第二十七章 22

 昔、まだ真が殺し屋としての下積み修行を純子に叩き込まれている時、教わったことがある。

 はるか大昔の、荒い画像のプロレスの録画を純子と累と一緒に見終わった際、純子がこんなことを言った。


「ほら、見てよ、真君。実力的にはチンドレ・ザ・ジャイアントに大きく劣る、アンペニオ太杉が、勝利したでしょ。戦いには流れがあるんだよー。ペースがある。必ずしも能力値の合計で強い者が勝つわけじゃないからね」


 真は純子の言葉に強い説得力を覚え、肝に銘じておいた。


「てかプロレスって八百ちょ……」

「おい、言葉に気をつけろ」


 累が口にしかけた台詞に反応し、真は累を睨む。


「いや、断じて違うから。ガチだから」

 純子がうんうんと頷く。


「数字の上下で勝つのはゲーム、それもRPGだけの話。あるいは漫画の強さ議論な世界とかさ。現実はペースをうまく掴みさえすれば、自分より強い者にも勝てるもんだよー」

「いや、それはわかりますけど、プロレスはブックがあるって……」

「絶対有りえない。それ以上言うと怒るぞ」


 食い下がる累に、真が珍しくキツい声を発した。


***


 その時のやりとり以降、真は、何よりも大事なのは流れを制することと強く意識し、考え、動くようになった。


 今、流れは明らかに自分達の方にある。魂魄ゼリーは、薬仏市のマフィアを全員味方に引き入れたらしいが、そのマフィア達はどう見ても士気が低く、かなり強引な方法で従えたと思われる。

 しかし魂魄ゼリー側も、それらの事実はわかっているはずだ。流れがどちらにあるかも、強引に引き入れられたマフィア達の士気の低さも、日本中に悪事が知れ渡ったうえに、警察を完全に敵に回した現状で、なお足掻く事の無意味さも。


「奴等が敗北をわかっていながらなお足掻くとしたら、追い詰められた者の反撃となる。こういう時、少しでも隙を見せると危ない」


 車で移動しつつ、助手席で窓の外を眺めながら、真がバイパーに話しかける。


「そうだな。勝ち戦にこそ、落とし穴が潜んでいる」


 借りてきた車を運転しつつ、バイパーが言った。勝利が見えた際、落とし穴が見えなくなって苦い体験をした事は、バイパーにもある。


「警察の介入や表通りへの露見から、流れが変わったな。しかし警察そのものが本気でかかってきた今、マフィア共に勝ち目は無い。落とし穴があるとしたら、勝ち負けの問題じゃなく、別の所にあるだろうぜ」

「僕もそう思う」


 その落とし穴が具体的に何であるかはわからないし、そもそもあるかどうかもわからない。ただ、こういう局面で気を抜く事が、悪い流れへと向かう可能性があるという話だ。


「バイパーもいろいろ経験してるんだな」

「そりゃこう見えても、お前の二倍以上生きてるし……。それは俺がお前に言いたい台詞だよ。餓鬼のくせして経験積みすぎだろ」


 真にかけられた台詞に、バイパーは思わず笑ってしまう。


「長く生きることが偉いんじゃない。どれだけ濃密に生きるかだ。平々凡々と長生きした百歳と、密度の高い人生を送った四十歳じゃあ、百歳は四十歳に対して偉そうな口叩けないし、他人に与える影響力も四十歳の方がきっと上だろう」

「俺もそう思うがね。この国じゃ老害年数を積んだ方がとにかく偉いっていう、糞価値観だ」


 車が停まる。目的地の抗争現場に着いた。


「あれ? 終わりかけてるな」


 バイパーが言う。道路に死体が散乱しているが、銃撃はまばらだ。人の動きも少ない。


「死体の数を見た限り、マフィアの方が劣勢だ。まあいいさ。ダメ押しで加勢しよう」


 真が車から降りて、銃を抜いた。


***


 強風が吹き荒れる、魂魄ゼリー本部ビル屋上ヘリポート。


 長い黒髪をたなびかせ、悠然と佇む身長2メートル越えの美女は、五人のマフィアと向かい合い、鋭い殺気を放っていた。


「ラッキーだな、丁度魂魄ゼリーのボスが二人共揃ってる」


 胡偉とマードックを見やり、黒斗が笑う。


「黒斗よぉ……昔のよしみで見逃しちゃくれねーかな? こんなことお願いするのは、馬鹿げてるってわかってるけどよ。それでも頼むわ」


 マードックが愛想よく笑いかけ、照れくさそうな口調で懇願した。


「こいつのしたことを考えれば、そういうわけにはいかないな。それどころか、マリンパークの件もどうせ氷山の一角で、突けばもっととんでもない余罪が、ぽろぽろ出てくるだろ?」


 そう言って黒斗は胡偉を睨む。


「ああ、百万回地獄に落ちても足らないくらい悪いことい~っぱいしてるぜ」


 ニヤニヤ笑いながら、胡偉がその場に腰を下ろし、胡坐をかいた。


「俺目当てだって言うんなら、俺を料理すればいい。その代わり、こいつらは見逃してくれ」


 やにわに胡偉が笑みを消し、毅然とした面持ちで言い放つ。


「おいおい、胡偉……いつからお前、そんなキャラになったんだよ」


 啞然とするマードック。黄強や他の護衛二人も驚いた。胡偉は潔さなどとは無縁な、どんな汚い手を使ってでも、みっともない姿を晒しても、足掻いて足掻いて生き残ろうとする男だ。それをいつも部下の前でも口にしている。


「事の次第は……ケチのつきはじめは、俺の孫が俺を訪ねてきた事からだ。そこから全てが狂っていった。マリンパークで人さらいしていたのを突き止めて暴露したのも、どうもあいつのようだしな」


 胡偉が脈絡の無い話を口にしだしたと思った一同だが、次の一言で、何が言いたいかがよくわかった。


「あいつは――俺の孫――相沢真は、俺を殺したがっている」


 胡偉のその言葉を受け、黒斗から放たれる殺気が和らいだ。


「あいつはそのためにここに来た。俺にとってもあいつにとっても、過去の清算になる。それを他の奴に邪魔されたくはねえな」

「断ったら?」


 黒斗の問いに、胡偉はにやりと笑った。


「このビルには自爆用の爆弾がたんまり仕掛けてある。お前さんは飛んで逃げられるかもしれないが、中にいるSATはどうかな? うちらも全滅するが、ただ死ぬよりかは、一網打尽の道連れにしてやりたいところだな」


 その言葉を聞いて、黄強は先程の、戦力では負けていると理解していながらの、胡偉の自信ある台詞の意味が理解できた。それが自信の源であったかと。


「わかった」

 無線を出す黒斗。


「隊長、一旦隊員を退かせてくれ。ビルには爆弾が仕掛けられているそうだ。ハッタリかもしれんが、本当だったら不味い」


 ハッタリではなく、事実の可能性が高いと見なしている黒斗である。


「真を待とう。俺はお前が逃げ出さないよう、見張っておく」

「ふん、ありがとうよ」


 黒斗の決定を受け、にやりと笑う胡偉。


「お前らは逃げておけよ」

「はいよ。死ぬなよ」


 マードックと護衛二人がヘリへと乗り込む。

 黄強だけ、ヘリに向かおうとせず残っていた。


「どうしたんだ、お前」


 胡偉が問う。質問してから胡偉は、黄強が動こうとしない理由が、何となくわかってしまう。


「俺もここに残らせてください」


 黄強の申し出に、胡偉は小さく笑う。理由を聞くのも拒むのも、無粋に思えた。


「残ってもいいが、餓鬼との決闘を手出しするのは許さんぞ」

「わかりました。それだけは手出ししませんが、それ以外は、俺は護衛の務めを果たします」

「お前って奴は……糞っ、とことんむかつく奴だなっ。俺はなあ、そういう忠義も大嫌いなんだよっ」


 そう言いつつも、まんざらでもない表情の胡偉。


 そんな胡偉を見て、マードックは小さく息を吐く。


(黒斗の追撃をかわすためか、それとも単に一人で盛り上ってるのか知らんがね、悪いがお前をここで殺すわけにはいかねーんだよ……今、二人のボスの片割れが死んだら、組織が混乱に陥る)


 マードックが携帯電話のディプレイを空中に浮かべ、メッセージを送る。


「アドニス、葉山。ヘリポートに相沢真を入れるな。途中で殺せ。相沢真を始末したら、屋上にいる芦屋黒斗も始末しろ」


 相沢真という人物はともかく、黒斗を斃せるとは思っていないマードックである。しかし黒斗との交戦状態に入った際、戦闘の隙を見て、胡偉を救出することくらいはできるのではないかと、漠然と考えていた。いや、賭けに出ることにした。


***


 真とバイパーが着いた時には、すでに勝敗は決していたも同然であったが、二人が戦闘に加わった事により、よりスムーズにマフィアを掃滅し、日本の裏通りの組織も犠牲を出さずに済んだため、戦闘が完全に終わった後、二人共感謝された。


 戦闘が終わってから、真が電話を取り出す。戦闘中にかかってきたのだ。相手は黒斗だった。


『今俺の前に胡偉がいるよ。魂魄ゼリー本拠地ビルの屋上ヘリポートで、胡偉がお前のことを待っている。決闘希望だってさ』

「わかった。すぐ向かう」


 電話を切り、真がバイパーに目配せし、二人は車へと乗り込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る