第二十七章 10

 真が見ろ苦慕殺の元に戻った頃には、午後十時を回っていた。

 飯屋で真一人だけ夕食を取りながら、バイパーと阿久津の二人を前にして、胡偉との戦いを報告する。


「お前も仕留められなかったか。俺の時もまんまと逃げられた」


 垂れてきた前髪を払い、バイパーが言った。何となくこの展開は予想していた。


「僕の場合は、僕の方が逃げたんだけどな。二対一の所に加勢まで来た。しかし一対一なら僕の方が強いと思う」


 強がっているわけではなく、一度戦ってみた手応えとして、それがはっきりと真にはわかった。おそらくそれは、相手にもわかっただろうと、真は思う。


「あいつは不利な戦いなんて絶対にしないタイプみてーだから、そいつが本当なら、一対一になるような状況は中々作らねーだろ。そうなったらさっさと逃げるさ」


 仮にも一組織のボスであるし、守りを固めるのは容易い。バイパーとて、部下を殺害したうえで一対一に持ち込みはしたが、その後逃げられたのである。


「しかし……本当に鉄さんだったわけか。しかも息子殺しとはね」

 顔をしかめて唸る阿久津。


「何でマフィアに転向したかまでは、聞けなかった。バイパーの主は、その辺の事情、知らないのか? そもそもあいつを直接知る数少ない人物だし、どういう関係だったんだ?」


 ミルクの名前は出さずに、真はバイパーに尋ねる。


「俺も知らんし、あいつに聞いても、言いづらそうだった。何かワケありっぽいぜ。しかしちゃんと聞いておくべきだな。明日にでも詳しく聞きに戻ってみるか。お前も来い」


 バイパーの誘いを真はありがたいと感じる。真の方から切り出そうと思っていたが、ミルクと喧嘩中だと聞いていたので、拒まれるかもしれないとも思っていた所だ。


「俺も行っていいかい?」

 阿久津が尋ねる。


「親分さんはダメだわ。ちょっとややこしい奴に会いに行くんでな」


 やんわりと断るバイパー。ミルクの存在は基本的に秘匿されているし、正体を知る者以外には会わせられない。数少ない例外として、昔バイパーが行き場の無い少女をクラブ猫屋敷に連れてきた事もあるが。


「ちぇっ。まあ真相がわかったら、教えられる分だけでもいいから教えてくれ」


 阿久津からすると複雑であった。かつて憧れ、自分も世話になった事がある人物が、実は自分が戦い続けていた組織のボスであったという事実。間違いであって欲しいと願うが、話の流れから、事実なのだろうと判断できる。


 ふと、真の食事の手が止まる。バイパーの表情も変化する。

 二人は複数の殺気を感じ取っていた。


 直後――店の入り口から、二つの手榴弾が店内に投げ込まれる。

 それを見て、真とバイパーの二人が同時に飛び出した。


 先にバイパーが手榴弾に迫り、一つを入り口へと投げ返す。

 放り込んだ当人とその仲間の足元に手榴弾が戻ってきて、彼等は顔色を変えた。死の恐怖に固まったその瞬間、彼等の恐怖の感情も肉体も同時に吹き飛ばす。

 もう一つもバイパーが投げ返したが、こちらは間に合わずに店内入り口で爆発した。


 最初に投げ返した方は投げ入れた者を爆殺したが、遅れて投げたもう一つの爆破は、店内にいた店員と客の数名が犠牲になった。

 バイパーも爆風の直撃を受けたが、死はおろか、行動不能に至るほどのダメージも受けていない。大勢の無関係の人間も巻き添えにするというやり方に、憤怒の形相で店の外へと飛び出す。


 店の外には、白人と黒人の亡骸が二体ずつ転がっていた。バイパーが投げ返した手榴弾の爆発で死んだ者だ。

 その周囲では、爆風を逃れた外人達がサブマシンガンやライフルを構えている。


 自分に向けられた無数の銃器が、一斉に引き金が引かれると同時に、バイパーは彼等めがけて突っ込んでいた。


(壊し甲斐のある奴等で嬉しいぜ。丁寧に少しずつ千切っていって、自分が壊れていく様を味合わせてやる)


 銃弾の雨に晒されながら、口角を大きく吊り上げ、獰猛な笑みを広げるバイパー。


 バイパーは人の命を奪うという行為は、相手を破壊して動かなくすると強く意識している。

生きていない方がいい人間汚物は、吐きそうになるほど、掃いて捨てきれないほど、世に多くはびこっている。自分の前に現れる度に、そうした輩を壊してきた。壊せば、ちぎれば、砕けば、動かなくなる。殺したという意識はできるだけ持たない。相手を人としても認識しない。壊すという認識で臨む。

 壊れた相手はもう動かない。相手の人生はそれで壊れる。どうせ生きているだけで、世に害悪を振りまくような輩である。そんな奴が一人でも多く消えてくれると、消えた分だけすっきりとした気分になれる。


 真も店の外へと飛び出した。バイパーが手榴弾を二つとも投げたので、自分が投げ返そうと飛び出した意味は無くなった。


(こっちも僕が出てきた意味がなさそうだな)


 嵐のように猛り狂い、マフィアに徒手空拳で襲いかかるバイパーの姿を見て、真は銃を下ろした。


 バイパーはマフィアの兵士達に片っ端から足払いをかけ、行動不能にしていった。後で嬲り殺しにするためだ。

 その後バイパーは決めていた通り、笑顔で彼等を素手でちぎり殺していく。あまりいい趣味ではないと思う真であったが、バイパーの怒りを理解できない事も無い。


「いやはや、すげえな……。話には聞いていたがね。本当に素手で人をひきちぎるんだな」


 バイパーが人体破壊する様子をチラ見した阿久津が呻く。


 やがて全てのマフィアを原型が留めないほど引きちぎった後、バイパーは血まみれ肉片まみれの壮絶な姿で、爆破された店の入り口へと戻ってくる。


「こんな事が薬仏市では日常茶飯事さ。お前もここに住むか?」


 真を見下ろして皮肉げに微笑み、バイパーが声をかける。


「雪岡が来るなら別に構わない」


 無表情のまま、あっさりとそう返すと、真は席に戻り、死体の転がる店内で、残りの食事に手をつけ始めた。


***


 魂魄ゼリーのアジトの一つ。

 組織に属する者、外部から雇われた者の双方を含め、多くの殺し屋達が一箇所に集められている。

 ただの構成員の兵士に比べれば、ずっと高い戦闘力を持つ彼等は今や、抗争の主力となっている。彼等が集められたのは、明日、対立している組織の一つに襲撃をかけに行く前の、事前の打ち合わせのためである。


 アドニス含むアメリカ勢もいる。強者揃いの中、アドニスが一際腕が立つ事は、彼が初見の者でもすぐに肌で感じた。

 しかしそんな中で、彼等の意識はアドニスではなく、別のある存在へと降り注がれていた。


「おい、あれは何だよ……」


 到着したばかりのアメリカ勢の一人が、それを見て引きながら、知り合いに声をかける。


「知らんが、中の人はいないらしい。着ぐるみじゃないとさ」


 人の手足が生えた小さなイルカを見やりつつ、彼は答えた。他の者達も、ちらちらとそのイルカ人に視線を送っている。


「アドニスもこっちか」


 到着した殺し屋が声をかけるが、団子っ鼻の殺し屋は反応しない。無口で愛想の無い男だとわかっているので、声をかけた男も気にしない。


「アドニス配属ってことは、敵は強め?」

「二番目くらいに厄介な組織だとさ。一番やばそうなのは後回しにするとのことだ」


 アドニスは魂魄ゼリーアメリカ勢の中でも一目置かれており、誰もが最強と認めている強者である。そのアドニスが配置されている時点で敵も手強く、それなりに激戦が予想された。


「ジャアアアアァアァアァップ!」


 突然奇怪な叫び声があがり、殺し屋達が一斉に声をあげた主へと注目する。すなわち、謎のイルカ人間に。


「おしっこですか?」


 イルカ人間の近くにいた、少し痩せ気味の長身の日本人男性が、イルカ人間に声をかける。


「ジャアアアァアッッップ!」

 頭を横に振るイルカ人間。


「暇だということですか?」

「ジャアアアアアアァァァァァァッブ!」


 叫びながら頷くイルカ人間。


「えっと……何なのさ、あいつは……」

「わからんが、ジャップとしか喋れないらしい……」

「あれも戦うの? 凶暴そうなのはわかったが」

「何か怖い」


 イルカ人間を見やりつつ、殺し屋達がそこかしこでひそひそと囁く。


「イルカより隣の男の方を何とも思わないのか?」


 珍しくアドニスが自分から喋ったので、アメリカ勢の殺し屋達が驚く。

 アドニスが立ち上がり、イルカ人間の方へと――いや、その隣にいる男へと近づいていく。


「俺はアドニスだ。お前は?」

 流暢な日本語で声をかける。


 アドニスが自分から他者に声をかけ、しかも名乗るということも珍しいので、彼を知るアメリカ勢はなお驚く。


「蛆虫です」

「変わった名だな。俺は日本にもよく来ているし、日本人も知っているが、そんな名は初めて聞く」

「あ、名前は葉山です。てっきり、僕の存在の本質そのものを尋ねたのかと……」

「存在の本質を突然尋ねる者などいないし、その答えが蛆虫というのもわけわからん。お前は中々腕が立ちそうだと思ったから声をかけてみた。それだけだ」


 そう言ってアドニスは、彼の傍らにいるイルカ人間を見る。


「こっちはアンジェリーナです。オーストラリア人だそうです。ほら、アンジェリーナ、挨拶して」

「ジャアアアアアアァァァァアップ!」


 葉山に促され、イルカ人間アンジェリーナは立ち上がり、ガニ股になって、両腕を上げて内側に折り曲げ、手は鉤爪状にして、どう見ても威嚇しているとしか思えないポーズを取って叫んだ。これが挨拶らしいと、アドニスは受け入れる。


「愉快な挨拶だな。気に入った。で、何でこれはイルカなんだ?」

 にこりともせず問うアドニス。


「アンジェリーナはマッドサイエンティスト雪岡純子に改造されて、こうなりました。その後、とある研究所で実験台にされていましたが、その研究所で実験協力していた僕と出会い、僕のお願いで解放してもらったんです。でも行き場が無いらしいので、僕が面倒を見る事になりました」

「ジャップ! ジャップ!」


 葉山が解説し終えた後、アンジェリーナが腕組みしてうんうんと頷く。


「で、それは戦えるのか?」

「いえ、そういうのは無理でしょう。そうですね……。戦いの場を盛り上げるマスコット役だと思ってください」

「ジャアァッップ!」

「ふむ……。まあ、敵の目を引く程度には役に立つか」


 深く考える必要は無いとして、アドニスは葉山とアンジェリーナの側から離れた。

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