力衝動と、弱者を甚振りたいというサディズムの願望を抱えている。

 それは幼い頃に受けたおかしな教育に起因している。その事を純子に相談すると、毅は性格矯正のために毎日、複数の栄養剤の摂取と、精神障害者用のドリームバンドによる治療を行うようになった。その後、霧崎剣というマッドサイエンティストに頼んで、首から下に機械の体を与えられてサイボーグ化して、見た目は普通の人間となった。


 毅は数ヶ月の間、純子を観察して彼女の性格を熟知し、現在は雪岡研究所の窓口として働いている。研究所の収入源であるユキオカブランドの販売は、純子の好みと合致した相手にのみ行われているため、これまでは交渉も純子が行ってきたが、その手間の大部分を毅が引き受けるという形になった。

 これには毅自身の顔も広めておくという目論見もあった。いずれ自分が独立した際に、雪岡研究所で働いていた男という名が役立つと計算して。


 その一方で治療も続けていた。今の時代の精神障害者は、精神に影響を与える栄養摂取と食事制限(特に糖分の制限)、そしてドリームバンドによる治療が主流となっている。あまりにも酷い場合は副作用たっぷりの投薬もあるし、重度精神病院へ入院するケースもあるが、ドリームバンドで緩和される事の方が多い。

 毅の症状はドリームバンドでかなり緩和できたものの、それでも治りきったわけでもない。まだ一押し足りないといった所だ。


「薬は使わない方がいいと思うんだー。あれはどうにもならない症状を無理矢理抑えるためのものだよ。そこまでひどくないし、もっとソフトな方法でケアしていこう。で、たまたま見つけたんだけど、絶好町内に『闇の安息所』っていう、心の病を抱えた裏通りの人専門の交流施設があるんだよー。そこに行ってみなーい?」


 裏通りにも心の悩みを抱えている人は多くいるが、表通りの精神科には通いづらいという者が多い。そのためか、数年前から裏通り専門のメンタルヘルスや、心の病を持つ者同士の交流所が、幾つか出来始めた。


 そんなわけで、毅は純子の勧めで、安楽市内にある裏通り専門のメンタルヘルスケア目的の交流所『闇の安息所』へと向かっていた。一人では不安なので、純子も同伴で。


「一人では不安とか、毅君らしくもないねー」


 毅と肩を並べて歩きながら、屈託無く微笑み、声をかける純子。


「いや、何でそれが俺らしくないと言われるのかわからないですけど、不安ですよ……。精神科じゃなくて、似たような人達の交流所ってのがちょっと……」

「そんなシャイには見えないからさー。そのうち累君も連れていこうと思うんだけど」


 施設の雰囲気が良かったら、他の者にも声をかけようと考えている純子である。知り合いに心の病を抱えた裏通りの住人は、何人もいる。その下見も兼ねて、純子も行く事にした。


「シャイとかそういう問題ではなくて……その……偏見も交えて言いますが、おかしい人が集ってる感じがして、それが怖いんです」


 毅自身が、暴力性を持つことに悩んでいる身である。それを他者に対して抑えきれずに振るうという事は、今はもう無いと断言できるが、自分と似たような症状を持ち、それがさらにひどい人がいるのではないかと、そんなことを考えてしまったのだ。


「いきなり暴れたり発作起こしたりとか、そういうヤバい人は、特別にヤバい人用の施設に行くよー。今から行くのは、軽い症状の人達だから、安心してー」

「なるほど……」


 納得し、少し安心する毅。


 カンドービルを出て徒歩十分あまりで、二人は闇の安息所へと着いた。

 普通の二階建ての一軒家だ。特に大きくも無い普通の一戸建て。庭は狭い。そこの二階だという話である。


「あれー、雪岡純子がこんな所に」


 入ろうとした所で、先に玄関の扉が開き、中から出てきた人物が、純子を見て声をかける。安楽警察署裏通り課の刑事、松本完であった。


「知り合いでもここにいるのか?」


 同じく裏通り課の刑事である梅津光器も現れ、純子に問う。


「いいや? ここに来ること自体初めてだし、私はこの毅君の付き添いだけど、何かあったのー?」

「先日ここを出入りしている人間が殺人事件を起こした。それでしつこく聞き込みしているだけだよ」


 梅津の言葉に、純子と毅は顔を見合わせる。


「やっぱり怖くないですか……?」

「んー……確かにそんな話聞くと、怖いと思うのが自然だよねえ」

「怖いって何だ?」


 二人の会話を聞いて、梅津が尋ねる。


「毅君の心のケアの一環で、ここに来たんだけど、同じように心の病を持つ人が怖くないかってさー」

「正直、クセのある奴が多そうな雰囲気だぜ。何かあったら連絡くれ」


 梅津はそう言い残し、松本と共に立ち去った。


 毅と純子がベルを押すと、一人の女性が現れた。来る前に連絡は入れてある。


「ようこそ。この闇の安息所の管理をしている、東村山ペペロンチーノと言います。ペペと呼んでください」


 眼鏡をかけて、癖っ毛だらけのボサボサ頭が印象的な、三十代前半くらいと思われる溌剌そうな女性が、にっこりと愛想よく笑って挨拶をする。

 二階へと通されると、そこには少女が一人だけいた。ショートヘアで、いかにも気弱そうなおどおどした感じの子だ。


「檜原華子と言います。十八歳です」


 椅子に座ったまま軽く会釈して自己紹介する。声にも少し怯えた響きがあり、かなり人見知りが激しいか、あるいははっきりと対人恐怖症なのかと、毅は勘繰る。

 自己紹介の後、純子と毅は、管理者のペペから軽い説明を受ける。闇の安息所の基本方針や、ペペ個人の心の病に対してのスタンスと認識だ。


「誤解している人もいるようだけど、心が弱いから心の病にかかるわけではないのよ。それどころか心が強くても、心の病にかかる人もいるのだから」


 その理屈は毅にもよくわかった。自分とて心が弱いわけではない。


「それに、雪岡純子さん曰く、心の病は体の栄養バランスが狂って引き起こされるケースが多々っていうしね。特定のビタミンの欠如や、カルシウム不足、糖分摂取過多など。そういう場合、栄養補助療法で劇的に改善される場合もあります。人によって心の病が引き起こされる原因も様々であれば、治る方法も様々です。ドリームバンドによる映像治療は特に効果的と言われていますが、それが効かない人が栄養治療で治ったというケースもあるからね」

「ああ、私のサイトにあげてる論文も読んでくれたんだね」

「ええ、とても共感できたわ」


 気恥ずかしそうに微笑む純子に、ペペは満面に笑みを広げてみせた。


「こちらの華子さんは……少しシャイですけど、気にせず話しかけてあげてくださいね」

「よ、よろしくです」


 いきなり自分の名を挙げられ、慌てながらも、おずおずと再び会釈する華子。


「華子さんはお姉さんと一緒に暮らしていて、ここにはよくお姉さんも付き添いで来られるんですが、今日は一人ですね」

「二回に一回くらい、お姉ちゃんも一緒に来てくれます。今日も来る予定でしたけど、急な仕事が入って……」


 ペペの説明に補足するような形で、華子は言った。


「失礼ですが、裏通りの仕事は何を?」

 毅が尋ねる。


「『恐怖の大王後援会』の一員です」


 華子の口から返ってきた答えに、毅は少し驚くが、同時に納得もした。あんな仕事をしていたら、心が病むのも無理はないと。

『恐怖の大王後援会』は、裏通りでも非常にメジャーな大組織である。一応始末屋組織としてのカテゴリーに属するが、その仕事内容は『後始末』の一点に絞られている。殺人現場の処理が特に多く、有った事を無かった事にするのが、基本的な仕事だ。純子もよく依頼するし、毅が組織の長をしていた際にも、何度も世話になった。


「ここには他に何人くらいいるんですか?」

「今は……病気の方は、華子さん以外は二人ですね。もう一人いましたが……。事件を起こしてしまって……。おかげでしばらくは、警察の方が出入りするかもしれません」


 毅の問いに対して、ペペは表情を曇らせて、言いにくそうに答えた。


「入り口で会いました。気にしません」


 にっこりと笑う毅。それを見て、ペペも微笑む。


「事件を起こしたのは狛江誠さんという方です」

 ペペが言った。


「あの人が……そんな事件を起こすとか、信じられません……。裏通りの人とは思えないくらい、大人しい人で……しかも殺した相手がお母さんとか……。だって誠さん、病気のお母さんのために、ずっと頑張ってたのに……」


 華子が沈んだ面持ちで話す。

 初見の人間の前でそのような話を堂々とするこの二人もどうかと思った毅だが、二人にしてみても、ショックが大きいのではないかとも考える。


「ペペさん、ここって、最大であと何人くらい紹介して平気かなー?」


 初っ端から殺人事件どうこうなどという話があったにも関わらず、純子は構わずこの場所を他の知り合いにも紹介するつもりになっていた。


「ええっと、スペースが許す程度なら……。付き添いの人も含めると、あと十人くらいなら何とか……」

「紹介したいのは四人だけど、付き添いも含めるとその倍ってところかなー。まあ、毎回付き添い同伴て事も無いと思うけどー」


 純子の言葉を聞いて、毅は意外そうな顔になる。


「四人も知り合いに心の病を抱えてる人、いるんですか? しかも裏通りで」


 毅が訝る。一人は累として、他は毅も知らない。あるいは思いつかない。言われれば思い出すかもしれない。

 累は対人恐怖症かつ引きこもりであるが、最近はどもりも無くはっきりと喋れるようになったし、朝のジョギングなどもするようになったし、着実に良い方向に向かっていると、毅の目からも見えた。


「四人中、二人は私のマウスだけどねー。もう一人もマウスかな? あ……ちょっとトイレ貸してー」

「どうぞ。こちらです」


 ペペに案内され、純子がトイレに入ると、異様な気配を感じた。


(霊気……?)


 便座に腰を下ろしてふと顔を上げると、血まみれの青年が目の前に浮かび上がる。


「んー、何か用?」


 突如現れた幽霊に、純子は驚きも恐れもせず、ごく自然に話しかける。


「ていうか……こっちの用足しをしたいから、その後にしてくれないかなあ。そんな風に見られていたままじゃできないし、地縛霊ってわけじゃないなら、外で待ってて欲しいな」


 純子がお願いするが、青年の霊は動こうとしない。


(この家で殺された霊なのは確かよ。地縛霊化まではしていないけど、この場所に危険があることを訴えたいみたい)


 純子の守護霊である杏が、純子に教えた。


「なるほどー。思考がはっきりしていない霊みたいだねえ。コミュニケーション取りづらいなあ」

 困り顔になる純子。


 知覚も思考も感情も脳がある故だ。思考は物理現象と言ってもいい。もしくは化学反応、電気反応。 脳の活動が停止すればそれらの反応は無くなる。では死後の霊はどうやって知覚し、思考しているのか? その辺、純子にもよくわからない。幽霊の存在そのものは科学的にも実証されたが、まだまだ謎だらけだ。


『赤猫を這わす……』

「え?」


 霊が奇妙な言葉を口にして、姿を消した。


(放火?)

「ん? 杏ちゃん、今の意味わかるの?」


 杏の一言に、純子が振り返る。


(赤猫ってのは放火や放火魔を指すの。猫に火をつけて放火するから赤猫。赤イコール火ってことね。赤猫を這わすっていうのは脅し文句で、火をつけてやるっていう意味)

 杏が解説した。


「でも、放火で死んだ霊には見えないよね、今の……」

(ええ。誰かに撲殺されたような、そんな感じだったけど)


 二人して小首をかしげる。


「ところで杏ちゃんて、いつも私のトイレも後ろから眺めてる?」

(そういうのは守護霊に対して触れないお約束ね)


 微笑みつつ質問する純子に、杏はサングラスに手をかけ、そう答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る