第二十七章 21

 SATのヘリコプターを撃ち落とす際、こちらの射手が狙撃されることも当然想定したうえで、胡偉はスティンガーの射手を減力肉粉でガードしつつ撃たせた。一瞬ではあるが、射手は肉粉による簡易結界に守られた。

 狙撃弾の運動力は肉粉によって失われた。当然だがスティンガーの砲身周辺には、肉粉を撒いていない。


「これで逃走経路は一応確保した」


 ほくそ笑む胡偉。屋上に関しては、狙撃できるビルは周辺には無い。警察のヘリはそのためでもあったであろう。


「ボス、早く逃げないと、新たなヘリが来ますよ」

「いいや、逃げるのは、下の虫けら共を一匹残らず丁寧に潰してからだ。先にヘリを潰したのは、上から狙われないようにするためだ。もちろん後々の逃走のためでもあるがな」


 進言する護衛に、胡偉は獰猛な笑みを広げて言った。


 胡偉の決定はどうもおかしい。そんなことをしても次々に援軍が来てキリがないのではないかと、黄強も他の護衛達も思ったが、口に出さない


「SATが突入してきたぜ」

『SAT突入してきました』


 マードックが部屋を開けて言うのと、部下の内線の報告が、ほぼ同時に行われる。


「そうか。装備、数、兵の質を鑑みて、現時点では四分六分でこっちがやや不利かな」


 胡偉が分析して口にした台詞に、護衛達は啞然としてしまう。その戦力差でどうやって敵を皆殺しにするというのだろう。


(あるいは、何かその方法があるというのか?)

 と、黄強は勘繰る。


「そいつは甘く見すぎだろ。こっちの不利はもっとでかいわ」

 マードックが渋い顔で言う。


「奴等の中には芦屋黒斗とかいう、非常に厄介な奴がいやがる。俺も面識あるし、かつて奴と手を組んでいたこともあるが、あいつを敵に回したのは不味いぜ」


 アメリカの地下組織の覇権をかけて、戦場のティータイムとヌーディスト・スクールの二大組織が激しく抗争していた際、戦場のティータイムは警察と軍をも敵を回し、日本から芦屋を応援として呼んで、同じ陣営に属して戦ったことがあるマードックである。


「噂はよく聞いている。裏通りの住人が泣いて逃げ出すほど恐ろしい、オカマ刑事だってな」

 特に気に留めた風も無い胡偉。


「さっさと逃げた方がいい。俺はあいつとやって勝てる気がしない。てなわけで俺はこれから逃げるが、あんたはどうする」


 マードックのその言葉に、胡偉がきょとんとした顔になる。


「逃げるって、ヘリ使って逃げるんだろう? そっちに先に逃げられたら俺が逃げられなくなるし、そうするってんなら俺も逃げるわ」


 不本意であるが、ここで駄々をこねるわけにもいかないので、胡偉の方が折れることにした。大きな溜息をつく胡偉。


「ヘリ以外の脱出口もあるんだろ?」

 マードックが尋ねる。


「一応地下にな。でもヘリが一番確実だ。ここにいる者はヘリで逃げ、構成員には脱出口を使って逃げさせる」

 胡偉は言った。


「落ち合う場所は?」

 さらにマードックが問う。


「うちらの他の拠点は使わず、メキシコの組織に厄介になろう。しかし……一旦逃げたとしても、その後の警察との戦いを回避しきれると思えないがな。無能の置物とはいえ、薬仏の警察官を皆殺しにしたんだ。同じ警察官が殺されたという名目で、奴等は遠慮なく俺達を追撃してくるだろうし」


 こうなると警察を介入させた時点で、最早自分達は日本でやっていくことはできないのではないかと、胡偉は考える。


「一時的にだが、警察の介入を退ける方法はあるが、聞くか? 分の悪い賭けだが」


 この男らしくない神妙な面持ちで話すマードックに、胡偉は嫌な予感を覚える。


「何だよ、言いなよ」

「ヘリに爆弾と核廃棄物を乗せて飛ばすんだ。で、警察が介入やめないと、墜落させると脅す」

「操縦する奴を死なせるようなもんだろう。誰が操縦するんだよ。俺は部下をそんな風に使い捨てるのは好きじゃない」


 マードックの突拍子も無い提案に、思わず笑ってしまいながら、胡偉は拒んだ。


「やっぱりダメか。その後ますます警察が怒り狂って追ってきそうだしな」

「当たり前だ」


 雪岡純子の核物質散布の事件が、胡偉の脳裏によぎる。


「とりあえず警察から逃げ続けて、地下に潜伏し続けるなり、あるいはしばらく日本を離れるなりした方がいいのは確かだろう」

 と、マードック。


「それが気に食わんぜ……。せっかく奴等に一矢報いてやる機会だったのによ」


 胡偉としては、ここで徹底抗戦してやりたい所だが、マードックがノリ気ではないので、それ以上我を通すこともできない。それに、マードックの方が正しいということもわかっている。


(いつもの俺は、こんな危ない橋渡らないのに、あの糞ったれの孫のせいで、おかしくなっちまってる。大嫌いな警察が噛み付いてきやがったこともそうだ)


 自分の調子が、随分と狂っていることを意識する。全てはあの孫が現れてからおかしくなったと、胡偉は考える。


「薬仏の警察官は皆殺しにしたんだろ。そいつで我慢しときな」

 そう言ってマードックが微笑む。


「わかった。方針変更だ。逃げよう」

 再び思い溜息をつく胡偉。


「ったくよ……俺よりずっと年上の爺さんの暴走をたしなめるとか、レアな体験つーか、人生わからんもんだ」

「うるさいよ」


 肩をすくめるマードックに、苦笑いをこぼす胡偉。


 それから部屋の中にいた黄強を含めた護衛三名と共に、胡偉は荷物をまとめて部屋を出て、マードックと肩を並べて屋上へと向かう。


「たまにさ、昔の自分が今の俺を見たらどう思うかとか、考えちまう。ストリートギャング時代の俺は、すげえ凶暴だったんだぜ? 気にいらん奴は味方だろうとガンガン殺してたし、今のあんたどころじゃなく、ドンキホーテしまくってたからな。ここまで生き延びたのは、幸運もあってのことだ」


 歩きながらマードックが語る。


「お前さんは、昔の自分が好きなのか? あるいは、今の自分が嫌いなのか?」


 胡偉の質問に、今度はマードックが苦笑いを浮かべた。


「今の自分が嫌いとは思わねーけど、きっと昔の馬鹿な自分は好きなんだろう。変わっちまったことに対しても、何となく寂しさを抱いているっていうかねえ」


 マードックのその答えは、胡偉の心の深くにあるものを疼かせた。


(俺は逆だ……。大嫌いだ。思い出したくもない。いや、思い出してはいけないものだ)


 心の奥底で、何かが叫んでいるような、そんな気がする。しかし胡偉はそれを必死で無視している。四十年間、ずっと目を逸らし続けてきたものが、そこにある。心の奥に、確かにまだ存在している。

 ただ、こう思う。可哀想だと。過去の自分が、途轍もなく可哀想であると。


「なるほど……。お前さん、まだそんなに歳いってるわけでもないのに、随分と老成しているというか、達観してるんだな」


 気を紛らわせるために、胡偉はマードックとの会話を続ける。


「仲間が次々と死ぬ所を見たせいかな……。で、俺は生き残っちまった。そのせいで変わっちまった。こんな風になっちまった」

「仲間ねえ……」


 胡偉は組織の者が殺されても、組織に泥を塗られたとして怒るだけで、死を悼んだことなどあまり無い。マードックがその人相の悪さのわりに、そういう部分を持っていることが、意外だった。


(そういう振りをしてみせているだけで、俺の油断を誘っているのかもしれねーけど)


 そんな風に疑ってかかることが、胡偉の中でデフォルトになっている。基本的に誰も信じない。信じられない。


(俺も最初からこうじゃなかったけどな。俺は昔の自分を愛せない。かといって嫌ってもいない。ただ、可哀想だと思うだけだ……)


 過去は捨てられない。過去は振り返らないと言ってる奴など大嘘吐きだと、胡偉は思う。己の過去はずっと着いて回るし、振り返らないでいるつもりでも、影響を与え続ける。


 胡偉、黄強、マードック、他護衛二名は屋上へと到着し、ヘリポートへと向かう。


「ヘリを操縦できる奴いるのか? 俺はできないが」

「あ、俺できます」

「俺も一応できる」


 胡偉に問われ、黄強とマードックが挙手する。


「金や武器やブツは詰め込んである」

 マードックが言う。


「じゃあ、方針コロコロ変わりまくりだが、ズラかるか」


 胡偉が笑いながら言い、真っ先にヘリに乗り込もうとしたその時――胡偉以外の四人が、上空を見上げ、飛来するそれを確認した。

 少し遅れて胡偉もその姿を認める。背中から鋼鉄の翼とロケット噴射口を生やし、ゆっくりと降りてくる、身長2メートル越えのスーツ姿の美女。


「黒斗……」

 マードックがその名を口にする。


「久しぶりだね、マードック」


 日本警察の最終兵器――芦屋黒斗がにっこりと笑ってみせる。


「ふーっ……因果な巡りあわせじゃねえか」


 かつて味方だった男が敵として立ちふさがった事に、マードックは渋い表情を見せた。

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